■ スーパースター第三部 - (6)
(6)
1月に、貴史と知恵子の二人目の子供が産まれた。男の子だった。
貴史は始めて、妻が出産するまでの期待と不安、喜びの、相交互する感情を味わった。
そして子供が誕生したときの、思わず込み上げてくる感情の昂ぶり。
子供の名前は、まだ決めていなかった。彼は自分の両親や知恵子の父親に相談した。二人の父親は、考慮に考慮を重ねて、いくつかの名前を挙げた。ところが貴史の母親、アンリは、「そんなのは他力本願でやるべきものじゃないわ、あなたたち二人で決めなさい」とにべもなく言った。
結局、貴史は子供の名前を『啓太』と命名した。太くのびやかに生きて欲しい、という願いを込めてだった。
半年後の7月に入って、家族4人は、鎌倉にある貴史の実家を訪れた。
それまで貴史は、ほとんど実家に帰っておらず、せめてもの罪滅ぼしのつもりだった。それに杖を頼らずに、ようやく普通に歩けるようになったこともあった。
両親は二人の孫を家に迎えて、嬉しさに頬が緩みっぱなしだったが、少し離れた感じで貴史一家に接していた。貴史は、孫に甘い神戸の義父と比較して、そんな二人に少し物足りなさを感じていた。
久しぶりに祖父の墓参りをした後、貴史は一家を誘って、鶴岡八幡宮の境内に近い料亭に行った。最初は気を使っていた知恵子も、ようやくくつろいできたようだった。それは多分に、アンリの明るくて思ったことをはっきりと言う性格にも由った。
家に戻ると、普段より外にいる時間の長かったこともあって、2歳の明日香は早めに寝てしまった。そのあと、大人たち4人はゆったりとして、風呂上がりのワインを飲んでいた。
「ねえ、知恵子さん。ちょっと外に出てみない?」
アンリが知恵子に聞いた。
「ええ、いいですわ。でもお母さん、どこに行くんですか?」
知恵子の問いかけに、アンリはいたずらっぽい眼差しで夫を見た。
「酔い冷ましよ。近くにハイカラな喫茶店があるの。イチゴケーキがすごくおいしいのよ」
それを聞いて、桂樹がたしなめた。
「アンリ、太るぞ。――それに、おまえと違って知恵子さんは若いんだから、夜ふらつくのは危険だ」
「はいはい、わたしだったらおばあちゃんだから、男の人に襲われる危険がないってわけね」
アンリは夫にそう言うと、知恵子に向かって言った。「主人はイチゴケーキが大好物なの。でも太りすぎだから、糖分を控えめにしろって、お医者さんに言われているの。だから、やっかみがあるのよ」
桂樹は眉をひそめて言った。
「アンリ――そんなつもりで言ったんじゃない。とにかく今日はアルコールが入っているんだ。気が緩んでいるときに、事故は起こりやすいもんだ」
「あなた、わたしと知恵子さんは、ほとんど飲んでいないわ。飲み過ぎなのは、殿方二人じゃないの?それに、あなた、アルコールも控えめにって言われていなかったかしら?」
妻の思わぬ反撃に、桂樹は困った表情をした。
そこで息子が助け船を出した。
「父さん、心配し過ぎだよ。喫茶店はすぐそばじゃないか。たまには女同士で話す時間もやれよ。なんだったら、ぼくが送って行こうか?」
3人の視線に出会って、桂樹はあわてて首を振った。
「いや、その必要はない。1時間以内に帰ってくるんだぞ」
その言葉を待っていたように、アンリと知恵子は顔を見合わせて、そっと微笑んだ。
女性陣が外出したあとも、親子はワインを飲みつづけた。
「父さんも心配性だな」
「そんなでもない。ただ、おまえが事故にあって、ふと死んだ義父のことを思い出したんだ」
「起きたことは、しょうがないよ。じいさんもぼくも、運命だったのかも知れない」
桂樹は、息子の体をうかがうように見た。
「それにしても、おまえ、太ったんじゃないか?」
貴史はぎょっとして、自分の下腹を見た。
「父さん――ぼくは母親似だぞ」
「何が言いたいんだ?」
「ぼくは父さんのように太らないよ」
一瞬、桂樹は気分を害したが、気を取り直して言った。
「おまえ――自己認識も必要だぞ。客観的に見れば、おまえは太ってきたよ」
貴史はフンと鼻を鳴らしたが、父親の言うことが気になった。確かに現役時代にくらべれば、運動量は圧倒的に減っていた。それを思うと、自分に対するもどかしさがこみ上げてきた。
桂樹はじっと息子を見ていたが、ポツリと言った。
「貴史――野球のことは、吹っ切れたのか?」
「吹っ切れてはいないさ。ぼくは野球をやるために、リハビリを続けているんだ。でも、時々思うんだ、これまでのぼくの人生は、あまりにも順調すぎた。だから事故のことは、神様が、ぼくにちょっと苦労を味あわせてやろうとしたことじゃないかってね」
「――」
「でも、悪いことばかりじゃないさ。事故のおかげで、ぼくは家族を持てたんだ」
「知恵子さんは、ほんとにいいお嫁さんだよ。おまえには、もったいないくらいだ。あれだけマスコミに騒がれた浮気性のおまえを、知恵子さんがよく拾ってくれたものだよ」
貴史は、父親の目をまっすぐに見ながら、聞いた。
「じゃあ聞くけど、父さんは若い頃に、母さん以外の女性と浮気したことがないのか?」
「あたりまえだ。いちどもないよ」
桂樹は胸を張って答えた。そこで息子と目が合って、彼はどぎまぎして居直ったように言った。「なんだ、その目つきは。父さんを疑ってるのか――」
父親の顔をまっすぐに見ながら、息子が妙にゆっくりと答えた。
「べつに――」
小1時間が過ぎ、二人はすっかりいい気分になっていた。そのうち桂樹がふらりと立ち上がった。
「父さん、どこに行くんだよ?」
「夕涼みだ。今夜はやけに蒸すからな」
桂樹は2階への階段のほうに向かった。その足元がおぼつかなかった。
貴史は、しょうがないなというように肩をすくめて、父親の後を追った。
桂樹は孫たちの寝ている部屋に入っていった。豆電球の明かりのもとで、二人の幼児はぐっすりと寝入っていた。
親子はその寝顔をしばらく眺めていた。
そのあと桂樹は、掃き出し窓を開け、ベランダに出た。
貴史も父親にしたがった。
汗ばんだ肌に、夜の外気が気持ちよかった。
そのうち貴史は、父親が浴衣を脱ぎ出すのに気がついた。
「父さん、なにしてるんだよ?」
「気持ちいいことだ」
「父さん――まさか――」
その、まさかだった。桂樹はパンツを脱ぎ、素っ裸になると、気持ちよさそうに両手を広げた。
「ああ、いい気持ちだ。貴史、おまえもやれよ。こうやっていると、まさに大自然に戻った気分になる」
貴史は父親の誘惑に勝てなかった。彼は着ている服を脱ぎ捨てると、父親の横に立って、星の瞬く暗い空を眺めた。
「父さん、ぼくの子供たちに対して、ちょっとそっけないな」
貴史は夜空を眺めながら、ポツリと言った。
桂樹は驚いたように息子を見た。
「どうしてだ?」
「だって、神戸の親父と違って、あまり孫たちをかまわないじゃないか」
「なんだ、そんなことか。わたしだって、もっと孫たちを抱きたいのは山々だよ。でも、アンリに釘を刺されているんだ」
「どうして?」
「アンリが言うに、あまりべたべたすると、子供の自立心が育たないんだと。だから我慢しろと言われているんだ」
「ふーん、確かに一理あるな。神戸の親父にも言っておくか」
桂樹は横に立つ息子のほうをチラリと見た。そして視線を下げて、言った。
「それにしても――お前も立派に成長したもんだな」
アンリと知恵子は、おしゃべりとイチゴケーキにすっかり満足して、家路を急いでいた。早くから母親のいなかった知恵子にとって、アンリの存在は心の拠り所になっていた。そして、二人は親子というより、姉妹のような親密度を増していた。それは多分に、アンリの明るくて若々しい性格に拠った。
家のそばで、ふと上を仰ぎ見て、知恵子が息を呑んだ。
アンリがその視線を追った。2階のベランダに、父親と息子が全裸の姿で手すりに寄りかかって、夜空を眺めている。
「また、やってる――」
アンリがつぶやいた。
知恵子がその言葉を聞きとがめた。
「お母さん――またって?」
「むかし、主人は貴史とよくやっていたのよ。素っ裸になると大自然の中にいるようで、気持ちがいいって」
「でも、それって――露出狂では」
知恵子は口ごもった。
アンリが微笑んで、知恵子にむかって、いたずらっぽくウインクした。
「そのようね。どうやらうちの主人は、心に傷があるのじゃないかしら。新入社員の歓迎会で、先輩たちにむりやり、裸踊りをさせられたらしいわ。それ以来、裸になるのが快感らしくて。いわゆる、病み付きね」
「――」
「だから、家の中ではやらせないの。わたしの精神衛生上よくないから。それで夫はベランダに出てやってるのよ。まったく、殿方のやることって、理解できないわね」
そう言うと、アンリはコロコロと笑った。
(スーパースター第四部につづく)