■ デッドライン第三部(反撃) - (10)
(10)
銃はどこにも見当たらなかった。
ふと、足元にロープがあるのに気づいた。先端が輪状に結わえられていた。福井を吊るし首にしたロープだ。
俺はとっさにそのロープを掴むと、ゴリラ男の背後に近づいた。
ロープの輪をゴリラ男の首にかけると、後ろから力一杯、ロープを引っ張った。
輪がグッと引き締まるのが手に伝わってきた。
ゴリラ男の手が離れ、福井が床に落下した。
男は首を締めつけるロープを外そうと、もがきまわったが、俺は背後に回りこんで、男がロープを掴めないように、引っ張りつづけた。
ふいにゴリラ男が、俺を目がけて、やみくもに突進してきた。
俺はかろうじて横に避けた。
ゴリラ男は舷側に腿をぶつけ、勢いあまって外に飛び出した。
ゴリラ男の体重に引っ張られて、俺の体も引きずられた。
あわててロープを離した。
男の落下につれて、ロープが急速に伸び、ついで巻かれたロープの山が、舷側にぶち当たった。
そのとき、もつれたロープが舷側の金具に引っかかった。と同時に、舷側から先のロープがピンと張りつめ、かすかにきしみ音をたてた。
俺はあわてて舷側に走り寄った。
ロープの先に、ゴリラ男がぶら下がっていた。
なすすべもなく見守った。
喉をかきむしる男の動きが弱まって、ふいに両腕がだらりと垂れ下がった。男の体はまるで、フックに吊るした牛肉の塊のように、ゆっくりと左右に揺れていた。
それを見ていて、口の中に酸っぱいものがこみあげてきた。
振り返ると、デッキに転がったブラックジャックが目にとまった。
俺はそれを拾いあげた。
福井と池上はぐったりとして、デッキに屈み込んでいた。彼らが無事なのを見届けると、足を引きずりながら、デッキの船室に歩いていった。
残るは梶山ひとりだ。もう逃げ回るのはうんざりだ。ここで決着をつけてやる。
俺は決然として、船室のドアを開けた。
室内はむっとするほど暖かく、寝袋が左右のベンチの上にあるのが、かろうじて見て取れた。おそらく、ゴリラ男と梶山が寝ていたものだろう。
手探りで照明スイッチを入れると、部屋の片隅に梶山の姿があった。その手には、出刃包丁が握られている。倉庫の前で俺が倒した、若い男の姿はなかった。
俺はブラックジャックを片手に、梶山のほうにゆっくりと歩み寄った。
梶山は体の前で包丁を構え、こちらを見ながら背後の壁にへばりついた。その目は生け贄にされた動物のように、見開かれていた。
「これで、おまえひとりだ。殺し合いをやりたいんなら、相手になってやる!」
俺は低い声で言った。
梶山の顔が恐怖にゆがんだ。包丁を持つ両手が、ブルブルと震えだした。ついに彼は、包丁を床に落とした。
「勘弁してくれ!もうおまえたちのことは忘れる」
「忘れるだと──」
俺は梶山の前に立つと、にらみつけた。
激しい怒りに、アドレナリンが体中を駆け巡った。
「勝手なことを言うな!おまえは忘れても、俺は忘れないぞ。おまえは俺の女房を殺した。太田さんも殺された。おまえの愛人の妙子も。それもみんな、おまえのせいだ」
梶山は懇願するように、怯え声で言った。
「頼む、金をやる。欲しいだけくれてやる。だからわしを逃がしてくれ」
俺は、梶山の顔を殴りつけた。梶山が壁にぶつかり、床にへばり込んだ。その体を引き起こしながら、俺は怒鳴った。
「おまえの顔を見ていると、虫酸が走るんだよ。この世の中は、金で動かない人間もいるんだ!」
俺は、梶山の腹を殴った。梶山が腹を押さえて床にうずくまった。
「遠山さん!」
池上警視の声がした。振り向くと、池上と福井が部屋にいた。
池上は足を引きずりながら近づいてきた。
「あとは法の手に委ねましょう。あなたの怒りもわかりますが、それ以上やると、あなたまで犯罪者になってしまう」
俺は振り返って梶山を見下ろした。
梶山は、でっぷりとした体を丸っこく縮こまらせて、恐怖に震えていた。
たしかに池上の言う通りだった。こんな男のために、俺の一生を棒に振ることはない。
すでに悔やんでも悔やみきれない失敗をやってきた。そのために、女房と野球人生を失ったのだ。失敗はもうたくさんだった。俺にはまだ、大切なひとり息子がいる。
俺は梶山の体を引き起こした。
「ひとつだけ聞く。正直に答えるんだ。太田さんの遺体をどこにやった」
梶山は震えながら、素直に答えた。
「海に沈めた――鎖を巻きつけて。この近くだ──」
俺はそれを聞くと、梶山の体を抱えあげ、テーブルの上に放り投げた。それから、池上警視が拷問されたように、梶山の手足をひとつずつ、ひもで縛りだした。
池上が叫んだ。
「遠山さん、何をするつもりだ!」
「警察が来るまで、逃げないように縛りつけておくだけです」
俺は梶山を縛りおえると、男の顔をじっと見た。梶山はテーブルの上に大の字にされて、不安そうにこちらを見ていた。
この男のせいで佳代が死んだと思うと、ふたたび怒りがこみあげてきた。
「どうだ、はりつけにされた気持ちは?おまえが池上さんにしたことを、覚えているか?」
俺の言葉に、梶山の口元がふるえだした。肉づきのよい顔一面に汗が浮き出ている。この男は、平然と人を痛めつけても、自分が痛めつけられるのは別のようだ。
「よ、よしてくれ!」
梶山は震え声で言った。
俺は哀れむように、彼を見た。
「おまえが人にしたことを、自分の体で試してみるのも、いいんじゃないか?」
俺が梶山の膝を掴むと、太った体がビクッと震えた。
「しかし、俺はおまえのようにサディストじゃない。そのことに感謝するんだな。じゃあ、あばよ」
そう言うと、開かれた股間めがけて、力一杯、拳を突き入れた。
梶山は声もなく悶絶した。
「さあ、行きましょう」
声をかけながら背後を振り向いた。そこで、ギョッとした。
入り口にスキンヘッドの男が立っていた。
その顔は死人のように青白かった。ギラギラと輝く目は、狂信者のそれだ。右手には、倉庫で池上から取りあげた、小さな拳銃を持っていた。
「どこに行こうって言うんだ」
スキンヘッドは、幽霊のような声で言った。「さあ、横一列に並べ」
俺たちは、言われた通りにするしかなかった。
「確かにおまえは、大した男だ」
スキンヘッドは、俺の顔を見ながら言った。
「おまえが右膝を失って、野球をやめたときは、俺も悲しかったぜ。なにせおまえは、プロ野球のスーパースターだったからな」
スキンヘッドは銃口を下げ、無造作に引き金を絞った。
轟音と同時に、左膝に激痛が走った。
俺は後ろに、弾き飛ばされた。
「左右平等にしてやったんだぜ」
スキンヘッドがうそぶいた。その口調は冷静そのものだった。
「やめろ!」
池上が俺の前に立って、叫んだ。
「おや、今度はポリ公か」
スキンヘッドが銃口をずらせて、池上を狙った。
床に這いつくばった俺は、膝の激痛に意識が遠のきかけていた。それでも、なんとかしなければと焦っていた。このままでは、3人とも殺される。スキンヘッドは人を殺すことなど、屁とも思わない野郎だ。
梶山が床に落とした出刃包丁が、目に入った。
そちらのほうに、じりじりと這い寄った。膝の痛みは耐え難かったが、意志の力だけで動きつづけた。
やっと包丁を手に入れた。
しかし、これまでは俺の動きの遮蔽物になっていた池上が、こんどは視界を遮っていた。
「さあて、そろそろ終わりにするか」
スキンヘッドの声が聞こえた。
「待てよ、まだ俺との勝負がついていないぞ!」
俺は叫んだ。
池上が後ろを振り向こうと体をずらせたとき、スキンヘッドの姿が見えた。
俺は、背後に伸ばした手に握った包丁を、スキンヘッドの顔めがけて投げつけた。と同時に、右足一本で立ち上がって、男に飛びかかろうとした。
しかし、その必要はなかった。
スキンヘッドの喉に包丁が突き立っていた。鮮血がほとばしり出て、スキンヘッドの胸をみるみる赤く染めた。
スキンヘッドは、驚いたような表情をして俺の方を見て、その目が裏返った。そして、ゆっくりと背後に倒れた。
「ストライク、バッターアウト――」
俺はつぶやくと、遠のく意識を取り戻そうとして、頭を振った。
気力を振り絞って立ち上がろうとしたとき、池上があわてて手を貸した。
どこか遠くから、俺の声が聞こえた。
「早くここを出ましょう。これ以上、悪い奴らが出てきたら、もう身が持ちませんよ」
船室から外に出ると、夜はすでに明け始めていた。
俺は年配者二人に支えられながら、船を下りた。それだけでも、気の遠くなるような長い時間に感じられた。
満身創痍の俺たちは、ようやく車にたどりついた。
池上は、俺の体を後ろの座席に押し込みながら、福井に言った。
「福井さん、運転できますか?」
「ええ」
前のほうから、福井の声が聞こえた。
「じゃあ、先に病院に行きましょう。病院についてから、署に電話する。いいね、遠山さん」
池上の声が遠くから聞こえたが、俺の意識は急速に遠のいていった。