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■ スーパースター第一部 - (5)
(5)

大学3年の春先、校舎で演奏の練習をしていたメンバーのところに、ひとりの女子大生が訪れた。
「あのう、わたし、バンドに入りたいんですけど」
その女性はおそるおそる切り出した。日焼けした卵型の顔に、小作りの可愛らしい目鼻立ち――なめらかな頬に、匂うような若さがにじみ出ていた。
「あれっ!きみって――」
貴史はその女性を見て、声を上げた。
その女子大生はにっこりと微笑んだ。
「いつぞやは大変お世話になりました。わたし、宇野知恵子と申します」
「なんだ、きみ、六甲大に入学したのか?」
彼女は昨年、自転車ごと崖から落っこちて、貴史が助けた女子高生だった。
貴史はほかのメンバーにいきさつを簡単に説明し、彼女を紹介した。

宇高がおもむろに訊いた。
「きみは何ができるんだい?」
「ピアノ――キーボードも弾けます。それにマネージャーも」
それを聞いて、4人がふきだした。
笑いの中で、宇高が言った。
「きみ、そんなかわいらしい顔をして、マネージャーが勤まるのかい?」
「これでも高校生のときは、テニス部でサブキャプテンをやっていました。それに、弁論大会で賞を取ったこともあります。交渉ごととスケジュール調整には自信があります」
新入生は、生真面目に返事をした。
ふたたび明るい笑いが巻き起こった。
「お願い。わたし、コンサートで偶然あなたたちの演奏を聞いて、同じ六甲大に入ることを目標にしてきたんです」
彼女は熱心に言った。
その真剣さに、みんなは顔を見合わせた。
「オーケイ。きみの特技と熱意はよくわかった。みんな、どうする?」
貴史の問いかけに、友見が答えた。
「いいんじゃない。わたしも女性の仲間がふえて、心強いわ」
宇高と今岡もうなずいた。それを見て貴史は、新入生に言った。
「ストーム・オブ・ザ・ロッコーにようこそ」

さっそく、新メンバーを加えての練習が始まった。宇野知恵子はのみこみが早かった。いつしか彼女は、バンドの流れにすっかり溶け込んでいた。
スケールの大きなダンスと唄を披露する友見と、地味だがウイットと知性あふれる知恵子。二人の女性の存在は、バンドを華やかにした。
貴史と友見は公然の仲で、いままである種の偏った雰囲気がバンド内にあった。しかし、日焼けして、まだ少女の域から抜けきれていない知恵子は、バンドの中で絶妙の潤滑剤になった。控え目で明るく清楚な彼女は、ほかのメンバーからみれば2つ年下の妹のようなもので、いつしか彼女は、バンドのマスコット的存在になっていた。

そんなある日、貴史は、村松に呼ばれて医療施設にでかけた。
部屋には村松のほかに、もうひとりの男がいた。
貴史の見知らぬ顔だった。中背、やや小太り気味の体型をして、年の頃50歳前後。なめらかな顔は、おっとりと練り上げられたような品位と育ちの良さを思わせた。上下そろいのグレーのスーツに白のカッターシャツ、趣味の良い紺のネクタイ、茶色の靴が深みのある光沢を放っている。
渋い好みの金持ち姿が、身についている感じだった。
貴史はその男に、以前会ったような気がした。それでいて思い出せなかった。

男が笑みを浮かべて自己紹介した。
「宇野一郎と申します。娘の知恵子がお世話になっています」
それで分かった。男は宇野知恵子の父親だったのだ。
貴史はあらためて宇野の顔を見た。
七三に整髪されたごま塩の頭髪が、照明の下で鈍く反射していた。幅広く後退したひたいは、つややかで、ほとんどしわも見あたらない。上品な唇と、なめらかな頬やあごの線に、知恵子のおもかげがあった。いかにも上流階級で生まれ育った、おっとりとしたムードが漂っている。
「知恵子さんのお父さんですか?どうりで以前お会いしたような気がしました。娘さんとよく似ていますね」
貴史が言うと、宇野はだまって頭を下げた。

「宇野さんは製薬会社の社長さんだ。私が宇野製薬の顧問をしていることもあって、親しい間柄なんだ」
横から、村松が説明した。「このまえ、ふとしたきっかけできみの話題が出てね。去年、きみは宇野さんの娘さんを助けたらしいね?」
「助けただなんて――そんな大げさなことではありません」
「あのときは助かりました。でもあなたが名前も告げずに立ち去ったものですから、お礼を言うのが遅くなってしまいました。ほんとうに、ありがとうございました」
宇野がふたたび頭を下げた。
「とんでもないです。そんな丁重に言われると、恐縮してしまいます。でも、どうしてぼくの名前が分かったのですか?」
宇野が貴史を見上げた。娘に似た二重目蓋のつぶらな瞳が、天使のような優しさをたたえている。
「野球ですよ。わたしも娘も野球が大好きでしてね。去年の秋、大学リーグの最終戦で、娘があなたに気づいたのです」
「ああ――あの時は無様なところをお見せしました」
貴史は眉をひそめた。3対1で同志社に負けた試合だった。
「いやいや、あなたのせいじゃない。あなたはMVPを取ったじゃないですか。ただ――正直言って、ほかの選手たちの実力がもうひとつですね。いかにあなたが優秀な選手でも、ひとりでは――」
「貴史くん、宇野さんはきみの大学のOBなんだ。それで、わたしたちは後援会長の柴田さんと話し合ったんだが――あとは宇野さんから、おっしゃってください」
村松にうながされて、宇野はちょっと照れくさそうに微笑んだ。
「じつは――六甲大学の野球部に、なにか寄付をしようと思いましてね。村松先生に相談した結果、バッティングマシーンがいいということになって」
「すごい!きっとみんな喜びますよ。ありがとうございます。でも、どうして寄付をしてくださるのですか?」
貴史は素直に喜んで、年配者に訊いた。
村松がさえぎった。
「やぼなことは聞きっこなしだ。きみたち野球部員は、今年優勝することだけを考えていればいいんだ」



心地よい酔いが全身にいきわたり、貴史はカウンターの前でのんびりと水割りを飲んでいた。たまに村松博士や野球部後援会会長の柴田と連れたって、このショットバーに来ることがあった。
店の従業員は、磨き上げられて黒光りする樫のカウンターの向こうに、ほっそりとした白髪のバーテンダーが1人いるだけ。
英国のパブを思わせるこの店は、六甲大学に至る坂道の途中にあった。洋館風の古めかしくて、こぢんまりとした店だが、貴史は気に入っていた。これという理由はなかったが、なんとなく祖父のイメージを思い起こすのだ。
それに貴史は気づいていた、この店が男性専用の店だということに。女性の客はひとりもいなかった。白髪のバーテンダーや店の男性客は年配者が多く、彼らはおだやかで、ある種の連帯意識を持っているようだ。

「高山くん、もうすぐ4年生だな。大学を卒業したら、どうするのだね?」
柴田が声をかけた。最近、彼がよく口にする話題だった。
「また、その話ですか。建築関係の仕事につきますよ」
貴史の答えは決まっていた。
そしてまた、柴田がつぎにする言葉も決まっていた。
「そうか――しかし残念だな。これで日本の野球界から、1人の優秀なプレーヤーがいなくなるわけだ。ねえ、村松先生」
村松が、おっとりと相槌をうった。
「ああ、野球界にとっては大きな損失だ。それに貴史くんにとってもね。そんな並外れた体力と運動神経をご両親にもらっておきながら、それをみすみす殺してしまうなんて」
「そうですよ。高山くん、もう一度考え直したらどうだい」
貴史はあいまいに首を振った。彼は、二人の年配者たちとくつろいだひとときを過ごすのは好きだが、将来の話題となると、急に口が堅くなるのだ。
「もう、その話はよしましょう。ちょっとトイレに行ってきます」
貴史は椅子から立ち上がった。その反動で、背もたれに乗せていた上着が床に落ちた。彼はろくに見もせずに上着を拾い上げると、椅子に乗せ、それからトイレに向かった。

「おや、何か落ちてるぞ」
柴田が床に落ちた財布に気づいて、拾い上げた。財布の中から写真が一枚、覗いていた。好奇心旺盛な柴田は、それを引き出した。
古い写真だった。
小さな男の子が、欧米人らしい老人の肩を揉んでいた。
いかにも心地良さそうに目を細めた老人の顔と、手の疲れを我慢して、一生懸命マッサージに専念する子供のあどけない顔――。
老人の大きな肩に置かれた小さな手が、可愛らしかった。いたずらっ子のような人柄が滲み出た老人の顔は、子供とあまり似ていなかった。男の子のほうは、きりりと口を引き締め、生き生きとした目をしている。五月人形のように凛々しくて、愛くるしい顔立ちだった。
村松が写真を受け取って、その微笑ましい光景に微笑した。
「貴史くんの小さいときの写真だな。可愛らしいじゃないか」
「ああ、お年寄りのほうは、彼のおじいさんかな?」
「そうでしょう。貴史くんのお母さんは、イギリス系ハーフって言ってたからね」

貴史がトイレから戻ってきた。
柴田が、財布と写真を貴史に渡しながら言った。
「さっき上着から落っことしたぞ。これはきみの小さいときの写真だろう?」
「ええ――ぼくが5歳のときの写真です」
貴史は写真を受け取ると、感慨深げに写真を見た。
「老人はきみのおじいさんかい?」と柴田が訊いた。
「そうです――祖父が死ぬ1ヶ月前の写真です」
「――」
柴田と村松は、驚いて貴史の顔を見た。
気まずい雰囲気を振り払うように、貴史が言った。
「元気のいいお祖父ちゃんでした。よく、キャッチボールをしてくれました。祖父が死んだのも、そのせいだけど――」
「――」
「ぼくの投げたボールを受け損ねて、祖父は外の通りにボールを追っかけていきました。そこに車が突っ込んできたんです」
二人の年配者は、声もなく貴史の話を聞いていた。
「あっと言う間の出来事でした。ブレーキをかけるタイヤの軋み。祖父の小さな悲鳴。あのときの物音は、今でもときどき鮮明に思い出すことがあります。だから、ぼくはあまり車が好きじゃないんだ」

貴史が口を閉じ、しばし沈黙が流れた。
それを破るように、柴田が咳払いして言った。
「幼い子供だったきみにとっては、すごくショッキングな出来事だったのだろうね」
「根アカでおしゃべりなお祖父ちゃんでしたから。彼がいなくなると、急に家の中が静かになって――。そのころのぼくは、よく夜中に泣き出して、母にあやされたそうです」
「きみは、おじいちゃんっ子だったのかい?」
「ええ。でもそれ以上に、祖父のほうがぼくにベッタリでした。父も休みの日には、ピッチングやバッティングをぼくに教えてくれました。一流とまではいかなかったようですが、父はクラブ活動で野球をやっていて、ピッチャーでした」
「それで、今のきみがあるわけだ。きみのおじいさんもお父さんも、野球が好きだったんだね。――どうだい、高山くん、その二人のためにも、プロ野球で頑張ってみないか?」
「――」
貴史は肩をすくめただけで、柴田の問いかけに返事をしなかった。
[18/03/03 06:46 神亀]
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