■ グランパラダイスU(前編) - (3)
(3)
2月最初の日曜日、華下満須夫と苫戸香織の結婚式があった。
披露宴会場は元赤坂にある歴史のある建物で、一般人なら思わず費用のほうが気になるようなところだ。
運転手の大木奈が、休みにもかかわらず車を出してくれたので、ついでに稚加良強と右舞百八も乗せて、会場に行った。
最初、強も招待されていると聞いて、篤志はエッと思った。満須夫から見れば、いくら男色関係にあったとはいえ恩人のひとりなのだろう。
ほかに篤志の知った顔では、篤志と強の高校同級生の鬼律忠司も呼ばれていた。彼は前に強とアメリカのフロリダに飛んで、満須夫の親の金を取り戻してくれたことがある。
式の前に、満須夫が両親を連れて、篤志たちのところに挨拶に来た。
モーニングを着た満須夫は、端正な顔立ちもあって、若い映画俳優といっても通るような見栄えがした。彼の両親は、似た者夫婦だった。二人とも小柄で上品な雰囲気がある。
満須夫はどちらかと言えば、母親似のようだ。
父親の華下正一は60歳になるが、国家公務員から天下って、大手企業の役員として働いている。小柄で中肉体型、小作りの整った顔は楚楚としたかわいらしさがあり、篤志は初対面で心が動くのを覚えた。
正一から名刺をもらったので、お返しに篤志も自宅住所の書かれた名刺を渡した。
披露宴は、総勢50人ほどの少人数だが、会場の飾りつけや食器類、出てくる料理の一品一品まで、よく吟味された品質の高いものだった。
前のひな壇に新郎新婦が立って、司会者が簡単に二人の紹介をした。
香織が喜びのこもった目で満須夫を見つめ、満須夫のほうは少し恥ずかしそうに、うつむき加減に見返す。いかにも初々しい風情だ。
見ていて篤志は、自分の娘たちの結婚式を思い出そうとした。女房も元気な頃だった。
もう20年近く前のことなので、記憶が薄れている。
篤志は来賓のあいさつを頼まれていたが、何を話すか迷っていた。
会場には華下満須夫の学生時代の友人や恩師、日間梨産業に勤めていたときの同僚たちも何人かいる。彼らは満須夫が、一流大学を卒業したことを知っている。その彼がなぜ床屋になったのか。一部の人間は、奇異な思いを抱いているだろう。
それに満須夫の両親は、どう思っているのだろう。父親は国の高級官僚までなった人物だが、その息子は床屋になって八百屋の娘と結婚する。しかし篤志の受けた両親の印象は、ひとり息子の結婚を心から喜んでいるように思えた。
結局、彼は率直に話すことにした。
「――ただいまご紹介に預かりました仲間篤志でございます。新郎、満須夫くんとは、日間梨産業の縁、そして同じ町内に住んでいる縁で、このおめでたい席にお招きいただきました。
満須夫くんは一流大学を卒業し、日間梨産業では経理部に所属して、大変貴重な戦力として働かれておりました。しかし彼自身の意思によって、人生の路線変更をし、美容師の道に入ったのです。
一般的に大きな組織内にいれば安泰と思われています。それを敢えて彼は、人と人がより深く関わることが出来る、市井で働く道を選んだのです。
おそらく収入は減っているでしょう。また、仕事も厳しくなっているかも知れません。
それでも町内では、生き生きと働いている満須夫くんの姿を見ることができます。
皆さん、ほんとうの幸せとはなんでしょうか?
お金や物をたくさん持っていることでしょうか?それとも競争社会で勝ち抜いて、社会的地位を得ることでしょうか?
わたしは、そうは思いません。ほんとうの幸せとは、自分にとって充実した仕事に就くこと、自分らしく生きることだと思います。
わたしは彼の勇気ある決断に、心から大賛成しております。そして陰ながら、応援したいと思っています。
さすが満須夫くんが見初めただけあって、新婦の香織さんは素晴らしいお嬢さまです。
気立てが良くて、町内でも評判の孝行娘です。わたしは香織さんのお父さんをよく存じておりますが、まったく父親にはもったいないほど、よく出来た娘さんです。
(場内から、どっと笑いが湧き起こった)
わたしは人生の先輩として、新郎新婦のお二人に教訓めいたことを言う積りはありません。でも敢えて言わせていただくとしたら、それは忍耐というひとことです。わたしは妻に先立たれましたが、妻が存命中は、平穏に暮らすことができました。それは、この忍耐を忘れなかったからです。
あ、こう申しましても、妻が横暴だったわけではありません。妻はこの上なくやさしい女性でした。
(ふたたび場内で笑い声)
満須夫くん、香織さん、末永くお幸せに。みなさん、ご静聴ありがとうございました」
篤志たちのいる席に、満須夫の両親がやってきた。二人はお酌をしながら、ひとりひとりに挨拶した。
「先ほどは暖かいお言葉をいただきまして、大変ありがとうございます。皆さまのような方たちが同じ町内に住まわれていて、満須夫も本当に幸せ者です」
父親の正一が、篤志にむかって言った。篤志を見る彼のまなざしは、宴の前に会った時よりも親密度が増していた。
(おれのスピーチが良かったからか。それとも――)
篤志はときめきを覚えながら、小柄な父親に言った。
「落ち着かれましたら、ぜひわたしどもの町内にお越しください。わたしは副業で、お年寄り向けの小さなバーを開いています」
篤志はグランパラダイスの名刺を、華下正一に手渡した。
二人が立ち去ると、代わって香織の父親、苫戸初男がやって来た。
「会長、きょうはありがとう。父親にはもったいないほど良くできた娘というのは余分だったが、おかげで香織もいい結婚式ができた」
彼はめずらしくアルコールを飲んでいなかった。
「こんな宴席で、ハッちゃんが素面でいるなんて珍しいな」
「ああ、酒を入れると、香織の結婚式をぶち壊しにしそうでね。だから今日は、一滴も飲まないことに決めているんだ」
「ほう、それは感心だ」
篤志が言うそばから、強が横やりを入れた。
「なんだ、ハッちゃん、酒を飲んでないのか。娘のめでたい席じゃないか。さあ飲めよ」
燗酒を勧める強のうでを押さえて、篤志はささやいた。
「よせ、ツヨ!初男が裸踊りを始めたらどうする」
強は、にやっとした。
「それもいいじゃないか。宴会が盛りあがること間違いないぜ」
式の間中、篤志は気が気でなかった。満須夫に未練のあるツヨが、いつ披露宴をぶち壊しにするような行動に出るか。そのときは、即座に押さえ込むつもりでいた。
宴会の最後に、華下正一が親族代表として、末席から挨拶した。両サイドには新郎新婦と母親、そして苫戸初男が並んでいた。
華下正一は小柄で腰の低い男だが、大手企業の役員をしているだけあって、謝辞を理路整然と述べた。淡々とした話し方は、もともと性格が淡白なのだろう。
それにくらべ感激屋の苫戸初男は、顔をくしゃくしゃにして泣きっぱなしだった。
――◇――
娘が結婚したあと、苫戸初男の八百屋では、いくつかの変化があった。
まず新婚夫婦は、安曽古好の小さな家を借り、そこを改装して、新しい生活をスタートした。香織は満須夫の働く床屋で、理容師の仕事を学びながら、店の手伝いをしだした。
いっぽう安曽古好は、苫戸初男の家に同居して、八百屋の手伝いを始めた。物腰の柔らかい好は、初男よりも客の受けがいいようだ。
いっぽう、篤志は淡い期待を抱いていた。
結婚式のとき名刺交換した華下正一から、ひょっとしたら連絡があるかも知れない。あるいはグランパラダイスに顔を見せるかも知れなかった。
しかし、グランパラダイスの前に来たとき、彼のときめきは瞬時に消滅した。槍田井芳桂とばったり出くわしたからだ。
芳桂がまったりと言った。
「ええなあ、新婚はんは」
その言葉にめんくらった。芳桂の視線の先を追うと、華下満須夫と香織が、仲良く並んで歩いている。
二人の後姿を見て、芳桂はうっとりとしている。
「旦那はんが、ほな出かけてくるな、ゆうたら、奥はんが、はよ帰ってきてな、お布団温めておくさかい、なんていうたりするんやろ」
篤志はあきれかえった。
「お前なあ、58にもなってそんなことを、普通の顔でよく言えるな」
「会長はん、それ、ちゃう。普通の顔やのうて、男前ゆうんや」
「はいはい」
芳桂の相手をすることが面倒くさくなって、篤志はおざなりに返事をした。
稚加良強はカウンターの一番奥に陣取って、ひとり酒を飲んでいた。なにやら考え事をして、ときおりふっとため息を吐いたりする。
マスターの洋児は、そんな強に声をかけないで、放っておいた。
頭で分かっていても心が納得しない――強はそんな状態だった。
華下満須夫が女と結婚したのは、満須夫にとっても日本国にとっても良いことだ。健全な生活と日本人の繁栄――。
それでも、満須夫が忘れられなかった。
強はカウンターの上で頬杖をつき、未練たらしく満須夫のことを想った。
彼は今もって、週に一度は右舞百八の床屋に行き、満須夫に整髪と髭剃りをしてもらっている。椅子に寝そべって、満須夫に髭を剃ってもらうのは気持ちが良い。
白魚のような指が、クリームの泡を彼の顔に塗りつける。指があごやほほに触れる感触に、ゾクッとする。その指が彼のズボンの前をひらき、もぐりこんで、イチモツに絡まるのを想像して、分身が自然に反応する。
そっと目をあけると、すぐ間近にひげを剃る満須夫の顔。小作りの目鼻立ち、臆病そうなつぶらな瞳、やや上向きかげんの鼻とあどけない口元――いかにも初心で純情そうな顔。そんな若者を想い、強はうっとりとして笑みを浮かべた。
カウンターの奥ではマスターが、まるで不気味なものを見るような目つきで、チラリチラリと強の様子を窺っていた。