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風の新之輔第二部 - 第二部流浪の旅(十三)
(十三)

碓氷峠を過ぎて以降、黒鉄衆が姿を見せないまま、ふたりは本庄宿の近くまで来た。
本庄宿の外れに小さな御堂があった。前に広場があり、村の祭りや寄合のときに使われる建物のようだ。
「今夜はここに泊まります」と新造は言った。それから新之輔を残して、宿場のほうに歩き去った。
新造が戻ってくるまでに、時間がかかった。ようやく戻って来たとき、新造は風呂敷にかなりの量の荷物を入れていた。
包みを開いて、握り飯と竹筒に入れた味噌汁、それに梅干しや魚の干物などを前に並べた。
「ほう、豪勢な晩飯だ」
喜ぶ新之輔にむかって、新造は静かに言った。
「明日に備え、今宵は力を蓄えていただきます」
新造の様子にいつもと違うものを感じ取って、新之輔は黙って握り飯に手を伸ばした。

食事が終わると、新造は行李から絵図を取りだして広げた。
「江戸が近づいてきました。黒鉄衆は、自分たちの動きを幕府に知られたくない、と考えているでしょう。そこで、江戸に近づかないぎりぎりの所で襲ってくるはずです。おそらくその場所は、ここから深谷あるいは熊谷までの間だと思われます」
新造は絵図を指で辿りながら、説明した。
「そこでわれらは敵の裏をかいて、この地から利根川を下ることにします。先ほど川まで行って、舟の手配を済ませてきました」
新之輔は、これまで疑問に思っていたことを口にした。
「新造、なぜ拙者の手助けをする?」
新造はおもむろに顔を上げて、新之輔をまっすぐに見た。
「あなたさまには欲がございません。ただそれだけのことです」
簡潔に言うと新造は、籐編みの行李から大きさの違う数個の竹筒を取り出し、作業を始めた。
新之輔はこのとき初めて、新造が使用する忍術道具の製法を見た。油紙を開いて灰色の粉を出したのを見て、新之輔は訊いた。
「その粉は何だ?」
「火薬です。これを鉄砂と混ぜて火術に使うのです。ほかに油紙を混ぜたり鉄釘を混ぜたりして、いろんな効果を持たせます。
煙を出したり、火炎を噴き出したり、あるいは――爆発させたりします」
最後の言葉を聞いて、新之輔は思わず後ろに下がった。

翌、明け六つ(六時)、すでに朝餉を済ませた二人は、身支度をしだした。この時期、外はまだ真っ暗だった。
新造は「万が一のこともございますから」と言って、戰支度を勧めた。
新之輔は羽織ばかまの上から、出雲であつらえた皮の鎧を身につけた。もう二度と使うことはあるまいと思っていたが、捨てずに持ってきたことが役立った。
刀は鎧の上から、いつもの背中ではなく腰に差した。
新造が行李から、脚絆と黒い足袋を取りだした。
「新之輔さま、これをお穿き下さい。足袋は足底を補強してありますから、草鞋を穿かなくてすみます」
確かに足袋の底は分厚く、穿いてみると意外にもしっくりと足に馴染んだ。特別誂えなのか、くるぶしの上まで覆う長さだ。それに脚絆を着けると、力が湧き出るような高揚を覚えた。
新之輔は、嘉右衛門から貰った荷物袋を首から斜に背負った。一方、新造は、昨夜用意していた忍術の道具を別の袋に分け、残りは行李に入れて背負子に括りつけた。
支度が整うと、ふたりは薄闇の中、御堂を後にした。

「むっ」
雑木林を抜けたところで、新造が立ちどまった。腰を落とし気味に、まわりの気配をうかがった。
「どうやらこちらの企みを気付かれたようです」
新造はささやいた。
言われる前から、新之輔も気づいていた。気配からすると、敵は相当の数になるだろう。
「この先は葦の茂った草地です。そこを抜けると川に出ます。いいですか、走って切り抜けますよ」
ふたりは左右に分かれて、枯れた葦の中を走った。葦は、背の高い新之輔でも隠れてしまう丈だった。それが行く手を遮って走り辛かった。
それでも新之輔は走り続けた。
ふと気づくと、左横をこげ茶の忍び服を着た男が走っていた。覆面はしていないので、白い髪から見て五十代と思える。
新之輔は走りながら剣の柄に手を置いて、いつでも抜ける状態にした。刀を抜いて打ち込むのは、右を走った方が不利だった。どうしても二呼吸要るし、それでは遅れをとる。
しかしここで止まれば、あとから来る敵の仲間に追いつかれる。
葦の障害物をものともせず、二人の並走はつづいた。男のほうが新之輔より二十歳近くも年上なのに、図抜けた体力だった。
「あっ」
ふいに、地を這う蔓に足を取られた。
(いかん!)思うと同時に、新之輔は剣を抜いて振った。
円弧を描いた剣が、男の頸筋を切り裂いた。一瞬遅れて、男の刀がこちらの胴を払ったが、力を失っていた。
軽く触れたと思えたのに、すさまじい切れ味だった。半ば断たれた男の頸から、鮮血が噴き出していた。そのまま男は前のめりに倒れた。
つまずいたのが幸いした。男が少し前に遠のいて、振り下ろした新之輔の剣が、ちょうど良い距離で相手の頸を薙いだのだ。

空気を切る気配に、新之輔は腰を落とした。
頭上を数本の手裏剣が、唸りをあげて飛び去った。振り返ると、一人の男が忍び刀を逆手に持って、まっすぐに走り寄ってきた。
両者が接近した途端、何かが宙に舞いあがった。なんと、敵は二人いたのだ。一人が捨て身の攻撃をして、その後ろに隠れて走っていたもう一人が、頭上から攻撃する。
走ってきた男の胴を払いながら、新之輔はしまったと思った。同時に二人の攻撃は避けられない。
そのとき、「ぐっ」とくぐもったうめき声をあげて、上の敵が落下してきた。喉に棒手裏剣が突き刺さっていた。

新造が走り寄ってきた。
彼は、先ほど新之輔が倒した白髪の男を一瞥して、小さくつぶやいた。
「千蔵――」
甲賀で忍術の修業をしていたとき、一緒に修行した仲だった。
新造は急いた口調で言った。
「この男は頭領の千蔵です。ということは、黒鉄衆は総力を挙げて、われらを襲ってきているはず。いいですか、新之輔さま。何があっても川まで走って、舟に乗って逃れるのです」
「おぬしはどうする?」
新造はにやりと笑った。
「手前は霞の新造と呼ばれた男。生半可なことで死にやしません。いま仕掛けをしてきました。あとで合流しますから、とにかく新之輔さまは、舟でお逃げください」
そういえば、空は白みかけたのに、あたりは霞がかかったように視界が悪くなってきた。
「これは新造がやったのか」
「そうです。いいですか、まず手前が動いて敵を引きつけます。新之輔さまはここに身を伏せて、しばらくして川に向かってください」
言いながら新造は、腰に紐を巻きつけて、いっぽうの端に木切れを結びつけた。これで、二人が一緒に逃げていくと思わせるのだろう。

大きな輪状に、じわじわと迫ってくる、敵の気配を感じた。十人近くは居るようだ。
ふいに新造が走り出した。
新之輔はその場にじっと伏せていた。靄はますます濃くなってきた。
(いったい新造はどんな仕掛けをしたのか)
疑問に思いながらも、新之輔は全神経を耳に集めた。
聞こえてくるのは葉擦れの音がするだけで、あとは物音ひとつしない。
これが忍びの者の戦いなのだ。
武士の戦いなら、賑やかに声を掛け合ったりして自分を鼓舞するが、こけおどしの役にしかならない。
敵の気配が薄れたと感じ、新之輔は動き出した。
目印となる柳の木は見てとれた。その下あたりに舟を係留しているのだ。

敵に出会わないで、ようやく葦の群生地から抜け出た。そこから川までは、枯れた下草があるだけ。遮蔽となるものは無かった。
新之輔は腰を低くして、丈高い葦のすぐ横を歩いた。
柳の木に近づいたとき、ふと足元に殺気を感じて、新之輔は本能的に跳躍した。
地を這うように白刃が閃き、枯葉を散らして男が現われた。
新之輔は空中で剣を抜き、刃を返して振り下ろした。
刀の峰が男の脳天にめり込み、骨を砕く不気味な音がした。刃を返したのは、硬い頭蓋骨で刃こぼれするのを防いだ、とっさの判断だった。
地に降り立った新之輔の胸に、カッカッと音を立てて二本の手裏剣が突き立った。枯葉の下に潜んでいた、もう一人の男が投げたのだ。
補強した皮の鎧なので、身を傷つけるまでには至っていない。
新之輔は疾風の如く間合いを詰めると、男のわき腹を薙いだ。肉を断ち切る手ごたえがあり、男は声もなく倒れた。
そのまま残心の構えをとって、敵の気配をうかがった。あたりに潜んでいる気配は、もはやなかった。
柳の木に辿り着くと、一艘の平底舟が木の桟橋に繋がれていた。せいぜい三、四人乗れるほどの、小さな舟だった。

新之輔は舟に乗り込む前に、小高い地に立って新造の姿を探した。
ほかは晴れ渡っているのに、茶色の草原だけは靄がかかっていた。その草原に、いく本もの筋が動いていた。よく見ると、一本の筋に向かって何本もの筋が、押し包むように迫っている。
一瞬、加勢に行こうかと思ったが、新造の自信ありそうな言葉を思い出した。今は新造の力量を信じるしかなかった。
(新造、必ず生き延びろよ)
新之輔は舟に乗り込むと、櫂を使って岸から離れた。

突然、ドーンという爆発音がした。
遠く土煙が吹き上がり、人間らしき複数の物体が吹き飛ばされるのが見えた。
新之輔は舟の上に突っ立って、声もなく音のしたほうを見ていた。

                               (第三部につづく)
[17/01/13 14:56 神亀]
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