■ デッドライン第三部(反撃) - (6)
(6)
とうとう池上の体は、テーブルの上で大の字にされた。
ゴリラ男は満足そうに自分の仕事の出来栄えをチェックすると、池上のズボンのベルトを弛め、セーターとシャツを一気に引き上げた。丸みをおびた白い腹部がむきだしになった。池上は、弱々しく身もだえするだけだった。
ゴリラ男は作業がすむと、キッチンらしい隣室に行き、戻ってきたときには、出刃包丁を持っていた。
俺は、胃が迫り上がってくるような恐怖を覚えた。隙をうかがって、スキンヘッドを横目で見た。スキンヘッドは、俺をじっと監視していた。手に持つ拳銃は、微動だにしない。
梶山はゴリラ男から包丁を受け取ると、テーブルの上の池上に近づいた。彼は俺のほうに振り向いて、ふてぶてしく言った。
「さて、ショーの始まりだ。太田とかいった爺さんは途中でポックリと逝ったが、このサツはどこまでもつかな?」
「やめろ!」
俺は叫んだ。「警官にそんなことをして、ただですむと思うのか!」
「ただじゃない。警察にはたっぷりと金を払っているんだ」
梶山はうそぶくと、池上の剥き出しの胸から腹へと、空いた手を這わせた。まるで女を愛撫するような手つきだ。
「中身がたっぷりと詰まっていそうだな。ここを切り開くと、何が出てくるのかな」
梶山は包丁の切っ先を、白い腹に沿わせて滑らせた。包丁の刃が明かりを反射して、ギラリと光った。
池上の体が震えだした。
そのとき、福井をおさえているキツネ目が、息を呑むのに気づいた。どうやら、人が痛めつけられるのを見て、興奮する質らしい。
「やめるんだ!」
俺は叫んだ。
スキンヘッドが、威嚇するように拳銃を動かした。
梶山は、俺の声が聞こえないかのように、包丁の切っ先を下にずらし、ズボンの前で止めた。
「それともチョン切ってやろうか」
俺は吐き気がしてきた。いまや屈伏しかけていた。
ふいに、それまで黙っていた池上が、テーブルの上で叫んだ。
「やればいいだろう、このサディスト野郎!」
次いで彼は、俺に向かって言った。「遠山さん、書類のありかは絶対に言うんじゃない。言えばみんな殺される」
「威勢のいいことを言うポリ公だ」
梶山は微笑むと、包丁を振り上げ、池上の右の太股に突き立てた。
池上が悲鳴を上げて、体をのたくらせた。
「畜生!やめろ――やめるんだ!」
俺はわめいて、梶山のほうに歩み寄ろうとした。
「ぎゃあぎゃあ騒ぐんじゃない」
スキンヘッドが手錠をつかんで引き戻し、背中に銃身を強く押しつけた。
梶山は無造作に、池上の太腿から包丁を引き抜いた。
ズボンの布地に、みるみる血が滲み出てきた。池上は悲鳴を押し殺して震えていた。梶山は、池上の涙と汗で濡れた頬を、小馬鹿にしたように包丁の刃でピタピタと叩いた。池上の頬に、赤い血の跡がついた。
「サツとしては見上げた根性だ。誉めてやる。しかし威勢のいいことを言うわりに、体が震えているじゃないか」
梶山は、池上の万歳した格好の右腕を押さえると、包丁を振り下ろした。
ふたたび池上が悲鳴をあげた。彼の手の平は、包丁によって、テーブルの上に縫いつけられていた。
「これは、わしをサディスト野郎と言った礼だ」
梶山は冷たく言うと、振り返ってこちらにやってきた。
「さて、これでひとまずショーは休憩だ。すこしは話す気になったか?」
俺は梶山の顔に、唾を吐きかけた。
「話すもんか!この気違い野郎!」
「サディスト野郎の次は、気違い野郎か」
梶山は怒りもしないで、ポケットからハンカチを取り出すと、悠然と顔を拭いた。
「どうやらおまえは、元気が有り余っているようだな。ちょいと消耗してもらう必要がありそうだ」
彼はスキンヘッドに向かって、顎をしゃくった。
スキンヘッドが俺の前に立って、ゆったりとした仕草で皮手袋を両手につけだした。俺を見る細められた目が、サディストのそれのように冷たく光った。
俺は反撃の隙をうかがって身構えたが、それもはかない試みに終わった。すかさずゴリラ男が、俺の背後を押さえたからだ。
俺はなすすべもなく殴られだした。腹や脇腹、顔に、固いこぶしが容赦なく襲いかかった。スキンヘッドのパンチは的確だった。彼はプロの冷静さで、俺を痛めつけることに専念し、それでいて決定的な打撃は与えなかった。
俺は殴られながら、スキンヘッドをにらみつけていた。苦痛は耐えがたかったが、意識ははっきりとしていた。奇妙なことに、肉を打つ無気味な音が、まるで他人事のように聞こえていた。
スキンヘッドが攻撃をやめたとき、俺はボロクズのようにくず折れた。
梶山はかがみ込むと、俺に向かって話しかけた。
「どうだ、話す気になったか。早く話したほうがいい。わしとしては、おまえのようないい男が痛めつけられるのを、これ以上、見るに忍びんからな」
「この、くそ野郎──だれが話すか──」
俺は折れた歯を吐き出すと、息も絶え絶えにつぶやいた。体のあちこちが燃えるように痛かった。
梶山は頭を振って立ち上がると、スキンヘッドに向って顎をしゃくった。スキンヘッドが屈みこんで、俺の手錠をつかんで引き立たせた。
俺は朦朧とした目で室内を見渡した。
部屋の隅では、キツネ目に背後をつかまれて、福井が震えながら立っていた。その顔は怯えたようにゆがんで、蒼白だった。
キツネ目のほうは、興奮したように目を輝かせていた。テーブルの上では池上が、大の字にされて、むきだしの白い腹が浅く上下に起伏していた。彼の右手は、包丁を突き立てられたまま放置されていた。
俺は絶望感にとらわれて、梶山に声をかけようとした。
梶山はゴリラ男と部屋の隅にいた。こちらに背を向けて、男に耳打ちしていた。
やがて、ゴリラ男がうなずいて、部屋を出ていった。
梶山は俺のところに戻ってくると、面白そうに言った。
「さあて、これから別のショーをやろうじゃないか」
「今度は──何をやる気だ?」
俺はうめくように言った。それに答えず、梶山は冷酷な笑いを浮かべた。
ゴリラ男が戻ってきた。その手には巻いたロープが握られている。
男は器用な手つきでロープの先端を輪状に結び、ロープの中間部分を天井に取り付けられたフックにかけた。それから椅子を部屋の中央部に運んだ。
「さあて、セット完了だ」
梶山は、フックから垂れ下がったロープの輪を見ながら、満足そうに言った。
ロープの輪が、不気味に揺れていた。
「ここの天井は、そんなに高くはないが、チビには充分だろう」
「やめろっ!」
俺は、梶山の意図に気づいて叫んだ。
(ああ、何てことだ!こいつらは、福井を吊るそうとしているのだ)
俺はもういちど怒鳴った。「やめるんだ!何てことを──」
梶山がゆっくりと振り返った。
「じゃあ、書類を渡してもらおうか」
俺は返答に窮した。もはや屈伏しかけていた。俺がこれ以上がんばれば、福井や池上は、じわじわとなぶり殺しにされてしまう。
俺は口を開こうとした。
そのとき福井が、初めて口をきいた。
「遠山さん、だめだ!言えばみんな殺される」
福井は池上と同じようなことを言った。彼の声は恐怖にうわずっていたが、その顔には悲壮な決意がにじみ出ていた。
「ジジイは黙っていろ!」
すかさずキツネ目が、福井の頬を叩いた。
梶山が、キツネ目にむかって合図を送った。
キツネ目が福井を引っ張って椅子のところに連れていき、片手を伸ばすとロープを引き下げ、輪を福井の首にかけた。それから福井の体を苦労して持ち上げると、椅子の上に立たせた。
それに合わせて、ゴリラ男がロープを引いて弛みをなくした。
福井は後ろ手になって、小さな椅子の上で不安定にふらついた。小柄な体が、震えていた。
俺は叫んだ。
「やめろ!きさまたちは狂ってる!」
「なんとでも言うがいい。これから、おまえの女房と色男が、仲良く死んだときの様子を再現してやる」
「きさまっ!」
梶山の言葉は決定的だった。やっぱり佳代は、こいつらに殺されたんだ。こいつらが──こいつらが──。
激しい怒りに駆られた。後ろ手のままうなり声をあげて、梶山めがけて突進した。梶山は俺の攻撃をかろうじて避けたが、あおりをくって床に倒れた。
スキンヘッドが素早く近づいた。背中や腹に、男の靴が容赦なく襲いかかる。
ふたたび俺は、痛めつけられだした。度重なる暴行に、もはや痛みも感じないほどだった。
「やめろっ!」
起き上がった梶山が、スキンヘッドに命令した。
「そいつを立たせろ」
スキンヘッドが俺の体を引き起こした。男に背後から支えられながら、俺はもうろうとして揺れ動いた。
「いいか、遠山。よく見ておくんだ」
梶山はそう言うと、福井の乗った椅子の脚を蹴飛ばした。
椅子が倒れ、福井の体が宙に浮いた。
次の瞬間、体重がかかってロープが張りつめた。福井は喉を詰まらせて、くぐもった声をあげた。
小柄な体がぶら下がったまま、一度、二度と痙攣した。
「渡す!書類を渡すから、彼を助けろ!早く!」
俺は必死になって叫んだ。
「ロープを離せ」
梶山がゴリラ男にむかって、冷静に命令した。男はロープを持つ手を離した。福井の体が床に落下して、鈍い音をたてた。
畜生──畜生──俺はなすすべもなく、うめきつづけた。涙で曇った目に、キツネ目の男が、福井の首からロープを外すのが見えた。
福井はグッタリと床に横たわって、空気の洩れ出るような声で喘いでいた。部屋の中に異臭が漂った。首を締められた福井が、失禁したのだ。
梶山が異臭に顔をしかめて、俺に声をかけた。
「書類はどこにある?」
「教えるから──その前に二人を解放してくれ──」
俺はうめくように言った。
即座に梶山は、ゴリラ男に向かって言った。
「チビをもう一度吊るせ」
最後の抵抗は、もろくも崩れ去った。俺は口早に言った。
「待て!書類は貸し金庫の中にある──」
梶山がニヤリとした。
「本当だな?」
「ああ、嘘はつかない──浜銀行だ──」
「嘘をついているか、いないかは、明日、銀行が開けば分かる。それまではこの船にいてもらおう」
梶山が、勝ち誇った声で言った。