■ デッドライン第二部(調査) - (9)
(9)
着いたのは厚木の人里離れたところにある、ナマコン工場だった。
操業停止してだいぶ月日が経つのか、錆ついたコンクリートの生成施設が、残骸になって散在していた。工場の入り口にある裸電球の明かりを除けば、敷地内に明かりの点った外灯はまったく無い。
車は空き地の端に停まった。黒塗りのベンツがその先に駐車していた。
二人の男は、俺を車から下ろすと、事務所棟らしき二階建てのプレハブ小屋に向かって歩きだした。
靴の下で、まばらに積もった雪がキシキシと音をたてた。先頭を歩くキツネ目の男が、寒そうに手を擦りあわせ、吐く息が白かった。
二階の窓に明かりが点っていたが、ブラインドが下ろされ、内部の様子は見えなかった。あたりはシンと静まり返って、遠く東名高速道路の車の通過音が、かすかに聞こえていた。
キツネ目がガラス戸を開け、中に入ってスイッチを入れた。室内の照明がつき、そこが玄関ホールだということが分かった。
中も寒かったが、風が無いだけマシだった。すぐ前に傷だらけの木製カウンターがあり、左手に2階への階段があった。キツネ目は階段の方に向かった。
2階にあがると、廊下がフロアをふたつに分けていた。左側はアルミパネルの壁面、ドアの数から見て、区画された小部屋が4つあると思われる。
右側は、腰パネルの入ったガラススクリーンで遮られていた。内部は白々とした蛍光灯が点けられていて、大部屋になっているのが分かる。
俺たちは、右の大部屋に入った。石油ストーブの臭気が鼻をつき、暖気が冷えきった体を押し包んだ。
部屋の中には3人の男たちがいた。ストーブを囲んで、折りたたみ椅子に腰掛けた梶山とその脇に立つゴリラ男、それに、これまで会ったことのない男がいた。
その男は異様な風体をしていた。頭髪の無いスキンヘッド。青白い顔と眉毛の無い鋭い目つき――その男にはぞっとするような酷薄さが漂っていた。背丈は俺より少し低く、広い肩幅とほっそりとしたウエストの体型からは、プロボクサーのような精悍さがにじみ出ている。
梶山は煙草をくゆらせながら、近寄る俺を無表情に見ていた。高価な皮のハーフコートを着て、くつろいでいるように見えた。
俺が前で立ち止まると、彼はつぶれた声で言った。
「おまえは、この前の忠告を聞かなかったようだな」
俺は、梶山をにらみつけた。
「なぜ太田さんを殺した?それに息子はどこにいる!」
梶山は平板な声でつづけた。
「おまえは、人の話を素直に聞いていない。どうやら、ねじ曲がった根性があるらしいな。わしは、おまえが約束を破ったと言ってるんだ」
「俺はあんたと、約束などした覚えはない。それに、俺が何をしたと言うのだ。あれ以来、警察に連絡していないし、あんたの回りも嗅ぎ回っていない」
俺は一気にまくしたてた。「さあ、早く息子を返せ!」
梶山はせせら笑った。
「じゃあ、ジジイはどうなんだ?あいつはわしのことを、あちこちで調べていたぞ」
「たいしたことは言ってない。あんたのことを聞いただけだ」
梶山は、そんなことが信じられるか、と言うように鼻を鳴らした。
「まあいい。篠田はどうだ?わしのところに来たぞ」
俺は一瞬、気勢をそがれた。ということは、義父は俺の話を聞いたあと、梶山に会いに行ったのか。
「彼は──女房の親父だ。だから、会った」
「へ理屈をこねるな。どうもおまえは、あちこちでピーチクさえずりすぎる──おまえの夢物語をな」
「夢物語なら、なんであんたが、そんなに気にするんだ?それに、なぜ太田さんを殺した」
とたんに、梶山の目つきが鋭くなった。どうやら、彼の痛いところを突いたらしい。彼はくぐもった声で言った。
「わしは、ジジイを殺せとは言ってなかった。あれは事故だ。ちょっとさえずってもらおうとしたら、その前に、ぽっくりと逝っちまったようだ」
「太田さんは心臓が悪いんだぞ。それをおまえたちが拷問したからだ――それでも殺人に変わりはない。おまえは人殺しだよ」
「ふん、何とでも言うがいい。今ごろはシーツごと、じじいの死体は運び出されている。証拠は何もない」
俺が証人だよ、と言おうとしたが、啓介のことを思うとこれ以上、梶山を刺激したくなかった。
「さあ、息子を返してくれ。そしたら俺は、あんたのことを忘れる」
梶山はバカにしたように笑った。
「おまえは忘れっぽい男だな。わしは言ったはずだぞ。おまえが嗅ぎ回れば、息子をいただくとな」
俺はギョッとした。
「きさま、まさか息子を──」
そのあとは、恐ろしくて言えなかった。
梶山は思わせぶりに、ニンマリとした。
ふいに激しい怒りがこみあげてきた。俺は梶山めがけて飛びかかった。
俺たちは絡み合って、椅子もろとも背後の床に倒れ込んだ。梶山の首に両手をかけた。梶山が喘ぎ、首に絡む俺の手をかきむしった。
そのとき、側頭部に激しい衝撃を受け、俺は横に吹っ飛んだ。
一瞬、意識を失いかけたが、俺の怒りは煮えたぎっていた。膝をつき、もう一度、梶山めがけて突進しようとした。
横腹に足蹴りが炸裂した。
ついで、昔痛めた右膝を蹴られて、息をつまらせた。
スキンヘッドが歪んだ笑みを浮かべ、俺に向かって屈みこんだ。ジャンパーの襟をつかまれ、無造作に体を引き上げられた。
こんどは鳩尾に拳が叩き込まれた。
肺の空気がいっぺんに抜け出た。強烈な一撃だった。
「そのへんでやめておけ」
梶山が、ヨロヨロと立ち上がりながら命令した。痛そうに喉をさすっている。
両腕をねじり上げられ、意識朦朧として立っている俺に向って、彼は薄い唇をゆがめた。
「舐めたまねをしおって」
梶山は、コートのポケットから皮の手袋をとりだすと、ゆっくりと両手に着けた。
それから男たちに命令した。
「膝まずかせろ」
とたんに、膝の後ろに足蹴りがきた。俺はたまらず膝を折った。
「わしを舐めるとどうなるか、教えてやる」
梶山はコートを脱ぐと、キツネ目に渡した。
梶山の拳が、俺の左頬にぶち当たった。次は、こめかみにきた。俺は打撃に耐えた。
梶山のパンチは、スキンヘッドの男にくらべると、たいしたことはなかった。
しばらくして、梶山は殴るのをやめ、胸を喘がせながら、ごつい顎の男に言った。
「子供を連れてこい」
男が部屋から立ち去り、すぐに啓介が男に連れられてやってきた。臼井妙子が一緒だった。
「お父さん!」
啓介が走り寄ってきた。俺たちは抱き合った。息子はかすかに震えていた。どこにも異常はないようだ。俺は安堵の息をついて、息子の体を強く抱きしめた。
「おまえ──大丈夫か?」
「ああ──」
啓介は、俺の腫れた顔を見て、息をのんだ。
「お父さんこそ大丈夫?」
「ああ、たいしたことはない」
俺は、無理をして微笑んだ。啓介は心配そうに俺の顔を見ていたが、そっとささやいた。
「僕のぬいぐるみ、持ってきた?」
梶山が、せせら笑った。
「12歳といっても、まだガキだな。渡してやれ」
キツネ目が、床に落ちた熊のぬいぐるみを拾いあげ、啓介に手渡した。
「さて、おまえの望みはかなえてやった。話を続けようか」
梶山は、俺から啓介を引き離すと、ゆったりとした口調で言った。彼は背後から、啓介の両肩に手を置いていた。
それを見ていて、俺は不安になったが、へたな動きをして、梶山を刺激したくなかった。冷酷な梶山のことだ、何をするか分からない。
「おまえは篠田に、メモと写真のことを話したそうだな」
それで分かった。義父が話したのだ。何のために?疑問は残ったが、俺は表情を変えずに言った。
「ああ、女房が残したものだ」
「持ってきたのだろうな?」
俺は正直に答えた。
「ジャンパーのポケットにある」
「よし、渡せ」
俺はポケットから取り出すと、梶山に渡した。梶山は、メモと写真をしばらく見て、それをキツネ目に渡した。
「始末しろ」
キツネ目が石油ストーブの上で、メモと写真にライターの火をつけた。室内に、焦げ臭い匂いがただよった。メモと写真はストーブの上で燃え尽きた。
それを見届けて、梶山が振り返った。
「メモや写真のことを話したのは、篠田のほかに誰だ?」
俺は梶山の目を見ながら言った。
「他には、誰にも話していない」
「確かだな?」
「ああ、嘘はつかない」
梶山はじっと俺の顔を見た。
「とりあえずは、おまえを信用することにしよう。おまえの女房は、ほかになにか残していなかったか?」
「変わったものは、なにも無い」
「書類はなかったか?」
「書類?どんな書類だ?」
それに答えず、梶山は聞いた。「金は?」
「金?貯金は少しあるけど──」
梶山は奇妙な目つきをした。そして言った。
「二人の警官がおまえの家に行って調べたそうだな。他にどこか隠せるところはないか?おまえは、メモと写真を見つけたくらいだからな」
「考えられるところは、すべて探した。――先ほどからあんたは、書類とか、金とか言っているけど、一体なんのことだ?」
梶山は、俺の質問を無視して、なにやら考え込んだ。それから腕時計を見て、スキンヘッドに顎をしゃくった。
二人は部屋の隅に歩いて行った。梶山とスキンヘッドは、しばらくなにやら話していたが、その内容は、俺のところまで聞こえてこなかった。
二人は戻ってくると、梶山がハーフコートを身につけた。
「こいつらを部屋に入れておけ」
梶山は、ごつい顎の男に言うと、ゴリラ男とともに部屋を出ていこうとした。
「私は、どうするのよ?」
臼井妙子が、梶山に声をかけた。彼女は化粧で隠していたが、左目のまわりが腫れぼったく、紫色に変色しているようだ。おそらく、梶山に殴られたのだろう。
梶山はゆっくりと振り向くと、彼女に言った。
「おまえは、ここに残れ。男たちが相手をしてくれる」
「あなた――なに言ってるのよ!」
妙子は梶山に詰め寄った。ゴリラ男が前をさえぎった。
「おまえの好きなことだ。たっぷりと楽しめ」
梶山は平然と言うと、歩き去った。