(5)
「すこしは落ち着いたかい?」
「ええ。小津さんにはご迷惑をかけてしまって。本当にすみません」
「わたしはいいんだ。それより、オーナーがきみのことを心配していたぞ」
「八馬会長が?どうせ、ソロバン勘定を心配しているんでしょう」
貴史は小津球団社長と、二人きりの会食をしていた。
他人の目をはばかって、口が堅くて気心の知れた主人の経営する寿司店だった。マスコミは、謹慎処分中の貴史を追いかけまわしていたのだ。
「それにしても、きみの強引さには感心したよ」
小津が言ってるのは、ピッチャーの危険球にたいするルール改正のことだった。球団代表者の緊急会議がおこなわれ、来年から危険球を投げたと審判に判断されたピッチャーは、即刻退場処分というルールが追加されたのだ。
「世慣れたタヌキ――いや、VIPの尻をたたいて急がせるには、あれくらい強引に言わないとだめですよ」
「わたしにはお手柔らかに頼むよ。とにかくきみは、明日から試合に出られる。トップの広島とは5ゲーム半開いたけど、きみが復帰すれば、まだまだ優勝の望みがあるよ」
そのとき、表のカウンター席から、聞き慣れた声が聞こえてきた。
「今年は広島カープで決まりだね」
「そうですかい、川井さん。関西でそんなこと言うと、阪神ファンに襲われまっせ。わしだって阪神ファンのひとりやさかい」
「おお、怖。でも大将、阪神は高山選手でもってるけど、いまや彼はケンカ大将だ。それに、彼はスラッガーじゃなくてスランパーですよ」
「なんであんなに、スランプにおちいったんやろね?いままでスランプとは縁のない選手やったのに」
「原因は女ですよ。彼のバットが火を噴くかどうかは、へそから下のバットの活躍ぐあいによる。最近、そっちのほうも絶不調らしいからね」
「そう言えば、今年はその方面のニュースは聞きまへんな」
「穴があればなんでもってタイプの男だから、べつに女じゃなくても、替わりのものをあてがっておけば復活するかもね。そう言えば、前に番組で対談したことがあるけど、そのとき彼に、実物の川井さんって、テレビで見ているよりずっと可愛らしいね、なんて言われたことがあるよ」
貴史はニヤリとした。テレビで人気のスポーツニュースのキャスター、川井だ。小太りの40男で、髭の無いすべすべした頬と丸いおでこをした、キューピットのように可愛らしい男だった。
本人は肌を日に焼いて、つとめて男らしく見せようとしているが、その小柄でぽっちゃりとした体型は、どうしても可愛らしさが先にくる。上目づかいの仕草のはしばしに、たくましいスポーツ選手にあこがれる同性愛的傾向がかいまみえる。
(ふん、ちょっと気晴らしするか)
貴史の心の中に、嗜虐的な気持ちが芽生えてきた。
彼は食事が済むと、小津と別れて、店に残った。
「やあ、川井さん。きょうはご出張ですか?」
急に声をかけられて、川井は後ろを振り向いた。そこに先ほど噂していた当の本人の姿を認め、いっしゅんギクリとした様子だった。
「あ、高山さん――こちらで仕事がありましてね」
「そうですか。ちょっと一緒にいいですか?――大将、ぼくにもお酒」
貴史は店の主人に声をかけながら、川井の横に腰掛けた。
「それにしても、ここであこがれの川井さんに会うなんて、幸運だなあ。ぼくは川井さんの大ファンなんですよ」
「いや、わたしこそ――わたしも高山さんの大ファンですよ」
「えっ、本当ですか?光栄だなあ。さあ、飲んでください。グッとあけて」
川井はきゅうに口数が少なくなった。ときどきいつもの上目遣いで、貴史の顔をちらりちらりと盗み見ている。
貴史はいかにも親密そうに、川井の丸っこい体に腕をまわした。
「ところでさっき断片的に、へその下のバットとか、穴があったらなんでもとか、川井さんの声が聞こえましたけど、なんの話をされてたんですか?」
とたんに川井がむせた。
「おっと、どうしました?大将、おしぼり。さあ、あらためておつぎしましょう」
貴史は、川井のズボンについた染みをおしぼりで拭いてやり、それから川井の杯に酒をついだ。
二人は飲み比べをするように杯を重ねた。いつのまにか、川井の腰に貴史の手が移動していた。川井は落ち着きをなくして、居心地悪そうに椅子の上で、丸っこい尻をもぞもぞと動かした。
「しかし、まさかここで川井さんにお目にかかれるとは、思ってもみなかったなあ」
「――」
「大将、川井アナの番組、見てますか?」
「それはもう、毎晩見てますわ」
カウンターの向こうから、店の主人が返答した。
「そう。ぼくは最近風邪をひいて早くに寝ていたんで、あまり見る機会がなくってね」
「それはいけませんな。風邪はもう治ったんですか?」と大将。
「ああ、川井さんの顔を見たら、いっぺんに直りましたわ。しかし、クシャミが続いたときは、ほんまに参ったなあ。まるで誰かが、ぼくの噂をしてるみたいで」
「そう言えば、テレビでも川井さんが、高山さんのことをよくお話してはりましたなあ」
「ほう、川井さんがぼくのことを――どんなことを言ってたんですか?」
主人はいたずらっぽく貴史の顔を見て、それから言ってもいいかというように川井のほうを見た。
川井がわざとらしく咳をした。
「あれ、川井さん、ぼくの風邪でも移ったのですか?それとも誰かが川井さんの噂をしてるのかなあ」
貴史はそう言いながら、川井の腰に回した手をずらせた。その手がベルトを越え、尻のふくらみにとどまったときも、川井はじっとしていた。
「ところで、今年はどの球団が優勝するんでしょうね」と貴史。
「さあ――それは」
川井は首をかしげた。
「あれっ、さっき、広島カープって声が聞こえましたけど」
「それは――」
川井は小さな声で言った。「タイガースにも可能性がありますよ」
「はい、良く出来ました」
貴史は醒めた口調で言った。「しかし、川井さんって、男の甘い色気がありますね。とくにおでこが魅力的だ」
「――」
「眉と口元も好きだな。色艶のいい柔らかそうな唇を見ていると、ムズムズっとしてきますわ」
「――」
「川井さん、なんだか今日は、顔が強ばっていませんか。どこか悪いんですか?」
「いや――べつに」
「ふーん。そうですか。ところで川井さん、最近、太ったんじゃないですか?」
「えっ――そうかなあ?」
「だって――」
貴史は川井の尻を撫でた。「川井さんのお尻って、やわらかくて、素敵じゃないですか。どうです、たまにはお付き合いしてくれませんか?」
そう言ったのは、なかば本気だった。女の代わりに、村松と伴を性欲の対象にするようになった今、川井のようなタイプの男だったら、さほど抵抗なく抱けそうな気がした。とくに、今夜のように性欲が高まっているときには。
しかし、川井はからかわれていると思ったのか、唐突に椅子から腰をあげた。そして、大将に勘定をたのんだ。
「あれっ、川井さん。もう帰るんですか?」
貴史は肩透かしをくわされたような気分だった。
