目 次
グランパラダイス(上) - ……(2)
(2)

仲間篤志は日間梨産業の相談役を受けるにあたって、ひとつの条件を会社側に了承させていた。それは、常勤ではなく、月水金の3日出勤を原則にするということだった。
私的な用事も多いし、何より65歳になって、体力や根気に自信がなかったからだ。
初出勤から一日おいて、水曜日に会社に行くと、女子社員が茶封筒を持ってきた。監査室長の真締の提出したリポートだった。
几帳面な真締らしく、詳細な内容だった。しかも、月次ごとに分かり易く分類されている。
篤志はざっと書類に目を通していった。拾い読みしながら、気になるところはマークを入れていく。
一通り読み終わると、今の会社の状況がだいたい分かった。
日間梨産業はオフィスビルの賃貸を中心とする不動産業だが、ほかに商業施設やアミューズメント施設の運営など、幅広くやっている。
当然、この業界特有のトラブルも多いが、むしろ問題は社内にあるようだ。取締役会の決済手続きが遅く、それが経営上で悪い影響を与えている。それに、社員モラルも低下しているように感じられる。
その背景には、江利戸社長派と日間梨取締役派のふたつの勢力争いがあるようだ。
やはり御膳会長の言ったとおりだった。そして御膳がなぜ篤志に、その関係改善を託したかもわかる気がした。御膳にとって、日間梨家の人間は、おろそかに出来ない存在なのだろう。
(封建時代でもあるまいに)
篤志はフッと息を吐いた。彼の尊敬する御膳の弱点を見た思いがした。

ふと時計を見ると、昼近くになっていた。彼は監査室に電話した。
「真締くんか。昼飯はまだか?――じゃあ、こちらに来てくれ。今、きみのリポートを読んだところだ」
彼は電話を切ると、こんどは会社の近くの鰻屋に電話した。店の親父の元気良い声が聞こえてきた。
「日間梨産業の仲間だ。――ああ、出戻りだ。こんど相談役になった。親父も元気そうだな。忙しいときに済まんが、出前を頼めるか――ああ、鰻重をふたつだ」
鰻屋の親父はすでに店を息子に任せていたが、自分は電話番や注文聞き等の雑用をしている。篤志は前にこの店をよく利用していて、親父とも旧知の間柄だった。

真締が部屋に来て、篤志はしばらくリポートとは関係のない、雑談をした。実は、当面とりかかる案件はすでに決めていた。
「レポートはよく出来ている。ところで、監査室の仕事の範囲だが、きみは取締役会の議事録に目を通すことが出来るのかね?」
真締は考えながら、慎重に言った。
「私の仕事は、社員が対象ですから、本来は取締役会の議事録をチェックする立場にはありません。でも――」
真締は少し躊躇した。篤志が穏やかに笑いかけると、あとを続けた。「地味監査役は、監査業務の参考にもなることだから、と議事録を私にも回してくださいます」
それで十分だった。真締にも経営陣の動きはある程度分かっているはずだ。それに必要となれば、筆頭監査役の地味も役に立ちそうだ。
30分ほどして、鰻重が届いた。
さっそく昼飯を食べながらの打ち合わせとなった。時間を無駄にしない篤志は、以前もこういう会議をよくやった。
思わぬご馳走に、真締は感動したようだ。彼の気持ちがほぐれたところで、いよいよ本題にとりかかった。

「ところで、この社長宅脅迫事件だが――」
日間梨産業がビルを建てようとした敷地の一角に、20坪ほどのタバコ屋があった。そのタバコ屋を取り込めば地形も良くなるので、買収交渉した結果、坪単価500万円、総額1億円で交渉成立した。
ところが、役員会決済して契約手続きにはいる段になって、先方は倍額を要求してきた。
仕方なく売買条件を変えて、再度の取締役会にかけたが、こんどは議案が否決された。そこまでの投資メリットはない、との判断だった。
そんな時期、社長の私邸のまわりに不審人物がうろつきだした。とくに被害はなかったが、不気味に思って警察に相談しているが、たいした進展はない。
「警察は、この脅迫事件について、タバコ屋のほうも調べたのか」
「いえ、タバコ屋との取引と脅迫事件の因果関係は、不明です。ただ時期的な絡みで、そうじゃないかと憶測しているだけです」
「ふうん。ところで、条件変更後の取締役会で反対した役員は、江利戸社長だな」
「それに、御膳会長の名前もありました」
「ほう、会長も反対されたのか。で、賛成派は、ビル事業本部長の法螺常務だな」
「はい。議案を出された当事者ですから」
「それはそうだな」
篤志はおどけたように笑った。そして、何気なく訊いた。「日間梨取締役はどっちだった?」
一瞬、真締はうかがうように篤志の顔を見た。そして慎重に答えた。「日間梨取締役は賛成派のほうでした」
予想通りの返答だった。篤志は独り言のようにつぶやいた。
「タバコ屋の取引と社長邸の脅迫か。その両方が関係しているとすると、ちょっとおかしいな」
「相談役、どうしてですか?」
「だって、御膳会長のお宅には何の動きもないのだろう。同じ最高経営責任者だと言うのに」
そう言いつつも、篤志はその答えが分かるような気がした。御膳なら、そんな脅迫など屁とも思わないだろう。あるいは私設ガードマンを雇ってでも、徹底的に不審者を追及するだろう。
問題は、そういった会長と社長の性格の違いを、知っている人間がいると言うことだ。
となると必然的に、社内に目を向けざるを得ない。

真締が部屋を出ていった後、秘書に電話をして、江利戸社長のスケジュールを聞いた。
夕方5時なら空いていると言うので、会見予約を取った。
もう一度、真締に電話をかけて、タバコ屋と直接交渉にあたったビル事業部の担当者の話を聞きたいのだが、と伝えた。
すぐに返事が来た。担当者は事務所にいるので、今日なら何時でも会えると言う。じゃあ、すぐ会おう、ということになった。

ビル事業の担当者は、真締と一緒に来た。30代の男子社員で、がっちりした体格と用心深そうな目をしている。
話を始める前に、コーヒーを頼んだ。それからビル事業概況などの当たり障りのない会話をして、相手の気が緩んだところで本題に入った。
「きみが担当したタバコ屋の件だが、なぜ相手は土壇場になって、条件を変えてきたのだろう?」
「私にも訳が分かりません。1億円で決まった時には、タバコ屋のお爺さん、すごく喜んでいました。真面目で約束を守りそうな方でしたから、契約間際で値上げされたのはショックでした」
「値上げした理由は何だったの?」
「先祖代々受け継いだ土地だから、2億円じゃないと売らないの一点張りでした」
「ふうん、たいした理由にはならないな。ところで土地の値段だが、相場的にはどれぐらいなの?」
「事前に調べたところ、5千万円くらいです。そんなに一等地でもないですから」
「じゃあ、2億円というのは、法外な値段だ」
「相場的には法外ですが、ビル事業の全体計画から言えば、そうとも言い切れません」
担当者は、取引が成立しなかったことに悔しさを滲ませて言った。それにはあえて言及せず、踏み込んだことを聞いた。
「ひょっとしたら、そのタバコ屋には影の参謀がいたのかも知れないね」
「ええ、それは感じました。とくに、2億円だと言い出した時は、ぜったい誰かが入れ知恵していると思いました」
「心当たりはないの?」
「ええ。親族といえば、息子さんがパリにいるそうです。――そういえば、2度ほどタバコ屋の中から出てくる男の人を見ました。テレビタレントのようにハンサムな男でした」
「ふうん、その男が陰で糸を引いているって可能性はあるな」
「どうでしょうか?ただ、ちょっと気になっただけです」
篤志が話すあいだ、真締は口を挟まなかった。時々メモを取っていたが、どうやら彼は、すでに担当者から事情聴取していたようだ。

5時に社長室に出向いた。
江利戸薫は54歳の時、社長に抜擢されて、1年ちょっとになる。髪は白いものが目立ち、艶の良い端正な顔もすこしやつれて見える。社長職の重責が、じょじょに積み重なってきたようだ。
江利戸は、先輩の篤志を前にして、すこし話しにくそうだった。
篤志はふと思った。
(おれを相談役にするとき、御膳会長は何と言ってこの社長を説得したのだろう?)
篤志は単刀直入に、社長邸で起こっている事件のことを聞いた。
江利戸は考えながら話した。目立った脅迫ではなく、サングラスをかけた不審人物を、家の回りでよく見かける。チャイムが鳴って、ドアの外を覗いても誰もいないことや、無言電話もあると言う。
「嫌がらせだと思うのですが、気味が悪くて。でも今のところ、表立った被害はありません」
「なにか警備的な対策はしてあるのですか?」
「ええ、警備会社と契約しています。夜間や留守中、家に侵入されれば警備会社で警報が鳴り、駆け付けてくれます。それから門の所には、監視カメラを取り付けています」
「そのカメラで撮った映像は、調べてみましたか」
「いえ、とくに実害がないので、調べていません」
「データの保存期間は」
「たしか3ヵ月間だと思います。何もなければ、更新されます」
「じゃあ、そのデータをお借りします。まあ、何もないかも知れないけど、一度私の知人に調べさせてみましょう」
[17/05/11 08:29 神亀]
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