目 次
スーパースター第三部 - (4)
(4)

体内を押し広げて滑脱する逞しい感触に、村松達雄はうっとりとしていた。
背後からぴっちりと肌を合わせ、押し揉むように律動する若者の身体は、競争馬のようにたくましく、そして若い活力に満ち溢れていた。
その若さを受けとめながら、至福の悦びと同時に、一抹のうしろめたい気持ちもあった。健全な若者を自分の世界に引き込んだ罪悪感だった。
しかしそんな思いも、若者が体位を変えて別の角度から突き入れてきたとき吹っ飛んだ。彼は思わず声を上げていた。
「ああっ!――いい――」

新しいシーズンが始まったある休養日のことだった。貴史は村松博士の自宅にいた。
温泉宿で療養中、彼の溢れる性欲を抑えきれずに肉体関係を結んで以来、二人はときどきベッドを共にした。そしてこの夜も、貴史は老人の柔らかい肉体によって、若い性欲を発散させていた。
二人はベッドに寝そべり、房事の余韻に浸りながら話をした。
「ドクター、今年のタイガースはあぶないよ」
「どうしてだい?」
「監督ですよ。中山さんは優秀だけど、選手たちを作戦上動かせても、心は動かせていない」
「きみにしては難しいことを言うね。でもチームは首位だし、きみも好調のようじゃないか?」
「だれが監督になろうと、ぼくはぼくさ。でもぼくには分かるんだ、中山監督と選手たちの間に、目に見えない軋轢がくすぶっているのを。見ていてごらん、そのうちタイガースの順位が落ちてくるから」
「不吉な予言だな。なにか解決策はないのかい?」
「ないですね。前の大川さんは、年寄りの人情味と子供っぽい怒りで、みんなの心を魅きつけていたけど、中山さんにはそれがない」

村松はしばらく黙っていたが、話題を変えた。
「ところで、亡くなった恋人のことはふっきれたのかい?」
「ああ――先生のおかげでね」
貴史は村松の尻に腰を押しつけた。
「そう言われると、なんだか自分が恥ずかしくなるけど――それで新しい女性はまだ見つからないのかい?」
「なんだよ、藪から棒に――女とつきあうなと言ったのは、ドクターのほうですよ」
「わたしはそんな意味で言ったんじゃない。きみもそろそろ、身を固めていい歳じゃないか」
「いいよ、ぼくにはドクターや伴さんがいるから」
「そうもいかん。わたしたちは一時しのぎだ。きみもそろそろ結婚すべきだよ」
「――じつは、ひとりいいなって思った女性がいたんです」
「過去形だな。その女性とはどうなったんだい?」
「2、3度、電話したけど、相手にそっけなくされて――そのまま疎遠になってしまいました」
「粘り腰のきみにしては、えらく淡泊だな」
「いいんです。彼女をこれ以上傷つけたくないんでね」

貴史の予言通り、タイガースの成績はじょじょに落ちてきた。
新監督の中山は、データに基づくオーソドックスな戦法を好んで使った。それは逆に、試合そのものを陳腐化して、面白味のないものにする恐れがあった。
そして、それは現実のこととなった。
試合がかさむにつれ、選手たちの覇気は、目に見えてなくなってきた。彼らはきまりきった行動パターンに、あきあきしていたのだ。
陰で中山監督への不満が、ささやかれるようになった。
──大川さんなら、ヒッティングサインだったのに――。
──大川さんなら、もっと激しく審判に抗議するのに――。
彼らは、愛すべき性格をした、大川の影響下から抜けきれていなかった。

ある日突然、貴史は1番バッターに戻された。4番には新監督の要請で大金を払ってアメリカから獲得した、現役の大リーガーが入った。
その日の試合後、貴史は中山監督を訪ねた。
「監督、ぼくはべつに1番に戻されたことに不満はないですよ。でも、事前に説明してもらいたかったですね」
「その必要はないと思ったんだ。うちで盗塁を稼げるのはきみだけだ。それにきみはプロだ。何番で打とうと、その役割をきっちりと果たしてくれると信じているからだ」
「役割を果たすとか信じるとかいう問題とは、別のことだと思うんですがね。ぼくだって感情があるんだ。要は心の問題だと思うんですよ」
「きみは、なにが言いたいんだね?」
「監督には、もっと選手たちと一体になってもらいたいと思っています。もっと感情を表に出して、選手たちを怒ったり、誉めたりしてもらいたいんです。それにできれば戦術も、たまには変わったことをやりませんか?」
「戦術を立てるのは監督のわたしの役割だ。勝負は勝つためにある。そして勝つためには、基本が大切なんだ。きみたちは黙って、わたしの指示に従ってればいいんだ」
(でも、それじゃあ、みんなの心をつかめないし、試合にも勝てませんよ)
貴史は喉元まで出かかった言葉をのみこんだ。

チームメイトの間では、中山監督に対する不満が露骨に出るようになったが、貴史は彼らの会話に加わらなかった。
しかし、彼はときどき、プレーで監督に逆らうようなことをした。
ある試合で、フォアボールで出塁した貴史は、ピッチャーの1球目で盗塁した。彼の単独スチールだった。油断した相手バッテリーの裏をかいて、貴史は悠々セーフだった。
それまでのタイガースベンチは、まず初球は様子を見て、2球目か3球目に盗塁のサインを出すのが、決まったパターンとなっていた。
その日の貴史の盗塁について、中山監督の考えは違っていた。中山は試合後のミーティングのときに、貴史に言った。
「タカ、サインも出していないのに、勝手なことをするな」
貴史が聞き返した。
「監督、何のことですか?」
「6回のスチールだよ。成功したからいいようなものの、結果オーライじゃ駄目だ」
「すみません。でもあのとき相手ピッチャーは、ぼくが1球目から絶対に走ってこないと油断していましたから、つい走っちゃたんです」
貴史は弁解した。(それに、子供じゃないんだ。いちいち監督のサイン待ちしてたら、スピード野球なんかやっておれるか)と思ったが、それは口に出さなかった。
「おまえ、相手の気持ちが読めるのか?」と中山。
「もちろんですよ。ぼくだってプロの端くれです。ピッチャーのちょっとした仕草で分かりますよ。監督だってベンチで見ていて、分かってたでしょう?」
貴史の皮肉を感じ取った選手の何人かが、ニヤニヤ笑いをした。それに気づいた中山は、胸を反らせると、冷然と言い放った。
「おまえが心理学者だということは、よく分かった。しかし、おまえは選手で、監督はわたしだ。これからはサイン通りに動いてくれ。さもないと次は罰金を取るぞ」

またある試合で、先頭バッターがヒットを打って、次のバッターのピッチャーが、めずらしくフォアボールで出塁したときのことだった。
7回の表、4対3で阪神が勝っていた。次のバッターの貴史がボックスに立つと、例によって1球ウエイトのサインが出た。好機に、慎重に攻める監督の癖だった。
貴史は小さくうなずくと、ピッチャーに向かってボンヤリと構えた。阪神ベンチのサインを見抜いた相手バッテリーは、簡単にサインを交わした。
ピッチャーの投じた第一球は、ど真中の絶好球だった。貴史のバットが一閃し、ボールは軽々と外野スタンドに入った。
「タカ、サインを見落としたのか?」
ベースを一周してベンチに戻ってきた貴史に、中山が聞いた。
「いいえ。ただ、あんまりいい球が来たもんで、思わず手が出てしまいました」
貴史はサイン無視により、10万円の罰金をとられた。

「最近のきみは、どことなく精彩がないな。なにか悩み事でもあるのかい?」
「どうして、ドクター。ぼくはまだ5割近い打率をキープしているんだぜ。そんなぼくが、どうして精彩がないんだよ」
貴史は、村松博士の家に泊まりに来ることが多くなっていた。以前のように試合が終わったあと、クラブでバカ騒ぎをすることも滅多になかった。
この日も村松の家で、親密な肉体関係を結んだあと、リビングでくつろいでウイスキーを飲みながら、のんびりと会話していた。
浴衣姿の村松はくつろいで見えたが、どことなく浮かぬ表情を浮かべている。
「最近のきみのプレーを見ていると、何かが欠けているように思えるんだ。以前なら、じっとしていても、全身から溌剌としたエネルギーを感じ取ることができたんだが――」
「そうかなあ。ドクターの気のせいじゃないですか?」
「確かにきみは、どの球も逆らわずに右左に打ち分けて、きみの打率は驚異的だよ。でもなんだか魂のない、安打製造機のように感じるんだ。以前のような、見ている者を感動させる何かが、今のきみにはないように思えるんだ」

村松の言ってることは、痛いほど分かっていた。貴史自身、野球に対する情熱が薄れてきているのは、十分感じていた。
ヒットは去年以上に打っていた。盗塁や守備の失敗もほとんどなかった。彼の野球技術は、着実に伸びていた。それでも、以前のような自分の限界に挑戦する、内から湧いてくる力は感じなかった。
(ぼくは、どうなっちまったんだろう)
ふと顔をあげると、村松が心配そうにこちらを見ていた。
貴史は安心させるように、老人の腰に腕をそえて引き寄せた。
「大丈夫だ、ドクター。ぼくは大人になる過度期なんだ。そのうちまた、ドクターを興奮させるようなプレーをしますよ」
[18/03/26 05:51 神亀]
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