目 次
風の新之輔第三部 - 第三部邂逅(十)
(十)

徳川頼宣の一行が帰ったあと、東山宮が聞いた。
「どうじゃ、そのほうの目的は達したか」
「はっ、確かに。これも宮さまのご助力があったればこそ。誠に感謝しております」
「では、われらも湯に浸かるか。せっかく家綱公がお送りくだされたものじゃ。熱海の湯を堪能しようぞ」

湯は沸かし直されて、ちょうどいい湯加減だった。
「熱海の湯はいいのう。なんじゃ、肌がつるつるしてきた気がする」
白日のもと、東山宮の白い裸体が目にまぶしいほどだった。ほっそりとしているが、独特の艶があって、肌理の細やかな肌をしている。
その裸体が、肌を接するほどの近くにある。
新之輔は、自分が思わず無礼なことをしないかと気が気でなかった。
「その傷跡、よほどの修羅場をくぐり抜けてきたようじゃな」
新之輔の身体を見ながら、東山宮がつぶやいた。
「それにしてもほれぼれする、逞しい身体をしておる。それに――」
東山宮は視線をずらせた。「雁高の立派なへのこじゃ」
言ったあと、東山宮は手を伸ばして、いきなり新之輔の男を掴んだ。
「ああっ、人目がございます」
新之輔はあわてた。
東山宮はそのまましがみついてきた。
「気にするな、人払いはしてある。ささ、余の口を吸ってたもれ」

湯から出て着物を身に着けたときも、新之輔は夢うつつの状態にあった。
なにしろ、こと男色に関しては、公家のほうが武家社会よりはるかに歴史がある。平安の時代から続いているのだ。新之輔は湯の中で、東山宮の老練な手管によって、あの手この手と弄ばれた。
そのあとも、東山宮から離してもらえなかった。
新之輔は、早く保科正之に会って、徳川頼宣について調べたことを報告したかった。
しかし考えてみれば、その調べができたのは、東山宮の機転のお蔭でもある。新之輔は、東山宮の屋敷に逃げ込んだ偶然に感謝し、宮が望むことは、なんでも応えてやろうと心に決めた。
「そのほうが余の屋敷に逃げ込んだのは、偶然ではない。二人の間に、特別な縁(えにし)があったからじゃ」
東山宮は言う。そして、「今宵は泊まって、その縁を大切にしようぞ」と持ちかけた。
新之輔とて断るすべもなく、その夜は宮さまと床をひとつにした。
そして、東山宮の求めに応じて、あとで考えれば思わず頬を染めるような、痴戯に及んだのである。

「余は京に戻る」
後朝(きぬぎぬ)の別れのとき、東山宮はぽつりと言った。そして、新之輔の目をまっすぐに見た。
「江戸に飽きたら、京に来るが良い。待っているぞ」
思いを含んだ目つきだった。

――**――

「なんと、直接、本人から聞いたじゃと!」
「はっ、行きがかり上、そうなり申した」
新之輔は、お城勤めの用意をしていた保科正之に会って、調べた結果を報告していた。
東山宮の屋敷を退出したあと、その足で急ぎ南に下って、保科の屋敷に寄ったのだ。
徳川頼宣の屋敷に忍び込んだことから、東山宮の屋敷で、頼宣と直接話したまでを、かいつまんで報告した。
もちろん、東山宮と二人して湯に浸かったり、共に一夜を過ごしたりしたことは、慎重に省いている。
「直接お話した印象では、大納言さまは、戦国武将的なご性格をされているとみました。また、ご年齢にも関わらず、覇気があって一本気の方のようです。決して、裏で画策されるような方ではないと存じます」
新之輔は自分の考えを述べて、最後に結論付けた。
「ですから、ご本人の言われる通り、栗橋の件には関わられていないでしょう」
保科は、ふむ、とうなずいて腕組みを解いた。
「余もそうではないかと思うていた。どうやら紀伊さまを、国元にお戻しする時期が来たようだな」
「拙者もそう思います。でも、伊豆守さまがお許しになられるでしょうか」
「それは問題ない」
保科はこともなげに言った。「伊豆どのは、腎の重い病だ。もはや幕政に関わることも、無理であろう」
そこで保科は、話題を変えた。
「おぬしは、よほど東山宮さまに気に入られたようじゃな」
「――」
「あの宮さまは男好きじゃからのう」
「――」
「そのほう、昨夜はさぞかし激しく、宮さまを責めたであろう」
「――!そ、そのようなことはございません!」
「隠さんでもよい。あの宮さまがタダ働きをするとも思えん。それにしても、そのほう、ほんに好き者よのう」
「――」
自分のことは置いといて、良く言うお人だ、と思ったが、新之輔は黙っていた。
保科の言は、聞きようによっては、宮さまに嫉妬しているようにもとれる。
そのとき四つ(十時)の鐘が鳴った。
「おお、もうこんな時刻か」
保科は立ち上がりながら、お前のせいだと言わんばかりに新之輔を見た。
「きょうは御城に行くのが、遅れてしもうたわ」

新之輔はすっきりとした思いで、道を歩いていた。
これで保科正之に頼まれた仕事は終わりだ。あとは何か実入りのある仕事を探さねばならない。いつまでも芳実の世話になるわけにはいかなかった。
行きかう人々は、老若男女、皆それぞれの身過ぎを抱えて、生き生きとしているように見える。
この頃、大坂は天下の台所、江戸は大消費都市、というふたつの大きな都市の性格が、より鮮明になりつつあった。
そのため、大坂から江戸へ向かう海運が発達し、江戸においても、日本橋の魚市場、神田の青物市場などの卸売市場が活況を呈していた。
いっぽう、明暦の大火で、江戸市街の大半が焼けた後、広小路を設けるなどの空地を取り入れていた。この延焼を防ぐ都市改造が進められたため、以前よりもすっきりとした街並みになっている。
江戸城も大半が焼失したが、本丸、二の丸、と再建がなされ、家光公時代の天守閣の再建だけが見送られている。
また城内吹上にあった徳川御三家の屋敷は、徳川頼宣の住む赤坂のほか、市ヶ谷、小石川と分散して城外に移転されている。

浅草寺の境内を抜けて、あさがお横丁の方向に歩いていると、驚いたことに、向こうから羽山竜之進がやってきた。袴ははかず、着流しに二本差しの軽装だ。
竜之進も、新之輔の姿を認めて、一瞬、身構えた。
「拙者に用か」
新之輔が声をかけると、竜之進は気配をゆるめてニヤリとした。
「おぬしがどんな所に住んでいるのか、興味があった」
「どうやって拙者の住んでいるところが分かった」
「おぬしが東山宮の屋敷に逃げ込んだ時だ。あのとき、屋敷の外でずっと見張りをつけていた」
「――」新之輔は、胸の内で舌打ちした。
(油断した。あとを付けられて、気付かないとは)
「おぬしが二人の武士を相手に、奇妙な技を使ったのも聞いた。刃を切り飛ばしたらしいな」
「赤坂からここまでつけて来るとは――ずいぶんご苦労なことだ」
そこで、竜之進の袖についた、小さな血の染みに気付いた。
(そういえば、血の匂いがする――)
「おぬし、人を切ったな」
「ああ、切った」
竜之進は否定しなかった。「おぬしの住む長屋の前に行ったら、なにやら騒ぎがあった。坊主頭の老人を、三人の武士が無理やりひっ捕らえて行こうとしていた。声をかけたら、いきなり切りかかってきた。それでやむなく剣を使った」
「話はあとだ。ごめん!」
ひとこと断って、新之輔は走りだした。

長屋の前に人が集まっていた。骸にかぶせている筵が三つあり、長屋の住人達が遠まわしに囲んでいた。
新之輔が近づくと、芳美が気付いてこちらに来た。彼は小声で言った。
「海滑藩のお侍です」
「羽山竜之進が切ったのだな」
新之輔が言うと、芳美は驚いた顔をした。
「ご存知でしたか。お名前は存じませんが、いきなり切りあいになったと思うと、あっという間に三人は倒されていました。まるでつむじ風か何かが通ったようでした」
新之輔は亡骸に近づき、筵をめくって傷を確かめた。いずれも一太刀で絶命している。竜之進の剣技のすごさを、まざまざと見る思いがした。
新之輔は、芳美を人の輪から離れたところに連れて行って、話を続けた。
「あの三人は、海滑藩の者と名乗ったのか」
「はっきりとは言いませんでしたが、新之輔さまとわたしの名前を知っていました。わたしを連れて行こうとしたとき、藩まで来い、とか言っていました。それに、少し海滑のなまりがありました」
「ふむ、間違いないか」
新之輔はつぶやいて、芳美に指示した。「いいか、番所の者に聞かれたら、三人の武士に言いがかりを付けられているところを、見知らぬ武士に助けられた、と言え。そして、あっという間に切り合いになった、と」

遺骸が片付けられ、番所の取り調べも終わって、あさがお横丁はいつもの平穏さを取り戻していた。
しかし新之輔は大事をとって、外出せず、長屋で待機した。いつまた、海滑藩の手の者がやって来るか、分からないからだ。
その間、海滑藩に対して、どう出ようかと考えていた。いつまでも受け身でいるわけにはいかなかった。また、疑問もあった。黒鉄衆はどうしているのか。そして――新造は生きているのか。

そんなある日、芳美が帰ってくるそうそう言った。
「首藤頼宗さまが亡くなられました」
[17/01/23 17:48 神亀]
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