目 次
グランパラダイス(下) - エピローグ
(エピローグ)

金曜日の夕方、グランパラダイスに出かけようとするとき、忠が花を持って行ってくれと言う。なんでもマスターに頼まれたそうだ。忠は栽培している鉢植えのシクラメンの中から、うす紅色の花を咲かせたものを選んでいた。
「おまえ、わたしを使うからには、それなりの見返りがあるのだろうな」
ビニールの袋に入れた鉢植えを受け取りながら、篤志が文句を言うと、忠がのんびりと返した。
「はい。旦那さまがお戻りになりましたら、マッサージをしてさしあげます」
「どこをマッサージするんだ?」
それに答えず、忠は恥じらいを見せて下を向いた。

師走ともなると人の往来も、なんとなく慌ただしい。
篤志は鉢植えをぶら下げて、のんびりと裏通りを歩いた。
グランパラダイスの前で、鬼律忠司と僕野無有民が仲良く作業をしていた。壁や窓周りにイルミネーションを取り付けている。
篤志に気づいて、ふたりは愛想よく笑いかけた。無有民の肉付きの良い大きな尻を見ていると、ふたりの絡みを想像して、こちらまで恥ずかしくなってくる。
店のドアを開けた途端、大きなクリスマスツリーが目に飛び込んだ。
中でもトナカイのオーナメントが、目を引いた。丸い鼻と、後ろ足の間から前に突き出た逸物が、LEDの赤ランプで明滅している。
カウンターの前では、阿礼太が脚立に乗って、津間洋児から渡される飾りを天井に取り付けていた。
「おい、まだ19日だぞ。クリスマスには早いのじゃないか」
カウンターにシクラメンの鉢植えを置きながら篤志が声をかけると、洋児が作業の手を止めて応えた。
「あれ、会長しゃん、忘れたと?12月は第3金曜日ば、サービスデーにしとるんやけん。みんな忘れんでん、手伝いに来てくらっしゃると」
部屋の奥では、安曽古好のぽっちゃりした姿が見えた。好は床に膝をついて、カラオケ用ステージに黄色のカーペットを貼っている。
丸っこい尻のふくらみ、谷間のかわいらしい玉袋に布地がまとわりついて、なんとも艶っぽい眺めだ。見ている篤志は、荒々しく目覚めさせられるものを覚えた。

作業が一段落した頃、コメ屋の独是力也がクリスマスケーキを持ってきた。
「ちょっと早いけど、天国の義父からのプレゼントです」
彼はケーキの箱をカウンターの上に置くと、ポケットから封筒を取り出して、篤志に渡した。「義父の遺品を整理していたら、会長に渡そうとしていたらしい封筒が見つかったので、持ってきました」
封筒の表には、褪めたインク文字で『篤志』とだけ書かれていた。
中にはメモ用紙と1枚の写真が入っていた。
紙片には、『会いに行くも行かぬもお前の勝手』と書かれて、末尾に北海道旭川市の住所と牧場名が記されている。
写真には、牧場と思われる木の柵の前に、二人の男が仲良く肩を組んで立っていた。背の高いほうは、懐かしい高城健の姿だった。
カウボーイハットを被って、カーキ色のチェックの長袖シャツとグレーの作業ズボンを着ている。少し太めになっているが、いかにも健康そうだ。
背の低いほうはでっぷりと肥って、赤ら顔に無邪気な笑みを浮かべている。健よりだいぶ年上のようだ。

横から洋児が写真を覗き込んだ。
「健しゃん、あいかわらず男げな顔しとるね。カウボーイ姿のちかっぱ似おうとる」
篤志が黙っていると、洋児はなおも言った。
「会長しゃん、北海道に行っち、健しゃんに会っちくる?」
篤志は写真を封筒に収めながら、静かに言った。
「いや、そっとしておこう」
(長老、ありがとう)
篤志は心の中でつぶやいた。
おそらく長老は、探偵会社でも使って、高城健の所在を探させたのだろう。
前に長老は言っていた。気をつけないと、心まで奪われるぞ、と。
確かに一時期はそうだった。そして今も、懐かしい健の写真を見た途端、無性に会いたくなったが、心の一部は醒めていた。
それは、写真の前で幸せそうに笑う二人の姿を見たからか。それとも歳月がそうさせたのか。いずれにしろ篤志は、高城健のことは吹っ切れたと思った。健は、大切な記憶の一部となったのだ。

客がじょじょに増えてきた。
篤志は、独是長老の定席だった入り口側の止まり木に腰掛けて、来客を迎え入れた。
槍田井芳桂が内田昭三を伴って入ってきた。昭三が店に来るのは初めてだった。老人は篤志に向かって、几帳面に頭を下げた。
芳桂は例の軽薄な調子で、老人を『ショウちゃん』などと呼んでいる。そして、聞こえよがしに話していた。
「ショウちゃん、店のオーナーの会長はんには気い付けなはれ。あん人、欲しいもんがあったら、すぐ自分のもんにしたがるんや。ほら、奥におる小柄なお爺ちゃんな――」
芳桂は、安曽古好のほうを顎で示した。「あん人、ヨッちゃんてゆうんやけど、あん人も親しゅう付き合うてた人から、会長はんが横取りしたんやで――」

珍しいことに床屋の右舞百八が、警部の強羅鉄男を連れて店に来た。
年は30歳近く離れ、身長も30センチ近く違うふたりの組み合わせは、さしずめ『美爺と野獣』と言うべきだろう。
篤志は強羅に声をかけた。
「警部、現役のあなたが、こんなところに来ていいのですか?」
強羅は生真面目に答えた。
「あ、いや、今夜は風俗見回りに来ました」
そう言う警部は、尻も太腿も満々と張っている。馬のように頑丈な強羅の体を見ながら、篤志は百八の身を案じた。
(シャクじいさん、腰が立たなくなるほど、可愛がられているのだろうな。もう年なんだから、ほどほどにしないと)

少し遅れて、稚加良強が華下満須夫を連れてきた。
二人の姿を見て、篤志は確信した。
(やっぱり、二人はデキていたんだ)
それにしても、若い満須夫は、グランパラダイスでは浮いて見えた。それに、思わず目を引く美貌だ。彼を見ていると、300年以上も昔、この地で栄えた陰間茶屋を想起する。その茶屋で旦那衆のお相手をしていた色子だ。現に店の客は、オッという顔で若者を見ている。芳桂などは口をあんぐりと開けて、あごが外れたような顔をしている。
そんな若者を店に連れてくる旧友の神経を疑った。
篤志は眉をひそめた。
(ツヨの奴、見せびらかしに来たのか?ちっとは場の空気を読めよ)
その二人は、すぐに2階の控室に消えた。
こんども篤志は眉をひそめた。
(まったく、ツヨの奴、連れ込み宿と勘違いしてやがる)

「ほーお、えらい繁盛しているな」
聞きなれた声が聞こえて、篤志はぎくりとした。
振り向くと、案の定、御膳念須巳の姿があった。
予想外の人物の登場に、篤志はしばし声が出なかった。百八が気を利かせて、篤志の横の席を空けてくれた。
その席に小さな尻を乗せながら、御膳は言い訳するように言った。
「女房が法事で里帰りしているんだ」
篤志は、かろうじて声を出した。
「――それにしても、会長。よくこの店をご存知でしたね」
御膳は謎めいた笑みを浮かべた。
「きみの家の使用人に聞いた。――それで、風邪のほうは大丈夫なのか?」
「――ええ、すっかりよくなりました」
御膳は篤志の顔をじっと見て、慎重に言った。
「じゃあ、来週から会社に出てくるのだな?」
「そのつもりですが。――わたしがなにか?」
「いや――ひょっとしたらきみは、会社を辞めるのじゃないかと思ったんだ」
篤志は内心そんな気持ちもあった。しかし、そんなことをおくびにも出さないで、のんびりと言った。
「会長は、どうしてそう思われるのですか?わたしがいつ、そんなことを言いましたかね?」
その問いには答えず、御膳はぽつりと言った。
「こんどの週刊毎朝は見たな?」
(いよいよ来たか)と思ったが、篤志は何食わぬ顔で言った。
「ええ。真締くんから電話があったので、すぐ買って読みました」
「あちこちから問い合わせがあって、会社は対応に大わらわだ」
御膳は湯割りの焼酎で喉を湿らせて、ぼそっと言った。「日間梨くんは、会社から退くことになった」
(やはりな)と思ったが、篤志は黙っていた。
ここでへたな演技をすれば、すぐ御膳に見破られるだろう。
それに週刊誌には、情報の出所は元社員と書かれているが、その華下満須夫が、ここから10メートルと離れていない2階の部屋で、強とよろしくやっているのだ。いつ彼らが姿を見せるか分からない。

(会長は、満須夫の顔を知っているのだろうか?)
あれこれ思案する篤志の耳に、御膳の声が聞こえてきた。
「これ以上、日間梨くんが会社にいれば、刑事告訴や株主の代表訴訟に発展しかねんからね。どうやら、平成タヌキが暗躍したようだ」
「――平成タヌキですか」
「ああ――」
御膳は、篤志の顔を真っ直ぐに見ていた。「週刊誌を名誉棄損で訴えることも考えたが、かえって墓穴を掘りそうだ。それに情報源と書かれた元社員を追及しようにも、逆に訴えられそうだ」
彼は力なく肩をすくめた。「あの記事は巧妙だよ。こちらは何の反発もできないのだ。ま、しかし――もともとこちらの経営判断が間違っていたのだ。今さらあがいても、仕方がない」

このあたりから、御膳の話す口ぶりは、いつもの活気ある調子から、どことなく頼りなさそうになった。
(これも海千山千ネズミの芝居か)と思ったが、篤志はおとなしく聞いていた。
「きみは、敵に回すと怖い人間だ」
御膳は独り言のように言った。「でも、魅力たっぷりの男でもある。酸いも甘いも噛み分けた大人だが、酷なことも平気でやりおる。それに、妙な正義感もある。――そんなきみが、好きだ」
そのとき篤志は、自分の膝の上に、手が置かれるのを感じた。
驚いて御膳の顔を見ると、熱っぽい瞳が見返した。
小柄で白髪、上品な顔立ち――今まで人物のイメージが大きすぎて気づかなかったが、よく見ると、篤志好みの可愛らしい顔立ちをしている。
御膳はささやくように言った。
「今夜はきみの家に泊めてくれ」
真意を探ろうと、篤志は相手の顔をまじまじと見た。
そのとき唐突に、自分の身体の下で苦痛にゆがむ御膳の顔が浮かんだ。
(あ、こういう顔を見るのもいいな)と思ったが、何食わぬ顔で答えた。
「それは――わたしはべつに構いませんけど。来られるのなら、ぜひとも風呂に入ってください。温泉風呂風に改装しています――」
そのとき、うなじがチリチリするような視線を感じた。
振り向くと、トイレから戻った好が、控えめながら何かを訴えるような目つきで、こちらをじっと見ていた。
篤志はそっとため息を吐いた。
(やれやれ、これじゃあ、当分楽をさせてもらえそうにないな)
                                  おしまい
[17/05/28 06:16 神亀]
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