■ デッドライン第三部(反撃) - (9)
(9)
俺は部屋の外に出た。
少し遅れて、池上と福井がお互いの体を支え合いながら続いた。池上は足を引きずって、見るからに痛々しかった。
俺はブラックジャックを片手に、慎重に廊下を進んでいった。右に並んだドアの前を通りすぎて、階段にさしかかった時だった。なんの前触れもなく背後のドアが開いた。
スキンヘッドだ。
「きさまら!」
スキンヘッドは池上たちを見て、腰のベルトに手を伸ばした。背後の俺に気づいていなかった。
俺は、スキンヘッドの後ろから、ブラックジャックを振り下ろした。
スキンヘッドの反応は素早かった。彼は背後の気配を感じて、部屋のほうに避けようとした。皮のコン棒がわずかに逸れて、男の肩をかすって、右腕に当たった。
スキンヘッドの手から、細長い銃身の拳銃が床に落ちた。
つぎの動きは、スキンヘッドの方が早かった。彼は拳銃を拾いもせず、肩からぶちあたってきた。
俺は背後の壁に激突した。衝撃に肺の空気が、いっぺんに吐き出された。
スキンヘッドは、一瞬の遅滞もなく攻撃してきた。
わき腹に拳がめりこみ、思わず前かがみになると、首筋の後ろにものすごい衝撃が襲ってきた。たまらず膝をつくと、こんどは顎に膝蹴りが襲いかかった。
俺はまったく反撃のひとつもできず、背後に吹っ飛び、床にながながと伸びた。まるで吹き荒れる、竜巻の連続攻撃に遭ったようだった。
「動くな!」
遠のきそうな意識の片隅で、池上の声が聞こえた。俺は両肘をついて、頭をぐらつかせながら目をあけた。男の大きな後姿、その向こうに細長い銃を構える、池上の姿が見えた。
「おや、ポリ公、俺を撃とうって言うのか?」
スキンヘッドの冷静な声がした。呼吸の乱れは微塵も感じさせなかった。
彼は一歩、池上のほうに近づいた。
「動くな!手を上げるんだ」
池上が命令した。声がすこしうわずっていた。
スキンヘッドは、ちっとも動じた様子がなかった。
「おまえの利き腕は、右手じゃなかったのか。その銃は、しっかり握らないと狙いが反れるぜ」
スキンヘッドはもう一歩、前に出た。
「止まれ!本当に撃つぞ」
池上の声は、悲鳴に近かった。
「じゃあ撃てよ。ただし、狙いが外れたらおまえの命はないぞ。いや待てよ――」
男はほくそえんだ。「どっちにしろおまえたちの命はないか。俺が大声を出せば、田中がやってくるからな」
どうやらこのままでは、こちらの形勢は不利だった。そのとき、床に転がった皮のコン棒が目に入った。俺は起きあがると、そっとブラックジャックを拾った。
俺の動きを追う、池上の視線に気づいたのだろう。スキンヘッドが、こちらに振り向きかけた。
今度は、こちらのほうが早かった。
俺の振り下ろしたコン棒が、男の側頭部にぶち当たった。
ブラックジャックの威力は充分だった。
スキンヘッドは声もなく床に倒れ込み、そのままピクリとも動かずに伸びていた。
「まったく、死に神のように危険な男だ」
俺は、気絶した男を見下ろしながらつぶやいた。
池上が近づいてきて、床の男を見ながら言った。
「どうやら私には警官の資格がないな。拳銃を持っているというのに、この男の脅しに負けそうになった」
「誰だって、この男には恐怖を覚えますよ。この男の体には、冷血動物の血が流れているんだ」
池上の憔悴した顔を見ると、どうやら俺の慰めも利かなかったようだ。
俺はスキンヘッドの体を、彼の出てきた部屋の中に引きずり込んだ。そして、男の様子を見た。完全に失神して、ピクリとも動かなかった。
部屋の中は、鉄製の二段式ベッドがあったが、誰も寝ているものはいなかった。下段ベッドの窪みは、スキンヘッドが横たわっていたものだろう。
梶山とゴリラ男は、どこにいるのか?
隣の部屋でないのは確かだ。今までの物音に、とっくに気づいていいからだ。
では上の部屋にいるのか?物音に気づいて、物陰から隙をうかがっているのだろうか?
(ええい、あれこれ考えている時間はない)
俺は、池上の持っていた拳銃を受け取ると、それまで持っていた皮のコン棒を、池上に渡した。池上はコン棒をベルトにさして、それまで廊下の隅っこにうずくまっていた、福井を助け起こした。
下で待っているように、手振りで二人に指図をすると、俺はひとりで慎重に階段を上っていった。
上がり切ると、拳銃をかまえながらひと呼吸おいて、そっとドアを開けた。
誰も襲ってはこなかった。
すばやく外をのぞいたが、船側のデッキには人影らしきものはない。振り返って、こちらを見上げる池上たちに、上がってこいと手招きした。
それからドアの外に出て、腰を低くかがめて、船の上部構造物の側壁に沿って船尾のほうに進んだ。
すぐ先に窓があった。俺たちが拷問された部屋の窓だ。カーテンが引かれていて、内部は見えなかった。カーテンの隙間からも光が漏れていないところをみると、室内の照明は消されているようだ。
先に進み、壁の端のところでうずくまって、月の光に照らされた船尾デッキの様子をうかがった。
木の箱が積み重ねられ、ロープの山がいくつかあるのが見てとれた。ここも人影はなかった。角を曲がった右手の壁面の中央に、大部屋へのドアがある。
沖のあたりを見た。空気が澄んで、またたく星がきれいだった。こんな状況下では、非現実的な気がした。
池上と福井がそばに来た。床を引きずる足音で分かった。
振り返ると、二人とも血の気を失って、今にもぶっ倒れそうなほど、憔悴しきった顔つきをしている。
俺は年配者たちにささやいた。
「埠頭におりる桟橋は、この反対側にあります。そこに着いたら、あなたたちが先におりなさい。そして出来るだけ早く、この船から遠くに逃げるのです。俺は、あなたたちが桟橋をおりるまで、上で見張っています」
そこで池上の、血の気を失った白っぽい顔を見て、勇気づけるように力を込めて、ささやいた。
「さあ、行きますよ」
俺たちは、立ち上がって前に進み出した。
突然の攻撃だった。
船室の扉が激しい勢いで開き、俺は文字通り吹っ飛ばされた。
衝撃にもうろうとしながらも、仰ぎ見た。
開口部から巨大な影が、のっそりと出てきた。ゴリラ男だ。
ゴリラ男はにんまりとすると、倒れた俺にかまわず、年配者たちのほうに歩み寄った。
吹っ飛ばされた時の衝撃で、持っていた銃はどこかに消し飛んでいた。このままだと、ゴリラ男のやりたい放題になってしまう。
俺はとっさに叫んだ。
「おい、ゴリラ野郎!俺と勝負しろ!」
ゴリラ男はゆっくりと、俺のほうに振り向いた。それからにんまりとした。まさに獰猛な野獣の表情だ。
(やばい!)
近づく男を見て、俺は逃げようとした。しかし、すぐには立ち上がれなかった。
ゴリラ男は、デッキに倒れた俺に近づいて、体を引き起こした。それから股ぐらに手を差し込んで、抱えあげると、勢いをつけて放り投げた。
俺は宙を飛び、デッキの上を滑って、舷側の壁にぶち当たった。
その衝撃に息が詰まった。
意識を失いかけた俺の目に、バカ笑いを浮かべて近づいてくる、ゴリラ男の巨体がぼんやりと見えた。ゴリラ男は、じわじわといたぶりながら、俺を殺そうとしているのだ。
ゴリラ男が屈みこんで、俺を引き起こそうとしたとき、池上が背後からブラックジャックを振り下ろした。
ゴリラ男の巨体がぐらりとよろめいた。しかし、ゴリラ男は信じられないほどタフだった。彼は痛そうに首の後ろをさすりながら、振り向いた。
池上がブラックジャックを振りあげて、ふたたび殴りかかった。ゴリラ男は片手で、いとも簡単に攻撃を受けとめると、池上の体をなぎ払った。
池上が吹っ飛んだ。まるで新たなおもちゃに興味を持った子供のように、ゴリラ男は倒れた池上を、あらたなターゲットにした。
床にしゃがみこんだ大男の体の下で、池上が断末魔のような悲鳴をあげた。ゴリラ男が、池上の傷ついた右足を握りしめたのだ。
男は、昆虫の手足をもぎとってあそぶ残酷な子供のように、池上の傷ついた手や足を痛めつけて、悲鳴をあげるのを楽しんでいるようだ。
福井が、ゴリラ男を池上から引き離そうとしがみついたが、ゴリラ男には、蚊のとまった程度にしか感じないのだろう。
ゴリラ男は池上に飽いて、今度は福井のほうに向き直った。
大男は腰をかがめて、福井の小柄な体を捕まえた。福井は死にもの狂いで手足をじたばたさせたが、いとも軽々と抱き上げられた。
ゴリラ男は片腕一本で福井の体をかかえ、もう一方の手が股間の急所をわし掴みにした。そのまま腕の力が強まった。
福井がくぐもった喘ぎ声を上げた。ゴリラ男は福井の苦悶する表情を見ながら、ニタニタ笑いを顔に張りつかせ、腕の力をなおも強めていった。
(畜生――何とかしなければ)
俺は気ばかり焦ったが、腕力ではかなわない。もうろうとしながら、落とした拳銃を目で追った。