目 次
大逆転(前編) - (七)誘拐
(七)誘拐

喫茶店を出ると、康太郎は息子と街にでかけた。昌三はパチンコでもやると言って別れたが、彼なりに気をきかせたつもりだろう。
二人はデパートに行って買い物をし、そのあと足を伸ばして、上野公園まで行った。
道すがら、鉄平は父親に買ってもらった腕時計が気になるらしく、しきりに触っていた。それに気づいた父の視線をみて、彼は言い訳した。
「こんな高級時計、身につけたことないから――。落とさないかと、心配になるよ」
「あいつは貧乏なのか?」
「横浜の父さんのこと?貧乏じゃないけど、お金持ちでもないな」
「甲斐性のないやつだ。息子をしあわせにできんとは。わたしは、うなるほど金を持っている」
「だけど――お金があれば幸せになるとは、かぎらないよ」
「――」
康太郎はすこし詰まった。それから息子を横目で見た。「しかしおまえは、背が高いな。何センチあるんだ」
「180センチ、ジャスト。背が高いのは、母さんゆずりだろ」
「確かにな。それに、母親に似てスマートだ」
康太郎はうらめしげに、自分の出っ張った腹を見た。
親子は話をしながら街路をぶらついたが、二人の男たちに尾行されているとは、気づかなかった。康太郎の店に来た男たちだった。
角刈りのほうが、携帯電話を耳に当て、話していた。
「奴は今、上野公園に来ています。――はあ、まだ若い男と一緒です。親子かどうかは確認していませんが、どうやらそのようです。――ええ、分かりました」

康太郎と鉄平は、西郷さんの銅像の前に来た。ここには観光客の団体もいて、たくさんの人でにぎわっていた。
二人は人ごみを避けて、隅のベンチに腰掛けた。
鉄平は前から聞きたいと思っていて、なかなか聞き出せなかったことを、父親に訊いた。
「母さんは、なぜうちを飛び出したの?」
康太郎はびっくりしたように息子を見て、こんどは困ったように顔をそらせた。
「それは――優子のほうで、出ていったのだから――わたしには分からない」
「でも、思い当たることはあるんだろう?原因は、父さんの浮気?」
「違う!」
康太郎は言ったあと、自分の声の大きさに驚いて、あわててまわりを見た。「仕事が忙しかったからかも知れん」
「でも、母さんが家を出るなんて、よっぽどのことがあったのでしょう?仕事が忙しいだけで、家を飛び出すかなあ?」
「優子が何を考えていたか、わたしは知らない」
康太郎は、憮然として言った。「しかし、これだけは言える。わたしは優子に対して、不義理を働いたことは絶対ない」
「ぼくは――絶対という言葉を使う人を、あまり信用してないんだ」
はっきり言って、鉄平は立ちあがった。「ちょっと、トイレに行ってくる」
怒ったようにトイレに向う息子の後姿を見ながら、康太郎はため息をついた。
(難しい年頃の子供と話をするのは、肩が凝るな――)

公衆トイレは混んでいた。入り口の前にできた行列を見て、鉄平は迷った。どこかそのへんの木陰で済ますか――。
そのとき、二人の男に挟まれているのに気づいた。角刈りの男と茶髪の兄ちゃん。見たような顔だった。(たしか親父の店で――)
前に立つ男が、ポケットに突っ込んだ手を少し出した。黒光りする拳銃が、ちらりと見えた。
「黙ってついて来い。声を出したら、横腹に風穴が開くぞ」
「そんなことをしたら――みんなに捕まっちゃうんじゃないかなあ」
鉄平は怖かったが、あえてうそぶいた。
「ボク、なんだったら、試してみるかい」
男は、ニヤリとした。「おれたちは、逃げ足が速いんだぜ」
鉄平は、試してみる勇気が出なかった。冷たく光る男の目を見ていると、あながち脅しだけとは思えない。
黙っていると、後ろの男が彼を小突いた。
「さあ、歩くんだ」
「ちょっと待ってよ。ぼくはおしっこがしたいんだ。歩きながらやったらみんなの注目を浴びちゃうよ。それでもいいの?」
「ちっ」
男は舌打ちして、鉄平の腕をつかむと木陰に連れて行った。
「ほら、ここでやれ」
鉄平は仕方なくズボンの前を開いたが、男たちが見ていると思うと落ち着いてやっておれなかった。
「ちょっと。ぼくのモノを見たい気持ちは分かるけど――そんなに見られていたら、出るものも出ないよ。後ろを向いててよ」
鉄平の言葉に、「バカ、誰がそんなモノ、見たがるか」という声と「ちっ」と舌打ちする音。男たちがすこし後ろに退いた。

鉄平は小便をしながら、なんとか逃げ出す方法は?と考えたが、そのチャンスはやってこなかった。
手にしたモノを打ち振ってズボンに収めると、男たちは両サイドから彼をサンドイッチにして歩き出した。
鉄平は、父親が自分に気づいてくれることを期待したが、すぐにそれも望み薄だと分かった。男たちは逆方向に、彼を連れていったのだ。
駐車場に、黒い大型車が停まっていた。窓ガラスも黒っぽく、室内の様子が見えなかった。鉄平は後ろの座席に押し込められた。角刈りの男が横に座り、茶髪は運転席に座った。
車が動き出すと、横の男が携帯電話をとりだして、電話をかけた。その間も、男は油断なく鉄平を見張っていた。
相手が出ると、男は言った。
「例の若造を捕まえました。どこに連れていきますか?」
電話のむこうが指示を出した。
――堀田の事務所に閉じ込めとけ。それから、松岡に電話して、脅しをかけろ。それと、もうひとつ――堀田には、ガキにちょっかいを出すなと言っておけ。あれは若い男に目がないからな――。
ものの数分。それで電話は切れた。

そのころ松岡康太郎は、いらいらして息子の戻りを待っていた。
(遅すぎる)
彼はトイレまで行ってみた。空き待ちの行列ができていた。しばらく様子を見て、もとの場所に戻った。鉄平は戻っていなかった。
康太郎はふと思った。息子はさっきの会話に怒って、先に帰ってしまったのでは。

鉄平は店にも戻っていなかった。康太郎はきゅうに不安になった。
「鉄平とはぐれただって。なんて間抜けな親父だ」
先に戻っていた河合昌三が、軽蔑したように言った。
「なにおっ、間抜けとはなんだ!鉄平が勝手にいなくなったんだ」
康太郎は、むきになって怒鳴り返した。それを聞き流しながら、昌三は鉄平の携帯に電話した。電源が切られているのか、繋がらなかった。
そのとき店の従業員がやってきて、電話だと言った。
康太郎は事務室に行った。
「もしもし――」
「松岡か?」
聞いたことのある声だった。(今日、店に来た男――)康太郎はとぼけて聞いた。
「そうです。どちらさんですか?」
「誰だっていい。こちらは息子を預かっている」
「なにいっ!」
「息子を返して欲しかったら、キーを持って来い」
「だから、キーは無くなったって言っただろうが」
電話の向こうが、せせら笑った。
「とぼけるのはよせ。息子がどうなってもいいのか?とりあえずは、息子のチンポを切り取って、送ってやろうか」
「やめてくれっ!――ほんとに持ってないんだ。頼む、息子を返してくれ。納得がいかなかったら、わたしが身代わりになる」
「おやじの弛んだケツなんか要るか!その点、息子の方は締まりがよさそうだ」
「やめろっ――息子に手を出すな!」
「それはおまえ次第だ。いいか、キーを探すんだ。見つかったら電話をしろ」
男は番号を告げると、一方的に電話を切った。

事情を聞いて、昌三は声を震わせた。
「なんで、鉄平が――。キーぐらい返してやれよ」
「無いもんは仕方がないだろ」
康太郎は、しょんぼりとして言った。「とにかく警察に届け出よう」
「それはだめだ。そんなことをすれば、鉄平の身が危ない」
「じゃあ、どうすればいいんだ!キーはないんだぞ」
昌三は、しばらく考えた。それから意を決めたように、顔をあげた。
「男に聞いた番号に電話をかけるんだ。キーを持っていくってな」
康太郎が何か言おうとするのを、昌三はさえぎった。
「黙って電話をかけろ。わたしに任せるんだ」
康太郎は電話をかけた。すぐに男の声がした。昌三は受話器に顔を近づけて、耳をすませていた。
「松岡だ」
「キーはあったか?」
「ああ」
「番号は何番だ?」
「――」
康太郎は何のことだと言うように、昌三の顔を見た。昌三がささやき声で言った。
「Bの571――」
「もしもし、Bの571だ」
康太郎は、電話に向って言った。
「Bの571だな。よし、そのキーを持って、新宿駅に来い。東口の改札前だ。わかるな?」
「ああ」
「30分、時間をやる。6時に来るんだ」

電話を切ると康太郎は、昌三の顔をにらみつけた。
「Bの571って、どうして知ってるんだ?」
「ああ、あれは口からでまかせだ」
「なにいっ!おまえ、何考えてるんだ!」
「おれにまかせろ。それより小道具が必要だ。途中で買っていこう」
言ったあと、昌三は謎めいた笑みを浮かべた。
[17/10/23 07:23 神亀]
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