目 次
■ デッドライン第二部(調査) - (10)
(10)

俺と啓介は、廊下の向かいの小さな部屋に閉じ込められた。部屋の中には、なんの家具もなかった。
まず窓を調べた。窓は簡単に開いたが、地面までは四メートルほどありそうだ。途中の壁にはなんの手掛かりもない。俺一人なら飛び降りることが出来るだろうが、いまは啓介が一緒だ。
今度は、ドアのところに行った。鍵は握りにシリンダー錠が組込まれた形式だった。ドア枠はアルミ製のちゃちなものだったので、体当たりすれば壊せそうだ。――もっとも、その音で男たちに気づかれてしまうだろうが。
「やっぱり分かってくれたんだ」
啓介がぬいぐるみの腹から、万能ナイフを取り出しながら言った。そのナイフは、啓介が山にキャンプに行くとき、俺がプレゼントしたものだった。その時は、子供にはまだあぶないからと言って、佳代が取り上げていた。
「ああ、おまえが言ってることは分かったけど、そんなちっぽけなもので、一体何ができるんだね?」
啓介は肩をすくめた。
「何かの役に立つのじゃないかと思って。ドアの鍵が開けられないかな?」
「あとで試してみる。ところであいつらは、どうやっておまえを連れ出したのだ?」
「夕方、太田先生が家に来たの。あ、もうお医者さんじゃなかったっけ。それで、太田さんとお話していると、あいつらがやってきたんだ」
「近所の人は気づかなかったのかい?」
「わかんない。騒ぐと殺すってピストルを突き付けられた。黒光りして──あれはぜったい本物だよ」
啓介は両腕をさすって、身震いした。そこで彼は息を呑んだ。
「大変!」
「どうしたんだ?」
「太田さん!太田さんは、どこに連れて行かれたんだろう?」
俺は無表情を装った。太田が死んだということは、まだ話さないほうがいい。
啓介は心配そうにつづけた。
「最初に家に来たのは、二人の男だったけど、ひとりが電話したあと、もう二人、男がやってきたんだ。それで太田さんは2階に連れて行かれて、僕のほうは──」

そのときだった。別の部屋から、妙子の悲鳴が聞こえてきた。
彼女は男たちをなじり、わめき散らしていた。それに男たちの下卑た笑い声が交じった。しばらくして、ふいに彼女の声が聞こえなくなった。男の囃し立てる声がした。
建物の中が急に静かになった。
その静寂の中で、彼らがいる部屋の中で行なわれている光景を想像して、俺はヘドが出るほど気持ちが悪くなった。
啓介のほうを見ると、彼は震えていた。ジャンパーを脱いで、息子の肩にかけてやった。抱き寄せて、安心させるように背中を撫でてやった。
今は何もできない。行動を起こすのは、男たちが寝てからだ。
俺は腕時計を見た。驚いたことに、まだ10時半過ぎだった。ここにきてから、1時間も経っていないのだ。
俺は息子にささやいた。
「いいか、啓介。真夜中の2時ごろに、ここから逃げ出す。それまで、あと3時間半ある。寒さで眠れないかも知れんが、できるだけ休んで、体力を蓄えておくんだ」
「それまでに、凍え死にしなければね」
啓介がそっと言って、気丈に微笑んだ。たしかに室内は寒かった。それも、夜が更けてくるにつれ、ますます寒さが厳しくなっていた。
膝の古傷がシクシクと痛んだ。男に蹴られた側頭部に手をやると、血がこびりついて、髪の毛がこわばっていた。
Pタイルの床に横たわり、腕枕に啓介の体を抱いてやりながら、体力を温存した。ときおり、妙子の喘ぎ声や、男たちの卑わいなうめき声がかすかに聞こえてきたが、その声を極力無視した。

俺は寝そべって、先ほどの梶山との会話を、一言一句、思い出そうとした。
(二人の警官が調べたそうだな?)
(メモや写真のことを話したのは、篠田のほかに誰だ?)
(ほかに、なにか残していなかったか?)
(書類とかは、なかったか?)
(金は?)
俺は、義父の身を案じたが、今はどうしょうもなかった。それにしても梶山は、メモと写真について、義父の名前を出したが太田の名前は出さなかった。それに彼は、警官が俺の家で調べ回ったのを知っていた。
最初の疑問はすぐに解けた。残酷な拷問を受けながら、太田は死ぬまで口を割らなかったのだ。
俺は、太田の豪胆な精神に感嘆するとともに、空しい喪失感も覚えていた。老人のどことなく人を食ったとぼけた表情が、瞼に浮かんだ。それとともに、梶山に対する憎しみが、ふたたびこみあげてきた。
太田の死については、怖がらせたくないため啓介には話していないが、いずれは知ることになるだろう。そのとき受けるであろう、息子のショックが怖かった。

梶原が知っていた警察の情報については、今もって謎だった。
あのとき普通なら、警官たちが何を見つけたか聞くはずなのに、梶山は、何も見つからなかったことを知っているようだ。
そういえば、梶山の家に連れて行かれたときも言っていた――俺が池上警視に会っているのを知っている、と。それに、俺をここまで連れてくる、手の込んだ方法。あんなスパイもどきのことをやるのは、警察が俺を監視していると知っていたからだ。
となると、梶山が警察内部の情報をつかんでいるのは、明白だった。
それに、書類とは何だろう。金のことは、12億円のことを言っているのだろうか?そうだとすると、彼らはまだ手に入れていないということになる。じゃあ、栗田はその金をどこに隠したのか。それに、梶山商事が銀行に借金を返済したと言う、太田の話とも辻褄が合わなくなる。
そっと啓介の様子をうかがった。彼はかすかに寝息をたてている。その寝顔は、あどけなかった。
ふと、啓介がまだ幼かった頃のことを思い出した。あの頃は、俺も野球に情熱を燃やし、同じ情熱で佳代や啓介を愛していた。
家の中では、明るい笑い声が絶えなかった。あの頃の啓介は、まるで英雄のように俺を見ていた。子供心になんとか俺の関心を引こうと、かいがいしく働きかけていた。
(啓介だけは、なんとしても助け出す)
そう思うと、体中に力が湧いてきた。

外で物音がして、ドアが開いた。
ごつい顎の男が、臼井妙子を連れてあらわれた。妙子が男たちに何をされたのかは、一目瞭然だった。彼女の化粧は、涙でくずれていた。ブラウスの襟元が破れ、胸元が大きくはだけている。
彼女が足を引き摺りながら部屋に入ると、ごつい顎の男が鋭い視線で室内を見回し、それからドアを閉めた。
「大丈夫か?」
俺は、妙子に声をかけた。彼女はぐったりとして床に座り込み、弱々しく微笑んだ。
「大丈夫なわけ、ないわよ」
「すまない──バカなことを聞いた」
「いいのよ。他に聞きようがないものね」
俺は吐き捨てるように言った。
「それにしても、あいつら、けだものだ」
「それ以上よ。あいつら、明日になれば、私たちをコンクリート詰めにするつもりよ」
驚いた顔の俺に対し、妙子は補足した。「あいつらが話しているのを聞いたの。梶山の指示よ」
「でも、あんたは――梶山の愛人じゃなかったのか?」
「不用になれば、ポイ捨てよ。あいつは欲しくなれば、見境なく男とでもヤル男よ。欲望を満たせば、それで終わり」
(そのひとりが、俺ってわけだ)
俺は皮肉な思いがしたが、同時に心底、梶山が恐ろしくなった。人を殺すことなど屁とも思わぬ、冷酷な人間なのだ。
「あいつらは太田さんを殺した――」
俺は、ぽつりと言った。
妙子が息をのんだが、怪訝そうに俺を見た。
俺は説明してやった。
「太田さんは恩人なんだ。俺が交通事故で大怪我を負ったとき、医者だった彼は、俺を助けてくれた。その彼を――あいつらは殺した。拷問して――」
妙子は両腕をさすって、ブルっと体を震わせた。血の気が失せて、蒼ざめていた。
彼女はつぶやいた。
「たぶん、電話を盗聴していたのよ――」
「何のことだい?」
「今日の夕方、あなたと話したこと。だって、あの後しばらくして、梶山が男を連れてやってきたの。そして有無を言わさずに私を連れ出した。そのとき、梶山は私に言ったわ、この裏切り者めって。彼の態度はどう見ても、私があなたと話した内容を、知っている素振りだった」
俺は考え込んだ。梶山が警察内部の情報に詳しいこと。太田が調べまわっていることを、いち早く掴んだこと。それに、妙子のような身内にまで、監視の目を光らせているのだ。
梶山という男は、冷酷なだけでなく、よほど緻密で用心深い男なのだろう。
俺は、自分が相手にしている男の強大さを、あらためて認識した。
「それで梶山は、すぐ行動に出たんだな。俺が警察に駆け込む前に、かたをつけようとしたんだ。あいつらは、啓介を誘拐しようとして俺の家に行き、たまたま居合せた太田さんを捕まえた。そして太田さんは――」
俺は、啓介が身動きするのに気付いて、あとの言葉をのみこんだ。

啓介が目を覚ました。
俺は息子のほうに目配せすると、妙子に小声で言った。
「あいつらが眠ったら、行動を起こす。2時に」時計を見た。
「今、ちょうど12時。あと2時間後だ」
「どうやって逃げるの?」
「それはこれから考える。あいつらはどの部屋にいるか、分かるかい?」
妙子は少し考えた。それから、気だるそうに話しだした。
「右田と藤岡は、階段脇にあるトイレのすぐ横の部屋よ。右田は目の細い痩せた男。藤岡はがっしりした体格で、顎の張ったほうよ。もうひとりのつるっ禿げの男、名前は分からないけど、その男は下に降りたわ──だめっ、とてもあいつらから逃げられっこないわ」
「やってみなければ分からないさ」

俺は立ち上がると、ドアのところに行った。握りを調べて、息子に向かってささやいた。
「啓介、おまえの万能ナイフを貸してくれ」
啓介が立ち上がって、ナイフを差し出した。
俺はナイフを使って、錠前にとりかかった。最初は、鍵穴にナイフの刃やコルク抜きを突き立てて、シリンダー錠を外そうとした。
なかなかうまくいかなかった。今度は握りとドアの隙間に刃を差し込み、握りそのものを取ろうとした。15分ほど、あれやこれやと試した。
啓介は俺の作業を、そばでじっと見守っていた。しかし、ナイフの刃が変形しただけで、錠は最後まで開かなかった。

とうとう癇癪を起こした俺は、握りを掴むと、グッと下に押し下げた。握りの軸がボキッと折れた。どうやら不良品だったらしい。
そのとき、外側のノブが床に落ちて、乾いた音をたてた。
俺は息をひそめた。一分、二分──耳をそばだてて、外の動きを待った。
何も聞こえなかった。どうやら、男たちはその音に気づかなかったらしい。
俺は手に残る握りの片割れを見て、啓介と顔を見合わせた。
啓介はだまって肩をすくめた。
あとは簡単だった。開いた穴からボルトを外すと、ついにドアが開いた。外の廊下に転がっているノブを拾い上げて、いったんドアを閉めた。
俺は二人に言った。
「予定変更だ。これから逃げるよ」
[17/07/19 08:12 神亀]
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