■ スーパースター第一部 - (2)
(2)
「タカ、きのうは派手にあばれまくったな」
練習前に、買い込んだたくさんのスポーツ紙を見ている貴史のもとに、大川監督がやってきた。
「だから言ったでしょうが。ぼくは本番になればシャキッとするって」
「そうかい。フロックでなければいいがな。ところで、今日のピッチャーは、まだ本調子でないと言ってもエースだ。コントロールがいいから、いやらしくコーナーをついてくるぞ。それに向こうはきのう、ポット出の新人に、いいようにやられたんだ。きょうは厳しく攻めてくるぞ」
「分かってますよ。要するに大振りしないこと。盗塁でひっかきまわすこと。そうやればいいんでしょう」
大川監督は、妙にルンルン気分の貴史の顔をしばらく見つめた。それからフッと溜め息を吐いて、つぶやくように言った。
「そうかい――まあ、そこまで分かってるんならいいが――」
大川監督に約束した通り、その日の試合で、貴史は相手ピッチャーを翻弄した。
まず、第1打席でセーフティーバントを試み、それが見事に成功した。出塁すると、なんなく2塁に盗塁した。2番バッターがセンター前にヒットを打ち、試合開始後、ものの数分でタイガースは先取点を入れた。
その日、貴史はシングルヒットと2塁打を1本づつ打ったが、あとは粘っこくボールを選んでフォアボールふたつ、そして盗塁を4つ試みて、すべて成功した。彼のおかげで、相手投手はすっかりペースを乱され、3対1でタイガースはきのうの雪辱をはたした。
ジャイアンツとの3連戦は1勝2敗だったが、内容的にはむしろタイガースのほうが押していた。
貴史の思わぬ活躍に、狂喜する阪神ファンの熱気が伝わったのか、タイガースの選手たちが発奮したからだ。彼らの動きは溌らつとしていた。とくに昨年台頭してきた、若手選手たちの動きが良かった。
試合数が増えてくるにつれ、大川監督の性格――おおらかで形式にとらわれない自由なやり方も、チームに浸透してきて、いい方向にむかっていた。
大川は選手たちによく言った。
「おめえたちはプロなんだ。おれは細かいことは言わん。自分で考えて、自分にあった方法を工夫しろ。失敗を恐れず、のびのびとやれ。ただしプロの自覚だけは忘れるな。プロの世界は結果だけだ。結果が悪ければ、だれであろうと、いつでも二軍にたたき落とすぜ」
大川は、そのことを言葉だけでなく、容赦なく実行した。レギュラーと思われた中堅選手が、二軍落ちの憂き目にあい、二軍の有望な若手にチャンスが与えられた。
例年になくレギュラー選手の入れ替わりが激しい彼のやり方に、一部では批判の声もあがった。しかし大川は、そんな声にまったく無頓着に、頑として自分の方針を貫いた。
貴史は、そんな監督のやりかたに、諸手をあげて賛成だった。なにしろ、そのおかげで、彼は一軍にあがることができたのだ。
開幕戦で大活躍をした貴史は、すっかり自信をとりもどした。
その後の試合もヒットを打ち続け、盗塁を稼ぎつづけた。打撃がいいおかげで、守備のほうもプロらしくなってきた。
キャンプでの苦労が、一気に花開いたようだった。
チームのメンバーたちとも、うちとけてきた。とくに今年、アメリカのマイナーリーグからやってきた、ポール・ゲイルとはウマが合った。
ゲイルは、コロコロと太った愛嬌のある体型と童顔の白人で、1塁手だった。見かけよりも若く、27才になるがまだ独身だった。
1塁のレギュラーは元大リーガーの外国選手がいたので、彼はもっぱら代打専門だった。ゲイルはでっぷりした体型にもかかわらず、器用で、ホームランバッターというよりアベレージヒッターだった。
英語の話せる貴史は、ゲイルの通訳を買って出た。ゲイルは言葉だけでなく、バッティングの技術も、年下の貴史のところによく相談に来た。彼はマイナーリーグ時代の下積み生活の経験から、貴史のバッティングに非凡なものを感じ取っていたのだ。
「ポール、構えたときに左肩がさがっているぜ。それじゃあバットを振るときに、逆に右肩がさがってしまう。スイングはレベルに振るんだ」
「オーケイ、タカシ。こんな具合か?」
「ああ、それでいい。それから、ちょっと上体に力が入りすぎのようだな。もっと楽にして、自然体で構えるんだ」
「オーケイ。こんな感じかい?」
「ああ、ずっとよくなった」
ゲイルは素直な性格をしていて、貴史の忠告を従順にとりいれた。そのこともあって、彼のバッティング技術は、めきめきと上達してきた。
6月に入っても、貴史の新人離れした活躍は続いた。
驚異的なペースで打ち続けたホームランは、5月が終わった時点で21本、もちろん、だんとつのリーグトップである。それに打率も3割8分1厘、これもトップだった。
ルーキーの活躍にひきずられたかのように、タイガースも3位に浮上していた。トップのジャイアンツは相変わらず好調で、2位のドラゴンズと5ゲームも開いていたが、2位と3位のゲーム差はわずかに半ゲーム。タイガースがドラゴンズを追い抜くのも、時間の問題と思われた。
しかし、7月に入って、貴史はプロ入り初のスランプに陥った。
この新人の成績がけっしてフロックではない、並外れた実力のもちぬしだと気づいた各球団が、あの手この手の策略を考えだしたからだ。
強気のピッチャーは目の色を変えて、この新人の潰しにかかった。胸元をえぐるような内角球、外角ローボール、フォーク、シュート。
貴史は必然的に、フォアボールやデッドボールが多くなった。どのピッチャーもまともに勝負してくれなかった。
欲求不満がつのった。そして、それが打撃不振につながった。
「タカ、焦るな。フォアボールが多いってことは、お前が大打者だって証拠だぜ」
大川監督が慰めたが、効き目はなかった。
貴史のスランプが続いて、それにつられたようにチームも不調に陥った。連敗のワースト記録を更新し、あっという間に5位まで転落した。すぐ下の最下位では、開幕戦でつまずいた昨年優勝のヤクルト・スワローズが、相変わらずもたついていたが、タイガースとのゲーム差も僅差に迫っていた。
貴史の打順は1番から7番にかえられた。守備位置も、レギュラーの選手が復帰してきて、レフトに回された。
それでも彼の不振は続いた。さすがのファンも、この新人にブーイングを浴びせだした。
しかし、ファンの激しい非難にもかかわらず、貴史本人は全然気にしたそぶりを見せなかった。悪びれもせず、飄々としてインタビューにも受け答えした。試合前の練習でも、やきもきするコーチ陣を尻目に、特打ちもやらずにマイペースを貫いた。
そして監督の大川も、貴史の練習方法に介入せず、しばらくは様子見に徹しているようすだった。
オールスター戦が近づいてきたある晩、試合後の貴史のところに珍しい客が来た。ニューヨークに行っていた朝丘友見だった。
久しぶりに見る友見は、化粧が濃くなっていたが、持味である野性味に磨きがかかり、アメリカの映画スターといっても通るような迫力がついていた。
1時間後、二人は友見の宿泊するホテルのレストランにいた。
「スーパー・ルーキーに乾杯!」
テーブル越しに、友見がグラスを掲げた。
貴史が合わせた。
「そして、未来のミュージカルスターに乾杯!」
二人は一気に、グラスのシャンペンを飲み干した。そのあと黙り込んで、お互いの目を見つめ合った。別れてから4ヶ月あまり、その間のお互いの変化を読み取ろうとした。
最初に沈黙を破ったのは、友見のほうだった。
「最近、調子悪そうね」
「ああ――麻疹みたいなもんだ。そのうち良くなるさ」
友見は何も言わずにうなずいた。
「ニューヨークはどうだい?ブロードウェーの舞台は近づいたかい」
「一朝一夕にはいかないわ。でも最近は、オーディションでもいいところまでいってるわ」
「オーディションにうかったら、連絡してくれ。真っ赤なバラを贈るよ」
友見はニヤッとした。彼女は花ならバラ、色なら赤が大好きだった。
「恋人はできたのかい?」
唐突に、貴史が聞いた。
友見は微笑んで、貴史の目を見た。
「あなたは?」
「いない。野球づけの毎日さ。そんな余裕はないよ」
「あら、あなたにしては珍しいわね。あんがいスランプも、そのへんに原因があるのかもよ」
「なんだよ、それは?」
「あなたの本質はストレート。だけど、それを忘れることをやっていないと、うまくいかないのよ」
「きみの言ってることは、よくわからないな」
「またとぼけて――たまには、自分に素直になりなさい」
友見は厳しい表情をした。「そんなにとぼけるのなら、わたしから言ってあげましょうか。高山貴史の本質は、真面目な人間。人一倍、責任感が強くて、自分に厳しい男。でもその性格は、ときに悪いほうに働く。だからあなたには、息抜きが必要なの」
貴史はあきらめたように、ため息をついた。
「きみにはかなわんな。それで、きみは?」
「なに?」
「とぼけるなよ。恋人のことだよ」
友見は謎めいた笑みを浮かべた。
「恋人じゃないけど、セックスフレンドはいるわ」
「アメリカ人か?」
友見は、自分を卑下するように言った。
「そうよ。勤め先のブティックの親父。ハゲでデブの50男。これは生活のため」
「おいおい、自分を卑しむことないじゃないか。ぼくだってきみの立場だったら同じことをやるぜ」
「ようやく自分をコントロールできるようになったわね」
友見がホッとしたように笑った。「だから、あなたって好き。皮肉屋で、浮気もので、そしてちょっぴり優しいんだから」
そのあと二人は、言葉少なにお互いの目を見つめあいながら、盃を重ねた。
店を出たあと、友見がぽつりと言った。
「明日、ニューヨークに戻るわ」
「もう戻るのか」
貴史は驚いて友見を見つめた。
それに答えず、友見は貴史の目を見つめながらささやいた。
「わたしの部屋に来る?」
おぼろな薄明りのなかで、全裸の友見がたたずんでいた。腰も脚も引き締まって、プロポーションにますます磨きがかかっている。
二人は立ちつくしたまま、しばらくお互いの裸を見つめあった。やがて、どちらからともなく近づき、抱き合い、口付けをした。肌と肌が合わさって体温の温もりが溶け合い、熱気が高まった。狂おしいほどの欲情が募ってくる。
「待ってた。待ってたの――」
友見を強く抱きしめると、彼女はうめくように叫んだ。ダンスで鍛えた友見の体は、引き締まって滑らかだった。
「友見、やはりきみは最高の女性だ」
貴史は、彼女の体を優しく愛撫しながらつぶやいた。やがて、内から突き上げる欲望のまま、ひとつになり、めくるめく激情に呑み込まれていった。
その夜、二人は空の白むまで愛し合った。