目 次
風の新之輔第二部 - 第二部流浪の旅(十一)
(十一)

赤壁の家に到着した新造は、先に出た新之輔がまだ来ていないことを知って心配した。
(道に迷ったのだろうか?)
ここまで一本道だし目立つ赤壁の家だ、迷うことは無いだろう。
――では何があったのか?
引き返して探そうと屋敷を出たところで、向こうからやって来る新之輔の姿に気づいた。
新之輔は傷を負っていた。すぐ家に入れて背中の傷を診た。
幸い苦無には毒を仕込んでおらず、傷も深刻なものではなかった。その上、どこで覚えたのか、新之輔は消毒と止血効果のある野草を採取して、応急の処置をしていた。
傷口をきれいにして塗薬を施したあと、新造は油紙に包んだ粉末の薬を取りだした。
「おそらく今夜は熱が出ると思います。そのときはこの薬を水と共に飲んでください」
治療を終えたあと、新造は外出の身支度をしだした。
「手前はまだ用事が残っております。おそらく今夜は遅くなるでしょう。新之輔さま、どうぞ先にお休みください」
新之輔はうなずいただけで、新造が部屋を出て行くのを黙って見送った。

新造は沓掛宿へと後戻りした。見た目は歩いているようだが、前を行く人たちを次から次へと追い抜いていく。
新之輔の話を聞いて、虎三たちの予想外に早い攻撃に驚いていた。彼らはこちらの動向をずっと見張っていて、新之輔がひとりになったところを狙ったのであろう。
(同時にあのふたりを相手にして、はたして勝てるか?)
虎三と小夜太を思い浮かべると、いまひとつ自信が無かった。すでに老境に入った自分に対して、相手は気力に満ち溢れた若い男たちだ。持久戦になれば、ますます不利になるだろう。
唯一の利点は、彼らが新之輔によって、手負いとなっていることだ。しかしそれも、忍者が相手の場合、あまり有利にならない。忍者は苦痛を消す術を知っているし、金創にも慣れている。
あとは、不意を突くしかない。
ふたりは、とりあえずどこかに身を潜めて、傷の手当てをしているだろう。気力を充実させて、ふたたび新之輔を襲う算段をするはずだ。
その束の間の休息が、付け入る隙だった。

新之輔に聞いた納屋に辿り着くと、まわりの地形を見て、沢伝いに山の奥に入って行った。
忍者は足跡を残さないというが、熟練の忍びの目で見れば、わずかな痕跡も逃さない。
裏返った小石、折れた小枝、踏まれた草花。それらを辿りながら、新造は影のように沢を駆けのぼった。
やがて高さ二丈(約六メートル)ほどの滝に出た。細い水が流れ落ちて、下は小さな池ほどの滝壺となっている。水の中に一尺ほどの魚が数匹、見て取れた。周囲は切り立つ崖になっていて、どうやら行き止まりになっているようだ。
新造は慎重に滝壺のまわりを調べた。上部が平らになった大岩にほんの僅か血痕を認めた。おそらく新之輔に切られた傷の手当をしたのであろう。
滝壺の淵を調べていると、水に入った形跡を見つけた。
(ふむ、食料を手に入れたか)
水の中の魚影を見て、新造はうなずいた。
(どこかで野宿をするつもりだな)
周囲の崖を調べていて、よじ登った跡を見つけた。岩肌についた苔が数カ所剥がれている。新造は二丈の高さを眺め、進路を見定めると、岩に手をかけて登り始めた。

崖の上に着くと、すぐ先はブナの高木が生い茂る森林に続いていた。地面は一面、熊笹と枯葉で覆われている。このまま先に進もうとすれば、葉擦れの音は消すことができない。それに深い下草は、足挟みなどの罠を仕掛けるに恰好の場所と思えた。
新造は森に入ると、慎重に歩を進めた。
あたりはすでに宵闇に包まれ、ただでさえ薄暗い森林は、樹木の形も定かに見えない。
ほどなく新造の鋭敏な鼻に、微かな匂いが漂ってきた。
魚を焼く匂いだ。
新造は近くにあったブナの大木によじ登った。
それまで見えなかったものが見えてきた。焚火の焔だ。いくら周りに石を積んでいても、上から見れば隠すことはできない。
森の中の目標を定めると、新造は枝を蹴って、隣の木に飛び移った。そのまま木伝いに、上空を移動した。

二人の忍者は半裸になって、樫の巨木の下で絡み合っていた。
石積みに囲まれた熾火が、下の様子をまざまざと浮かび上がらせている。虎三の腹と小夜太の右の太ももには、白い晒しが巻かれているが、そんな傷を忘れようとするかのように、激しく交わっていた。
夜になって厳しさを増した冷気の中、激しく触れ合う身体から、湯気が立つほどの熱気だった。
新造は樫の大枝の暗がりから、二人の行為を冷静に見下ろしていた。
小夜太は太い木の根っこにしがみついて、それを虎三が背後から執拗に責め立てている。
この格好なら、木の上からの攻撃もやりやすい。
しかし新造は慎重に様子を見守って、機をうかがった。
男色は、攻めるほうが悦楽も深い。募る快感に我を忘れて、そこに隙も生じる。しかし、受けるほうは、たとえ精神的な快楽を得ても、我を忘れるほどではない。
受けを経験している新造は、そのことをじゅうぶん理解していた。だから彼が警戒するのは、小夜太のほうだった。
出来れば生かして、彼らから黒鉄衆の情報を引き出したかった。しかし、彼らを生きたまま捕えるのは、至難の業だ。逆にこちらが危ない。しかも、生け捕りに出来たとしても、忍者の口を割らせるのは不可能に近い。
(やはり殺すしかないか)
新造は心を決めた。

小夜太は虎三の激しい攻撃を受けながらも、胸中は怒りに震えていた。
(くそっ、あんな浪人者に不覚を取るとは。おのれ見ておれ。今度会う時は、細切れに切り刻んでやる)
その怒りが、いつもの警戒心を忘れさせていた。身体の中で、虎三の男が耐え切れずに、大きく膨らむ。
(ああ、虎三さま、思い切り弾けて!)

新造は刀の柄を両手で握ると、ふっと木の枝から飛び降りた。
闇の中、黒い影が落下した。
刀は狙い違わず虎三の背骨の脇を抜け、下にいる小夜太の肺を貫いた。
ふたりは一本の刀によって大地に縫い付けられたまま、断末魔の痙攣をくり返した。
やがて、ピクリとも動かなくなった。

――**――

朝、目覚めたとき、背中の傷がズキリと疼いた。一瞬、新之輔は眉をひそめたが、痛みを感じるのは直っている証拠だ、と良いほうに考えた。
隣の床には新造が戻っていた。昨夜よほど遅かったのか、ぐっすりと寝入っている。
新之輔はそっと起き上がって、手早く身づくろいすると、剣を持って表に行った。
「お早うございます」
朝餉の支度で立ち働いていた家人たちが、明るい声で挨拶した。
庭の井戸に行って、顔を洗った。冷たい水が気持ちを引き締める。
珍しい赤壁の屋敷に合わせたように、宏大な敷地を赤土の塀が囲っていた。植樹された柿や栗の木が遠くに見え、手前のほうは賄いの菜にする野菜類の畑がある。
新之輔は、塀際の開けたところに行って、刀を鞘から抜いた。昨日、人を切ったが、切るというよりは打ち叩いた感覚が強かった。それだけ切れ味が悪いということだ。
刀身は灰青色の鈍い光を放って、刃こぼれひとつしていない。
上段に構えて、振り下ろしてみた。とたん、ズキッときた背中の痛みに、思わずひるんだ。やはりまだ、剣を振るのは無理のようだ。

「朝早くから、ご精が出ますね」
声をかけられて振り向いた。
家の主、嘉右衛門が、客人らしき品の良い老人を伴って立っていた。
「こちらは熊野宮の円窓さまです。これからわたしは、円窓さまと一緒に熊野宮まで出かけて参ります。家の者には伝えておりますので、どうぞ風間さまは傷が癒えるまで、ごゆっくりと滞在してください」
まったくの偶然だった。こんなところで、妙窓の弟に会えるとは。
円窓は歳の頃、六十代前半、兄に似て端正な顔と小柄な身体つきをしていたが、身の配りは武芸者と共通したものを感じさせる。
「では、お言葉に甘えてお世話になります」
新之輔は刀を鞘に納めて、嘉右衛門に向かって頭をさげると、つぎに円窓に向き直った。
「風間新之輔でござる。永平寺にいる貴殿の兄上、妙窓どのには、ひとかたならぬ世話になり申した。そのとき、貴殿のことも聞いている」
円窓はわずかに驚いた表情を見せたが、その目は新之輔の持つ剣に向けられていた。
「ちょっと拝見してもよろしいですかな」
剣を渡すと、円窓は鞘から抜いた刀身をまっすぐに立てて、じっくりと見入った。それから、独り言のように言った。
「これは珍しい剣でございますな。三つの機能が、明確に形作られております。
切る――突く――叩く。剣を打った者の独創的な才能を感じます。それに叩き上げた鋼は、見事なものです。――ただし、仕上げの研ぎが、入れられておりませぬ」
円窓は、新之輔の顔をまっすぐに見た。
「刀鍛冶師として、久しぶりに血の騒ぐ逸物を目にしました。どうでしょう、二日ほどわたしに預けていただけませぬか。わたしに仕上げの研ぎをさせてください」
預けている間、昨日のような敵に襲われたら、という思いがよぎったが、新之輔はあっさりと了承した。
「分かり申した。ではお願いいたす。いずれにしろ、熊野宮には参拝に行くつもりですから、そのとき剣を引き取りに参ります」

嘉右衛門の屋敷には、三日間世話になった。
新之輔の背中の傷は、新造の手当てした塗り薬の効き目もあって、痛みを感じないほどに癒えていた。
出立する前の晩のことだった。
「すべてをお話いたします」
就寝前に、新造は改まった口調で言った。
「手前は首藤宗定さまの命を受け、あなたさまに近づきました――」
新造は最初からの経緯を、正直に話した。そして自分が里の者であることや、昌造の弟であることも白状した。
話し終ると、新之輔は驚いた表情も見せず、ぽつりと言った。
「そうではないかと思うておった」
「どういうことでございましょうか。手前の素性でしょうか。それとも、手前が羽室のご前に繋がっていることでしょうか」
「そのどちらもだ。とくに、おぬしが忍びの者だろうと思ったのは、最初に会ったその夜のことだ」
新造はなんとも情けない顔をしたが、黙っていた。
新之輔は説明した。
「あの夜、拙者は寝ているそなたに向けて、剣気を送った。そなたは一瞬、身を固めたであろう」
「霞の新造と言われた手前も、形無しですね」
「そう嘆くな。拙者もまんざら馬鹿ではないと言うことだ。ところで黒鉄衆が動き出したのは、誰の命令だ」
新造は思案しながら言った。
「おそらく、お上か、あるいは国家老の命令だと思われます」
「だったら、同じことだろう」
「同じとは限りません。国家老の長尾将左衛門は、羽室のご前に近い人ですから」
「なにっ。ではご前が命令した可能性もあるのか」
「それも分かりません。あるいは家老の独断かも知れません」
新造は答えながら、円想寺で羽室のご前が自分に言った言葉を思い出していた。
(――もし新之輔が頼宗の命を狙っていると分かれば、かまわぬ、新之輔を切れ。これもすべて海滑藩のためだ――)
新造は、新之輔の顔をうかがいながら、おもむろに言った。
「新之輔さまと一緒に逃げた小壺芳美は、江戸にいます」
「なにっ!」
「浅草寺の近くにある、あさがお横町という長屋で、町医師をやっております」
懐かしい老医師の顔が浮かんだ。と同時に、無性に会いたくなった。
その新之輔の顔を見ながら、新造は得心した。
(やはりふたりは、情を交わしていたか――)そして、新之輔が次に向かうのは、江戸であることを確信した。
新之輔は新たに湧いた不安を覚えながら、新造に訊いた。
「小壺芳美が江戸にいることを、藩の者は知っているのか?」
新造は考えながら答えた。
「手前は里の者に聞きましたので、羽室のご前はご存じだと思います。しかし、藩の者が知っているかどうかは――」あとの言葉は濁した。
新之輔は腕を組んで、考え込んだ。
[17/01/11 22:42 神亀]
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