■ 風の新之輔第三部 - 第三部邂逅(二)
(二)
五人の浪人者を倒した新之輔は、小屋の外から声をかけた。
中で返事がして、木戸が引き開けられた。年配の武士は下帯一枚の姿で、寒さに震えながら屋外の様子を見た。
「襲ってきた五人は切り伏せた。また新手が来るかも知れん。用心したほうがいい」
新之輔は武士に言って、河原に戻ると、倒れた浪人たちの死骸を彼らの乗ってきた舟に乗せ、二隻とも下流に流した。そこで少し考えて、自分たちの舟を引きずって、小屋の横の目立たないところまで運んだ。
日はすでに落ちかけて、あたりは薄闇に包まれている。それに風が出てきた。冷気が押し寄せて、新之輔はブルッと身を震わせた。
小屋に入って鎧を脱いだ。中は風が無いだけましだった。
囲炉裏には薪がくべられていたが、火は燃えていない。火を熾す道具がなかったようだ。
「そのほうがいて、助かった。余は――」
武士が震えながら話しかけてきたが、新之輔は、「話はあとだ」と遮った。とにかく早く暖を取らなければならない。
新之輔は小屋の外に出て、枯草を取ってきた。それを薪の下に入れ、自分の荷物袋から火縄と火打ちの道具をとりだした。
ほどなく枯草に火がつき、焔が薪へと移っていった。それを初老の武士は、まるで手妻でも見ているような目つきで眺めていた。
薪はよく乾燥していたので、勢いよく燃え上がった。赤い炎の暖気がありがたかった。
武士の脱いだ濡れた服は、板の間に置かれていた。
部屋の隅に積み上げられた薪の上に、巻いた縄があった。それを部屋に張り、濡れた服の水気を絞って縄に干した。新之輔が身につけていた下帯もまだ濡れていたので、脱いで同じように干した。
素裸になった新之輔を、初老の武士は目を丸くして見ていたが、自分もおずおずと下帯を解いて、縄にかけた。
囲炉裏の火が安定してきて、部屋の空気を暖めた。炎の色が二人の裸体に反射して、見た目にも暖かい気分になる。
何かないかと小屋の中を見渡していると、隅に鉄瓶と欠けた陶器の茶碗が見つかった。
これはありがたかった。
体は乾いていたので、外の風をしのぐため、新之輔は自分の長衣を身につけた。川に入る前に脱いだので、こちらの着物は濡れていない。
鉄瓶を持って川に行き、水を汲んできた。それを囲炉裏の自在掛けに吊るした。
最後に外の様子を確かめてから板戸を閉め、しっかりと心張棒をした。
これで当面やるべきことは終わった。
新之輔は手拭いを取り出して、年配者の震える身体をごしごしと擦ってやった。背中から胸、形よく丸みをおびた腹や尻を擦っていると、白い肌が薄紅色に染まってきた。
その間、老武士は面映ゆそうな顔をしていたが、新之輔のなすままに身を委ね、じっとしていた。
そのあとふたりは板の間の上がり框に並んで腰掛け、囲炉裏の暖を取りながら初めて挨拶を交わした。
初老の武士は、保科正之と名乗った。髪に白いものが混じり、目鼻立ちに血筋の良さを思わせる気品があるが、どことなく童のような幼さも感じさせた。背はやや低く中肉で、傷の無いきれいな身体をしている。歳を尋ねると、ちょうど五十歳になるという。
囲炉裏に架けた湯が沸いたので、湯呑みに白湯を注いで、保科に飲ませた。年配者はホッとした様子だった。
それでも保科はまだ震えていた。囲炉裏に向けた身体の前は暖を取れても、背中の方が寒いのだ。
すでに十一月も終わりにきて、夜の冷気は厳しかった。寒さに強い新之輔でも、震えあがるほどだった。
新之輔は立ち上がると、保科の身体を背後から抱くようにして、股を開いて腰をおろした。
「な、何をする」
保科は慌てたが、かまわず新之輔は、着物の前をはだけて、年配者の背中と尻に肌を合わせた。
肌と肌が密着して、お互いの体温が伝わった。
「ほら、こうすれば暖かくなります」
背後から年配者の体に腕をまわして、新之輔は声をかけた。
保科は、居心地悪そうに言った。
「たしかに。しかし、男に抱かれるとは――面映ゆいものじゃのう」
「いやならどきますが」
「いや、このままで良い。それにしても――余の尻に当たっているのは、そちのへのこか」
「これは失礼した。つい人肌に催し申した」
「それにしても大きい。茄子でも挟まっているのかと思うたぞ」
「おたわむれを――」
新之輔は、平静を装っていたが、内心は穏やかでなかった。人里離れた小屋に、老武士と二人きりでいるのを意識した。
下腹部に触れる柔らかい尻が、肉欲を刺激した。それに、先ほど男たちと戦ったことで、彼の気持ちはいつになく高ぶっていた。
「あらためて礼を言う。そのほうの助けで、九死に一生を得た思いじゃ」
保科は、ふくらみのある、おっとりとした物言いをした。高い地位にある人物のようだが、その構えない自然な話しぶりは、好感が持てた。そしてまた、保科の肉体に対する欲望が、むらむらと湧き上がってきた。
それを忘れようとして、新之輔は訊いた。
「ところで、襲ってきた男たちは何者でござるか?浪人者のようでしたが」
「それが――思い当たることはあるが、しかとは分からぬ」
保科は口を濁らせた。はっきりとは言いたくないようだ。
「参勤交代とも思えませぬが、保科どのは何をされていたのですか」
「日光に参拝して、江戸へ帰る途中じゃった。今回は余の気まぐれな旅でな、供も五人しか連れていない。どうやら賊は、それを知ったうえで襲ってきたようだ」
少し考えて、新之輔は言った。
「船を三隻も用意していたということは、今回の襲撃は、前もって計画していたと思われます」
「余もそう思う。まあ、今あれこれ憶測しても仕方がない。江戸に戻ってから、調べてみよう」
保科は話を打ち切るように言った。
そこで新之輔は、当面のことを訊いた。
「で、これからどうされますか?」
「ふむ、供の者たちがどうなったか気になるが、栗橋に戻るのは、浪人たちの仲間がおるやも知れんのう」
保科の言葉で新之輔は、栗橋のあたりにいるのを初めて知った。日光街道の宿場町で利根川の渡しがあるところだ。
「となると、中仙道に出て、鴻巣か桶川の宿場に行くほかない」
保科がつぶやくように言った。武蔵の国の地理をよく知っているようだ。
「ここから歩いてどのくらいでござろうか」
新之輔の問いに、保科は少し考えて言った。
「そうよのう、五里(約二十キロメートル弱)はあるじゃろう」
当時は一里を歩くに半刻(一時間)かかるとされていた。それから計算すると、時間にして二刻半(五時間)かかることになる。
新之輔の持つ荷物袋に、干し飯と干し魚、それに梅干があった。二人は分け合って、空腹の足しにした。
腹が落ち着くと、そろそろ横になろうということになった。寝具は何もなかったので、板の上に直接寝るほかなかった。
保科の衣服は、まだ身に着けられるほど乾いていなかった。空気は乾燥しているが、暖気が足りないのだ。
結局、新之輔の衣服を布団代わりにした。袴を下に敷き、長衣と羽織を身体にかぶせて寝た。新之輔は裸になって添い寝するように、年配者の身体を背後から抱いてやった。お互いの体温が伝わりあって、保科は落ち着いたようすだった。
「余は衆道をやらぬが、衆道とはこんなものかのう」
背を向けて横たわる保科が、ぽつりと言った。衆道を知らぬは恥だ、と言っているような口ぶりだった。
「拙者の経験した衆道は、若衆が相手ではござらぬが、もっと気持ちの良いものでござります」
「ほう、若衆でないなら、相手は誰じゃ。もともと衆道とは、若衆道からきていると聞いたが」
「されば男色道とお呼び頂いても結構でござる。ある大寺の和尚は申しておりました。
若い男が年寄りを慰め者にするほうが、人として自然の形であるように思うと。
なぜなら、固い蕾よりこなれた蕾のほうが、太いへのこを受け入れるのに、無理がないからだそうでござる」
それを聞いて、保科が居心地悪そうに尻をずらせた。
「つまり、そのほうは年寄りを相手にしている、と言うのじゃな」
「さよう。拙者が情を寄せるのは、保科どののような年配者でござる」
保科は慌てた。
「それは困る。余にその気はない」
「しかし、命を助けられたという恩義はありますなあ」
新之輔は自分でも驚いたことを言った。それほど、腕に抱く年配者の肉体に対する欲望が、募っていたのだ。
保科がゆっくりとした口ぶりで言った。
「つまりそなたは、助太刀を理由に、余に衆道の相手をしろ、と強要しているのか」
その一言で、新之輔は我に返った。
「これは失礼いたした。忘れてくだされ。ところで保科どのは、お子さまは何人おられる」
保科はしばらく口の中で数えていた。
「今のところ、男が五人――女が八人いたが」
(十三人!)しかも、今のところ、と言うことは、まだ作る気だ。見た目は慎み深く、実直そうな顔をしているが、なんともあきれた好き者である。あの女房三人子供十人の大和須佐之介も、顔負けである。それに、いる、ではなく、いた、と過去のことのように話すのも気になった。
気を取り直して、新之輔は訊いた。
「十三人とはすごい。奥方おひとりでござるか」
「いや、最初の奥は男一人を産んで死んだ。後添えは、九人の子を産んだ。あとは側室どもの子供だ」
保科はこともなげに言った。
「後添えのお方は、お子さまを九人もお産みになって、さぞや大変でございましたでしょう。保科どののご寵愛もひとしおですね」
「――」
保科は黙り込んだ。そしてぽつりと言った。「――女の恐ろしさも知った」
保科の長女、媛姫は、上杉家に嫁していたが、実家に帰ったとき、誤って毒を飲んで急死した。
実は、母親の於万の方が、側室の産んだ摩須姫の嫁ぎ先が前田家に決まったとき、実娘である媛姫の嫁ぎ先より大きい藩であったため、それに嫉妬して摩須姫の暗殺を謀った。
ところが、毒の入った摩須姫のお膳がお付きの者の機転で取り換えられて、媛姫がその毒入り膳を食べて死んだ――といった事の顛末である。
それ以来、保科正之は於万の方を遠ざけていた。