■ 大逆転(前編) - プロローグ
(プロローグ)
星がまたたく夜空とは対照的に、地上では風が吹き荒れていた。それも20階建てのビルの屋上となると、立っておれないほどの強風だ。
男はペントハウスの壁を背に、絶体絶命のピンチをむかえていた。
彼を半円形にとりかこむ男たち――。
アクション映画の主人公なら、こんな状況もさほど深刻なものではない。得意のカンフーで、悪漢どもを叩きのめせばいい。
しかし現実世界は、そうもいかない。小柄な50代の男一人に対し、ごつい体格をした男たち三人。小柄な男が、圧倒的に劣勢なのは明らかだ。その上、男たちの一人が見上げるほどの大男では――。
「それで――」
三人の男たちを従え、真ん中に立つでっぷりと太った初老男が、もったいぶって口を開いた。「ねこばばした金はどこに隠した」
恰幅の良い体つきにしては、妙に柔らかい声だった。
「い、言ったら、おれを殺すんだろう?」
小柄な中年男は、震え声で言った。
太った男は、ネズミを前に舌なめずりする肥った猫のように、にんまりと微笑んだ。
「おれだって仏心はある。金が戻れば、おまえは自由の身だ」
中年男はイヤイヤをするように、顔を左右に振った。
「信じられない。あんたは、敏夫を殺ったじゃないか」
「あれはわたしが殺ったんじゃない」
太った男は、横に突っ立つ大男を、あごで指し示した。「殺ったのは田中だ」
そして声を出して笑った。
話す内容の残酷さにもかかわらず、太った男は可愛らしいほどの風貌をしていた。手足の短いあんこ型の体形――肉付きのよい丸顔に小作りの目鼻立ち。太った初老の天使のように無邪気な顔つきだ。
真顔にもどった男の目が、スッと細められた。本人は、せいぜい凄みを利かせたつもりだろうが、童顔ではさほどの効果がない。
「どうやら、紳士的に聞いても、時間の無駄だな。体に聞いてやるか」
「や、やめてくれーっ!」
中年男は後ずさりして、背後の壁にしがみついた。
ごつい体格の男たちが、ゆっくりと中年男のほうに歩み寄った。彼らの背中に向って、太った男が命令した。
「服を脱がせろ。パンツも靴下も全部だ」
男たちが獲物に襲いかかった。
多勢に無勢、小柄な中年男はなすすべもなく、暴漢たちに押さえつけられた。
太った男は、服を剥ぎ取られる中年男の体を見守った。
(ふむ、結構きれいな体をしてるじゃないか。少し楽しんでもよかったな)
太った男は舌なめずりした。
中年男は一糸まとわぬ素っ裸にされて、コンクリートの床にうずくまった。両腕をすりあわせ、寒そうに震えている。
太った男は、記憶に留めておこうとするように、中年男の裸体を観察した。ほっそりとした腰回り、小さな尻、股間に縮こまったズル剥けの性器。
彼は唾を飲み込んだ。
(やれやれ、もったいないことだ。こんな可愛らしい体が、この世から消えるなんて)
名残惜しそうに中年男の裸体に一瞥をくれると、初老男は大男にむかってあごをしゃくった。
ゴリラのような大男がかがみこんで、中年男の体を無造作に肩の上に担いだ。それから、屋上の端にむかって歩き出した。
「いやだ!やめてくれー」
大男の肩の上で、中年男がじたばたして叫んだが、吹きすさぶ風がその声を掻き消した。
一行は屋上の端に移動した。大男は、中年男を肩に担いだまま手すりを跨ぎ越え、そこで男の体をコンクリート床におろした。
中年男がうずくまって、手すりにしがみついた。
太った男はしゃがみこむと、手すりの隙間越しに生贄を見た。
「どうだ、下の景色を見たいか?」
「いやだ!」
中年男は、はげしく首を横に振った。
「だったら言うんだ。金をどこに隠した?」
「――コインロッカーだ。一週間レンタルの」
とうとう中年男は白状した。
太った男は猫撫で声で、やさしく言った。
「よしよし、いい子だ。それで、どこに預けた?」
「新宿駅――」
言ったあと、中年男はがっくりとうなだれた。
「新宿駅だな。じゃあキーをよこせ」
「ここにはない」
「どこにあるんだ」
「――」
中年男は黙り込んだ。
太った男は、やれやれというように首を振った。それからゆったりと立ちあがると、背後に控える男たちに向って言った。
「この男の服をかき集めろ。靴もすべてだ。キーがないか徹底的に調べるんだ」
二人の男たちが、ペントハウスのほうに歩き去った。
太った男は振りかえると、大男にむかって命令した。
「下の景色をたっぷりと拝ませてやれ」
「いやだー!」
中年男が、手すりにしがみついた。しかし彼の抵抗など、無に等しかった。
大男は、中年男の両手を手すりからもぎ取るように外すと、小柄な体を抱えあげ、逆さにしてパラペットの外にぶらさげた。
抵抗する中年男の動きが静止した。彼にも、自分がもがけば、かえって危険性が高まると分かったからだ。なにしろ彼の体は、足首を掴む大男の腕一本で支えられていた。
はるかかなた、80メートル下で、街路灯のあかりが冷たく舗道を照らしている。
中年男はゾッとした。心臓が喉もとまでせり上がってくる。彼の耳に、太った男の声が聞こえてきた。
「どうだ。キーがどこにあるか、話す気になったか。早くしないと、田中の手がしびれるぞ」
「バーのマスターに預けた」
「なんて店だ」
「――ダディ」
「聞こえん!もっと大きな声で言え」
「ダディだ!池袋にある」
「それで、マスターの名は?」
「みんなは、クニさんと呼んでいる」
質問がとぎれて、大男がボスの顔を見た。
太った男が小さくうなずいた。
とたん、中年男の足首を握る指が開いた。
「ぎゃーっ――」
絶叫があがり、急速に遠のいていった。
「どうした、田中?手がしびれたのか?」
太った男がのんびりと訊いた。
二人は顔を見合わせ、にんまりと笑った。その背後では、戻ってきた男たちが、無表情な顔をして突っ立っていた。