■ デッドライン第三部(反撃) - (5)
(5)
埠頭には人っ子一人見当たらず、見渡すかぎり閑散としていた。
夜空はくっきりと晴れ渡り、それだけに夜の冷気がますます身にしみた。
まず池上がひとりで、埠頭を偵察に出かけた。彼は太縁の眼鏡をかけていた。その姿は、倉庫を見まわる夜警と見えなくもない。
池上を待つ間、俺は埠頭の手前の物陰で、おとなしく待っていた。そのあいだ、気が気ではなかった。もしも池上が男たちと鉢合わせしたら、彼はどう切り抜けるのだろうか。
ときどき、表の通りをうかがった。堤防沿いの水銀灯が白々しい光りを投げかけ、並んだ倉庫についた裸電球の光りが、妙にもの悲しげだった。
15分ほどして、池上が戻ってきた。
「埠頭の一番先にある倉庫です。田中がいました。梶山の会社にいる若い男と、扉の前で焚火をしていました」
「じゃあ福井さんは、倉庫の中にいるのでしょうか?」
「おそらくそうだと思います」
「これからどうしますか?」
俺の問いかけに、池上は考えながら言った。
「なんとか彼らに見つからずに、倉庫に忍び込めればいいんだが。福井さんを救出するのが、先決問題ですからね」
「──じゃあ、とにかく近くまで忍び寄って、様子を見てみましょう。まだ約束の時刻まで40分以上、余裕があります」
俺たちは倉庫群の裏側を通って、一番奥の倉庫に向かった。
裏手は外灯もなく、その暗がりが俺たちの移動の助けになった。
途中、佳代と栗田の死体が発見された倉庫の横を通るときは、複雑な心境だった。池上は俺の顔をチラリと見たが、何も言わなかった。
目的の倉庫に達すると、建物沿いに表のほうに忍び寄った。
そっと角からのぞくと、若い男がひとりで折り畳み椅子に腰掛け、ドラム缶の焚火にあたっていた。公園で俺を襲った男のひとりだ。
ゴリラ男の姿は、どこにも見当たらなかった。
周囲には田中が姿を潜ませそうな障害物はなく、ただひとつ、埠頭の端に大型のクルーザーが停泊していた。しかしその船の窓には光がなかった。誰も乗っていないようだ。
俺は池上にささやいた。
「田中は、倉庫の中にいるんでしょうか?」
「おそらくね。さっき倉庫の裏手に、小さなドアがあった。そこに行ってみましょう」
池上はささやき返すと、倉庫の裏に引き返した。
ドアは裏手壁面の中央にあった。鉄板製のドアで、南京錠がかけられている。池上は錠前を調べていたが、おもむろにポケットから針金を取り出した。
彼は俺の顔を見て、気まずそうに言った。
「私の七つ道具──捜査の秘密兵器です。よそ見していて下さい」
池上はものの数分で錠前を開けた。俺が生コン工場で、ドアを相手に四苦八苦したのとは大違いだ。ふと思った――こんどの件が片付いたら、池上のテクニックを教えてもらおうか、と。
池上は南京錠を外すと、慎重にドアを開けた。ドアが微かにきしみ音をたてた。その音に、彼は息をひそめて動きをとめた。
内部の動きはなかった。細めに開けたドアの隙間から、内部をのぞき見たが、真っ暗で何も分からなかった。
「遠山さん、ここからは私が入る。あなたは表の様子を監視していてください」
池上がささやいた。彼の手には、いつのまにか拳銃がにぎられている。
俺は一緒に行こうとしたが、池上の厳しい表情を見て、黙ってうなずいた。
表に戻ると、あいかわらず若い男ひとりだけだった。時計を見ると、10時まであと30分ほどある。俺は耳を澄ませて待った。
(倉庫の中でなにか動きがあれば、ここまで聞こえてくるのだろうか?)
ゴリラ男のことを思うと、急に不安になった。
無理やり、自分に言い聞かせた。
(池上はベテラン刑事だ。きっと福井を見つけだす。それに拳銃を持っているんだ。彼はプロなんだ)
時は刻々と過ぎた。しかしなんの動きもなかった。
とつぜん、倉庫の中から銃声がした。
俺同様、焚火にあたっていた男もギョッとしたようだ。男は立ち上がって、倉庫の扉のほうに歩きだした。男が倉庫に入れば、それだけ中にいる池上にとって不利になる。
俺は反射的に走りだした。
男は扉の前で、俺に気づいた。ポケットからジャックナイフを取り出して、身構えた。カチリと音がして、柄から刃が飛び出し、冷たい光を放った。
俺は皮ジャンパーを脱いで、左手に巻きつけ、右手に池上から渡されたブラックジャックを持った。
時間がなかった。銃声のしたあと、何の物音もしなかった。倉庫の中で何が起こっているのか、気が気ではなかった。
俺はじりじりと男ににじみ寄り、左手でフェイントをかけ、と同時に飛びかかって右のコン棒を振り下ろした。
それが見事に決まった。鉛を詰めた皮の棒が、気持ちの悪い音を立てて、男の側頭部にめりこんだ。
男は声もなく昏倒した。拍子抜けするほど、あっけない幕切れだった。
俺は切り裂かれた皮ジャンパーを見て、眉をひそめたが、それを身につけた。そこで背後の人の気配に振り向いた。
いつのまにか、ゴリラ男がドラム缶の横に立っていた。
ニヤニヤとした薄笑いを浮かべ、焚火に照らされた男の顔は、まるで無気味な怪奇映画の登場人物のようだ。よっぽど自分の腕に自信があるのか、丸腰だった。
彼は薄笑いを浮かべたまま、俺のほうにゆっくりと近づいてきた。
と同時に、俺の背後で、倉庫の扉が開くきしみ音がした。
振り返ると、池上が出てきた。彼は後ろ手にされ、その背後にはスキンヘッドとキツネ目がいた。スキンヘッドの手には、きのう駐車場で見かけた、細長い銃身の拳銃、そしてズボンのベルトには、池上の持っていた拳銃を差していた。
「予定時刻より早いが、約束通り来たって訳だ。間抜けなサツを引き連れてな」
スキンヘッドが悠然と言った。彼は、地面に倒れてピクリとも動かない仲間をチラリと見たが、何の反応も示さなかった。そして俺を鋭く見た。
「おまえの考えることはわかっていた。──ところで書類はどうした?」
「あるところに預けてある」
俺は、男の威圧感に負けないように、胸をそらせて答えた。
スキンヘッドは薄ら笑いを浮かべた。
「やはりな。おまえは、素直に言うことを聞かない男だと思っていた。ついて来い!」
スキンヘッドが、銃を持つ手を振った。
キツネ目が俺の手から、ブラックジャックを取り上げた。それから俺の両腕を後ろにまわし、持っていた手錠をかけた。
俺は抵抗しなかった。いくら強気でも、不利な情況はわきまえている。
彼らは俺と池上を急き立てて、埠頭に横づけされている大型クルーザーの桟橋を上った。かすかにエンジンの稼動する音が聞こえてきた。
それで分かった。さっきゴリラ男の姿が見えなかったが、この船に乗っていたのだ。
ゴリラ男は、気絶した仲間を軽々と肩に担いで、先頭を歩いていた。
そっと後ろを見ると、池上は怪我を負っていないようだ。彼はこちらを見て、申し訳なさそうに目配せした。
俺たちが連れていかれた船室は、甲板にある大部屋だった。壁の両サイドにレザー貼りのベンチが並び、片隅には大きなテーブルが置かれていた。窓には厚地のカーテンがきっちりと引かれていて、明かりが外に洩れるのを防いでいる。
部屋で待っていたのは梶山ひとりだった。
梶山は、ゴリラ男が気絶した男の体を部屋の隅に置くのを見て、平然と言った。
「おまえは、わしの従業員を何人片端にしたら気がすむんだ。それにしても、あいかわらず不眠症は、直っていないようだな」
彼は、俺の疲れきった顔を見たあと、顔を巡らせて、不機嫌そうに池上を見た。
「これは、これは。警視自らのお出ましですか」
それから、俺のほうを鋭い目で見た。「ひとりで来いと言ったはずだぞ」
俺は開き直って言った。
「福井さんはどこにいる?」
「心配するな。すぐ会わせてやる。ところで書類は持っていないようだな」
「福井さんを返してくれれば、書類がどこにあるか教える」
梶山は、いらだたしそうに言った。
「どうやらおまえは、人の話を無視して、勝手に筋書きを変える癖があるようだな」
そのとき池上が、梶山をにらみながら言った。
「梶山、これまではうまく起訴を逃れてきたが、これでおまえも終わりだな」
「池上警視、あんたはどうやら自分の立場を、よく理解していないようだ。今のあんたは、こっちの籠の中にいるんだぞ」
「こんなことが、いつまでも続くものか。おまえが刑務所に入れられるのは、時間の問題だ」
「勝手にほざけ。わしはこれまでも、そしてこれからも、きさまら能無しどもには捕まらんよ」
俺は、ふたりに割り込んで言った。
「福井さんに会わせてくれ」
梶山がうなずくのを見て、キツネ目が部屋を出ていった。
しばらくして、福井がキツネ目に引きたてられてやって来た。
すこし足を引きずっていた。彼も俺たちと同じように、後ろ手に手錠をかけられている。平手で打たれたのか、両頬が赤らんで腫れぼったかった。目許が憔悴していたが、特に異常はなさそうだ。
福井は俺の顔を見て、何か言いたそうだったが、黙っていた。
梶山が言った。
「さあ、相棒に会わせてやったんだ。書類はどこにある?」
「まだだ。俺たち3人が無事にここを出てから、書類のありかを連絡する」
俺が答え、梶山がジロリとにらんだ。
「おまえたちがここを出ていったら、それっきりにならないという保証は、どこにある?」
「俺を信じてもらう以外にない」
梶山が、鋭い声で言った。
「ガキを相手にしているんじゃないぞ。わしを舐めるな!」
俺はつとめて平静に言った。
「べつにあんたを舐めているわけじゃない。約束は必ず守る。俺を信じてくれ」
「へっ、信じられるか!今すぐ、教えろ」
「だめだ。俺たちがここを出たら、電話する」
俺は頑固に言い張った。梶山が脅すように、低い声で言った。
「痛い目にあわせて、聞いてもいいんだぞ」
「そうすれば、書類はおまえの手に入らない。いざとなれば、俺は死んでもしゃべらない。覚悟は出来ている」
俺の言葉に、梶山はニンマリと笑った。
「おまえがタフなことはよく分かった。わしとしては残念な気もするが、今夜はおまえのために用意したものを、このサツに使ってやろう」
梶山の合図で、ゴリラ男が背後から、池上のハーフコートをずり下げた。それから池上の体を抱えあげた。
スキンヘッドが拳銃を突きつけて、俺の動きを牽制した。
池上は激しくもがいたが、ゴリラ男は馬鹿力を発揮して、まるで池上を子供のように扱った。池上の身体をテーブルの上におろすと、手錠を外し、作業にとりかかった。
そのとき俺は、そのテーブルが何のためにあるのかを悟った。
急ごしらえの拷問台だ。
ゴリラ男は、テーブルの脚にあらかじめ結わえつけられていた革紐を、一本一本引き上げながら、池上の手足を縛っていった。
「くそっ、何をする!やめろっ!」
池上は手足をばたつかせていたが、ゴリラ男はまったく意に介さず、まるで理科の実験をする子供のように、嬉々として作業をつづけた。