目 次
スーパースター第一部 - (4)
(4)

次の試合から、貴史の打順は1番に復帰した。監督がなぜそうしたのか、打撃コーチの島野のほかには、誰にとっても謎だった。
それはともかく、貴史の調子が上向いてきたのは確かだった。1試合に1本のヒットが2本になり、その延長線上でホームランも出だした。彼はじょじょに本来の調子を取り戻していった。ついには、オールスター戦をひかえた前半戦最後の試合で、3本のホームランを打っていた。
そして、野球選手あこがれのオールスター戦が始まった。

セリーグの総監督は、昨年の覇者、ヤクルトの野村監督だった。ID野球、勝負師、狸親父、さまざまな仇名を持つ野村監督は、オールスター第1戦でも、ファンをあっと言わせる策に出た。タイガースのルーキー、高山貴史を4番バッターに据えたのだ。
しかし、並の新人なら緊張でがちがちになるところだが、貴史は違っていた。最初の打席でランナーを1塁に置いて、いきなりホームランを打った。沸き上がる歓声の中で、貴史は淡々とダイヤモンドを回った。
次の打席では、ピッチャーの意表を突いて、セーフティーバントを試みて1塁に生きた。
その日、貴史は2本のホームランを含む5打数4安打5打点の大暴れをした。7対2でセリーグが勝ち、もちろん貴史は第1戦のMVPに輝いた。
第2戦では、貴史はスターティングメンバーから外された。4番には球界を代表するベテランの落栗選手が入った。
タイガースの活きのいいルーキーを一目見ようと、球場に来たファンはがっかりし、いちようにブーイングしだした。ゲームは、初回に2点入れ、5回に追加点を入れたパリーグがそのまま逃げ切った。
翌日のスポーツ紙には、貴史が試合に参加しておればどうなったか、とかヤクルトの野村監督はこのルーキーがあまり自信をつけすぎて、後半戦で活躍するのを恐れたのだ、とかさまざまな憶測を書き連ねた。
そんなことが影響したのか、貴史は第3戦で、再び4番バッターで出場した。試合は投手戦になった。結局、9回の裏、ヤクルト選手のサヨナラヒットで、セリーグが勝った。
MVPこそ逃したが、貴史はふたたび優秀選手に選ばれていた。彼は、ホームランと2塁打を打っていた。

2試合で賞を獲得した貴史は、一躍スターの座にのし上がった。
入団当初は、名前すら知られていなかった新人が、わずか4ヶ月で、球界のトップクラスの名声を得たのだ。新聞やテレビ、週刊誌が、こぞって貴史の経歴やデータを掲載しだした。貴史に対するインタビューの申し込みも急増した。それに乗せられたかのように、ファンの追っかけが激しくなってきた。
マスコミやファンに対し、最初はていねいに受け答えしていた貴史も、さすがにうんざりしてきた。

ある日、貴史は、大川監督の部屋に呼ばれた。
「どうだい、スターになった気分は」
「冗談じゃないスよ、監督。ぼくは野球選手で、アイドル歌手じゃないんだ。チャラチャラした人気なんて真っ平だ」
「まあ、そう噛みつくな。おれはべつに、おめえをからかって言ったんじゃねえ。それにしても、毎日大変だろうが」
「大変どころじゃない、これじゃあ気の休まる暇もないスよ。あの騒ぎようは異常です。ぼくをほっといてくれって、叫びたい気分ですよ」
「そうかい。おれはおめえのようにスターになったことがないんで、そのへんの気持ちは分からんけど――しかし、マスコミやファンあってのプロ野球選手じゃないか。騒がれてるうちが花さ」
大川は身を乗り出して、貴史の顔をのぞきこんだ。「いいか、そう深刻になるな。みんなに騒がれるのはスターの宿命だ。もっと肩の力を抜いて、自然体で構えろ。バッティングでは出来てるじゃないか。それから、マスコミやファンを味方に引き入れるんだ。彼らを利用するくらいの気持ちでいれば、苦にも思わなくなるさ」
貴史はため息をついた。
「分かりましたよ――それで監督、ぼくになんの用だったんですか?」
「べつに――ただちょっと、おめえの顔が見たくなっただけさ。なにせ、おめえはいまやスーパースター様だ。いつ会見の予約がとれなくなるか分かんねえからな」
言ったあと、大川はほがらかに笑った。

ある日、貴史は新聞を見ていて、彼が陸上競技をやっていた高校時代の写真を見つけた。その横には、ピッチャーズマウンドに立つ、大学時代の写真が並べられていた。彼は怪訝に思った。
(どうして、こんな古い写真を手に入れたんだよ?ひょっとして――)
貴史は、伴の顔を思い浮かべた。

それからしばらく経ったある日、貴史は練習前のひとときを村松と過ごしていた。そのとき、たまたま伴がやってきた。
貴史はさっそく写真のことを、伴に聞いた。
伴はこともなげに答えた。
「ああ、あれね。おまえさんの特集を組みたいって新聞社が言うもんだから、わしの写真を提供したんだ」
「だって、じっちゃん――写真を公に出すときは、ぼくの了解を得てからやるって約束をしただろうが」
抗議する貴史にたいして、伴はしらばっくれた。
「さあて――そんな約束をしたっけな?」
「覚えてない?じゃあ、思い出させてやろうじゃないか」
貴史は伴に襲いかかった。彼は片膝立てて、老人の小柄な体を押さえつけると、空いた手で老人の尻を引っぱたいた。
「よせ!暴力はやめろ!」
伴が、短い足をじたばたさせて、悲鳴を上げた。
「じっちゃん、これは暴力じゃない。お仕置きって言うんだ。それにしても、お肉がたっぷりとついて、素敵な尻じゃないか。それっ!」
貴史はふたたび老人の尻を叩きだし、伴がおおげさに悲鳴を上げた。

突然の出来事に、村松は呆然として二人のほうを見ていた。
通行人が怪訝そうに、二人を見て通り過ぎた。それに気づいた村松は、二人から少し離れた位置に移動した。
伴が叫んだ。
「分かった、分かった!もう止めろ!証文があるんだ」
「なんだ、証文ってのは?」
貴史は、老人の尻を叩く手をとめた。
「今、見せてやる。とにかく、わしを放せ」
伴は貴史から解放されると、ポケットから手帳を取り出した。そしてふたつに折りたたんだ紙片を、貴史に渡した。

甲と乙は次の通り契約を取り交わす。
甲が乙を撮影した写真をもとに外部から報酬を得たときは、甲の得た利益の2割5分をモデル料として乙に支払うものとする。
                   平成2年9月16日
                             甲  伴  邦正
                             乙  高山 貴史

それを見て、貴史は思い出した。学生時代のとき、友見にたきつけられて伴と交わした契約書だった。これと同じものは、彼もどこかに仕舞い込んである。あのときは冗談半分だったが、まさかこの老人が大事に持っていたとは、ちょっと信じがたい気がした。
伴はうそぶいた。
「ほれ、その証文を見ろ。おまえの了解をとるなんて、どこにも書いてないぞ」
「書いてなくても、約束しただろうが。まだ思い出せないのか?」
貴史は老人に詰め寄った。
丸っこい体型にしては驚くほどの素早さで、伴が後ろに飛びすさった。
「ま、待て!今、思い出した。すっかり忘れていたんだ」
「そうかい。ところでこの紙に書いている、ぼくのモデル料はどうした?」
自分を取り戻した伴が、いつもの、のんびりした調子で言った。
「もち論、忘れていない。ただ、振り込もうにも、おまえの銀行口座が分からなかったんだ」
「そうか?」
貴史は疑わしげに、伴の顔をにらんだ。「だったら今、キャッシュでくれ」
伴があわてて言った。
「今は持ち合わせがないんだ」
貴史はそれ以上追求しないで、伴の持っていた紙片の裏に、自分の口座番号を書き込んだ。
「じゃあ、ここに振り込んでくれ。それから、じっちゃんが貰った、報酬額を証明できる書類のコピーも欲しいな。預金通帳の写しでもいいんだ」
「おいおい、そんな必要があるのか?わしをまったく信用していないようじゃないか?」
貴史は、老人の顔をジロリと見た。
「もち論、じっちゃんを信用していないから言ってるんだよ」

そのとき、それまで黙って二人のやり取りを聞いていた村松が、おもむろに口を開いた。
「二人はそんな契約をしていたのか。じゃあ、あれはどうなるのかな?これまで神戸スポーツに載っていた貴史くんの写真は――」
伴が、黙ってろ、と言うように、村松に目配せした。
貴史が村松に振りかえって聞いた。
「なんだい、先生。神戸スポーツの写真がどうしたって?」
伴が咳払いして、あわただしく言った。
「おい、貴史、練習が始まる時刻だぞ。そろそろ行ったらどうだ」
伴の言葉を遮るように、村松が冷酷に話をつづけた。
「あれ、貴史くんは知らないのか?神戸スポーツに載っている貴史くんの写真は、全部、伴さんの撮ったものだよ」
村松の暴露に、貴史は伴のほうを、どうなんだ、と言うように見た。
伴があわてて手を振った。
「待て!わしは神戸スポーツの雇われカメラマンだ。おまえの写真も、仕事の一部だ。べつに、おまえだけの写真を撮っているわけじゃない。村松さん、あんたが神戸スポーツを紹介してくれたんだ。なんとか言ってくれ」
村松はうなずいた。それから貴史に向かって、淡々と説明した。
「カメラマンとして、伴さんを神戸スポーツに紹介したのは、確かにわたしだよ。伴さんが、球場できみの写真を、カメラマン席から撮りたいと言ったもんでね。
それで伴さんは、阪神タイガースの試合専属のカメラマンとして、神戸スポーツと契約したんだ。でもさっき、きみたちの契約書をチラリと見たけど、そんな場合はきみのモデル料を免除するなんて、一言も書かれていなかったような気がしたな」

伴と村松がにらみ合った。
同年配の二人は、人に言えない男色関係にある仲だが、こと貴史が絡んでくるとライバル心が騒ぐのか、敵愾心を剥き出しにしていた。
伴が抑えた口調で言った。
「先生、わしに抱いてもらいながら、恩を仇で返すのか。そうやって人を陥れるようなことはやめろ」
村松があわてて伴の口を塞ごうとして、開き直ったように笑った。
「陥れる?冗談じゃない。わたしは、どこかの厚かましい老人が、純粋な若者を食い物にしているのを、黙って見過ごす事が出来ないだけだ」
「先生――あんた紳士面をして、ドギツイことを言うやんか。わしがいつ、貴史を食い物にした?それに、貴史のどこが、純粋な若者なんだ?」
二人の視線が鋭く絡み合った。
貴史はやれやれと言うように、二人の間に割って入った。
「ちょっと、二人ともいい年をして、もう止めろよ」
途端に、伴が叫んだ。
「皮被りのひよっこは黙ってろ!」
貴史はゆっくりと伴の方に振り向いた。
「じっちゃん、皮被りはぼくじゃない。じっちゃんの方だろうが」
「ケッ、坊や、なんだったら見せてやろうか」
伴がズボンの前に手を伸ばした。
「そんな萎びたの、見たくもないや。どうせなら、そのぽっちゃりした尻を見せてくれ。いかにも具合が良さそうだ」
「ほう、お前、そんな趣味があったのか。だったら見せてやる」
「あ、やっぱ、やめた。高くつきそうだから。とにかく、じっちゃん、ぼくの写真を出すときは、断ってからにしてくれ。――あっと、練習に遅れちまう。じゃあな」
貴史は、さっさと二人から離れていった。
あとに残された二人は、再びにらみ合った。
[18/03/09 06:34 神亀]
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