■ 風の新之輔第三部 - 第三部邂逅(八)
(八)
東山宮宗顕(ひがしやまのみやむねあき)は髪に白いものが多く、小柄な体つきをして、六十前後の歳と見える。小作りの顔立ちに、眉は薄く、いかにも上品な風貌だが、先ほどは芯の強さを垣間見せた。
新之輔は意外な気がしていた。彼の抱く公家の姿は、白粉で顔を塗って頬に紅化粧をし、眉は抜いて額に眉墨をつける。そして妻女のように鉄漿(おはぐろ)をした容貌だった。
しかし東山宮は化粧もしていなければ、ごく普通の年配者の格好をしていた。
「ほう、おぬしはいい顔をしておるのう。これは茶に誘って、得をしたわ」
開口一番、東山宮は言った。
「拙者、風間新之輔と申す。このたびは無断でお屋敷に忍び入りまして、大変ご無礼つかまつった」
新之輔は深々と頭を下げた。
東山宮は手を振った。
「堅苦しい挨拶は抜きじゃ。さあ、まずは茶で喉を潤しなされ」
新之輔は出された茶を口に含んだ。
「これはおいしい。宇治の茶でござるか」
「ほう、お分かりになるか」
東山宮はうれしそうに言った。「新之輔どのは武芸に秀でているとみたが、風流も解するようじゃ」
「とんでもございません。拙者はただの田舎侍でござる」
「して、郷はどちらかな」
「豊後の国、海滑でござる」
「自然に恵まれたいい国のようですな。そこで育つと、そなたのような、おおらかな男になるのであろう」
東山宮は、格式張らない気さくな話し方をした。男にしては柔らかい声だが、聞いているだけでも心が安らぐ。
「先ほどの男は、おぬしが大納言の屋敷を襲ったと申しておったが、事実であろうか」
東山宮はいよいよ本題に触れてきた。
新之輔は正直に答えた。
「事実でござる。ただし、人を殺めるとか物を盗む目的で忍び込んだのでは、決してござらぬ」
「では、偵察とか情報を得るためかな」
「――」
新之輔は口を閉ざした。油断のならない老人だと思った。柔らかい語り口ながら、いつしか相手から情報を引き出していく。
東山宮が「ほほほ」と笑った。
「話したくなければ話さなくとも良い。そなたは幕府の密偵かもしれんと思うていたが、そうでもないようじゃ」
新之輔は複雑な心境だった。彼に調査を依頼した保科正之は、考えてみれば幕府の人間だった。
(ということは、自分は幕府の密偵なのか)
そこでふと気づいた。先ほど東山宮は、羽山竜之進に対して、大納言に伝えよ、とかいうようなことを言っていた。東山宮は、徳川頼宣とかなりの面識があるようだ。それを利用できないかと思った。
「宮さまは、紀伊さまとお親しいようですね」
いかにも唐突な質問だったが、東山宮はおっとりと笑った。
「ほほほ。それは屋敷が近いから、隣近所の付き合いはある」
「紀伊さまは――どのようなお方であろうか」
言ったあと、新之輔は心の中で、自分を責めた。
(馬鹿め、もっとほかに聞きようがあろうが)
しかし、こんども穏やかな笑いが返ってきた。
「ほほほ、それを知りたければ、桃の節句にこの屋敷に来なされ」
「桃の節句に来れば、何があるのでしょうか」
「それは来てのお楽しみじゃ」
東山宮はそれ以上、説明しようとしなかった。そして、ふと気づいたように言った。
「もう、夜も遅い。今夜はこの屋敷に泊まりなさい」
翌朝、東山宮に別れを告げたあと、新之輔は、小壺芳美の住むあさがお横丁に戻ろうとした。浅草は、今いるところから御城を挟んで、反対の方向にある。新之輔は御城の北回りの道を選んだ。
赤坂から浅草では、かなりの距離がある。それに起伏が多いので、途中、何度も坂を上り下りしなければならない。
ようやく御城の東側に出て歩いていると、向こうから二人連れの若い侍がやってきた。
そのうちのひとりが、はっとした様子で新之輔の顔を見た。
侍は、すれ違ったところで声をかけた。
「――風間新之輔」
新之輔が足を止めると、若い侍はふり返って刀の柄に手をかけた。
「やはり、風間新之輔だな。海滑藩、与田十郎だ。おとなしく縛に付け」
「生憎、そのつもりはない」
「ならば、まいる」
二人とも若い侍だった。必死の気持ちが顔に出ているが、剣の構えは隙だらけだった。
「やあっ!」
ひとりが上段に構え、声をあげて切りかかってきた。
新之輔は無言でその剣を鋭く弾き、返す刀で胴を狙ってきたもうひとりの侍の剣を、中ほどから叩いた。
ガキッ、ガキンッと音を立てて、折れた二本の刃が宙を飛んだ。
若い二人の侍は、呆然として折れた剣の手元を見た。
新之輔は振り向きもせず、その場を立ち去った。
(そうか、ここは海滑藩の下屋敷に近いのだった)
遠い昔の記憶が甦ってくる。
新之輔が一度だけ、女と交わった記憶だった。
――**――
「できませぬ。お上は、拙者が女を抱けぬとご存じのはず」
「相手の顔も見えぬ闇の中だ。爺の顔を思い浮かべて、やれば良いではないか」
「それでも――できませぬ」
「たわけ者!海滑藩のためだ。死ぬ覚悟でやれっ!」
父同然に慕う藩主、首藤宗定の命令だった。
それも信じられないような内容だった。お上の長子である頼宗の正室、孝子と交わって懐妊させろと言うのだ。
どうしても納得がいかなかった。首藤家に縁のない自分が、なぜ、藩主の血筋に介入するのだ。
なおも逡巡する新之輔に対して、宗定は下手から出た。
「頼宗は子供が作れぬ。のう、新之輔、このままでは海滑藩はつぶれる。頼む――」
宗定はその場で手をついたのだ。
「お上――お手をお上げください」
新之輔はあわてた。もはや引き受けるほか無かった。
「わかり申した――お引き受けいたします」
「では頼むぞ。あとの手配はお伝がやる」
宗定はホッとしたように言って、背後に控えるお伝の方に振り返った。
「お伝、頼むぞ」
「御意」
孝子のお世話役、お伝の方は小さく答えて頭を下げた。
頼宗の正室、孝子が下屋敷に泊まった夜、ひとり警護役の部屋にいた新之輔のもとに、お伝の方が来たのは夜の四つ時(午後十時)だった。
「さあ、これを飲みなさい」
お伝の方は小さな油紙の包みをさし出した。表面に「禿」と墨書きされている。包みを開けると、白い粉が入っていた。
新之輔はすなおに薬をのみ、水で流し込んだ。
最初は何とも感じなかった。お伝の方の後について廊下を歩いていると、身体の芯が熱くなってきた。それから下腹部に力が漲ってきた。
下帯が突っ張って、歩きづらかった。
やがて――部屋の前に来た。
お伝の方が襖を開け、二人は室内に入った。
暗闇の中、お香の匂いがかすかにした。
「さあ、こちらへ」
お伝の方は新之輔の手を引いて、勝手知ったように闇の中を進んだ。
足先が寝具の端に触れた。健康的な寝息が聞こえてくる。
「しばらくお待ちなさい」
お伝の方が闇の中で言った。
この頃には、闇に慣れた新之輔にも、室内の様子がおぼろげに分かった。
頼宗の正室、孝子が床に寝ていた。といた髪は長く、畳の方まで伸びていた。お伝の方は掛け布団をめくり、ついで孝子の着ている下着の裾を、左右に開いた。はっきりとは見えないが、女の陰りが現われた。
新之輔はぎゅっと目を閉じた。――小さい頃の悪夢が蘇ってくる。
お伝の方は、孝子の脚の間に手を差し入れ、ゆるやかに動かしている。
かすかに湿った音が聞こえる。
――アァッ。
孝子が、気のせいかと思えるような小さな喘ぎ声をあげた。
お伝の方の手の動きが速くなった。
――アァァッ。
ふたたび孝子が喘ぎ声をあげた。
奇妙なことに、孝子は目を覚ましそうな気配が無かった。夢うつつに、肉体の悦びを感じているのだ。
「さあ、用意が整いました」
お伝の方の声が聞こえた。「下帯を外して」
お伝の方に導かれるまま、新之輔は操り人形のように動いた。お伝の方の手が、状態を確かめるように新之輔のへのこを掴んだ。
「さあ、あとは分かるでしょう。入れなさい」
新之輔は恐怖にがくがくと震えていた。母や姉の悲鳴が聞こえてくる。
それでも彼のへのこは、かつてなかったほど硬く隆起していた。
顔一面に汗が浮かんできた。
「さあ、お入れなさい」
お伝の方が再度、うながした。
新之輔は目をしっかりと閉じ、湿った裂け目にあてがった。
腰を押し付けると、ふいに雁首が熱い滑りに覆われた――。
押しよせる過去の恐怖を封じ込めようと、必死で爺を思い浮かべた。
(――爺)
爺の温顔が浮かんでくる。へのこが熱いぬめりに呑み込まれた。
新之輔は息詰まる衝動に駆られて、激しく腰をうねらせた。
(爺――爺――)
噴気が募ってくる。高く、高く――ふいに身体がビクンと揺れ、男の生命(たね)が弾け飛んだ。
孝子が懐妊したことが分かったのは、二か月後のことだった。
新之輔は運命の皮肉を感じていた。
孝子と交わってから七年ほど経った頃、その孝子が京に上るお供をした。その帰りの道中で山賊に襲われ、孝子と小姓の三人で四日間行方をくらませた。そのとき新之輔は、孝子と不義を働いたと疑われたのだ。
新之輔はなんの抗弁もせず、沈黙で通した。
それがため、閉門の上、蟄居の言い渡しを受けたが、黙したまま命令に従った。時は違うが、七年前のことは厳たる事実だったからだ。
そして今、新之輔は物思いに沈んで、浅草の長屋へと向かっていた。
彼の後を、ひとりの侍が慎重に間を置いて付けていた。さすがの新之輔も、そのことに気付いていなかった。