■ スーパースター第二部 - (3)
(3)
セリーグの優勝の行方は、昨年同様、終盤まで混沌としていた。
ヤクルトがトップを走り、タイガースと中日ドラゴンズが2ゲーム差でつづいていた。そして1ゲーム差でジャイアンツ。
タイガースとヤクルトの3連戦は、甲子園で行われた。
タイガースが自力優勝するためには、ひとつも落とせなかった。しかし2試合終わった時点で、1勝1敗。ゲーム差は変わらなかった。
甲子園における最終試合は一進一退をくりかえし、総力戦となった。
貴史は最初の打席で3塁打を放ち、犠打で先取点のホームを踏んだが、そのあとは2打席連続の敬遠にあっていた。
とくに2つ目の敬遠のとき、ヤクルトの野村監督はおもいきった策にでた。
ノーアウト1、2塁で貴史を敬遠したのだ。そのあとヤクルトは、左、右、とピッチャーを小刻みにつないで、とうとうその回、タイガースはノーアウト満塁から無得点におわった。
絶好のチャンスに得点できなかったことで、いやなムードが阪神ベンチ内に広がっていた。しかし、8回の表まではヤクルトの攻撃をなんとかしのぎきった。
タイガースは2対2の同点で8回裏の攻撃に移った。大川監督は攻撃に入る前に、ナインを呼び寄せた。
「いいか、おめえら。去年はいいところまでいったが、ジャイアンツに優勝をかっさらわれた。なにも2年続けて遠慮するこたあねえ。去年のくやしさを思い出してみろ。男ならやってみろってんだ」
円陣を組んで、大川がナインにハッパをかけた。
しかし、タイガースのバッターは下位打線に移っていた。先頭バッターがセンターフライに倒れ、続くバッターもサードゴロ。
しかしバッターの疾走する気迫にあわてたのか、3塁手がボールをファンブルし、きわどくセーフになった。
大川は迷っていた。つぎのバッターはピッチャー。それもめまぐるしい投手交代がたたって、タイガースに残されたピッチャーは、病み上がりでまだ調子の出ていない選手一人しか残っていなかった。
(最終回が勝負だな――)
大川は両腕を組んだ。
「監督、なに迷ってるんですか。ぼくだってピッチャーだったんですよ」
大川の様子を見て、貴史が声をかけた。
「大学の時はな」
「大丈夫だって、今でもピッチング練習は続けているから。1回くらいなら、なんとかなるって。勝負しましょうよ。ぼくまで回ってきたら、なんとかするから」
大川は立ち上がった。代打を告げられた佐々木がバッターボックスに向かうのを見ながら、大川監督がつぶやいた。
「タカ、佐々木が出塁して、万一おめえがサインを見落としたら、タマを引っこ抜くからな」
「大丈夫だって。まかせなさい、じっちゃん」
そう言うと、貴史はバットを持って立ち上がった。その後ろ姿を見ながら、大川はつぶやいた。
「じっちゃん――?」
阪神ファンの願いが通じたのか、佐々木はライト前にクリーンヒットを放った。ワンアウト、1、3塁。そしてつぎの打者は1番の高山。
(最高のお膳立てだぜ)
タカシ・コールを背に受けて、貴史はハイな気分で、打席に向かった。
こんどはヤクルトの野村監督が迷う番だった。これまでは高山を敬遠でしのいできたが、こちらもピッチャーは、あまりあてにできない一人しか残っていない。ここはフォアボール覚悟で、低めの臭いところを攻める以外にない。運良くひっかけさせて、併殺にできればもうけものだ。
彼はピッチングコーチを伝令に走らせた。
1球目、外角低めのボール。キャッチャーが大きくうなずいて、ピッチャーに返球した。
貴史はいちど打席をはずして、3塁コーチボックスをチラリと見た。それから打席に立つと、大きく素振りをくりかえした。
ピッチャーが2球目を投げた。これも外角低め。そのとき貴史が1塁線にバントした。今期、127試合で、王選手の偉大なホームラン記録を塗りかえて、56本打っている貴史が、バントをしたのだ。
ヤクルトの意表をついて、スクイズが見事に決まった。
3対2!
ついにタイガースが1点を勝ち越した。
しかし、ヤクルトチームや観衆の意表をついたのは、それだけではなかった。
最終回の表に、タイガースの残り一人のピッチャーがマウンドに立った。肘の痛みから戦列を離れていて、やっと一軍に上がってきた選手だった。タイガースファンが期待を込めて見守る中、彼はゆっくりとウォームアップした。
ヤクルトの9回表の攻撃が始まった。
1球目、ボール。ヤクルトのバッターは2球目を、バットの芯で捕らえた。ボールは高く舞い上がり、センター方向に飛んでいった。
――ホームランか?
両軍のファンが固唾を呑んで見守る中、ボールはフェンス手前で失速して、センター守備のグラブに吸い込まれた。
ワンアウト!
阪神ファンがドッと沸き立ち、ヤクルトファンがため息を吐いた。
次のバッターに対したとき、ピッチャーは慎重になっていた。センターフライとはいえ、芯で捕らえられて、いい当たりだったからだ。彼は気づいていた、自分の投げるボールに球威がないことを。
ピッチャーは慎重にコーナーをついて投球したが、それが災いして、2番バッターをフォアボールで歩かせた。
次のバッターはセオリー通り、フォアボールのあとの初球を狙って、ライト前にクリーンヒットを打った。
ワンアウト、1、3塁。
大川監督が、たまらずピッチャーズマウンドに駆け寄った。彼はバッテリーと、ふたことみこと話をして、それから貴史を手招きした。彼は貴史になにごとか話し、アンパイアに選手交代を告げた。
レフト守備にほかの選手が入り、貴史がひとりでピッチャーズマウンドに残ったとき、観衆の中でざわめきが起こった。
つぎに、貴史がウォーミングアップを開始すると、観客席がドッと沸いた。
なんと、タイガースの次のピッチャーは、高山貴史だったのだ。
大受けを狙った単なるジョークなのか?
観客席がざわめいた。かずかずの奇策で有名な、ヤクルトの野村監督でさえもが、あっけにとられていた。
貴史は、マウンドの感触を確かめるように、ゆっくりとピッチング練習をした。
投球につれ、観客席が静かになった。投げる前に打者に背中を見せる、変則的だが大きくなめらかな投球フォーム。ゆったりとした投げ方なのに、ボールは重々しい音をたてて、捕手のミットに吸い込まれる。
そしてヤクルト最後の攻撃が再開された。
貴史の第1球は、ずばりと打者の内角をえぐった。
ストライク!
電光盤のスピード表示が147キロを示すと、場内がどっと沸いた。投球の間に1塁ランナーが2塁に盗塁したが、貴史はそれを気にもかけなかった。彼はバッターにのみ集中して、直球だけで勝負した。キャッチャーのサインも、内角か外角、高低の四種類だけだった。
貴史の満々たる闘志に、打者のバットが空を切った。最初のバッターは簡単に三振を喫した。
1塁側から、あと一人コールが沸き上がった。
貴史は次のバッターに対しても、無心で投げた。投げるにつれ、ボールのスピードが増していった。ついに最後のボールは156キロまで達していた。
そしてついに、ヤクルトの最後のバッターを三振におさえていた。
ピッチャーズマウンドから戻る貴史を、ナインがもみくちゃにし、抱き合った。興奮したタイガースファンが、グラウンドになだれ込んだ。
まるで優勝したような騒ぎだった。
興奮の余韻のなかで、六甲おろしの合唱が夜空にいつまでもとどろいた。
優勝への一縷の望みをつないで、タイガースは東京に遠征した。ジャイアンツとの最終2連戦だった。ふたつとも勝てば、まだ望みはある。
しかし結果は、1勝1敗の引き分けだった。
そして、名古屋に遠征したヤクルトは、ドラゴンズに勝って、優勝を決定づけた。タイガースは昨年より順位をひとつあげたが、準優勝にとどまった。
関西にもどってきた貴史は、大川監督と連れたって、ある宴席に出向いた。
出席者は八馬オーナーと小津球団社長、貴史の後援会を結成してくれた関西財界の経営者たち、それに個人コーチの村松博士がいた。貴史をのぞくと、出席者は全員50代以上の年配者たちだった。
準優勝したタイガースの労をねぎらい、来年の優勝を祈願して乾杯したあと、おだやかな宴会が始まった。
「大川監督、ヤクルト戦では、どえらいことをやりはりましたな。あれは前もって考えていた作戦ですか?」
だれかが、貴史の横の席にいる大川に訊いた。
「絶対に勝ちたかったものだから――と言いたいところですが、実はやぶれかぶれの成り行きしだいですわ」
「それにしても、高山はんがスクイズとは。あれもサインどおりでっか?」
「ええ――タカがサインを見落としていないか、気が気でなかったですが」
「監督、ぼくがバッターボックスに向かうとき、言ったじゃないですか。もしもサインを見落としたら、ぼくのタマを引っこ抜くって」
貴史が横から言った。「ぼくはまだ、タマ無しになりたくないですよ」
彼の発言で、宴席のムードがぐっとくだけてきた。
「圧巻は、9回表に高山はんが投げたときやな。高山はん、あんた、あんなごつい球を投げられるのに、どうしてピッチャーにならなかったの?」
「むりやり、野手に転向させられました。でも、投げるより打つほうが楽しいです」
「今年は3冠王に盗塁王――それに年間56ホームランの新記録も達成した。あとは4割の打率と、去年シロー選手が達成した年間210本のヒットを抜くことだな」
オーナーの八馬が大声で言った。
それに負けじと、だれかが大声で言った。
「それで八馬会長、高山はんがその記録を達成したら、会長はなにをプレゼントしはるんです?」
八馬はしばし考えて、言った。
「そうだな――さしずめ祝福のキッスをしてやる」
すかさず貴史が応えた。
「あ、会長。会長のキスは大歓迎だけど、来年は大丈夫かなあ。プロは賞金のために働くけど、そのわりには年俸が少ないように思えるし。最近、ぼくもプロに目覚めてきた気がしてるし――」
「ははん、そのへんはCMで稼いでくれ」
八馬は突き放すように言った。
「そういえば高山はん、あんさん、なんで宇野薬品のコマーシャルしか出えへんのです?うちのコマーシャルにも出てもらいたいですわ」
誰かが言って、貴史が返答した。
「まだCMに出るほど、野球に余裕がないからです。宇野薬品のCMは、宇野さんとぼくが特別の関係だからです」
「特別の関係って、なんでっか?」
宇野があわてて説明した。
「いや、わたしの娘が高山さんの学生時代からの知り合いで――それで高山さんは、娘の顔を立ててくれてるんです」