目 次
グランパラダイス(下) - ……(6)
(6)

篤志は華下満須夫と別れたあと、グランパラダイスに寄った。
早い時刻にも関わらず、槍田井芳桂が来ていた。そして入り口側の定席には、独是老人の姿がある。
店の従業員となった阿礼太は、カウンターの外側で甲斐甲斐しく働いていた。その姿は店の人間として、すっかりなじんでいる。
口数の少ない太は、グランパラダイスの人気者だった。年寄り連中は、このオスの力を太い腰に貯め込んだ男を、なんとか自分のものにしようと、虎視眈々と狙っていた。
篤志にしたって、太のむっちりした尻や、ズボンに浮き出た固太りの膨らみを目にすれば、たまには活きのいいオトコを味わってみるか、という気になってくる。
槍田井芳桂が、篤志のところに寄ってきて、そっと耳打ちした。
「この爺たらし――」
「なんだ、どうした?」
驚いて篤志が言うと、芳桂は彼を入り口の脇に引っ張った。
「会長は、ヨッちゃんの操を穢したやろ。ヨッちゃんは、わしに気があったんやで」
この前の雨の日、成り行き上、篤志が好を抱いたことを言っているのだ。
「バカ、それは誤解だ。あれはヨッちゃんが――」
そのとき、「おっ、痴話喧嘩か。わしにも聞かせろ」と長老の声が聞こえたので、ふたりは話を中断した。

店の入り口の脇に立派な陶製の壺と、趣味の良い生け花があった。ススキと渋い色調の秋色あじさい、そして可憐な色合いのコスモスの花――。
花瓶はこれまで店に無かったものだ。
それについてマスターに訊こうと思ったとき、ドアがバタンと開いて、稚加良強が飛び込んできた。
「男に追われている。かくまってくれ!」
強は叫ぶと、カウンターの中に入って、洋児の足元にうずくまった。

ほどなく40代の体格のよい男が店にやってきた。男は店の中を見渡して、近くにいる独是老人に訊いた。
「いま、男がここに来たはずだが」
「どんな男だ?ここに男は何人もいるが」
「背が高い男だ。稚加良って名前だ」
長老はうなずいて、大声で言った。
「ああ、あのストリップの好きな男か」
店にやってきた男は、何のことだと言うように、老人を見た。
長老は飄々として、補足説明した。
「いや、自分がストリップをやるんじゃなくて、男のストリップを見るのが好きな奴だ」
「爺さん、何言っているんだ?」
聞きとがめる男に向かって、今度は芳桂が口出しした。
「いったい、その稚加良はん、何をやったん?」
「うちの店の若い娘(こ)に手を付けたんだ」
「手を付けたって、ハメハメしたってこと?」
「そうだ」
「ほな、稚加良はんとちゃうな」
芳桂は、長老と顔を見合わせて笑った。そして男に向かって言った。
「あん人、ゲイで女装趣味があんねん。こないだも銭湯で服脱いでるの見たら、黒いブラジャーと女物のパンティーを身に着けてたで。あん格好ったら、思わず笑っちゃった。ちっこいパンティーの端から、しなびたバナナと杏子がはみ出してるんや」
聞いている男は、不快そうな顔をした。それから店内に一瞥をくれて、黙って店を出て行った。

「だれがゲイで女装趣味だって!」
カウンターの奥で立ち上がった強は、顔を真っ赤にして、芳桂を睨みつけた。それから長老の方を見て「ご隠居、おれが男のストリップを見るのが好きだって!」
「まあまあ、ツヨ、そんなに怒るなよ」
篤志は助け船を出した。「二人だって、なにも本気で言ったわけじゃない。あの男を追い払うためだ」
長老がぼそりと言った。
「わしは本気で言ったのだが」
それを聞き流して、篤志は旧友に言った。
「ツヨ、いい加減、あぶない遊びはやめろよ。いつか痛い目にあうぞ」
そこでふと思い出して、洋児に訊いた。「ところでヨーちゃん、入り口の花瓶と生け花はどうしたのだ?」
「ああ、あれね」
洋児はカウンターの下からメッセージカードを取り出して、篤志に渡した。「今日、花屋が持ってきたんやけん」
カードには『会長、ありがとう。おかげさまで、ふたり一緒に暮らすことになりました』と書いて、鬼律忠司と僕野無有民の名前があった。
それを横から覗き込んで、芳桂が言った。
「あ、いやらしい。爺さん同士でぇ同棲始めたんや」

――◇――

僕野無有民は作業を終えて、自分の部屋を見渡した。
必要なものは段ボール箱に収めた。あとの家具類は、使い慣れたライティングデスクと椅子を除いて、すべて処分することにしていた。
彼は今日、町屋にある鬼律忠司の家に引っ越しする予定だった。
ここまでまとまったのが、夢のようだった。
忠司とは電車の一件以来、交際を始めていた。そして何度かの居酒屋デートのあと、身も心もひとつに結ばれた。
それは、板志相手のときのような刺激に満ちたものではなかったが、本当に心の通い合う、熟年同士の穏やかな愛の交歓だった。
いっぽう、佐渡板志と別れるのは、茨の道だった。
気位の高い板志にとって、自分が相手を捨てるのは良いが、自分が捨てられるのは我慢できないことだった。
別れ話ではさんざん揉めて、綾瀬のアパートまで押しかけられた。部屋に入れないと、玄関ドアをガンガン蹴りつけて怒鳴り散らされた。隣近所の手前、仕方なく部屋に入れると、気が遠くなるほど殴られ、無理やり口や尻を犯された。
それでも、男同士の痴話喧嘩が原因なので、警察に行くのは、はばかられた。
鬼律忠司にも隠していた。正義感の強い忠司のことだ、板志と正面衝突するのは目に見えている。

そんなことが3ヶ月も続いたとき、とうとう忠司に知られてしまった。体に付いた痣を聞きとがめられ、仕方なく白状したのだ。
忠司は、自分に隠していたことを怒ったが、すぐに提案した。
「アッちゃんに相談してみよう。彼は顔が広いから、きっと解決策を探してくれるよ」
忠司はグランパラダイスのオーナー、仲間篤志の名前を出した。古くからの付き合いなので、気心は知れているという。
相談を受けた仲間篤志は、こともなげに言った。
「ふむ、少々やっかいな問題だが、心当たりはある。少し時間をおくれ」
それからしばらくして、紹介してくれたのが警部の強羅鉄男だった。
どういう縁で、仲間篤志が警視庁の警部を知っているのか不思議だったが、その警部は親身になって、無有民の話を聞いてくれた。

ある昼下がり、僕野無有民は代々木上原の喫茶店で、佐渡板志と会った。
その席に、あとから店に入ってきた仲間篤志と強羅鉄男が合流した。
板志の向かいに座った強羅警部が、おもむろに口を開いた。
「僕野さんは、わたしの親戚筋にあたる大切なおかたでね」
強羅は余裕のある笑みを浮かべたが、その笑顔が、逆に恐いような印象を板志に与えていた。なにしろ、ごつい顔つきの大男で、半袖から剥きだした腕は丸太棒のようだ。
「それで、僕野さんがあんたと揉めていると聞きましてね。これはいかん、日頃のご恩返しに、なんとかお役に立とう思いまして」
そこで強羅は、鋭い視線を板志に送った。「どうですか、もうこれ以上、僕野さんを困らせるのはやめてもらえませんか」
言葉遣いは丁寧だが、檄を飛ばすことで喉をつぶしたハスキーボイスには凄味がある。それに、修羅場をくぐり抜けてきた刑事は、見た目、暴力団とさほど変わりない。
鋭い目つきにドスのきいた声――。
弱いもの苛めはしても、自分が痛めつけられることを極端に怖がるだけに、板志は最初からブルっていた。
「こ、困らせているつもりはありません。ま、まあ、――軽い口喧嘩のようなものでして――」
板志は唇を舌で湿らせながら、途切れとぎれに答えた。
(畜生、なんでこんなに喉が渇くのだろう――)
「僕野さん、そうですか?」
強羅は、横に座る無有民に訊いた。
無有民は頭を横に振って、きっぱりと言った。
「軽い口喧嘩どころじゃありません。気が遠くなるほど殴られたり、蹴られたり――もう、たくさんです。はっきり別れたいです」
「ほう、気の遠くなるほどの暴力をねえ」
テーブル上の強羅の両腕が、こぶしを握り締めてグリッと膨れ上がった。まるで獰猛なドーベルマンを思わせる、筋肉の束だ。
大男の怒りを抑えた仕草に、板志は声もなく縮こまった。
「別れてくれるな?」
強羅は押し殺した声で訊いた。明らかに命令口調だった。そして、板志が震えながら頭を下げて、「ハイ」と蚊の鳴くような声で言うのを見て、鷹揚にうなずいた。
「文句があるのなら、わたしのところに来てくれ。警視庁の刑事部に顔見せたら、いつでも相手するから。あ、それから――」
強羅は篤志のほうを見た。「会長の店――グランパラダイスにも近寄らんで貰えますか。もちろん分かっていると思うけど、店の前を通るだけでも駄目ってことや」
佐渡板志は米つきバッタのように、何度も頭をさげた。

最後にダメを押すように、強羅が板志にむかって言った。
「ほなら、行こか」
板志は戸惑った表情をした。
「あのう――行こうって、どこにですか?」
「この近くに柔道の道場があるんや。わしが僕野さんに代わって、あんさんの相手をしてやる。ほら、倍返しって言うやろ」
なぜか強羅の口ぶりは、関西弁に変わっていた。そして付け加えた。
「なあに、心配いらへんて。接骨院も近くにあるんや」
彼は言ったあと、舌舐めずりするように微笑んで、右手ででかい握り拳をつくり、左手で包み込んで、バキバキッと指の関節を鳴らした。
そのときの板志の顔は見ものだった。俄かに顔面蒼白になって、目に見えて震えだした。何かしゃべろうとして声が出ない、そんな風情だった。
たっぷり3分間待って、強羅は言った。
「なんや、あんさん、その気にならんのか。なら、今日はやめとこか」
[17/05/19 07:12 神亀]
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