■ グランパラダイスU(前編) - (4)
(4)
鬼律忠司と僕野無有民が、町屋にある忠司の家で同棲を始めて、2年半が経つ。
現在、忠司が68歳、無有民が70歳になる。
二人が付き合いだしたのは、それぞれに元カレと別れたときだった。
忠司は、同じ高校教師ОBの大様坊也と付き合っていたが、その坊也が20歳年下の男になびいたのが、別れた原因だった。いわば坊也に振られた形だ。
いっぽう、無有民はサディストの男にいじめぬかれた末、別れることを決意した。別れ話ではさんざん揉めたが、忠司の旧友、仲間篤志のおかげで解決した。
二人は年金の収入とそこそこの蓄えはあったので、普通に生活するには困らなかった。
しかし忠司には夢があった。彼は海外の文学小説を読むのが好きで、感銘を受けた小説にゆかりの地を訪れてみたかった。ヘミングウェイの『老人と海』の舞台キューバ、ゲーテの『イタリア紀行』のイタリア各地、等々。
それを実現させるため、忠司は元英語教師という経歴を生かして、都の関連団体で非常勤の仕事をしている。そして無有民も、警備員その他のパート仕事をして、忠司の手助けをしようとした。
そんな苦労の甲斐あって、昨年の6月、二人はカナダのプリンスエドワード島に行った。
最初の旅行の地をカナダにしたのは、特別な理由があるわけではなかった。二人がよく訪れるフケ専ゲイのホームページに、カナダ在住の日本人(あるいは日系人)のエッセイが連日載っていて、カナダ旅行もいいなと思ったのだ。
プリンスエドワード島といえば、『赤毛のアン』のキャベンディッシュである。北海道の雰囲気に似て、赤土が特徴的な地だった。
そして、本で読んだままの風景と家屋が連なっていた。アンの家、『グリーン・ゲイブルス・ハウス』を訪れ、その裏手にある『恋人の小径』を歩いた。小径はひっそりとした風情で、ゆるやかな傾斜の赤い道が続いていた。
二人は前後に人がいないのを確かめて、そっと手を繋いで歩いた。海外で味わう、ロマンチックなひとときだった。
――◇――
「また肥ったか――」
スポーツジムの体重計に乗った仲間篤志は、つぶやいた。
寒いこの時期、ジムに来るのは滞りがちになる。それでも、いったん温水プールに入ると、のびのびとした気分になる。
水の中で休憩していると、例の小柄な老人が潜水して、篤志の股間に顔をくっつけてくる。それから立ち上がって、悪い、というように肩をすくめて、歩行用プールのほうに歩き去る。もうすっかり慣れっこになっているので、いわば儀式のようなものだ。
軽く30分ほど泳いで、ジムを出た。
運転手の大木奈が車を寄せて、篤志を迎え入れる。ジムにいる間、運転手を待たせるのは心苦しいが、冬場、外を歩くのは危険だと言って、大木奈は帰ろうとしない。
その日は、グランパラダイスの前で運転手と別れた。
店に入ると久しいことに、高校時代のクラスメートだった鬼律忠司とその相方、僕野無有民がいた。
「よう、結婚式ではお疲れさん」
忠司に声をかけると、二人が仲良く挨拶を返した。
篤志の知る鬼律忠司は、几帳面で何事もきちんとしていなければ気が済まない男である。いっぽう無有民は、体の大きい癒し系の老人だが、気が弱くてちょっと抜けているところがある。そんな二人が同棲を続けているのは、不思議な気がした。
だが、少し考えてみれば、それも有りかと思う。人間にはどこか弱い部分があって、それを埋め合うのは、なにも聖人でなくてもできる。
それでも二人を見ていると、無有民のほうが尽くして、忠司のほうが威張っているように感じられる。
篤志はふと、忠と一緒に見た洋画を思い浮かべた。ウォルト・ディズニー映画の『ベイマックス』。人間ヒロと、ベイマックスというロボットの交流を描いた物語だ。
ベイマックスは「傷ついた人の心と体を守る」使命を持ったケアロボットである。映画は少しアクションシーンが多すぎると思ったが、無機質であるロボットの人間的要素に、ホロリとした。
その、ふんわかとした丸っこいベイマックスと無有民のイメージが、篤志には重なって見えるのだ。
無有民がトイレに行って忠司ひとりになったとき、そんな思いがつい口をついて出た。
「ターさん、もう少しムーちゃんを大事にしてやったほうがいいぞ」
「アッちゃん、わたしだって68歳になるんだ。もう若い頃の元気なんてないよ」
「そっちのほうじゃない。アレをやらなくても、言葉が大事なんだ。たまには褒めてやったりしたら」
「アッちゃんをお手本にして?」
「べつにわたしの真似をしなくていいけど。精力を使うわけじゃないから、言葉なんていくらでも使えるだろう」
「じゃあ、聞くけど、その言葉に実はあるの?」
めずらしく忠司が喰いついてきた。
カウンターの奥から、洋児の声が聞こえた。
「会長の場合は、いつも口先だけやけん」
篤志がマスターをにらんだ。
「お前、そんな憎たれ口たたいていると、みんなで輪姦(まわ)すぞ」
すかさず洋児も言い返した。
「ああー、およそ大会社の会長がゆう言葉やなか」
そのときひとりの老人が、ふらりと店に入ってきた。
大様坊也だった。忠司の元相方だ。
篤志を間にして、忠司と坊也はちらりと視線を交わし、久しぶりの親しみを込めた挨拶をした。
縁が無くなれば、手のひらを返したように礼を失する人間が多い中、二人とも社会人の品性は保っているようだ。人の本質など、こんなときに現れるのだろう。
篤志は坊也に、横のあいた席を勧めた。
坊也は、焼酎の湯割りを頼んだ。マスターが湯割りのコップと、突き出しのキュウリの漬物を出した。
焼酎をちびちびと飲む坊也に、篤志は話しかけた。
「今日はおひとり?」
「ええ、まあ――」
坊也は歯切れの悪い返事をした。なんとなく会話が続かなかった。
途中で、忠司と無有民が「お先に」と言って店を出た。そのとき、名残惜しそうに忠司の後姿を見る、坊也に気付いた。
篤志は以前、忠司に聞いていた。坊也に20歳年下の恋男が出来たから別れた、と。そして、おそらく坊也は新しい恋男と長続きしないだろう、とも言っていた。
今の坊也の様子を見れば、忠司の予想は当たっているのだろう。
篤志は思わず訊いていた。
「若い男とは別れたの?」
坊也は驚いた表情で篤志を見たが、素直にうなずいた。
篤志はもうひとつ、突っ込んだことを訊いた。
「今でもターさんが好きなの?」
今は亡き小林桂樹に似た、甘い顔がゆがんだ。みるみる大粒の涙がこぼれ落ち始める。
篤志はまずいなと思った。
忠司と無有民は今、幸せな生活を送っている。そこに坊也が縒りを戻そうとすれば、どうなることか分からない。
なにしろ坊也は、見栄えも性格も、男好きの男を惹きつける魅力がある。
甘さを含んだ顔、大柄だが癒し系の体つき、子供のように純粋で思わず庇護したくなる性格。あの忠司だって、坊也が歩み寄ってくれば、心変わりする可能性は充分にある。
こんなとき、以前の篤志だったら、迷わず坊也を2階の控室に連れて行って、心ゆくまで慰めてやっただろう。
しかし今はまずい。篤志の浮気性について、グランパラダイスでとかく話題になっているときだ。現に今だって、カウンターの奥からマスターが、意地の悪い目つきでこちらを見ている。
篤志は、坊也の大きな体をぐっと抱きしめてやる衝動を、かろうじてこらえた。
――◇――
その大様坊也に恋人が出来た。相手は53歳、地味剛士という盆栽職人だ。
実は、二人の仲をとりもったのは、仲間篤志だった。
篤志は地味をよく知っていた。中肉中背、一見したところは目立たない、ごく普通の人物と思われるが、若い頃はやんちゃして警察沙汰にもなったことがある。
それをちょっとした経緯で篤志が助けて、彼をまっとうな植木職人にしてやった。篤志の屋敷の庭木の手入れも、忠がときどきこの男にやらせている。
剛士には浮ついたところが無く、仕事をこつこつと丹念にやる、職人気質があった。それが年老いた頑固な盆栽職人のもとで修行して、才能を開花させたようだ。
この男には、ほかに不思議な能力があった。朴訥だが、妙に相手の心を捉える話し方をするのだ。そのツボを外さないところは、話術のほかにも発揮しているものがあるようだ。
昔、稚加良強と飲んでいたとき、強は地味剛士を評して言った。
「奴は女にもてる」
「ツヨよりか?」
「ああ、おれよりもだ」
かつての強にとって、女にもてるということは、生き甲斐でもあった。その男が言うのだから、間違いないだろう。
「何度かいっしょに上野の店に行ったが、女どもがあいつを見る目つきが違った。いったい、どこが良いのだと思うくらいだ」
確かに見栄えは強のほうが、はるかに上だ。剛士は、どちらかと言えば背は低い方だし、顔の造りも地味だ。そんな男がなぜもてるのか、大いなる謎だった。
その地味剛士が、どういうわけか、女から爺さん愛に宗旨替えした。
篤志が思うところでは、おそらく彼の師匠だった盆栽職人が、何らかのきっかけになっているのだろう。
もともと寡黙な男だが、彼と話をした爺さんたちは、尻のどこやらがズキンと疼くような心地がするそうだ。そして女同様、男に対してもツボを外さない愛の手管で、彼と寝た爺さんたちはすっかり病み付きになってしまう。
そんなことから剛士は艶福家と見られていたが、篤志は彼の義理堅い性格を知っていた。
(あの剛士なら、たとえほかの爺さんと寝ることがあっても、相方を簡単に変えることはしないだろう)
そのような思いがあったので、坊也と剛士を引き合わせたのだ。