目 次
デッドライン第三部(反撃) - (4)
(4)

福井のアパートのドアは、鍵がかかっていなかった。
ドアを開けると、床に散乱した新聞紙が目にはいった。部屋には誰もいなかった。浴室にも、トイレにも、バルコニーにも。
急に体中の血を抜き取られたような、悪寒がしてきた。
いたたまれずに俺は、部屋の中をうろうろと歩き回った。
ふと思い立って、下駄箱を開けた。そこには啓介の新しい靴が残っていた。
(どういうことだ。あいつらは靴も履かせずに、啓介を連れていったのか?)
池上がやってきて、申し訳なさそうに言った。
「遠山さん、やはり応援を呼ぼう」
「だめだ!――警察はだめだ。すぐ、あいつらに知られてしまう」
「じゃあ、どうすればいいんだ?」
「考えるんだ。なにかいい方法が──」

そのとき、俺を呼ぶ啓介の声が聞こえた。
俺は叫んだ。
「啓介!どこにいるんだ!」
福井の使っているベッドの狭い隙間から、啓介が這い出てきた。
「ああ、やっぱりお父さんの声だった」
「啓介!」
俺はしっかりと息子を抱きしめた。
「男の人たちが──小父さんを連れていったんだ」
啓介は、しゃくりあげながら言った。
「小父さんの声が聞こえた──そんな親子は、ここにいないって。でも、男の人たちは、小父さんを叩いて──」
「大丈夫だ。小父さんはきっと助け出す」
俺は、涙声で報告する息子の背中を撫でた。

啓介は落ち着いてくると、最初から順を追って話しだした。
どうやら男たちは、宅配便を装って、部屋に侵入したらしい。福井はドアを開ける前に念のため、啓介に隠れているように言ったのだ。
啓介の靴が見つからなかったのは、不幸中の幸いだった。男たちは部屋の中をざっと調べただけで、出ていったらしい。
今ごろ福井は、何をされているのだろう?自分のベッドに横たわっていた、太田老人の死体を思い出して、ゾッとした。
池上に話しかけようとして、口元に血がついたままなのに気づいた。俺は黙って洗面所に行くと、タオルを濡らして池上に渡した。
「さっきはすまなかった」
「いや――ありがとう」
池上はタオルを受け取ると、顔についた血を拭き取りながら、口ごもった。
俺は、生コン工場からずっと持っていた拳銃を、池上に渡した。
「これはあなたに渡しておきます。俺よりも扱いに慣れているでしょう。もっとも、弾は入っていないけど」

ふいに携帯電話が鳴って、俺はビクッとした。
「遠山か?」
男の声がした。キツネ目の男だ。
「そうだ。福井さんをどうした?」
「こちらで預かっている」
「福井さんの声を聞かせろ」
しばらくして、福井の声が聞こえてきた。
「遠山さん、どじっちまった。こいつらは──」
そこで男の怒声と叩く音が聞こえ、声が中断した。
ふたたび男の声がした。
「いいか、今夜10時、山下埠頭に来い。おまえの見つけた書類を持ってな。ジジイはそれと引き換えだ」
そこで男は、言い足した。「いいか、サツには連絡するなよ。ジジイの命はないぞ。おまえがサツに垂れ込めば、すぐ分かるからな」
電話は一方的に切れた。

横で聞いていた池上が、考え込んで言った。
「山下埠頭といえば、あなたの奥さんが──」
彼はその先を、あえて言わなかった。
「ええ、女房が死んだところです。きっとあそこは、やつらの縄張りになっているんだ」
「しかし埠頭なら、袋のネズミだ」
池上の言葉に、俺はギョッとした。
「何を考えているんです。福井さんが捕まっているんですよ」
「でも、彼らがおとなしく、取り引きするとは思いません。彼らの言う通りにすれば、あなたと福井さんは殺されてしまいますよ」
「じゃあ、警察にまかせて、彼を見殺しにしろと言うんですか!あいつらは、警察の動きはお見通しなんだ」
池上は考え込んだ。そして決心したように言った。
「彼らの仲間は何人いると思いますか?」
「私が知っているのは、梶山のほかに──」
俺は指折り数えた。高速道路で待ち伏せしていた男たちは、公園にいた二人の男たちだろうか?とりあえず同じ男たちとして勘定した。
「たぶん最低、6人はいるでしょう。そのうち二人は、おそらく重傷を負っていると思います。――となると4人ですね――それに梶山を加えれば5人。もっとも、私の知らない、ほかの男がいれば別だが」
池上がうなずきながら言った。
「梶山は、暴力団とはつながっていない。彼自身が暴力団のようなものですからね。男たちの人相を教えてください」
俺は思い出しながら、男たちの人相風体を話した。きのう公園にいた二人の若い男たちは、あまりよく覚えていなかった。
「スキンヘッドの男を除けば、ほかは梶山商事で働いている男たちのようです。とくにゴリラ男は、田中と言って、とても危険な男です。これまでも何人か半殺しの目にあわせて、警察にしょっぴかれたことがあります」
「スキンヘッドは知らないんですか?なんとなく無気味な男でしたが」
「おそらくプロの殺し屋でしょう。あなたの話によれば、銃の扱いにもかなり慣れているようですから」
「じゃあ、勝ち目はないって訳ですか?」
「素人ではね。いくらあなたがスーパースターだったと言っても、それはスポーツの世界ですから」
「──」
「しかし、こう見えても、私は犯罪の世界のプロです。もっとも、少々年を食い過ぎていますけど──経験だけは豊富ですよ」
俺は驚いて、年配警視の顔を見た。
「あなたも行くんですか?」
「もちろんです」
池上が胸を反らせた。「あなたひとりで行かせはしない。とくに警察に任せられないとしたらね。それに奴等は、私があなたと一緒にいることを知らない」
「どうやるんです?」
「それはこれから考えましょう。どうやら荒っぽいことになりそうですよ。覚悟はいいですか?」
「この3日間で、一生分の暴力行為をやりました。その経験に、もう一日だけ加わっても、たいしたことはないでしょう」
俺はそう言うと、部屋の隅にうずくまっている啓介のほうを、チラリと見た。
「その前に、息子をどこかに預けなくては。ここは危険ですから。あいつらが戻ってこないとも限らない」
「じゃあ、私の家に預けたらいい。息子夫婦が面倒を見てくれるはずだ」
「いや、あなたの家だったら、ひょっとして、今後、梶山の手のものに見張られる可能性があります。他に──」
そこまで言って、俺は息を呑んだ。
(義父が危ない!)

俺はあわてて、義父の家に電話をかけた。
「俊一さん、今どこにいるの?それに啓介は?一昨日、警察の方たちが来て──」
義母が電話に出て、心配そうに話しだしたが、俺はさえぎった。
「今は急いでいます。お義父さんはどこにいますか?」
「ここにいますよ。それにしても──」
俺はきっぱりと言った。「時間がありません。いますぐ、お義父さんを呼んでください」
少しして、義父が電話口に出た。
「俊一くん、日曜日だというのに、何をしているんだ?それに啓介は?」
「啓介は無事です。いいですか、お義父さん。私の言うことをよく聞いてください。今からすぐ、お義母さんを連れて、その家を出るんです」
「きみは何を言ってるんだ。それにどうして、そんな必要があるんだね?」
「訳はあとで話します。とにかく、そこにいると危険だ。待ち合わせ場所を言いますから、そこで会いましょう」
俺の切迫した声に、篠田は無駄なことは聞かなかった。
「分かった。啓介は一緒なんだね?」
「ええ。それから、行き先は誰にも言わないように。警察にもですよ」

俺は車を運転して、待ち合わせ場所に指定した、客の多い喫茶店に急行した。
義父母は先に着いていて、店の前で待っていた。二人ともオーバーコートを着て、手には小さなセカンドバッグを持っているだけだ。
啓介を挟んで、義父母が後ろのシートに落ち着くと、車を発進させた。こちらに特別な関心を示す通行人はいないようだ。
義父母は、助手席にいる池上を不審そうに見たが、なにも言わなかった。俺は彼らを心配させないために、警察の人とだけ言って池上を紹介した。
車の中で、義父は事情を聞こうとしたが、俺は説明しなかった。
「今は理由を話している暇がありません。とにかく今夜は、啓介と一緒にホテルに泊まってください。部屋に入ったら鍵をかけて、できるだけ目立たないようにしてください」
篠田は、それでも納得がいかないようすだったが、俺は同じ言葉を繰り返した。
目的の大型ホテルの玄関前で、車を停めた。ホテルには、車中から予約を入れていた。
三人を車から降ろす時、念を押すように義父に言った。
「いいですか、食事などは部屋で取ってください。それから、ドアの鍵をかけておくんですよ」

ホテルから離れると、池上の自宅に向った。池上が、必要なものを取りに帰りたいと言ったからだ。今夜10時まで、時間はたっぷりとあった。
家の前で池上を降ろすと、そのまま俺は、レンタカーを返しに行った。池上と話し合って、彼の車に乗り換えることにしたのだ。
レンタカーの店先で待っていると、池上が地味なグレーのセダンを運転してやってきた。セーターの上に厚手のハーフコートを着ていた。彼はコートのポケットから皮製のコン棒を取り出して、俺に渡した。ずっしりとした重量感があった。
「なにかの役に立つかも知れない。ブラックジャックと言って、中に鉛が詰まっているんです」
「どうしてこんなものを──」
驚く俺に向かって、池上がすまして言った。
「私は警官だよ。いつ危険な目にあうかも知れないからね」
そしてウインクした。「ただし、誰にも話さないでください。プライベートとは言え、警官がこんなものを持っているなんてことが知れたら、世間が黙っちゃいないですからね」
池上自身は、拳銃と予備の弾丸のカートリッジを持っていた。拳銃は、俺が渡した大型のものではなく、コンパクトなものだった。護身用で、こちらのほうが扱い易いと言う。
俺は福井のアパートに戻ろうとしたが、ひょっとしたら見張られているかも知れないと言う池上の意見に、車の中で夜まで過ごした。
キツネ目が持って来いと言った、書類は無視した。どっちみち、銀行は休みで、今日引き出すのは無理だった。
予定時刻の一時間ほど前に着くため、俺たちは山下埠頭に向けて出発した。
いよいよ大詰めの予感に、俺は武者震いした。
[17/07/28 07:33 神亀]
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