■ 風の新之輔第二部 - 第二部流浪の旅(十)
(十)
新之輔と新造は、小諸を出て追分宿に着いた。ここは北国街道が中仙道と合流するところであった。
ふたりは、茶屋に入って、小諸の宿で用意してもらった握り飯を食べた。
茶を飲みながら新造が言った。
「今日は沓掛を抜けて軽井沢まで行きます。ただ、手前は別に寄るところがありますから、新之輔さまおひとりで軽井沢に向かわれてください。手前も追っ付け参りますから」
新之輔は深く理由を聞かず、あっさりと了承した。
「そうか。じゃあ馬の世話はそのほうに頼む。馬の背に積んである荷物もな。拙者は身軽にのんびりと参る」
「軽井沢宿の少し手前に、赤壁の家がございます。手前はその住人と、少し縁がございます。主人は嘉右衛門と申す年寄りですが、手前の名前を出して、そこでお待ちください。今宵はそこに泊まります」
「赤壁の家、嘉右衛門だな。あい分かった」
新造は、新之輔が歩き去るのを見届けると、いままでいた茶屋の裏手に行った。そこに店の親父がやってきた。
新造は、小諸での昨夜のできごとをざっと話して、親父に訊いた。
「黒鉄衆の動きはあるのか」
「そういえば二日ほど前、年配の男が店に寄りました。旅商人の身なりをしていましたが、忍びの者と見ました。それに前後して店にやってきた、五、六人ほどの男たちも気に掛かります。皆それぞれに違う風体をしていましたが、普通の旅人とも思えませぬ」
「その男たちはどちらに向かった?」
「江戸のほうに向かっているようでした」
(ふむ)新造は思案した。もしもそれほどの人数が黒鉄衆とすると、これは海滑藩も相当の決意で臨んでいるようだ。
命令したのは、藩主の首藤頼宗か、国家老の長尾将左衛門か。
首藤頼宗は癇の強い男だと聞く。そういう男は始末が悪い。どういう無理難題も、言いだしたらきかぬからだ。
(虎三と小夜太と言ったか、あのふたり、場合によってはこちらから仕掛けねばならぬか)
その頃――虎三と小夜太に対してある命が下っていたが、新造は知る由もなかった。
中仙道は峠道が多く、全体を通して、人馬の往来が困難だった。その理由もあって、参勤交代の大名も、大半は東海道を利用し、中仙道を使うのは限られた大名だった。しかし、反面、往来が少ない上に大河も無く、川の氾濫に伴う渋滞がない利点があった。
新之輔はゆったりとした足取りで街道を歩いていた。
荷を積む馬車や道を行きかう人々は、北国街道より多い。冬の日差しとはいえ、天気も良かったので、少し浮いた気分になる。
軒先に草鞋をぶら下げた家があったので、寄って新しい草鞋に買い替えた。
沓掛宿を通り過ぎて、人通りの少ない山村地帯を歩いているときだった。百姓らしき中年の男が、息せき切って新之輔のほうにやってきた。
「ああ――助けてください」
そこで息を切らせて、新之輔の足元にくずおれた。
「これ、しっかりしろ。何があった」
「娘が――サヨが」
「娘子がどうしたって?」
「米蔵が包丁で脅して連れて行きました。納屋に閉じ籠って――ああ、今頃は」
男は胸をあえがせた。
「落ち着け。その米蔵という男は何者だ」
「村の若い衆です。サヨに懸想したようで」
「よし、そこへ連れて行け」
男をうながして、新之輔は先を急いだ。村の外れに農作物を収める納屋があった。男は震える手で指さした。
「あの小屋です」
「よし。お前は離れていろ」
新之輔は背中の剣を鞘ごと外して、左手に持ち替えた。それから足音を忍ばせて納屋に近づくと、板戸の端に手をかけた。
どうせ心張棒でもしているのだろう、と思って力を加えると、板戸は難なく横に滑った。
内部の薄闇に目が慣れると、板戸を全開した。
米蔵という若い男はいなかった。部屋の隅に藁が散乱し、粗末な衣服を着た女が、むこう向きに横たわっていた。
(遅かったか)
一瞬、九つのときの悪夢が蘇った。――男たちに蹂躙される母と姉の姿。その思いを振り払って、新之輔は娘に歩み寄った。
「これ、娘子、しっかりいたせ」
膝をついて娘の肩に手を触れようとした刹那、ふいに湧いた殺気を感じて、背後に飛びすさった。
白刃が薄闇にひらめいた。
「なにをするっ!」
叫んだ新之輔は、娘の顔を見て口を閉ざした。女のような顔をしているが、若い男の顔だった。匕首を手にしている。鋭い目つきに、鍛え抜かれた力を感じた。
(――罠か)
新之輔は鯉口を切り、柄に右手をかけたが、まだ刀を抜かなかった。
「ふっ、わたしの一撃をかわすとは大したものです」
言葉の割には、若い男はたいして感心していないようだ。むしろ、新之輔の気を逸らそうとしているかのようだった。
ふいに頭上で起こった風の動きに、新之輔は横跳びした。
と同時に、黒い塊が上から落ちてきた。その両手に短い刀が逆手に握られている。一瞬の遅れがあったら、その刀は新之輔の脳天から貫き通していたことだろう。
「ちっ」
新たに現われた黒装束の男は、舌打ちすると、逆手に持った刀を右わきに構えた。背は新之輔より低いが、がっしりした身体つきをしている。覆面から覗く顔は、左目がつぶれていた。
「ほう、忍びの者か」
男の構えを見て、新之輔はつぶやいた。「拙者を風間新之輔と知って、罠をかけたか」
もとより男の返事は期待していなかった。新之輔はふたりの男たちとの間合いを測りながら、冷静に考えた。
男たちは忍刀と呼ばれる短い剣を武器にしている。対する新之輔は二尺七寸の長刀だ。狭い小屋の中では不利だった。へたをすると、柱や梁に刃を食いこませて、身動きが取れなくなる。
「いやあっ!」
裂ぱくの気合を込めて、新之輔は抜き打ちに片目の男の胴を薙いだ。予期していたように、男が背後に飛び退る。それに構わず身体を回転させながら、こんどは若い男のほうに刀を振るった。
そして間髪を入れず、頭から外に飛び出した。
目の端に、先ほど新之輔を案内してきた中年男の姿をとらえた。その手に抜身の白刃がひらめいた。
新之輔は一回転して立ち上がると、袈裟懸けに中年男にむけて切り下げた。手ごたえがあった。男の頸根から鮮血が噴きあがった。
「藤太っ!」
納屋から出てきた黒装束が、仰向けに倒れる仲間を見て叫んだ。
新之輔は、もうひとりの男が納屋から出てくるより先に、攻撃に出た。
足を素早く送りながら上段から切り下して、すかさず横一文字に払った。男は余裕を持ってかわした――と見えたが、剣先が予想外に伸びた。腹部の布地が裂け、下にまとう鎖帷子(くさりかたびら)が露わになった。その鎖も何本か断ち切られている。
男は一瞬とまどった表情を浮かべたが、すかさず反撃に出た。
男が手を振ると、苦無が斜め一列に飛んできた。
かろうじて横跳びに避けると、こんどは鉄の鎖が伸びてきた。あとから出てきた若い男の攻撃だった。
息つく間もなく跳びさがると、分銅が足の間の地面にドスンと食い込んだ。
ふたりの男たちは一呼吸おいて、新之輔を挟むようにじりじりと位置を移動した。体格の良い方は、覆面を脱ぎ捨て顔をあらわにしていた。切られた腹に血が滲んでいたが、それを全く意に介さないようだ。
その姿には、先ほどまでの油断が消え、殺気があふれていた。
新之輔はふたりに対峙しながら、次の行動を探っていた。子供の頃より野山で昌造爺に鍛えられていたが、それが自然に、忍法に対抗する術を身に着けていたようだ。
(爺も忍びの者だったか)
そのときになって初めて、新之輔は、昌造の本当の姿に思い至った。
新之輔はふたりに声をかけた。
「名前を聞かせてもらおうか」
年かさのほうがニヤリとした。
「お前に名乗る義理は無いが、冥土の土産に教えよう。おれは虎三」
それから若いほうを見た。「そしてこちらは小夜太――」
男が話す途中で、新之輔は地を蹴って走った。虎三とすれ違いざま、左わき腹を薙いだ。手応えがあったが充分でない。鎖帷子を切り裂いたが、肉体の傷は浅いようだ。やはり研いでいない刃は、切れ味が鈍かった。
横跳びして距離を取った虎三が、苦痛に顔をしかめて叫んだ。
「卑怯!」
「戦いに卑怯などあるか。生き残ってこそ勝者だ」
間合いに入れば、口を利いてはならない。口を開けば隙に繋がる――。爺から再三教えられた戦いの鉄則だった。
虎三に対して間合いを詰めたとき、横から風を切る音を感じ、思わず頭を反らした。顔のすぐ前を分銅が通り過ぎた。
と同時に、体勢を取り戻した虎三が、苦無を投げた。
それを避けきれず、刀で弾いた。苦無の一本が右腕をかすめた。
横に伸びた刀に、小夜太の鎖が絡まった。
すかさず刀に巻きついた鎖が引かれ、目の端に虎三が数本の苦無を手にするのが見えた。
絶体絶命だった。
新之輔は引かれる力を利用して、思い切って小夜太のほうに跳んだ。
苦無を背後にかわしながら、緩んだ鎖から刀を引きぬき、小夜太に切りかかった。
小夜太が背後にとんぼ返りをうって退く。
なおも新之輔が肉薄すると、背中に激痛が走った。虎三の苦無が突き刺さったのだ。
その苦痛を無視して、刀を水平に払った。
小夜太が大きく跳躍して、柿の木の枝に飛びついた。
すかさずその後を追って、新之輔の大きな身体が舞い上がった。
「なにっ!」
小夜太は驚愕の表情を浮かべた。まさか新之輔に、忍者のような跳躍力があるとは思っていなかったのだ。
小夜太の右の腿を、新之輔の刃先が切り裂いた。
たまらず小夜太の小柄な身体が、地面に落下した。
「小夜太っ!」
虎三が悲痛な叫びをあげた。右手に苦無を持っているが、すぐに投げないところを見ると、手持ちがなくなったようだ。
「どうする、このまま続けると、お前の相棒は血を失って死ぬ」
新之輔は虎三に向かって言った。苦無の食い込んだ背中が、焼けるように痛い。おそらく骨まで達しているのだろう。
「いいだろう。お前が引くなら、こちらも引く」
虎三がくやしそうに言った。