目 次
デッドライン第三部(反撃) - (7)
(7)

小さな豆電球が、殺風景な部屋の中を、薄ぼんやりと照らしていた。
俺と池上は、後ろ手に手錠をかけられたまま、ベッドの支柱に繋がれていた。福井だけはベッドの上に寝かされていたが、手錠はかけられたままだった。彼は失禁したまま放置されて、この部屋にも異臭が漂っていた。
俺は両足を前に投げ出して、ベッドの側板に上体をあずけたまま、目を閉じていた。体中がズキンズキンと脈打って、けだるかった。
しかし頭の中はフル回転していた。
(このままやられっ放しにはならないぞ。きっとあの野郎を、とっちめてやる)
目蓋の裏に、梶山の憎たらしい顔が浮かんだ。

そのとき、眠っていると思っていた池上がつぶやいた。
「月曜になれば、私たちは殺される――」
「まだ助かるチャンスはありますよ。銀行には俺が行かないと貸し金庫は開けられない」
俺は励ますように言った。そこで首を伸ばして、池上の状態を見た。
彼の右太腿と右手には、包帯が巻かれていた。包丁を突き立てられた手足を、キツネ目の男が応急手当てしたのだ。裂いたズボンの布地の隙間から、白い包帯が赤く染まっているのが見える。
「傷の具合はどうですか?」俺は訊いた。
「ああ、出血はとまったようです。でも、心臓の鼓動にあわせて、ドクンドクンと脈打っています」
池上は弱々しく言った。その顔が白蝋のように白っぽかった。
彼が弱音を吐くからには、相当参っているのだろう。俺は池上の体を心配した。かなりの量の血を失っているのは、確かだった。
「ところで池上さんは、俺が不眠症だと思いますか?」
「どうして?ほんとうに不眠症ですか?」
「梶山はこれまでに二度、俺にそう言いました。その理由も、今、分かった」
「何のことです?」
「俺は不眠症じゃない。梶山がそう言うのは、ある男から聞いたからです」
「──」
「11月8日、俺は山下公園で、警官二人に声をかけられたとき、苦し紛れにそう言った」
「あなたが言っているのは──」
池上は、最後まで言わなかった。
「そう。あの夜、俺が会った警官のどちらか──あるいは両方かも知れない」
池上は、考え込むように沈黙した。
船の中は、まったく人気がないように、静まり返っていた。ふと、思った。梶山たちは、家に戻ったのか?

俺は沈黙を破って言った。
「梶山は言っていましたね、警察には金を払っていると」
「──」
「梶山が、警官のだれかを買収しているのは確実ですよ」
「思い当たる節がある──」
池上がつぶやいた。
「いま私たちがかけられている手錠は、警察で使っているものです。一般の店では入手できない。それに彼らは、私があなたと一緒だったのに、ちっとも慌てていなかった。普通だったら、警察の組織的捜査活動だと思うでしょう?きっと、署内で変わったことがあれば、内通する者がいるのでしょう」
俺はうなずいた。
「俺があなたあてに、警察に連絡したとき、電話に出た男の件もありますね」
「おそらくあなたの言う、買収されている警官とは、小山だと思います」
「小山って――ひょっとして、ボクサーのように鼻の潰れている男ですか?」
「そうです。よくご存知ですね」
池上が驚いたように言った。
「あてずっぽうですよ。私を職務尋問した警官のひとりです」
「ああ──小山はギャンブル好きで、いつも羽振りが良かった。それに署内では、誰とでも近づきになって、情報通だ」

そのときドアの鍵を開ける音がした。
俺たちは口を閉じた。
部屋に入ってきたのは、キツネ目の男だった。彼はすばやく部屋中に視線をめぐらせ、異臭に鼻をしかめた。
それから、俺と池上が起きているのを見て、ニヤリとした。
「起きていたのか?」
「ああ、こんな格好で眠れるか」
俺は、努めて弱々しい声で言った。
「それは気の毒なこった」
「なにしに来た?」
「なあに、退屈しのぎだ。俺は、おまえたちの寝ずの番をやらなくちゃならないんだ」
「だったら福井さんの様子を見てくれ。首の傷が心配だ」
「ああ、いいとも」
キツネ目はベッドにあがり込んだ。しばらくして彼は言った。
「大丈夫だ。爺さん、ぐっすりと眠っているぜ」
「首の傷はどうだ?」
「ああ、痣になっているが、命に別状はない」
キツネ目はベッドから戻ると、下卑た笑いを浮かべた。
「あの爺さん、男好きだな。きのうオカマを掘ってやったら、すんなりと入った。相当、やられ慣れているな」
俺は怒りを覚えたが、黙っていた。

キツネ目は、俺たちから少し離れて、床に尻をおろした。
「しかし首を吊るのは汚くて困る。ケツの穴が緩んで、クソを垂れるからな」
キツネ目の言葉に、佳代の死を思い出した。俺は感情を押し殺して聞いた。
「二人が吊るされたときも、おまえは見ていたのか?」
「ああ、いやな見世物だったぜ」
「なんで二人を殺した?」
「おまえの女房が口を割らなかったからだ。男のほうはすっかりびびって、預金通帳と書類を女に預けたことを白状したのに」
俺は理解した。いかにも佳代らしかった。彼女は過去にも、いざとなると芯の強さを発揮した。でも、なんでそこまで頑張ったのか?白状しても助からないと思ったのか?
考え込む俺のほうを見ながら、キツネ目が下卑た薄笑いをうかべた。
「もっとも吊るす前に、おもしろいものを見物できたけどな」
「おもしろいものって何だ?」
「二人が最後に、あれをやるのを見物できた」
「──」
俺の胸の中に、怒りが込み上げてきた。
それに気づかず、キツネ目は話しつづけた。
「男と女が心中するのに、やってないのはおかしいって、会長が言ったんだ。それで、無理矢理やらせることになった。女のほうは嫌がったが、だったら代わりにみんなで輪姦すぞって脅したら、すっかりその気になりやがった」
キツネ目は含み笑いをした。
「ところが、男のほうが、なかなかおっ立てられなくてな。それで女にしゃぶらせた」
「──」
俺が黙っていると、横から池上が言った。
「おまえも共犯だということが、はっきりした。こんなことをして、逃れられると思っているのか」
そこで、軽蔑したように付け加えた。「この気違いどもめ」
男の目がすっと細まった。キツネ目は立ち上がると、池上の横に来た。彼はしゃがみ込んで、池上の頬を小馬鹿にしたように、手のひらで叩きながら言った。
「おっさん、いま何か言ったか」
「くたばれ、このきちがい野郎!」
池上が叫んだ。
途端に、彼は悲鳴をあげた。キツネ目が、彼の太腿の傷口をつかんだからだ。
「おうおう、かわいらしい声をだしおって――こんなのはどうかな?」
キツネ目が太腿をつかむ力を加えて、池上がふたたび叫び声をあげた。
「やめろ!このサディスト野郎!」
俺は怒鳴って、体を捻らせると、キツネ目の体に頭突きをくらわせた。手錠が邪魔になって、たいした効果はなかった。
キツネ目は、池上の投げ出された脚の上にのしかかると、こんどは俺の顔を殴りだした。痛めた太腿の上に膝を乗せられて、池上が悲鳴をあげつづけた。
キツネ目は拳が痛くなったのか、ようやく体を離した。
彼は、息を荒らげながら言った。
「いいか、こんど生意気なことを言ってみろ。このポリ公の傷ついた手の指を、一本一本折ってやる」

そのとき、部屋のドアが開いて、スキンヘッドが室内をのぞきこんだ。彼は不審そうに聞いた。
「どうした?悲鳴が聞こえたが」
「なあに、たいしたことはない。このサツが生意気なことを言ったんで、ちょっと可愛がってやった」
キツネ目が、きまり悪そうに言った。
スキンヘッドはフンと鼻を鳴らすと、仲間にむかって言った。
「おい、この匂いは何とかならんのか。臭くてかなわん」
「ああ、ベッドのじいさんだ。失禁したからな」
「だったら尻を洗わせろ」
スキンヘッドは冷たく言うと、ドアを閉めて姿を消した。
[17/07/31 07:12 神亀]
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