■ スーパースター第二部 - (2)
(2)
「あいつには、2億円も注ぎ込んだんだ。その分は働いてもらわんと」
阪神タイガースのオーナー、八馬は、高山貴史の年俸のことに、まだこだわっていた。
契約更改の席で、思わず口にした上乗せの額について、日が経つにつれ後悔の念が浮かんできたのだ。
オーナーの心情を察して、球団社長の小津がニヤリとした。
彼らが貴賓席から見守るなか、緑と赤茶に色分けされたグラウンドに、縦縞のユニフォーム姿の選手たちが散っていった。
ゲーム開始。今年から5試合多い、135戦の幕開けだ。
「あいつ、どこか変わったか?」
試合が進むにつれ、八馬が小津にたずねた。最前からオーナーの言う『あいつ』というのは、高山貴史のことだった。
小津がのんびりと答えた。
「4番バッターになったせいでしょう。風格がでてきましたね」
たしかに今年の貴史は、昨シーズンとはひと味違った雰囲気をもっていた。
プレーそのものは今までのように溌剌として、攻撃的だった。しかし、彼のちょっとした仕草の端々には、内面からにじみ出てくるような、自信と落ち着きが感じとれた。
「2億円もふんだくったんだ。風格も出てくるわな」
バッターボックスに向かう貴史を見ながら、八馬は半ばやけぎみに言った。
カキーン。
乾いた音がこだました。
打球はあっというまに、センターのバックスクリーンに突き刺さった。貴史がその日に打った、2本目のホームランだった。
貴史はダイヤモンドを一周して、本塁ベースの上に立ち、貴賓席のほうを見上げた。彼は両手で大きく投げキッスのジェスチャーをし、拍手を強要するように両手を叩いた。
「なにが風格だ。あいつ、ちっとも変わってへん!」
自分たちに送られた貴史のサインに、八馬は毒づいた。
貴史は最高のコンディションを持続していた。開幕戦以来、彼は神がかり的に打ち続けた。ホームランも驚異的なペースで量産していた。
ストライクゾーンにくる球なら、どんな球でも打てる気がした。ホームランを狙うときには狙い球をしぼり、ヒットだけでいい場面では、どんな球種にもさからわずに、左右に打ち分けることができた。
そんな彼に、ファンたちは史上初の4割バッターを期待していた。
しかし、貴史の絶好調にもかかわらず、タイガースは1位と3位のあいだを上下していた。
読売ジャイアンツと広島カープが、好調だったからだ。3強の混戦状態は、オールスター戦の前まで続いていた。
その前半の最終2連戦、タイガースは敵地に乗り込んで、広島カープと対戦していた。
両チームともエースピッチャーの投げ合いではじまった初戦は、予想通りの投手戦となった。いい当たりもあったが、野手の好守に阻まれた。点はなかなか入らなかったが、内容的には締まった好ゲームだった。
山場は最終回におとずれた。
9回の表、貴史に打順が回ってきた。彼はその日、徹底的に外角攻めにあっていたが、ホームラン性の当たりを2度打って、いずれも強い風に押し戻されて、ライトフライに終っていた。
当然のことながら、バッテリーは内角高めのボールを見せ球に、外角低めで攻めてきた。
貴史はそれまでの打席とうってかわって、冷静にフォアボールを選んだ。
次のバッターのとき、彼はすかさず盗塁をした。そして、ファーストゴロの間に、3塁に進んだ。
ワンアウト3塁!ようやくタイガースに、先取点の好機がおとずれた。にわかに盛り上がる応援のなか、6番バッターがボックスに立った。
バッターは2球目を強振した。鋭い打球が1塁手の横方向にゴロで突っ切った。
抜けた!
誰もがそう思った。
ところが、1塁手が横っ飛びにボールを捕えた。すでにスタートをきっていた貴史は、しまったと思ったが、もはや後戻りができなかった。彼はそのまま猛然とホームベース目掛けて突っ走った。
1塁手が起きあがって、すばやくキャッチャーに送球した。
貴史がホームベースに滑りこむより一瞬早く、ボールを受けたキャッチャーがベースに体を戻して、貴史にタッチしようとした。
二人はもろに激突した。
すさまじい衝撃だった。キャッチャーが吹っ飛んだ。いっぽう貴史は、ホームベース上で長々と伸びていた。
静まりかえった中、アンパイアがキャッチャーのほうに振りかえって、両手を左右に広げた。ボールがグラウンドに転がっていたのだ。
セーフ!
ようやくタイガースに先取点が入ったが、貴史は起きあがれなかった。
彼は脳震盪をおこしていた。大歓声が、心配そうなざわめきに変わる中、タンカーが持ちこまれ、貴史の体が場外に運ばれた。
その裏、タイガースのピッチャーが広島の攻撃をしのいで、第1戦は1対0で阪神タイガースが勝った。
しかしタイガース側の人間は、心から喜べなかった。彼らは一様に心配していた。高山貴史は大丈夫なのか、と――。
翌日、貴史が球場内にあらわれたとき、居合せた選手たちは、心配そうに彼を見ていた。一同を代表するように、大川監督がのっそりと近づいた。
「タカ、頭のほうは大丈夫か?」
「監督、なんっすか。ぼくの頭がいいのは、先刻承知のことでしょうが」
貴史は、ケロッとして言った。
「バカ、おれが言ってるのは――」
そこで大川は頭を振った。「いいか、あまり無茶をするなよ」
貴史は、そんなことを言われるのは心外だというように、口をとがらせた。
「監督、ぼくはいつも冷静だぜ。無茶とファインプレーを混同しないでもらいたいな」
「バカ、おめえは――」
大川は言いかけて、こんども力なく頭を振った。
第2戦も昨日につづく投手戦となった。
両軍の投手がふんばって、7回をおわって1対1。それまで、試合はたいした波もなく、淡々と進行していた。
8回の表、タイガースの攻撃の場面だった。先頭打者がヒットで出て、場内がわずかに沸いた。つぎのバッターがバントで走者を2塁に進めた。
ゲイルが打席に立った。彼はねばった。相手ピッチャーは疲労がたまって、よれよれだった。
ツーストライク・スリーボール。
つぎのボールは外角低め、ゲイルは自信をもってボールを見送った。
すこし遅れて、アンパイアがストライクの判定をした。1塁に行きかけたゲイルが、顔を真っ赤にしてアンパイアをにらみつけた。温厚な彼にしては、せいいっぱいの抗議だ。
貴史はチラリと大川のほうを見た。
それまで腕組みをして戦況を見守っていた大川が、貴史の視線に気づいた。彼は、貴史がなにを言わんとしているかを理解した。
大川監督は、のっそりとダックアウトを出ると、足早にアンパイアのほうに近づいていった。一言二言ふたりは話をしだした。それからじょじょに、大川の抗議がエスカレートしていった。
今年64歳になる大川監督は、顔を真っ赤にし、唾を飛ばしてわめきだした。
それを見て、貴史はおもむろに立ち上がった。彼は、アンパイアが退場の宣告をする前に連れもどそうと、地団太踏んで激しく抗議する大川のほうに歩み寄った。
老監督のハッスルに、選手たちが燃えた。彼らの動きは急に生き生きとしてきた。守備ではファインプレーがふたつ続いた。
圧巻は、9回の表の攻撃だった。
ランナーを1塁に置いて、貴史がレフトの深いところに、あわやホームランかというヒットを打った。クッションボールをレフトがもたつく間に、1塁のランナーがゆうゆうとホームに戻った。
いっぽう、貴史は3塁ベースで止まらなかった。コーチがあわてて制止するのを無視して、彼はホームベースに突進した。固唾を飲んで見守るファンたちは、昨日のことを思い出していた。
ボールが返ってきた。
あきらかにアウトのタイミングだった。
貴史はキャッチャーの手前で、タックルをするかのように体を低くした。
飛んできたボールをミットにおさめたキャッチャーが、衝撃に備えて腰を沈めた。
次の瞬間、見守っていた観客がアッと驚いた。
なんと、ぶつかると思った瞬間、貴史の長身がふわっと宙に浮き、キャッチャーの頭上を飛び越えたのだ。
着地の衝撃を回転してやわらげ、貴史がすばやくホームベースにタッチしたときも、キャッチャーはなにが起ったのか、まだ気づいていなかった。
「おめえ、いつアクロバットのまねごとを覚えたんだ?」
貴史がダッグアウトに戻ると、大川が言った。
「先祖が忍者だったもんで」と貴史。
「バカこけ。しかし次からは、あんな危ないまねはやめろ。おめえが怪我をしたら、元も子もないからな」
いっぽう、球場のカメラマン席では、伴がひとりほくそえんでいた。
(よし、ばっちりだ。カメラアングルも申し分ない。これで今夜は、がっぽりと儲けられる)