■ 風の新之輔第二部 - 第二部流浪の旅(四)
(四)
秋の収穫祭が終わったころ、新之輔は村を出ようと決めた。
そのことを告げると、須佐之介が言った。
「だったら、因幡の国まで付き合ってくれ。注文の品が完成したので、届けるところだ」
須佐之介は大ぶりの剣を持ってきた。諸刃の剣で先端が三角形に尖っている。しかも刀身の幅が広く、唐草文様が彫り込まれている。見かけは豪華だが、ひと目で飾り用と分かる代物だった。
「その剣はなんだ?」
新之輔が聞くと、須佐之介は胸を張って答えた。
「白兎神社に納める草薙剣(くさなぎのつるぎ)だ」
「草薙剣だと」
新之輔はいぶかった。草薙剣は神話に出てくる三種の神器のひとつで、須佐ノ男命が八岐大蛇(やまたのおろち)を退治したとき、尾から出てきたとされている。
「――の模造品だ。がははは」
須佐之介は豪快に笑った。そのあと不満たらたら付け加えた。「神主の罰当たりめ。前に納めた剣は、わしが精魂込めて叩き上げた逸品じゃったのに、気に食わないとぬかしおった。で、見かけだけ立派なこの剣と差し替えることになった」
ふたりは馬に乗って旅立った。新之輔は、「せっかく誂えたのだから捨てるのはもったいない」と皮の鎧も馬に積んでいた。
山陰道に出ると、寄り道して杵築大社(きづきおおやしろ。今の出雲大社)に参詣した。ここの祭神は国譲りの神話で有名な、大国主(おおくにぬし)である。大国主大神が高天原の天照大神に国を譲る条件として、自分の居住用に造営させた天日隅宮(あまのひすみのみや)が、杵築大社の始まりとされている。
また、十月は全国から八百万(やおよろず)の神々が出雲に集まるという謂れから、神無月と呼ばれているが、ここ出雲だけは逆に、神在月と呼ばれている。
さすが悠久の歴史があるだけに、厳かに佇む社殿は見応えがあった。
しかし新之輔は、なにか違和感を覚えていた。神社の敷地内に、仏堂や塔が立ち並んで、僧侶の姿も散見されたからだ。
そのことを須佐之介に伝えると、よく気付いた、と言わんばかりだった。
「神仏習合の悪い影響だ。ここは天台宗の鰐淵寺(がくえんじ)の神宮寺を兼ねている。おかげでここの神事は衰微ぎみだ」
そこでニヤリと笑った。
「しかし、心配は無用。今、出雲国造家が寺社奉行に対して、神仏分離を主張して、仏教寺院の追い出しにかかっている。微力ながら、わしも国造家の後押しをしているところだ」
須佐之介のことだ、微力どころか、強引にことを推し進めているのだろうと思ったが、新之輔は黙ってうなずいた。
そのあと宍道湖の対岸にある、松江の城下町に入った。
松江藩は越前松平家の領地である。藩の財政は年貢米の収入だけでは立ちいかず、専売制を敷いて、木蝋、朝鮮人参、木綿や鉄の生産を奨励している。
新之輔はふと小壺芳美のことを思い出して、漢方薬の貴重な薬剤となる朝鮮人参を買い求めた。
時刻からみて次の宿場まで行ける余裕があったが、須佐之介の希望で、松江に泊まることになった。
宿を取ったあと、須佐之介は新之輔を誘って、宍道湖の岸辺まで歩いた。しばらくすると、夕陽が宍道湖に差して、湖面全体が茜色に染まってきた。この世のものとも思われぬ素晴らしい眺めだった。
遠くに浮かぶ嫁ヶ島の影が、夕陽の絶景に彩りを添えている。
新之輔は、初めて目にする大自然の奇跡に、声もなく見とれた。
なぜか涙が滲み出た。自分がこの素晴らしい日本に、住んでいることの喜びを実感するひとときだった。
「どうだ、この夕陽を見るだけでも、松江に来た甲斐があっただろうが」
須佐之介が威張って言った。「さあて、旅籠に戻って飯を食うか」
旅籠は二階建ての大きな建物で、有り難いことに湯屋を備えていた。
裸になると、無数の刀傷のある新之輔の身体を、須佐之介は感心したように見た。
「すごい傷跡だ。おぬし、相当の兵(つわもの)だな」
言ったあと、今度は視線を下に移した。「それに、すごい業物をぶら下げている。女どもが騒ぐはずだ」
そう言う須佐之介も肉の厚い身体をして、女好きの図太い摩羅をぶら下げている。
湯から上がったあと、飯盛女が晩飯を運んできた。
菜は宍道湖で採れた魚介が中心で、久しぶりのご馳走だった。醤油をつけ焼きにしたシラサギ、鴨肉と山菜の煮物、そしてシジミ汁が出た。特に粒の大きなヤマトシジミは、絶品だった。
女がそのまま残って、酒のお酌をしてくれた。愛想の良い小柄な女で、年の頃は二十代後半と思える。
食事の後、須佐之介が一分銀を女に渡した。どうやら女に夜伽をさせることで、話が決まったようだ。
新之輔は非難がましく須佐之介をにらんだ。
「おい、まさかこの部屋でやるんじゃないだろうな」
須佐之介が、当然のことだといった顔で答えた。
「いいじゃないか。ふたりでこの女を、たっぷりと悦ばしてやろう」
新之輔はあわてた。
「拙者はいい。貴公だけでやってくれ」
ふたりのやりとりを聞いていた女が、新之輔にむかって訳知り顔で言った。
「お侍さん、男がいいのなら、可愛らしい稚児がいるよ。呼ぶかい」
「いらん」
新之輔はきっぱりと断った。
結局、隣の部屋が空いていたので、須佐之介と女はそちらに行った。
残された新之輔はひとりで床についたが、襖越しに聞こえてくる睦みあう物音に、長い夜を悶々として過ごした。
ふたりは村を出て三日がかりで、目的地の白兎神社に辿り着いた。
ここの主祭神はその名の通り、日本神話に出てくる因幡の白兎である。
皮膚病に霊験のある神で、また、大国主と八上姫神との婚姻を取り持ったことから、縁結びの神とされている。
須佐之介の姿を見て、初老の宮司が出てきた。
商家の主と言ったほうが似合いそうな貫録があった。でっぷりと肥って、福々しい顔をしている。聞けば、京は春日家の雑司の出だという。雑司は公家の雑用をする小者だが、京では雑司でも立派な官位を持っていた。
宮司は須佐之介から新しい剣を受け取って、じっくりと調べたあと大きくうなずいた。剣の性能よりも、見た目の豪華さに満足したようだ。
須佐之介は丁銀二十五枚を受け取って、宮司と別れた。
「ここで分かれる。じゃあ達者でな」
新之輔が別れを告げると、須佐之介は「ちょっと待ってろ」と言い置いて、神社のほうに行った。
戻ってきたときには、古めかしい鞘に納められた剣を手にしていた。
「わしが一念込めて叩き上げた剣だ。おぬしなら、これを使いこなせるだろう。持って行け」
須佐之介は、剣を新之輔に差し出しながら言った。
柄を握った途端、手にしっくりと馴染むのを覚えた。
鞘から抜き出すと、刃渡り二尺七寸ほど(約八十二センチ)の諸刃の剣だった。灰青色を帯びて、普通の刀とは異質のものを感じた。刀身は太く肉厚で、刃先は鈍く光って、さほど切れ味が良さそうにも見えなかった。
「いいのか」
新之輔が聞くと、須佐之介がこともなげに頷いた。
「ああ、いいぞ」
「よくはありませんっ!」
宮司が叫んだ。須佐之介を追いかけてきて、息を切らしている。
「なんだ、宮司、文句でもあるのか」
じろりと睨んで、須佐之介が言った。
「その剣の代金はすでにお支払しています。持っていくのなら、前に払った丁銀二十枚を返してください」
「おや、言ってなかったか。さっき渡した剣は、丁銀四十五枚だ。だから残金の二十枚はこの剣にしておいてやる」
そこで腕の筋肉をぐぐっと盛り上げた。「それで――文句があるのか」
「い、いえ」
須佐之介の迫力に負けて、宮司が退いた。
はたで見ていた新之輔は、別の意味で、宮司を痛めつけてやりたかった。
これまでさんざん須佐之介の色事を見てきて、彼の精気は飽和状態に近かった。初老の宮司の福相を見ていると、無理やり身体の下に組み敷いて、手籠めにしてでも犯したい心根だった。
そんな新之輔の目つきに気付いて、須佐之介が納得の表情を浮かべた。
ふたりは神社を後にした。別れ際に、須佐之介が言った。
「そういうことだったんだな」
「なんだ、そういうこととは」
「おぬしが女を抱かない理由だ。おぬしは、あの宮司のような年寄りの男がいいんだろう」
「――」
新之輔が黙り込むと、須佐之介は豪快に笑った。
「がははは。だったら、永平寺に行け」
「永平寺――?」
「ああ、越前の国にある寺だ。そこに妙窓という和尚がいる」
須佐之介は、顎を撫でながらほくそ笑んだ。「その和尚に言い寄られたことがある。品のいい坊主だが、わしは衆道をやらんのでな。坊主の申し出を断った。おぬしにその気があるのなら、一度会ってみろ」