■ グランパラダイス(下) - ……(5)
(5)
日曜日の午前10時、篤志と真締忠義は池袋の喫茶店で、元経理部の社員、華下満須夫に会っていた。真締は休日出勤になるが、不平の素振りひとつも見せなかった。
「ほほう、これは――」
華下満須夫を見たとたん、篤志はうなった。
それほど美形の青年だった。うるんだような黒い瞳、小ぶりだが形の良い鼻、薄紅色のつややかな唇。頬はなめらかに張って、異質の色の白さだ。ふと、家にある童の博多人形を思い浮かべた。しかも、背の低い中肉の肢体は、衣服を着ていても、たおやかな弾力と吸い付くようなぬめりを予感させる。
フケ好きの篤志でも、ゾクッとくる興奮を覚えた。稚児好きの男色家なら、思わず犯したくなるような欲望を覚えるだろう。
真締ひとりが来ると思っていた青年は、篤志の姿を見て警戒したようだ。彼は非難するように、真締を見た。またその目つきが、思わず惹きこまれるような艶がある。
「わたしは仲間篤志という者です。3年前に日間梨産業をやめて、また今度、相談役に返り咲いた。だから、きみはわたしを知らないと思うけど、いま真締くんと一緒に仕事をしている」
篤志は、相手を安心させるように、できるだけおだやかに話した。
「存じています」
華下はぽつりと言った。それだけでは足りないと思ったのか、補足した。「入社したとき、仲間常務のお名前はうかがっておりました」
「そう、じゃあこれから2、3質問させていただくけど、これは非公式の会合だということを、最初にお断りしておく」
店員がコーヒーを持ってきたので、しばし話を中断した。
「まあ、コーヒーを飲みながら、話をしようじゃないか。真締くんは、きみが1千5百万円もの金を競馬につぎ込んだとは思えない、と言っているけど。何か事情があるようだね。よければ話してくれないか」
華下は黙り込んだ。かすかに口元が震えている。そのピンク色をした初心っぽい唇を見ていると、思わず吸い付きたくなる。
同行する真締は平然としているが、そのことが不思議でならなかった。見ているだけで男の本能を奮い立たせるような雰囲気を持つ青年に、真締は何も感じないのだろうか。
篤志は、相手の表情を見ながら言った。
「きみ、誰かに脅されてやったのじゃないだろうね。それとも――好きな人のためにやったのか」
若者は感情を表に出さないようにしているようだが、年季の入った篤志の前では、あまりにも幼かった。ほんのわずか、ハッと息をのみ、好きな人と言ったときは、はっきりと口元を震わせた。
「どちらでもありません。わたしがひとりで使いました」
華下は下を向いたまま、か細い声で言った。
青年の様子を見ていて、ふと、頭の中で、嗜虐的な想いが浮かんだ。
この稚児のような若者の体を組み敷いて、一枚一枚服を剥ぎ取りながら、白状するまでじんわりと折檻する。
(――まだ言わぬか。ふふふ、これはどうじゃ)
(――ああっ!お許しください)
(――許さんっ!さあ、言わぬとひどい目にあわすぞ)
妄想を振り払って、篤志はおだやかな声で言った。
「まあ、きみが話したくないのなら、無理には訊かない。でも、きみが話したくなったら、いつでも電話をしなさい。そのときは、できる限りきみの手助けをしてあげよう」
華下のホッとした様子を見て、篤志は言った。
「ところで今は何をしているの。新しい仕事は見つかったのかい?」
今度の質問は答え易かったのか、華下はすらすらと言った。
「理容学校に通っています。もともと手先は器用なほうでしたから、理容師になろうと考えています」
「ほう、理容師ねえ。一流大学出のきみがもったいない気もするけど」
そこで、ふと思いついた。「湯島で従業員を探している床屋を知っているよ。もしきみが望むのなら、紹介してあげよう」
「でも、ぼくはまだ理容学校の生徒ですから」
「大丈夫だ。その床屋で修業をしながら、学校に通えばいい」
初めて華下は、にっこりとした。
「じゃあ、よろしくお願いします」
篤志は真締を帰すと、華下満須夫を連れて、湯島にある右舞百八の店に行った。日曜日なので、客で混んでいた。百八と熟年の従業員がそれぞれの客にかかりきりで、待っている客もふたりいた。
それでも百八は、篤志のために時間を割いて、奥の居住部分で話を聞いてくれた。
篤志は手短に話した。華下満須夫を住み込みで、店に置いてくれ。理容学校に通っているが、空いた時間は店で修業させて――云々。
百八はあっさりと承諾した。それから華下に向かって「修業は今からでもいいよ」と言って、表の店に戻っていった。
驚いたことに、華下はなんの躊躇もなく、さっそく店の手伝いを始めた。よほど百八が気に入ったようだ。
それだけ見届けると、篤志は床屋を出た。
――◇――
華下満須夫は、仲間重役のような円熟した大人の雰囲気のある、年配の男性にあこがれを持っていた。そばにいるだけで、なにか暖かいものに包まれているような、うっとりとした気分になる。
重役は1千5百万円の横領事件の調査で来たのであろうが、しつこく追及しないで、逆に満須夫の現在の生活を心配してくれた。そのうえ、床屋まで紹介してくれたのだ。
床屋の主人は、ひと目見ただけで、自分と同じ側の人間だと分かった。しかもお手本とするような人柄で、優しさと人懐こさに溢れていた。
彼はこのときから、仲間重役にすべてを委ねてみようという気になっていた。
あれは悪夢のような出来事だった。
満須夫はさほど酒が強くなかったが、六本木にある小さなスナックによくひとりで行った。ここに来る客は、身だしなみの良い年配の男性が多かった。
カウンターの隅の席に腰掛け、密かに年配者たちを眺める楽しみ。ときに彼の美貌に気付いて、声をかけてくる客もいた。
尾知利好蔵は、そんな客の一人だった。映画俳優のようにハンサムな男で、かなりの年齢と思われたが、若作りの服装をしていた。好きなタイプではなかったが、男の滑らかな語り口に乗せられた。
そのうち睡魔が襲ってきて、男に連れられて車に乗ったのは覚えている。気が付いたときには、ホテルのベッドにいた。
尾知利の姿が現れた。全裸だった。そこで初めて満須夫は、自分も裸にされているのに気付いた。
「きれいだ。まるで天使のようだ」
尾知利はつぶやくように言うと、体を摺り寄せてきた。
あとは男のなすままだった。満須夫は娼婦のように愛された。
男のテクニックは絶妙で、何度も高みに追いやられた。そして、女のように貫かれたとき、気の遠くなるような苦痛を体験した。
初めて経験した男色行為は、満須夫が思い描いていた甘美なものではなかった。彼が密かにあこがれていたのは、もっと穏やかな行為、そして、もっと穏やかな年配者が相手だった。
尾知利と別れたあと、これでおしまいと決めていた。
ところが、そうではなかった。次の日、会社にいる彼の元に電話がかかってきた。尾知利からだった。もう一度会いたい、と言うのだ。
会うのを拒否すると、男はねちっこく何度も誘った。怒って電話を切ると、ふたたび電話がかかってきた。結局、職場の社員たちに不審がられぬよう、男の誘いを受ける以外になかった。
その日、仕事が終わると、満須夫は不安な気持ちを鼓舞して、ホテルに出向いた。あとで気付いたが、会社の電話番号を知られたのは、名刺を抜き取られていたからだ。
部屋に入ると、尾知利のほかに二人の年配者がいた。ずんぐりと太って、下卑た笑みを浮かべた男たちだった。
尾知利がのんびりと言った。
「今日はお友達も連れてきたよ。たっぷりと楽しもうね」
男たちが迫ってきた。満須夫は抵抗したが、男二人の力にはかなわなかった。裸にされ、愛撫され、初心な蕾を無理やりこじ開けられ――落花狼藉が繰り返された。
その間、尾知利が冷静に、カメラで記録していた。
延々とも思える時間が過ぎ、ようやく満須夫は男たちから解放された。
彼は涙で滲んだ目で尾知利を見上げ、口元を震わせながら言った。
「こんなことをして――警察に訴えますからね」
「おやおや、好きなことをしてあげたのに、なんで訴えるの?」
尾知利は平然と言った。「それに、そんなことをすると、きみのご両親が悲しむのじゃないかなあ。だって、きみがいいことをしている写真がばら撒かれるのだよ。あ、会社のほうにもね」
満須夫は、声も出せなかった。
沈黙した彼に対し、尾知利は新たな要求をした。
――◇――
華下満須夫と会って二日後の火曜日、その彼から、すべて話しますと電話があった。
篤志は夕方、右舞百八の床屋に行った。華下はすでに引っ越しを済ませて、百八の家で生活を始めていた。
華下の話を聞いていて、ひとりで来てください、と彼が言った理由が分かった。とても監査室長の真締に話せる内容ではない。
話を聞き終えると、篤志は確認するように言った。
「ところで、きみが担当していたM&Aのデューデリジェンスだが、重大な欠陥があることに気付かなかったの?」
青年は驚いたように、篤志の顔を見た。
「もちろん気付いていました。ですからぼくのリポートにも、そのことを記述しています」
ふむ、と内心思ったが、篤志は何食わぬ顔で訊いた。
「そのリポートは誰に渡したの?」
「烏合課長です。わたしの直属の上司でしたから」
「烏合課長は何と言ったの」
「これは大問題だと言いました。それから、あとはぼくがまとめるから電子ファイルを送ってくれ、機密管理上、きみの手元に資料を残さないように、と言われました」
「でも、烏合課長は途中で経営企画室に異動したのだろう」
「ええ。凡倉部長が引き継がれましたが、そのデューデリジェンスはすでに終了した形で、烏合課長から提出されていました」
篤志は、何となく全貌が見えてきた気がした。
「きみが男たちに辱めを受けたことは、社内で私以外、だれも知らないのだね」
「いえ。日間梨取締役は知っています」
「きみが話したのか?」
「いえ、取締役に呼ばれて部屋に行ったら、写真を見せられました。誰からか知らないが、こんなものが届いた、と。――ホテルで撮られた写真でした。そのとき、取締役は言われました。これは私ときみだけの秘密にしておくから、横領の件は潔く罪を認めなさい。懲戒解雇となるだろうが、刑事事件にはしないから、と。そして目の前で、写真を破り捨ててくれました」
篤志はうなずくと、最後の質問をした。
「この尾知利と言う男だが、なにか手がかりは無いの?」
「手がかりと言うほどでもないかも知れませんが――最初、ホテルに行ったとき、床にレジの伝票が落ちていました。おそらく、彼のポケットから落ちたものだと思います」
「どこの店なの?」
「ヘアサロン・マサ――赤坂の住所でした」