■ グランパラダイス(上) - ……(4)
(4)
警視庁に行った翌日、強羅警部から電話があって、江利戸社長の私邸近辺をうろつく不審人物がほぼ特定できたと連絡があった。さっそく真締を警部のもとに向かわせた。
昼過ぎに真締が戻ってきた。
強羅に預けたDVDのほかに、数枚の写真を持っていた。その写真には、サングラスをかけた男の姿が写っている。
「不審人物は二人いるようです。暴力団に詳しい組織犯罪対策部に見せたところ、どうやら下葉組の組員らしいということです」
写真はさほど鮮明でもなく、しかも男はサングラスをかけている。こんな写真から男を特定するのは、至難の業と思えた。
真締も同じようなことを言った。
「こんな写真から辿り着くんだから、さすが警察はプロですね。それでこの下葉組ですが、組員数人の小さな暴力団とのことです。でも、広域暴力団の男華内組に属しているそうです」
真締は、警察で聞いた暴力団の情報もメモしていた。
男華内組と聞いて、篤志はウムとうなった。
「分かった。ご苦労さん。DVDは社長に返してくれ。あとで必要になるかも知れんので、中身は消去しないように伝えてくれ」
言ったあと、篤志は写真だけを手元に残した。
真締が部屋を出たあと、篤志はすこし考えていたが、旧友の稚加良強に電話した。
「ああ、ツヨ。今日、空いているか」
「おれはいつだって空いているさ。お前と同じで、相談役はいつも暇なんだ」
「じゃあ今からそっちに行く。ちょっと相談があるのだ」
篤志は大木奈の車に乗って、渋谷に向かった。強は警察で警視正までなった官僚だ。
その後民間の企業に天下って、今は大手警備会社の相談役をやっている。
渋谷にある警備会社の本社に行くと、すぐ美人の秘書に案内されて、応接室に通された。
「おい、この前は無事だったか」
「何のことだ」
「お満の女将のことだ。だいぶ女房に絞られたんじゃないか」
会った早々、篤志は強をからかった。
二人は小学校から大学まで、ずっと同じ学校だった。
大学時代は二人でつるんで、さんざん悪さをした。ひと晩限りの女を共有したこともある。篤志の家に呼んで、男を知らない強に、惣吉老人の尻を試させたこともある。
博打などの極道も一緒にやった。
その後社会人になって、真っ当な道を歩み出したふたりには、悪さをした時代の経験が良いほうに作用したようだ。共に、そこそこの地位まで上がったからだ。
そんな二人だから、話す内容も遠慮がない。しばらく雑談して、篤志は本題に入った。
タバコ屋の土地取引の経緯から強羅警部に調べてもらった結果まで、すべてを話した。
じっと聞いていた強は、組んだ両腕を解いて、つぶやくように言った。
「鉄男も少しは役に立っているというわけか」
「ああ、見かけはごついが、頭は切れる。さすがお前の甥っこだ」
言ったあと、篤志は問いかけた「で、このあとどうするかだ」
強は考えながら言った。
「男華内組まで辿り着いたとなると、あの男しかいないな」
「ああ、だからお前に相談に来たのだ」
「よし、おれのほうで頼んでみる。少し時間をくれ」
「頼む。この写真は監視カメラに映っていた不審人物だ。下葉組のものらしいが、必要なら持っていってくれ」
そう言って、篤志は強羅警部から回ってきた写真を、強に渡した。
あの男とは、屋久佐平次のことだった。
小学校が同じだったが、その後しばらく音信不通になっていた。
再会したのは30代半ばのときだった。
屋久は、親がやっていた型枠大工の会社を継がず、男華内組の組長と舎弟の契りを結んでいた。彼は極道者だが、義侠心の強い男だった。ある悪徳不動産屋を半殺しの目にあわせ、警察に検挙された。そのときの警察側担当者が強だった。
そして数年後、刑務所から出た屋久を、強と篤志が待っていた。ふたりは屋久が更生して、型枠会社を復活するのを手伝おうとした。小学校の同窓生という縁よりも、屋久という男の一本気が気に入ったのだ。
その意味では、強も篤志も風変わりな人間だった。彼らは、世間体を気にして、人生を小さく押し込めていく気はさらさらなかった。
しかし、会社の再生資金を集めるのは、前途多難だった。前科者に金を貸す銀行など、どこにもなかった。
そのとき篤志は、一世一代の大博打をした。
彼は株や金融商品に興味を持ち、少額の投資をして小遣い稼ぎをやっていた。しかし反面、その怖さも知っていた。ハイリスク、ハイリターン。へたをすれば投資額がゼロになるどころか、その何倍もの額の負債になって返ってくる。そんな例は、まわりにいくらでもあった。
篤志は屋久と強を集め、金融投資の説明をした。
その上で、ふたりの決意を確かめると、3人でかき集められるだけの金を集めた。
――そして相場を張った。
幸いにも相場は大当たりして、投資額は何倍にもなって返ってきた。薄氷を踏むような博打だった。
こうして屋久は型枠会社を復活させ、いまや手堅い商売をやっている。それでも篤志と強は知っていた。屋久は堅気の世界に戻ったが、いまもって男華内組の組長との縁は切っていないことを。
いっぽう、篤志はそのあと完全に、金融投資から手を引いていた。あんな命の縮む思いは、こりごりだった。
稚加良強のところを退出すると、大木奈運転手に言って、湯島に向かわせた。少し早いが、グランパラダイスに寄ることにした。
店に入ると、洋児は料理を作りながら、開店準備をしていた。
「あれっ、会長しゃん。きょうはお早いんやね」
「ああ、お前もひとりで大変だろうから、たまには手伝いしようと思ってね」
「いつも口ばーっかしなんやけん」
言ったあと、洋児は入り口のほうを見た。「はい?」
ドアのところに、工場の従業員のような服装をした男が立っていた。中背やや太め、年の頃40代と思われる。人の良さと素朴さが、そのままにじみ出たような顔つきをしている。
「あのう、鬼律先生は来られていないでしょうか」
標準語だが、すぐに東北出身者と分かる発音だ。
「えっ、鬼律先生?ええっと――」
洋児が考えていると、篤志が説明した。
「ターさんのことだよ」
そして男に向かって言った。「鬼律忠司さんのことでしょう?その鬼律さんならまだ店にきていないけど、ここで待ち合わせしているの?」
男はポケットから紙を取り出した。それを見ながら言った。
「ええ。湯島2丁目――グランパラダイス」
「ああ、それなら間違いないよ」
篤志は言ったあと、男を止まり木に腰掛けさせて、退屈しのぎに話し相手をした。洋児が二人のために、お茶を出してくれた。
話しているうちに分かった。グランパラダイスで待ち合わせと聞いて、男もお仲間かと思ったが、そうでもないようだ。
もともと無口らしく、男は聞かれたことだけを朴訥に話した。
名前は阿礼太。47歳。秋田の工業高校で、鬼律先生の英語の授業を受けた。高校を出た後、埼玉の自動車部品工場に就職した。その後リストラにあって、職を転々とした。
とうとう、秋田に戻ろうと決心して、鬼律先生に電話をしたら、この店で会おうということになった。
鬼律先生とは、先生が秋田から東京に戻った後もずっと文通をしている、という。
そこまで聞いたとき、ようやく鬼律から店に電話があった。
「ええ、来とるばい。ちょー代わるね」
洋児が携帯を阿礼に渡した。
阿礼はしばらく話していたが、困ったような表情をして、携帯を洋児に返しながら言った。
「先生がマスターと代わってくれって」
洋児が電話を受け取って、話しだした。
「はい――ええーっ!ずいぶん厚かましいお願いね――ああ、分かったんやけん。高くつきましゅちゃ」
洋児は電話を切ったあと、篤志に言った。
「ターしゃんは、急用ができてこれんけん」
彼は阿礼のほうを顎で示した。「そんで、こん人に晩飯ば食べさせて、今夜は2階に泊めてくれっち」
阿礼が立ち上がって、ぺこりと頭を下げた。
「すみません。お店の手伝いをしますから」
夕方6時になって店を開けたころから、客が三々五々やってきた。
阿礼太は、洋児の用意した晩飯を食べたあと、店に残って甲斐甲斐しく働きだした。
元来、素直で無口な性格をしているのか、洋児に言われるままに、食器を洗ったり、生ごみを外に出したり、嫌な顔ひとつせず雑用をやっている。
最近太ってきたのか、着ている作業着が固太りの肉体にぴっちりと張り付いている。
丸っこい肩や腹、むっちりとした尻、股間に浮き出た健康そうなふくらみ――弾力のある40代の肉体を見ていると、篤志は自分の老いを強く感じた。
津間洋児のほうは、この臨時手伝いの男が気に入ったようだ。阿礼を見る表情に、素直な好意が感じられる。