■ ウィタ・セクスアリス(胎動の門) - 第1章 予兆
第1章 予兆
入学式の二日前、ぼくは新幹線から山手線へと乗り継いで上野駅で降り、予約していた宿を探していた。下宿先は決っていたが、荷物が翌日到着する予定だったので、一晩だけ旅館に泊まることにしたのだ。
夕闇が迫るにつれ、風が出てきた。
最前から地図を頼りに目指す宿屋は、なかなか見つからなかった。ぼくは路上から舞い上がる埃を避けるように、コートの襟をかき寄せた。
ようやく探し当てた宿屋は、まだ戦後の古い面影を残す狭い路地にあった。建物自体も周囲の環境に溶け込んで、まるで時代劇にでも出てきそうな古い木造家屋だった。
「でも、相部屋だなんて聞いていませんでしたよ」
宿屋の玄関先で、ぼくは憤慨していた。
物腰の柔らかな中年の親父は、丸っこい体をますます丸めて、申し訳なさそうにぼくのほうを見ながら言った。
「ほんとうにすみません。春のこの時期ですからお客さまが多くて。宿代はお安くします。どうかご勘弁ください」
親父は血色のよい顔を曇らせて、鼻にかかった猫撫で声で言う。それから揉み手をして、へりくだった態度でぼくを見上げた。
今さら他の宿を探すあてもなく、結局、ぼくは承諾するしかなかった。
部屋に案内する親父の後をついて行きながら、ぼくの怒りはまだ納まっていなかった。
目の前で揺れ動く肉づきのよい尻を見ていると、よっぽどその尻を蹴飛ばしてやろうかと思ったくらいだ。
親父は部屋の前で声をかけて、ドアを開けた。
50年配の小男が、下着姿で浴衣の袖に腕を通していた。その客は、相部屋になることを前もって聞いていたのか、リスのような目で素早くぼくを観察し、人懐っこく微笑んだ。
「やあ、大薗です。よろしく」
ぼくは年配者と同室で寝泊まりすることに、なんとなく気後れした。なにしろ実家では、祖父が死んで以来、成人した男性がいなかったからだ。
そんなぼくの思いを知る由もなく、男はタオルを持って部屋を出ていった。廊下をよちよちと歩くその後ろ姿は、幼児のようにあどけなかった。
宿屋の親父は、これで一件落着というように、揉み手をした。
「お客さまもお風呂に入られてはどうですか?今夜は冷え込みますから、ゆっくりと温もってください」
ぼくは親父の勧めにしたがって、風呂場に行った。
浴室は、湯気でもうもうとして薄暗く、そして狭かった。先客は3人いたが、それだけで狭苦しく感じるほどだ。
タイル貼りの浴槽に入ると、冷え切った体に、しびれるような湯の熱さが染み込んできた。ぼくは首までどっぷりと浸かった。
ほどなく、体の芯まで暖かくなって、泥湯に浸り込んだようにのびのびとしてきた。その気分は、風呂場の狭さを差し引いても余りあるほどだ。
一息ついて洗い場を見ると、長身の若者ふたりに挟まれて、大薗と名乗った小男の生白い裸体が目に入った。痩せて浅黒い若者たちの間で、年配者の柔らかみをおびた白い肉体は、一段と目を惹いた。
そのうち、先に洗いおわった若者たちが、立ち上がって湯をかぶった。それにつられたように小男も立ち上がり、一歩下がって片足を椅子にかけ、股間をていねいに洗い出した。
若者たちのモノが、先細りの白ネギやチンチクリンの巻貝に見えて、チビ男のモノは、長大で図太くて、実力者のものうげさでどっしりと垂れさがっている。幼児のように頼りない体の中心部で、これだけは正真正銘のおとなの持ち物だった。それを若者たちより頭ひとつ背の低い年配の男が、なんの驕りもなくぶら下げているのだ。
若者たちもそれに気づいたようだ。彼らはギョッとしたように横を見下ろし、とたんにそそくさと洗い場から出て行った。
ぼくは小男の大きな逸物を見て、少し親近感を覚えた。なにしろぼく自身、持ち物の大きいことに、肩身の狭い思いをしていたからだ。
ぼくは湯船から出て、男の横にそっと腰掛けた。
「やあ、先ほどは」
男の声に、ぼくは横を向いた。
途端、先ほど目にした逸物が、アップで目に入った。
間近に見るそれは、生々しく包皮がめくれ、グロテスクなほど頭部の肉が盛り上がっている。そこから引き剥がすように目をあげると、無邪気な笑顔がぼくを見下ろしていた。
「相部屋のよしみです。背中を流してあげますわ」
男は小さな体を乗り出して、ぼくの目の前から風呂桶と石鹸をとった。そのとき、すばやくぼくの股間に視線を走らせるのに気づいた。
「立派な体格をしてますな」
男はぼくの背中を洗いながら言った。背中に触れる小さな手の感触が、こそばかった。
「なにかスポーツでもしているの?」
「ええ――陸上競技を――」
「どうりで。学生さんなの?」
ぼくは、男のなれなれしい質問に苛立ってきたが、丁寧に答えた。
「明後日、入学式があります」
「へーえ、新入生なんだ。どこから来たの?」
「九州――福岡県です」
「九州男児か。じゃあ初めて親元を離れたんやね?」
「ええ、まあ――」
ぼくはあいまいに答えた。男の指先が脇腹や尻を撫で、ぼくは落ち着かなかった。と同時に、年配者の柔らかい肉体をすぐそばに感じて、心がざわめいていた。
風呂から上がったあと、食堂に行った。そこで、相部屋の男といっしょに食事をする羽目になった。
大薗はすっかり打ち解けた様子で、言葉使いも馴れなれしいものに変わっていた。
彼の話によれば、大阪の製薬会社に勤めるセールスマンで、全国あちこちを飛び回っているらしい。
彼は、もう大人の仲間入りだ、と言ってぼくにビールを勧めた。大薗自身は、さほどアルコールに強くないのか、目元をほんのりと朱に染め、すっかり良い機嫌になっていた。
食事がおわって部屋に戻ると、ふた組みの布団が並べて敷かれている。それだけで狭苦しく感じられた。
「そや、社会勉強のために、いいものを見せてあげる」
大薗は、ぼくに向かっていたずらっぽくウインクすると、部屋の隅に行って、鞄をごそごそとかき回した。それから茶色の封筒を取り出して、布団の上にあぐらをかき、ぼくを手招きした。
封筒には数枚の写真が入っていた。その写真を見たとたん、ぼくはカッと熱くなった。
素っ裸になって交わる男と女。鮮明に映し出された生々しい性器。筋張ったペニスをほおばる女の顔。ぼくは、その時初めてエロ写真を見た。
「どや、おっ立ってきたやろ」
大薗は、露骨にぼくの股間を見た。
ぼくはあわてて浴衣の裾をかき合わせた。
蒲団に入っても、なかなか寝つけなかった。年配者の見せた写真が、目の前でちらついていた。
豆電球にぼんやりと浮かび上がった天井を見上げていると、隣でため息が聞こえた。大薗も寝つけないらしい。
「眠れないのかい?」
年配者が声をかけてきた。
「ええ――」
「そやろな。あんさんには、ちいと刺激が強すぎた」
「――」
「あんさん、童貞かい?」
大薗の唐突な質問に、ぼくは黙っていた。
「答えないところを見ると、どうやら図星のようやな」
大薗が布団の中で、寝返りを打つ気配がした。そっと横をうかがうと、彼は片肘を立てて手のひらで顎をささえ、じっとこちらを見ていた。
「後学のために、いいことを教えてあげる。セックスは、べつに男と女がするとは限らへん。男と男、あるいは女と女の組み合わせもある。ホモなんて、文明の発達した欧米では、日常茶飯事にあることや」
彼は、生徒に対する教師の口調で、とつとつと話し出した。
「それに日本だって古くからある。きみ、織田信長と小姓たちがホモ仲だったって知ってるか?」
「さあ――」
「歴史上、有名な話や。信長だけやない、ほかの武将たちかて、小姓をかわいがっていたんや。だいたい男ちゅうもんは、女遊びに飽いてくると、かわいらしい稚児が良くなるもんや。その文化が花開いたのが江戸時代、陰間が重宝されたんや。浮世絵にもたくさん描かれてる――旦那衆が、若い男の肛門に突っ込んでる絵がね」
年配者の忍び笑いが聞こえてきた。「わしかて、経験したことがあるんや――男の尻に突っ込んだ――」
ぼくはギョッとして横を見た。
年配の男は、面白そうにこちらを見ていた。おむすびを逆さにしたような顔。いたずらっ子のように輝く瞳。眉をひそめると、間のあいた短い眉毛が釣り上がって、かえって無邪気な表情になる。
「もうずいぶん昔になるがね。年上の男やった。あの当時は、ラブオイルやクリームなんて気の利いたのがなかったんで、食用油を使ったな。最初は相手が痛がって、全部入れることが出来へんかった。そのあと、何回か試しているうちに肛門が広がってきて、ついにすっぽりと納めることが出来たんや。あのときは、ほんま感動したなあ」
「――」
「挿入感がすごくいいんや。女よりも締まりがよくって。それに何と言っても、妊娠する心配があらへんからね」
大薗は仰向けになると、頭の下に両腕を組み、天井を見つめながらため息を吐いた。
「相手の男は、いつも女役やった。体つきはふっくらとして、色白で、きめの細かい肌をしていて――それにアレはといえば、ちっこくて、おまけにすっぽりと皮が被っていた。もともと陰間の素質があったんやな」
ぼくは大薗の話を聞いていて、タジタジとなった。一見、生真面目そうな中年男が、異常なことをごく普通に話し、それでいて、まったく恥じ入る様子もない。
その夜、ぼくは夢を見た。
大薗が男と絡みあっていた。ふたりとも素っ裸だった。相手の男は霞がかかったように、姿かたちが定かでない。
男におおいかぶさった大薗のほの暗い股間で、茶色の逸物が隆起していた。大薗は気持ちよさそうに目を細め、ゆったりと可愛らしい尻をうねらせている。
喜悦の吐息、肌のぬくもり、粘膜の滑脱――ぼくはいつしか、大薗と同時体験していた。
次の場面は、薄暗い浴室だった。
年配の男が体を洗っていた。後ろ向きになった男は、白くて丸っこかった。プラスチックの腰掛けから、肉付の良い尻が大きく横にはみ出している。
男の顔は見えなくても、なぜかぼくには分かっていた。宿屋の親父だ。
ぼくは男の背後に近づき、腰を押しつけた。勃起した男根がつるりと入った。つるり、つるり――意外なほど滑らかだった。ぼくは柔らかい体にしがみつき、夢中で腰をうねらせていた。