目 次
グランパラダイス(下) - ……(3)
(3)

会社の帰りにグランパラダイスに寄ると、稚加良強が先に来て待っていた。彼は篤志の顔を見ると、ぶすっとして言った。
「おれは、お前に使われているわけじゃないんだぞ」
「それは悪かった。今日の勘定はおれが持つよ」
「当然だ。――タバコ屋のほうは、お前の予想通りだった。やはり雄士が陰で糸を引いていた。ま、詳しいところは芳桂が聞きだすだろう」
「ああ、爺殺しのお手並み拝見ってところだ」
「それから――今月いっぱいで、おれは今の会社をやめるぞ」
強は宣告するように言った。「そろそろくたびれてきた。それに天下りは、肩身が狭いんでね」
「そうか。じゃあ11月からは、ボケ防止に、おれの仕事を専門的に手伝わせてやる」
「バカ言え!おれの給料は高いんだぞ」

今日は珍しく、独是長老の姿が見えなかった。マスターの洋児が、老人の娘婿から聞いた情報では、体調が悪いという。
「ほう、煮ても焼いても食えない爺さんでも、体調が悪くなることもあるんだな」
長老からいつも憎まれ口を叩かれている強が、嬉しそうに言った。
芳桂もタバコ屋で寝泊まりして、店に来ていない。いつも口数の多い二人がいなくて、店内は静かだった。
代わって珍しく、鬼律忠司と僕野無有民がやって来た。二人を見ると、「ぼくたち幸せです」といかにも言っているような顔つきだ。
彼らは店の連中に、暖かい笑顔で迎えられた。これに長老が居ようものなら、「ふたりしてくたびれた顔をしているな。毎晩やりまくっているんだろう。すこしは歳を考えろ」などと毒舌を吐かれているところだ。
「ターさん、店に来るのは久しぶりだな」
篤志は旧友に声をかけて、僕野にも笑顔を向けた。「ムーちゃん、お久しぶり」
「ああ、これからは、ちょくちょく来るよ」
「会長には、大変お世話になりました。おかげさまですっかり落ち着きました」
二人はそれぞれ挨拶して、止まり木に尻を落ち着けた。忠司の教え子の太が、前のカウンターにお絞りと空のコップを出した。
「先生、ビールにしますか」
「ああ、頼む――」
忠司はバツの悪そうな顔で言った。彼は阿礼太が男の世界に入ったことを、まだ知らなかった。

――◇――

次の土日は完全休養日にして、篤志は使用人の古々呂忠を伴って、水戸まで出かけた。
彼はときどき忠を連れて、小旅行に出かけていたが、日間梨の相談役になってからは、とんと御無沙汰していた。
上野からスーパーひたちに乗って水戸まで行き、駅からタクシーを使って偕楽園に行った。モミジやカエデが色づいて、秋色深まる庭園内をのんびりと散策した。
夕方になると、予約していたホテルに行って、チェックインした。フロントで、夜の9時にマッサージ師を頼んだ。
忠は自分が旦那さまのマッサージをしてさしあげますと言ったが、お前も疲れているだろうからとプロを頼んだのだ。そのとき、年寄りの体は年寄りが一番よく知っている、と言って年配男性のマッサージ師を希望した。
晩飯は、市内で有名な料理屋で、あんこう鍋を食べた。ちょうど旬の走りで、滋味豊かなあんこうは、まったりとして舌に蕩けるようだった。
忠は温顔をほころばせて、二人きりの旅行を素直に楽しんでいた。そんな使用人を、篤志は目を細めて見ていた。
歳を取っても篤志はときに熱くなるのだが、忠には激越なところが全く無い。すべて自分の中に受け入れて、柔らかく自然なものにして、外に滲み出しているようだ。
まさに忠は、癒し系の老人だった。

翌日は笠間のほうに足を伸ばして、笠間稲荷の菊祭りを見物した。園芸に興味を持つ忠は、目を輝かせて庭園をうろついた。
昼飯は軽くソバを食べて、そのあとタクシーをつかまえて、『春風萬里荘』に行った。ここは北大路魯山人の北鎌倉にあった住居を移設したもので、館内には、魯山人の陶芸品等の名品が展示されている。こんどは陶芸に興味を持つ篤志が、目を輝かせた。
陶芸館を出ると水戸に戻って、スーパーひたちで早めに帰った。

――◇――

月曜日はすっきりした気分で、会社に出勤した。
取り立ててやることもなかったので、真締の時間が空いたとき部屋に呼んで、篤志の口述する内容をワープロでまとめさせた。
タバコ屋の土地取引から、M&Aの損害に至るまで、時系列的に出来事を追って、憶測も交えて仕上げた。
真締は慣れた手つきでパソコン入力していたが、ときおり、驚いたような表情で篤志の顔を見た。彼の予想外の内容も含まれていたからだ。
途中で、槍田井芳桂から電話があった。そろそろ篤志に登場してくれ、と言うのだ。
「私はどういう立場で行けばいいのだ」
「じっちゃん、土地を売りたい一心や。でぇ、わしはゆうたんや。そないなことなら、日間梨産業にわしの知ってる人間がおる。その人間やったら、なんとかしてくれるやろってな」
「分かった。いつ行けばいい?」
「昼過ぎがええかな。ちょうど腹も膨れて、気分がええときや」

昼から大木奈の車に乗って、タバコ屋まで出向いた。
タバコ屋の主人、内田昭三は、腰の低い温厚そうな老人だった。その横にいる芳桂の馴れ馴れしい態度から、二人がすっかり親密な関係になったのは想像に難くない。
こんな素敵な老人が芳桂の毒牙にかかったと思うと、ちょっと可哀相な気がした。
「この人がわしの友だち、日間梨産業の仲間相談役やねん」
芳桂は、友だちというところを強調して言った。
「仲間です。よろしく」
「はい。内田昭三です。よろしくお願いします」
内田は丁寧にお辞儀をした。
いかにも生真面目で、礼儀正しい老人の物腰に、篤志は好感を持った。それによく見ると、品のある整った顔立ちをしている。
「槍田井さんから伺いましたが、ここの土地を売りたいとか――」
「はい。不義理をした私が、こんなことを言うのは厚かましいお願いですが、もう一度お話をさせていただけないでしょうか」
「そうですか――1億円でいいですかな?」
老人はびっくりしたようだ。不義理を働いたのに、いきなり1億円の金額を出されるとは思ってもみなかったのだ。
「ええ、それはもう申し分ございません」
「相場は5千万円と聞いておりますが、あなたも新たな住まいを探さなくちゃならないし、タバコ屋の収入も断たれるでしょう。ま、私から1億円で経営陣を説得してみます」
「ああ――有難うございます」
内田は、ふたたび深々と頭を下げた。
「でも、お気をつけなさい」
篤志は、芳桂のほうをちらりと見て言った。「世の中には、老人を食い物にする悪い奴がいますからね」
芳桂が老人の背後で、篤志に向けて中指を突き上げた。それを見て見ぬふりをして、篤志は話を続けた。
「取引が完了するまで、あなたはホテルに泊まったほうがいい。以前、あなたに取り入った、悪い人間がやってくるかも知れません」
最後に篤志は、老人を安心させるように微笑んだ。
「では私は、会社に戻ります。会社の了解を取り付けたら、前に担当していたビル事業部の社員を寄越します。それでいいですね」
老人がうなずくのを見て、付け加えた「その社員に、居住用資産を買い替える場合の節税についても、お聞きなさい」

篤志は会社に戻ると、その足で社長室に行った。
江利戸社長は珍しく決断が速かった。彼は篤志から話の主旨を聞くと、細かい質問は抜きにして、ビル事業本部長の法螺常務と担当の社員を社長室に呼んだ。
話を聞き終わったビル事業部のふたりは、半信半疑のようだった。
「でも、なんで今になって、前の条件で売る気になったんでしょう?」
法螺常務の疑問に、篤志が何気ない口調で言った。
「それはどうでも良いことです。今必要なのはスピードです。これからタバコ屋に出向いて、すぐ契約したらどうですか。社長、この取引は、後稟議でいいでしょう?」
社長はうなずいた。そしてビル事業部のふたりに言った。
「すぐ契約してくれ。水曜の役員会は何とかする」
[17/05/22 22:44 神亀]
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