目 次
スーパースター第二部 - (5)
(5)

つぎの年、貴史がプロ野球界に入って3年目のシーズンも、タイガースは準優勝にあまんじた。しかし、老雄、大川監督の率いるタイガースは、着実に強くなっていた。
監督の積極的な若返り策が功を奏して、若手組の選手が育ってきた。チームは、若々しい活気にあふれ、中でも貴史は、昨年につづいて盗塁をふくめた4冠王を獲得していた。
シーズンの間、貴史はゲイルとしめしあわせて、いくつかのパフォーマンスを工夫した。
貴史がヒットで出塁すると、バッターボックスに立つゲイルと意味ありげなジェスチャーでサインを送りあって、相手ピッチャーを混乱させる。そして貴史が盗塁に成功すると、二人はお互いにむけて人差指をさりげなく突き出す。貴史がホームランを打って戻ってくると、二人はホームベース上で向かい合って、腰をくねらせる。
長身の貴史と、でっぷりと太って愛嬌のあるゲイルのパフォーマンスは、タイガースファンの楽しみのひとつとなった。しかしゲイルが年上の男と同棲している、という裏情報を知っているファンの中には、貴史もゲイと見られがちだった。



そのシーズンでヒットしたもうひとつのパフォーマンスは、甲子園球場の、ある音楽好きのスタッフによって考え出された。
貴史が得点のチャンスにバッターボックスに向かうとき、彼専用に作曲されたロック・ミュージックを流すことだった。
エレキギターによるロックの強烈なビートは、総毛立つような興奮と奇跡の予感を観客に呼び覚ました。
その音楽を背景に、貴史がゆうゆうとバッターボックスに立ち、ひと振り、ふた振り、バットを振ると、もうそれだけでファンは総立ちになって熱狂した。なかには、興奮のあまり泣き出す観客もいた。
貴史には、野球に対するゆとりが生まれていた。あいかわらず、積極果敢なハッスルプレーをしていたが、一方では観客を喜ばせる、パフォーマンスも見せる余裕ができていた。
彼の一挙手一投足は、常に見ているファンたちの関心の的だった。そしていまや高山貴史は、プロ入りわずか3年にして、名実ともに、日本のプロ野球界を背負って立つ男になろうとしていた。

来年にむけての契約更改の時期がきた。
その時期は、各球団のフロントにとって頭の痛いときである。
とくに2年つづけて準優勝したタイガースは、選手たちが大幅な俸給アップを期待していた。ケチで名の通る阪神タイガースの首脳陣にとって、これから始まる各選手との厳しい攻防は、胃の痛くなるような思いだった。
今日もきたるべき日に備えて、オーナーの八馬会長と小津球団社長、経理担当重役、それに参考人として大川監督が加わり、4人は密室会議を開いていた。
「いくら2位になったからって、優勝じゃないんだ。去年と同じように大盤振舞すると、きりがない。球団がパンクしちまあ」
釘を刺すように、八馬会長が第一声をあげた。
小津社長が小さくうなずきながら言った。
「わかりました。でも会長、うちは若い選手が多いこともあって、億を超える選手は二人しかいません。データによれば選手の人件費は、12球団中10番目ですから、それなりの評価はしてやらないと」
「それはわかっている。確かに球団の売り上げも、去年より20億は増えているからな。功績のある選手たちには、それなりの評価はする。しかし、節度あるアップだ。球団の将来のためにもな。ところで大川くん、なにか意見はあるかね」
それまで黙っていた大川監督は、慎重な口振りで話しだした。
「個々の選手たちの評価は、本人たちが納得のいくように、きっちりとデータで示すことですね。来年の選手たちの志気にもかかわります。でも――」
大川は言いよどんだ。
「でも――なんだね?」と八馬。
大川は、八馬会長の顔を上目遣いで見た。
「心配なのは、タカです」
「どうして?あいつは金に無頓着だし、去年も一発でサインしたじゃないか?」
「それが――今年はえらく、はりきっているらしいんです。なんでも、去年までは、まぐれ当たりだと陰口を叩かれないために、素直にサインしたんだとか。それでも、去年はシロー選手よりはるかに少ない年俸だったことで、かなり根に持っているようです。それに、あいつは最近、高級マンションを買ったそうですから」
大川の言葉に、あわてたように小津が反応した。
「あ、いや、何かの機会に、わたしの住むマンションの一室が売りに出されているって、高山くんに話したことがありまして――」

八馬は心配そうに、小津と大川の顔を交互に見た。
「あいつ、そんなことを言ってるのか。新人の時の1千万からつぎに5千万、それに今年は倍増の1億だったんだぞ。ほかにCMなんかの副収入を入れれば、20代の若者にしては、とんでもない年収になってるはずだ。
まあ、そうは言っても、今年はタイトルを総なめしたことだし――1億5千万は覚悟しないとな」
大川監督が考えながら言った。
「わたしは、彼の年収がいくらになってるのか知りませんけど――とにかく、タカは球団に対する自分の貢献度を、独自の調査とデータではじき出しているらしいですよ」
「そう言えば――」
小津がつぶやいた。「高山くんはこのまえ、今年の球団の総売り上げはいくらあったか、とわたしのところへ聞きにきましたな」
八馬はギョッとしたように、小津社長を見た。
「まさかきみは――」
「もちろん教えませんでした。でも高山くんは、自分のキャラクターグッズがどれくらい売れたかとか、およその額はつかんでいるようすでした」
追い討ちをかけるように、大川が言った。
「タカはこのまえゲイルのところに行って、大リーグの状況を訊いたそうです。日本じゃ名前だけで何億も年俸をもらっている選手がいるけど、大リーグは実力どおりの年俸を出してくれるのかって。あいつ無鉄砲で頑固ものだから、思い込んだら何をしでかすことやら――」
八馬は、急にそわそわとしだした。
「とにかく、よく検討しようじゃないか。それから――高山との交渉は、ほかの選手が終わってからや」

貴史は分厚い書類入れを抱えて、ブスッとした表情で部屋に入っていった。
部屋には、八馬オーナーと小津社長、それに経理担当重役の3人がいた。
貴史が席に着き、手にした書類入れをテーブルの上に置くと、年配者たちはそれをちらりと見て、お互いにそっと目配せした。
その場の緊張を解きほぐすように、しばらく雑談がつづいたが、貴史は言葉少なに受け答えした。
いよいよ本題に入ると、小津社長は、貴史の今シーズンの活躍を誉めたたえ、それからおもむろに1億8千万円の年俸を提示した。
球団側の3人が固唾をのんで見守るなか、貴史は腕組みをして、難しい表情のまま沈黙をつづけた。
貴史の沈黙に耐えかねて、八馬が口を開いた。
「高山くん、球団側の事情も察してほしいんだ。たしかにきみのおかげで、低迷していた阪神タイガースは、2年連続で準優勝できた」
そこで彼は小声で付け加えた。「もっとも、優勝しなきゃ意味がないけど」
貴史は八馬をじろりと見たが、黙っていた。
八馬が急いで話をつづけた。
「余計なことを言ったかな、ハ、ハ、ハ――きみは2年連続の打撃3冠王に、盗塁王という偉業をなしとげて、いまや日本球界のトップに立つ男だ。できることならきみの年俸も日本で最高額にしてあげたいよ。しかし、今の世の中は、不況の風が吹き荒れているんだ。今回は我慢してほしい」
いつも尊大な八馬にしては、めずらしくへりくだった言い方だった。

しかし貴史は沈黙を押しとおした。
突如、八馬が叫ぶように言った。
「わかった、2億出そう!これ以上はびた一文も出さんぞ」
両サイドにいる小津社長と経理担当重役が、驚いた表情でオーナーを見た。
しばらく沈黙がつづいた。
球団側の3人は、じりじりとして若者の返事を待った。
貴史はおもむろに腕組みを解くと、あっさりと言った。
「わかりました」
経営陣3人は拍子抜けして、疑わしそうに貴史の顔を見た。
「ただし――」
貴史がつづけると、3人の顔が警戒するように引き締まった。
「年俸のほかに、来シーズンが終わったときにタイトル料をいただきます。わたしが取ったタイトルひとつにつき――欲はかきません、2百万にしておきます」
「おいおい、きみ、欲はかかないと言って、2百万というのは、ちょっと高すぎるんやないか?」
あきらかにホッとした表情で八馬が言った。それに答えず、貴史はジロリと会長の顔をにらんだ。
「それから、わたしが打率4割を上回ったら、1千万円、追加してください」
「――4割打たなかったら、きみが1千万円くれるのか」
八馬は軽口をたたこうとして、ふたたび貴史ににらまれた。彼の言葉は尻すぼみになった。
貴史は抑えた口調で言った。
「オリックスのシロー選手は、8百万からいっきに8千万、そして今年は5つのタイトル料込みですが2.5倍増の2億円でした。
一方わたしは今年、2年連続の打撃3冠王をふくめて、7つのタイトルを取りました。それにオールスター戦のファン投票では、シロー選手に5千票以上の差をあけました。そのわたしの年俸はいくらだったでしょうか?
いや別に、わたしは金額の多寡だけを取り上げているわけではありません。それでもあえてオーナーにお伺いします。わたしとシロー選手とくらべて、どちらを高く買いますか?」
すこし沈黙が流れた。八馬が咳払いして、きっぱりと言った。
「もちろん、きみのほうに決まってるじゃないか。わかった、清水寺から飛び降りるつもりできみの条件をのもう」
彼は経理担当重役に命令した。「井本くん、さっそくいまの条件を追加して、契約書を用意してくれ」
「会長、また次のときでいいですよ」と貴史。
「いやいや、おたがい忘れないうちに済ませておこう。それに、気が変わるってこともありうるからな」
「会長、わたしは約束を守る男ですよ」
八馬はあわてて言った。
「あ、いや、もちろんきみを信用しているよ。それにしても、善は急げというからな」

サインを終えて貴史が部屋から退出すると、残った年配者たちがほっとして顔を見合わせた。
「余分な条件がついたが、一応そこそこの額で決着したな。あいつもまだまだ青いな。わしに対抗しようたって、100年早いわ」
八馬が狡猾そうにほくそえんだ。
その横で小津社長は、なにかしっくりとこないものを感じていた。なにか若者の策略に引っかかったような気分だった。
どちらかといえば、球団側の大幅な譲歩だった。それに、いつもざっくばらんに会話をする高山が、今日は妙に礼儀正しかった。第一、自分のことを、わたしと言うこと自体がおかしかった。

いっぽう貴史は、廊下でにんまりとして、小さくガッツポーズをとった。
(作戦成功。監督や小津さんに、種をばらまいた効果はあったな)
彼は意気揚々と自宅マンションに引き上げようとした。
そのとき、彼のまわりでフラッシュライトが沸き起こった。マスコミが、契約更改の結果をいちはやく報道しようと、待ちぶせていたのだ。
結局、貴史は記者会見室に行くはめになった。
「高山さん、契約交渉は無事成立ですか?」
「一応、サインさせられました――若干、心残りはありますが」
貴史は憮然とした表情で答えた。
「と言うことは、ご希望の額じゃなかったと?」
「ご想像にお任せします――」
「でもさっき部屋から出られたとき、高山さんはうれしそうな顔をしていましたね――」
「あの、あなたどこの会社のかたです?ずいぶん意地悪く、つっこんできますけど――」
爆笑のなかで、当の質問した男が返答に窮した。
貴史が付け加えた。
「心で泣いて、顔で笑う。もちろん、ファンサービスの一環ですわ」
他の記者が聞いた。
「ところで、いくらの額で決まったのですか?」
「それはノーコメント」
「教えてくださいよ。少なくとも、オリックスのシロー選手と比べてどうなのかくらいは――」
「ああ、それもノーコメント。恥ずかしくて、わたしの口からはとても言えません。どうしても知りたいのなら、タヌキ――あ、いや、八馬オーナーに訊いてください」
最前列にいた記者が、テーブルの上に置かれた貴史の書類入れを見ながら、質問した。
「今回の交渉のために、ずいぶんデータを集められたようですね」
「ああ、これ」
貴史は書類入れを手に取ると、中から分厚い書類を取り出した。「旅行代理店でもらったパンフレットです。休暇中に海外旅行でもしようと思いましてね」
[18/03/16 05:02 神亀]
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