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風の新之輔第三部 - 第三部邂逅(六)
(六)

新之輔は、ようやく保科正之を訪ねることにした。昨年別れて、二月以上が経過している。
(ひょっとしたら、無沙汰をなじられるかも知れん)
新之輔は、気持ちを引き締めた。
保科が住んでいる陸奥会津藩の上屋敷は、品川の海を埋め立てた甲府濱屋敷(のちの濱御殿)に隣接した、広大な敷地にある。
門番に名乗ると、すでに話は通されていたのか、待たされることもなく中に入れた。
右手に家士たちの住む家が立ち並び、よく手入れされた庭木の先に、重厚な造りの母屋があった。
奥の間に通されたときも、新之輔は屋敷の豪壮さに圧倒されていた。
ほどなく保科が部屋にやってきて、床の間を背に座った。人払いされているのか、小姓の姿はなかった。
相変わらず穏やかで、独特の魅力ある顔だった。
保科の顔を見て、一緒に旅をしたときのことが思い出されて、何とも言えぬ懐かしさを覚えた。

「医師に会えたようじゃの」
開口一番、保科は言った。新之輔の話を忘れずに覚えていて、さすが気配りの人と思えた。
「はい、おかげさまで無事、再会を果たせました」
「それは良かった」
保科は相好を崩した。そしてさりげなく尋ねた。「それで、そなたとその医師は、どういった関係なのじゃ」
新之輔は一瞬、詰まった。どう説明するか考えていると、保科のほうで先に言った。
「さぞかし旧交を暖めたのであろうな。いや、なに、そなたがあまりに来ないものだから、余のことを忘れてしもうたかと思うていた」
「――」
なんとも言えずに新之輔が黙っていると、保科が改まった態度で新之輔に言った。
「ところでそなたに頼みがある」
「はっ、どのようなことでございましょうか」
「なに、千住で見かけた紀伊さまに関わることだ」
「して、拙者は何をすればよろしいのでしょうか」
「これ以上は、そなたが引き受けてくれぬ限り話せぬ」
「そんな無体な。もっと具体的に話していただかないと、引き受けるとも何とも返事が出来ませぬ」
「意外に慎重な男だな――」
独り言のようにつぶやいて、保科は言った。「頼む。まずは引き受けると返事をしてくれ。そうすれば詳しく説明する」
新之輔が逡巡していると、保科は横を向いて言った。
「余が苦痛に耐えて、そなたと衆道の契りを結んだのも、無意味だったようじゃのう。それに、屈辱を覚えつつ、そちの悪い指のなすまま、身を任せたのも――」
新之輔はハッとして、顔を上げた。
「ご前、それは強請(ゆすり)でございますか」
「強請?余がそんな無粋なことをするか」
言ったあと、保科は大きくため息を吐いた。「それにしても、そなたとは心が通じ合えたと思うていたが――残念じゃのう」
「――分かり申した。お引き受けいたします」
思わず言って、新之輔は、しまったと思った。
途端、保科の顔がほころんだ。
「おう、引き受けてくれるか。そなたがいれば鬼に金棒だ」
保科のお世辞を聞き流して、新之輔は言った。
「では詳しくお聞かせいただけますか」

「栗橋で余を襲った浪人どもだが、仲間のひとりと思われる男が捕えられた」
「――」
「役人たちにかなり拷問されたようだ。その結果、男が白状するに、余が進めてきた文治政治が気に食わなかったという」
「しかし、文治政治はもともと、藩の廃絶を減らし、ひいては路頭に迷う武士たちが増えるのを防ぐことが目的でござろう。それに、政を進めてきたのは、ご前おひとりではないはず。それがなぜ、ご前だけを襲ったのでござろう」
「それよ。誤解から生じた襲撃か、あるいは余を狙うほかの意図があったのか、それが今ひとつはっきりしない」
「首謀者は分かったのですか」
「捕えた男が言うに、頭は二人いて、どうやら慶安の変の生き残りらしい。その二人は、おぬしが小屋の前で切った五人の中に入っていた」
「では、もう後顧の憂い無しですね」
保科は上品に眉をひそめた。
「それが――そうでもない。伊豆どのは、背後で操っている人間がいる、と申している」
「――」
「伊豆どのが疑っているのは、紀伊さまだ」
新之輔は、馬に乗る堂々とした風采の老武士を思い浮かべた。と同時に、羽山竜之進の顔が浮かんで、なんとなく落ち着かない気分になった。
「なぜ紀伊さまが疑われるのか。それをおぬしに分かってもらうには、これまでの経緯を話さねばならぬな」
保科はとつとつとした調子で、ことの経緯を話しだした。

慶安の変のとき、駿府で自決した由井正雪の遺品から、徳川頼宣の書状が見つかり、頼宣の計画への関与が疑われた。
このとき、松平伊豆守信綱ほか幕閣は、徳川頼宣を江戸城に呼び出して、正雪との関係を詰問した。別室には、いざというときのため、屈強な武士たちを控えさせていた。
頼宣は、「外様大名の加勢する偽書であるならともかく、頼宣の偽書を使うようなら天下安泰である」と意外な釈明をした。つまり将軍の身内である自分が、謀反など企むわけがないだろう、というのを別の捻った表現で言ったのである。
そこで一応、書状は偽造であるとされたが、頼宣の嫌疑は完全に晴れたわけではなかった。結局、頼宣は江戸詰めとされ、紀州に戻ることを禁じられて十年近くが経っている。
「余は、そろそろ紀伊さまを国元に帰しても良い、と思うていた矢先の事件じゃ。そこで、そのほうに頼むのは、余を襲った浪人どもと紀伊さまが裏で繋がっていたのか、それを調べてもらいたい」
新之輔は思案して言った。
「しかし、一介の浪人者の拙者が、どうやって紀伊さまのお気持ちを探れるのでしょうか」
その問いに対する保科の答えは、冷淡なものだった。
「それは、そなたで考えろ。では、結果を待っているぞ」

別れ際に保科は、一本の脇差を新之輔に差し出した。
「これを持って行け」
錦糸で飾られた袋には、葵の文様があった。
「これは!」
「余が譲り受けたものだが、家康公が使っていたと聞く。余には重すぎるから、そちに与える」
新之輔は「ごめん」と断って、袋から脇差を取りだした。それから、鞘をはらって刀身を見た。刃の輝きから、ひと目で名刀と分かる。刃肉がやや厚く、重量もあることから、実用性を重視して打ち鍛えたようだ。
保科が面白そうに言った。
「これで貸し借り無しだ。もう、命を助けた恩義云々と言って、余に衆道を迫るでないぞ」
脇差より保科の身体のほうが魅力だが、新之輔はすなおに刀を拝領することにした。

新之輔は長屋に戻ると、小壺芳美に保科の依頼のことを話した。
その上で、徳川頼宣がどんな人物なのか、芳美の伝手で分かることを調べてくれと頼んだ。
相手の心を探ろうとするには、まず相手のことを知らなければならない。

それから三日後、芳美はお城医師たちから得た情報を、新之輔に話した。
「徳川頼宣さまは、家康公の十男にあたられます。家康公は晩年、頼宣さまを手元に置き、自ら薫陶を与えて育てられたようです。それだけ、家康公は頼宣さまに期待されておられたのでしょう。
頼宣さまが大坂冬の陣で初陣をかざられたときは、わずか十二歳でした。十四歳で夏の陣を迎えられたとき、ご本人は先陣を希望されましたが、却下されて涙を流して悔しがられた、というような逸話があります」
芳美は一呼吸置いた。
「とにかく、たいへん覇気に富むお人柄のようです。常陸国水戸藩から駿河国駿府藩、そして最後は紀伊国和歌山藩五十万石の藩主になられて、現在に至っておりますが、この十年間、紀伊にはお戻りになっていません。と言うか、戻ることがかないませんでした。
それも慶安の変で謀反の疑いをかけられたのが尾を引いて、多分に松平伊豆守さまのご意向が働いているようです」
新之輔はなんとなく、徳川頼宣という人物を理解した。とくに、出陣の話を聞いて、自分と近いものを感じていた。
そこで芳美に訊いた。
「松平伊豆守のことは、なにか聞いているか」
「耳にしたことがあります。才知に優れているが、人望はいまひとつのようです。とにかく真面目一方のかた、とうかがっています」
新之輔はしばし考えた。これ以上、芳美の線で頼宣のことを調べるのは、限界があるようだ。
(このあとどうするか)
新之輔は顔を上げた。
「頼宣さまのお屋敷はどこにある」
「赤坂です」
芳美は即座に答えた。「とにかくものすごく広いお屋敷のようです」
それを聞いて、新之輔は芳美の身体を抱き寄せた。
「その広さとは、このくらいかな」
言って、医師のやわらかい尻をまさぐった。
「ああっ、おたわむれを」
芳美が弾んだ声をあげた。
(すこし肥えたようだな)
思いながら、医師の胸元をはだけた。白い肌がほんのりと薄紅色に染まっていた。
新之輔はその肌に吸いついた。
「ああっ!」
長屋の昼下がり、老医師の悩ましげな声が湧き立った。
[17/01/19 22:10 神亀]
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