■ グランパラダイス(下) - ……(6)
(6)
本来はすっきりするところだが、篤志は気分が晴れなかった。日間梨梵の悪事を暴き立てたと言っても、明確な証拠はなかった。
日間梨は、一連の会社不祥事の責任を取って、向こう半年間、役員報酬を半額にすると自ら願い出たようだ。
(そんなことで、自分の犯した罪が拭えると思っているのか)と思ったが、当分は成り行きを見守ることにした。月曜の会議に出席していた江利戸社長や御膳会長、地味監査役が日間梨梵の処遇を決めることだろう。
篤志は自宅の庭先にロッキング・チェアを持ち出して、すっかり弱まった初冬の日差しを浴びていた。
ヤツデの茂みに、黄白色の花がふくらみ始めていた。その足元にはひとかたまりのヤブコウジ。よく見ると、小さな実が赤く色づいている。
(もう、11月か――)
篤志はあくびをした。
日間梨産業でふたたび勤めだして、早くも4ヶ月が経過した。その間に、自分が関わった出来事を思い浮かべた。
(少々急ぎすぎたかな)
一度リタイアして、自分のせっかちな性格は、だいぶ改善されたと思っていたのに、あまり変わっていない。
(そう簡単には直らんな)
篤志は苦笑した。
そのとき、忠があわただしくやって来た。
「旦那さま、大変です。お店から電話があって――」
彼は息を切らせた。
「なんだ。落ち着いて話せ」
篤志は叱った。ようやく気息を整えて、忠が言った。
「――独是剛士さまが、亡くなられました」
――◇――
菩提寺で、独是長老の葬儀はしめやかに行われた。
告別式の終わったあと、長老と飲み仲間だった面々は、グランパラダイスに集まった。店はまだ開ける時刻ではなかったが、洋児のはからいで特別に開放した。
長老がいつも腰掛けていた席は空けたままで、その前のカウンターに菊の一輪挿しと焼酎の湯割りが置かれている。
篤志が音頭を取って、長老の霊に献杯した。急の訃報で、皆一様に気が抜けた表情をしている。
それでもアルコールが入ると、少しずつ明るい声が聞こえてきた。
しばらく長老の思い出話がつづいた。口は悪いが気性のさっぱりした長老の性格を反映して、明るい話題が多かった。
「アツ、ちょっといいか」
稚加良強が篤志のところに来て、耳打ちした。ほかの人間に聞かれたくないらしく、彼は篤志を入り口のほうに連れて行った。
「こんなときになんだが、雄士利輔のことだ」
「彼がどうしたって?」
「おれの友人で、元FBIのアメリカ人がいる。名前はボブと言うのだが、一年の大半をマイアミで過ごしている。で、彼に雄士のことを調べてもらった」
「――」
「雄士のやつ、金持ちの爺さんどもをひっかけて、リッチな生活をしているようだ。それに彼の預金口座には、まだ1千4百万円ほどある」
篤志は驚いた。
「預金の残高まで分かるのか?」
「ああ、ボブはFBIにいたのだ。調べるのは簡単だ」
「それにしても1千4百万円も残っているとは、意外に節約家だな」
「そうとも言えんな。ほかに金を持っていたかも知れんし、ひっかけた爺さんたちから金を貢がせているかも知れん」
そこで強は声をひそめた。「おれはちょっとアメリカに行ってくる」
「なんで?」
「ボブと話していて、雄士を懲らしめる方法を思いついたのだ。それに華下と言ったか、その若者の親の金も取り返してやる」
「でもお前、そんなに英語が得意だったか?」
「片言ならなんとかなる。マイアミだから、できればスペイン語も分かればいいんだが」
そこで彼は顔を輝かせた。「お、いい通訳が見つかったぞ」
ちょうど鬼律忠司が、トイレに行くところだった。彼は旧友ふたりの姿を見て、人の良い笑みを浮かべた。
「なんだい、二人して。なんか大事な話なの」
「ああ、ちょうどお前の話をしていたところだ。アツが困っている。お前の助けが必要だ」
強は言ったあと、にんまりと笑った。
――◇――
秘書から電話があって、御膳会長の部屋にお越しいただきたいと言う。
(ようやく、日間梨梵の件で、結論が出たのだな)
衣服を整えて自分の部屋を出ながら、篤志は思った。
会長室には御膳ひとりしかいなかった。
篤志はいやな予感がした。だいたい、篤志を言い含めようとするときは、いつも老獪な会長がひとりだけだった。
案の定、日間梨梵にたいする処罰は、寛容的だった。
決算期末に執行部門の取締役を退任させ、監査役にするというのだ。悪いことをした取締役が、取締役を取り締まるべき立場の監査役になるとは、お笑いだ。あるいは、御膳一流の皮肉なのか。
いずれにしろ、その判断の背景には、創業者一族への陳腐な敬意が見え隠れしている。
「日間梨梵は罪を認めたのですか?」
篤志の問いに、御膳は眉をひそめた。
「いや、認めたのは伝票を粉飾した件だけだ。雄士利輔との関わりは、いっさい否定している」
「なるほど。確たる証拠が無いってわけですね」
篤志は皮肉な思いで言った。「それで、粉飾伝票の件は、なぜ背信行為として告訴しないのですか?」
御膳はため息を吐いた。
「わたしが臆病だからかな。マスコミに出して、社名を傷つけたくない。それに、日間梨くんは、粉飾した金は全額返済する、と約束した」
「そうですか。江利戸社長は、今回の処分に納得されているのですね」
「ああ、そうだ」
篤志は少し投げやりになってきた。
「わたしが相談役になるとき、会長は、社内のいびつな関係を是正しろとおっしゃいましたね。でも、わたしのやってきたことは、どうもその反対の動きをやったようです」
「どうしてだ?」
御膳は怪訝そうな表情をした。
「背信行為をした日間梨梵は、会社でのうのうと生き残っている。これじゃ、彼の取り巻きも、ますます増長するのじゃないですか」
「そんなことは無い。意地部長や尾人部長は降格した。それに、総合企画室の烏合課長は、自ら退職願いを出した」
「ほう、烏合課長は自分から辞めると言ったのですか?」
篤志は驚いた。華下満須夫のリポートが露見したことが、日間梨と烏合の間で問題になったのだろう。
(烏合もある意味では、日間梨梵の犠牲者だな)と思った。
篤志の思いに関わらず、会長はあっさりと答えた。
「そうだよ。きみのやったことは、立派に是正しているってことだ」
言ったあと、御膳はほとんど無邪気といえる笑い声をあげた。
このとき、篤志は初めて、この尊敬してやまない4つ年上の会長を、思いっきり引っ叩きたくなった。
御膳会長と江利戸社長に真っ向から正論を叩きつけて、徹底抗戦することも考えられた。少なくとも篤志にはその胆力がある。しかし、ふと、ある考えが浮かんだ。
(――判断は世論に任せるか)
そんな思いを抑えて、彼は言った。
「まあ、こんどの落とし所は、会社のトップ・ツーが決断されたことですから、わたしから異を唱えることはしません。ただ、ひとつだけ言わせてください。会社の礎は社員たちです。もし会社が正義を失ってしまったら、彼らの心は離れていくでしょう。――そして会社の屋台骨は、ぐらついてくる」
「おいおい、嫌なことを言うじゃないか。うちがそうなるって言うのか?」
御膳は顔をしかめた。
「そういう風に聞こえましたか?まあ、天網恢恢疎にして漏らさず、そんな言葉がありましたね」
篤志はのんびり言って立ち上がると、一礼して、部屋を出て行った。
自分の部屋に戻ると、地味監査役がソファーから立ち上がった。そして、篤志に向かって深々と頭をさげた。
「申し訳ございません」
「何のことです?」
地味が謝る理由は分かっていたが、篤志はとぼけた。
地味は慎重に言葉を選びながら、言った。
「本来は取締役を監査すべきわたしが、職責を全うできませんでした」
地味に座るように促して、篤志も向かいのソファーに腰を落とした。それから、おもむろに言った。
「監査役はあなた一人じゃない。ほかの監査役の判断はどうなのです?」
「それが――」
地味は言い淀んだ。「ほかの監査役には知らせないでくれ、と御膳会長に頼まれました」
「と言うことは、取締役会長の言いなりになったのですね。監査役の独立性はどうしたのですか?」
地味は下を向いた。
「それを言われると、返す言葉がございません。今回の件では、わたしも自分の力の限界をつくづく思い知らされました。ですから、この期末には、監査役を辞任しようと考えています」
それで納得がいった。地味が監査役を退任して、代わりに日間梨梵が後釜に座るというわけだ。ふと、生真面目な真締の顔が浮かんだ。
「監査役の任期は、法定で決まっていますね」
「ええ。わたしの任期は来期以降2年残っていますから、それを日間梨さんが引き継ぐことになります」
「つまり、あなたは自ら辞任されるというわけですか?」
「ええ――」
「それは、断じて承服しかねる!」
仲間相談役の強い口調に、地味はハッとして顔を上げた。
「あなたはそんな安易な気持ちで、監査役をやっていたのか」
篤志は凛とした声で言った。「監査役がそんなことでは、社員たちが可哀相だ。彼らは法令順守して、会社のため真面目に働いているのに。それを、公平な目を持つべき監査役のヘッジが無ければ、彼らは取締役の歪んだ権力で押しつぶされる危険性がある」
あとは語りかけるように、やさしく言った。
「地味さん、そのことをよく考えなさい。監査室長の真締くんは今回の調査で、多大な貢献をしてくれた。その彼が、日間梨くんの圧力で、逆に冷や飯を食わされるかも知れないのですよ」
「――」
地味は膝を握りしめて、顔を伏せた。沈黙が流れた。
しばらくして、生真面目な顔が、篤志を見上げた。その目がうっすらと湿っている。
地味は姿勢を正し、そして意を固めたように言った。
「よく分かりました。相談役に言われて、目が覚めた思いがします。これからは、真締くんたちのためにも、死ぬ気で頑張ります」
篤志は微笑んだ。
「死ぬ気だなんて大げさな。まあ、あなたの進退については早急に結論を出さず、しばらく静観したらどうですか。ひょっとしたらこの先、なんらかの違う流れがあるかも知れませんよ」
地味監査役を部屋から送り出したあと、篤志はデスクにつき、目を閉じて、しばらく考え事にふけった。
それからおもむろに、古い電話手帳を繰りだした。
週刊毎朝のところで、彼の手がとまった。
電話に相手が出ると、彼は話しだした。
「やあ、お久しぶり。今夜、会えるか――なあに、面白いネタがあるのだ。そちらで気に入れば、今夜の飯はきみのおごりだぞ」