■ スーパースター第二部 - (4)
(4)
貴史は怒っていた。
老いてヤワになった、大川監督に怒っていた。
ニューヨークで強姦しようとして、抵抗した友見を殺した男に怒っていた。
とりわけ、思うようにヒットを打てない自分自身に、言いようのない怒りを感じていた。
その怒りが、その日、3度目の打席で爆発した。
避けようとして背中にデッドボールを受けた貴史は、次の瞬間、相手ピッチャーにむかって突進していた。ほかの選手が止めにはいる間もなかった。
ピッチャーは、貴史の強烈な右の一撃で、グラウンドに長々とのびた。
攻撃的なハッスルプレーこそすれ、プロ野球界に入って以来、一度も暴力をふるったことのない貴史が、はじめて手を出したのだ。
ノックアウトされたピッチャーのチームメイトが駆けつけたとき、貴史はまだ怒りに震えていた。それはピッチャーに対してというよりも、自分自身に対してだった。その怒りが、駆け寄って彼に殴りかかろうとする、相手選手たちに向けられた。
貴史を助けようとして、タイガースの選手たちがマウンドに駆け寄ったとき、その必要はなくなっていた。貴史に殴られ蹴られた相手チームの選手たちが数人、グラウンドにへばりついていた。残りの選手たちも、貴史の殺気立った形相に恐れをなして、遠巻きに囲んでいるだけだった。
その暴行事件で、貴史はセリーグの野球会から、罰金と1週間の謹慎処分を受けた。
「――というわけだ、高山くん。デッドボールの多いきみには同情している。でも、厳しい処分かも知れないが、ほかの選手やファンにたいする、我々の姿勢もしめさなくちゃならないんだ」
コミッショナーは、貴史の暴行事件に対する処分を告げていた。
貴史と小津球団社長は、プロ野球コミッショナーとセリーグ会長の前で、かしこまって椅子に腰掛けていた。貴史のふるった暴力に好意的な発言をした大川監督は、阪神側の配慮で、その会合の出席を止められていた。
「きみは野球界を背負って立つ選手だ。いや、それだけじゃない。きみのおかげで、人気の落ちていたプロ野球にファンが戻ってきた、と言っても過言ではない。そんな救世主にこんな処分をするのは、心苦しい限りだが、我々の気持ちも分かってもらいたい」
コミッショナーが話しおわると、貴史はうなずいた。
「分かりました。ファンのかたがた――とくに純真な子供たちの見ている前で、あんな野蛮な行為をして、今回の処分は当然のことだと思います。今、思い出すだけでも、ほんとうに自分が恥ずかしくなってきます」
「そうか。きみなら分かってくれると思っていた」
貴史のすなおな反省の言葉に、球団代表者側の二人は微笑んだ。神妙な顔をして貴史の横にいる小津社長も、ホッとしたようすだった。その場の雰囲気がなごやかになった。
「しかし、ぼくからも提案があります」
ふいに貴史が言った。
とたんに、年配者たちの顔がひきしまった。彼らは、貴史の顔をうかがうように見つめた。
「ぼくたち野球選手は、ファンに喜んでもらうため、体を張って全力でプレーをします。そのために当然、怪我も多くなるでしょう。
でも、故意による怪我はしたくありません。ぼくに対するビーンボールまがいの球が多いのはご存知でしょう?それだけぼくが、強打者になったからだと言う人もいます。でも、それですむ問題でしょうか?」
貴史は、自分を見守る年配者たちの顔を見回した。
「なかには、本気でぶつけにくるピッチャーもいます。投げる前の、相手の表情を見れば分かります。白状しますと、ぼくも一時期、その報復行為をやっていました。ピッチャー返しのバッティングをすることです。その気になれば、かなりの確率で、打球をピッチャーにぶつけることができます」
小津が貴史の腕をつついたが、かまわず彼はつづけた。
「でも、やめました。もしもボールが相手の頭部にあたって、その人の選手生命を奪うようなことになったら、と気づいたんです。そうなると、健全であるべきスポーツではなくなります。ですから、ピッチャーにも今以上の規制が必要だと思っています。危険球に対する厳しい処罰です。即刻、退場処分とか数試合の出場停止とか。ぼくは選手として、野球ルールの改正を強く要望します」
貴史が話しおえると、年配者たちは顔を見合わせた。
しばらくして、コミッショナーが咳払いをして言った。
「きみの要望はよくわかった。検討してみよう」
貴史は即座に言った。
「検討するだけじゃ駄目です。野球に限らずスポーツ選手は肉体が資本です。当然、加齢と共にやがては限界がくる。それもほかの働く人たちよりも、ずっと早くに。ですから、その短い期間に、選手たちが精一杯活躍できるために、絶対に実現してください。それが決定されるまで、ぼくは野球をやめます」
コミッショナーたちは、驚いて貴史の顔を見た。
小津が貴史の袖を引っ張って、ささやいた。
「きみ、言いすぎだぞ」
「失礼はおわびします。でもボールが頭にあたって、障害者になるか、悪くすれば死ぬことだってあるんですよ」
コミッショナーが言った。
「わかった。さっそく代表者会議を開いて、きみの要望にこたえるように努力しよう。でも、すぐというわけにはいかない。合意形成には時間がひつようだ」
「いいですよ。それまでお待ちします」
セリーグ会長が横から言った。
「では、謹慎あけに試合にでるんだね?」
「それは、さっきも言いました。ルールが改正されれば、試合に出ます」
「それじゃあ――」
セリーグ会長は言葉を失って、小津社長の顔を見た。
小津が助け船を出した。
「高山くん、コミッショナーも言われたように、ルール改正には時間がかかるんだ。それに、きみの要望にこたえるよう努力する、とお二人は約束してくださった。だから、1週間後に謹慎がとけたら、きみも試合にでなさい」
貴史は、なおも頑固に言いはった。
「それまでに、ルールが改正されることを期待しています」
謹慎中の貴史のマンションに、伴が訪ねてきた。彼はいつも肌身離さず持っているカメラを、その日は持っていなかった。
貴史は伴を部屋に招き入れると、お茶を入れながら言った。
「じっちゃん、ぼくのいじけた姿を撮りにきたんじゃなかったのか?カメラが見当たらないけど――」
「わしは――恋人を亡くした気持ちは、痛いほど分かるからな。あの娘は性格のはっきりとした、いい子だった」
「――」
「朝丘友見さんは亡くなったんだろう?」
「ああ――誰に聞いたんだ?」
「村松先生だよ。そのことで、おまえがずいぶん落ち込んでいるってな」
「――」
「この前、ピッチャーをぶん殴ったのも、そのことが尾を引いてるんじゃろうが」
貴史はキッとして、伴を睨んだ。
「そのことは関係ない!じっちゃん、ぼくに意見しようってのか?」
「わしはべつに、おまえに意見しようなんて、思ってもいないよ。わしも一時期、今のおまえのようなときがあったからな」
貴史は不思議そうに、伴の顔を見た。
「さっき、恋人を亡くしたぼくの気持ちが、痛いほど分かるって言ってたな。どうして?」
伴はちょっとためらったが、静かに話し出した。
「わしにも家族がいた。女房と一人息子だ。二人は交通事故で死んだ。10年以上も前のことだ」
「――」
「その知らせを聞いたとき、わしは最初、信じられなかった。それからジワジワと現実が押し寄せてきた。あのときの言いようのない空しさ。なんかこう、胸にポッカリと穴が開いたようで、じっとしていられない気持ち。――立ち直るのに、ずいぶん時間がかかった」
貴史は黙って伴の顔を見た。
(この老人にも、人知れぬ悲しみがあったのだ。いつも厚かましいだけの、脳天気な年寄りだと思っていたのに)
貴史は有馬温泉で、村松博士と初めてアナルセックスを経験した時、同じ部屋で寝泊まりする伴とも男色行為をした。だから、伴は村松と同じように、家族を持ったことがないと思っていたのだ。
「わしが何を言っても、おまえの慰めにもならんと思うけど。おまえが早く立ち直ることを祈ってるよ」
伴は立ち上がると、貴史においとまを告げた。
「じっちゃん、待てよ」
貴史はあわてて、伴を呼び止めた。
「悪かった。じっちゃんにそんな過去があっただなんて、ぼくはちっとも知らなかった」
「いいんだ。もう過去のことなんだから。過去のことはどうあがこうと、変えられないからな」
「――」
「しかし、未来は変えられるぞ。わしの場合は、おまえという、絶好の気晴らしになる相手が見つかったからな」
「――」
「わしは過去に閉じこもって、いつまでもウジウジしていない」
そこで貴史は、伴が自分に当てこすりを言っているのに気づいた。彼は反撃した。
「じっちゃん――チビのくせに、でかい口をたたくじゃないか」
「でかいのは口だけじゃないぞ」
伴はニヤリとした。彼は意味ありげに、ズボンの前をまさぐった。
「なんだったら、しゃぶらせてやろうか?」
「あ、それもいいけど、ぼくを慰めるのなら、お尻を貸してよ」
言うと貴史は、小柄な老人の体を強引に抱き寄せてキスをした。