■ グランパラダイス(上) - ……(2)
(2)
仲間篤志はグランパラダイスを出ると、店から歩いて15分ほどのところにある、自宅に戻った。祖父の代から住んでいる、大きくて古い屋敷である。
女房に先立たれ、ふたりの娘たちも結婚して家を出ているので、家族は誰も同居していない。代わりに、古々呂忠という70歳の爺さんが、使用人として住み込んでいる。
老人は通いの手伝いを使って、家事いっさいを取り仕切っている。名前は「ただし」と読むのだが、篤志はいつも「ちゅう」と呼んでいる。キスをするときのチュウに関連させたのだが、いかにもしゃれ好きの彼らしい。
朝帰りした篤志に、使用人は非難するそぶりも見せず、「お食事はまだですか」と穏やかに聞いた。
篤志が「まだだ」と答えると、手際よく朝食の支度をしてくれた。篤志は外泊するとき、必ず連絡を入れていたので、万事が滞りなく行われる。
篤志が子供の頃、この屋敷に古々呂惣吉という年寄の下男がいた。背が低く丸っこい体つきをして、性格はいたっておとなしかった。それが忠の父親である。
仲間家は代々、精の強い男が多かった。
祖父は堂々と2号宅に行き来していたし、外で作った子供を含めると、12人の子宝に恵まれた。そして篤志の父親は、表立っての2号は持たなかったが、それでも何人かの女に『お給金』を払っていた。
父は、さすがに物入りの多いことに危惧感を抱いたのか、はたまた、息子が自分と同じことをやりだしたら、仲間家は没落の道を辿ると思ったのか、篤志が思春期を迎えたころ、女代わりに惣吉をあてがった。
そのとき惣吉は、すでに父のお手付きだった。女遊びに飽いた父が、惣吉を床に引きずり込んでいたのだ。
そして篤志は、老いた使用人の体によって、女より先に男の味を覚えた。この点に関しては、父の目論見は成功したようだ。
やがて篤志は親の推薦する女と結婚し、ふたりの子供を設けたが、決して女狂いには走らなかった。余分の精力は、惣吉のような年配の男に注ぎ込んでいたからだ。
その惣吉も死に、代わって息子の忠が仲間家にやって来た。忠は体つきも性格も、父親にうりふたつと言っていいほど似ていた。
篤志が、この自分より5つ年上の男をベッドに誘い込むのに、さほどの時間を要しなかった。
篤志は朝食がすむと、コーヒーを飲みながら、新聞に目を通した。その間、忠は、部屋の隅で静かに控えている。
「今日は床屋に行く。それから根津まで行ってくる」
篤志は新聞に目を向けたまま、独り言のように言った。「御膳会長のご自宅だ。だから、今日は久しぶりにスーツを着る。白のカッターシャツを用意してくれ」
「かしこまりました」
黙って聞いていた忠が、そっと答えた。
篤志は新聞から顔をあげて、初めて使用人のほうを見た。
「前に話していた相談役の件だが、どうやら受けざるを得ないようだ」
「お忙しくなりますね」
忠が言葉少なに言い、篤志も、ああ、とだけ答えた。
着替える前に、浴室に行ってシャワーを浴びた。温かい湯からじょじょに冷たくしていく。体が引き締まる思いがする。
バスタオルで体を拭いているとき、下腹部に充実感を覚えた。下を見ると、少し大きくなっている。
(しばらく出していないな)
篤志は皮肉な思いで、我が分身を見下ろした。昨夜、洋児と寝た時も、一方的に受けるだけで、彼自身は男の機能を使っていない。
浴室から出ると、タイミングを見計らったように忠がカッターシャツを持ってきた。
使用人は篤志の下腹部を見て、わずかに眉をあげたが、奥ゆかしく目を逸らせた。どうやら、いつにない主人の充実に気付いたようだ。
そんな様子を見ながら、篤志はこの老人の性生活を想像した。
(忠を抱かなくなって、ずいぶんになる。ほかにいい男でもいるのかな)
忠は晒しのフンドシを開いて、篤志の腰にあてがった。こうして主人が衣服を身に着けるのを手助けするのが、いつもの習いになっていた。
篤志が元気な頃は、こんな時、忠のやわらかい口でちょっとしたお楽しみをやるのだが、近頃そんなことは滅多にない。
目の前に屈みこんで靴下を穿かせる老人の白髪頭を見ていると、逸物に絡みつく湿った温もりを思い出して、乙な気分になってくる。久しぶりに楽しんでみるか、と思ったが、後のことを考えて断念した。
床屋は、最寄りの湯島駅に行く途中にある。
道中、湯島天神に立ち寄り、参拝をした。春先にぎわっていた天神さまも、いまは落ち着きをとりもどしている。境内から女坂のほうに降りて、床屋に向かった。
裏路地に面した床屋は、店主が熟年の従業員とふたりでやっている小ぢんまりとしたものだが、篤志にとって因縁浅からぬ店だった。
店主は右舞百八という、70近い爺さんがやっている。背の低い中肉体型で、剥き立てのゆで卵のようなツルンとした肌をしている。一見したところ、男とも女ともとれる綺麗な顔立ちで、それが歳と共に仏様のような穏やかさが加わって、不思議な魅力をたたえている。そのうえ、物腰もやわらかくて愛想が良い。
実はこの老人、昔、篤志が助けてやったことがある。
20年ほど前、右舞百八は博打好きが災いして多大な借金を負い、その代償として新宿で男娼をやらされていた。
もともと百八は男好きで、逞しい男に抱かれることに、なんの抵抗も無かった。そのときすでに50歳になっていたが、彼を裸に剥けば、色白しっとりとした肌をして、男とも女とも言えない妖しい魅力があった。しかも男を喜ばせるテクニックは、天性のものだった。彼の絶妙な舌使いに、狂喜し、病み付きになる男も多かった。
当時、働き盛りだった篤志も、馴染み客のひとりだった。そして何度か肌を合わせている内に、百八の悩みを知った。
好きなタイプの男に抱かれるのはいいが、ときに彼を道具同然に扱う粗野な客もいた。百八は自分の体を売ることに、嫌気がさしていた。
そしてまた、かなわぬ夢も持っていた。これまで放蕩三昧な生活を続け、親の死に目にも会えなかったが、せめて親の跡を継いで、床屋を再興させたかった。
話を聞いた篤志は、百八の借金をすっぱりと払って、彼を身請けした。それから所有する貸家のひとつを百八に与えて、床屋を開かせた。銀行から開業資金を借りるため、連帯保証人にもなった。
そんなわけで、店主の右舞は、篤志に対して多大な恩義を感じていた。
「どうだ、調子は」
「はあ、おかげさまで馴染みの客も増えて、毎日忙しくしています」
「それは結構なことだ。しかし、シャクも、もうすぐ70だろう。もうひとり従業員を増やして、楽をしたらどうだ」
本当は、『ひゃくはち』というのだが、尺八がうまいのでしゃれて、シャクと呼んでいる。店主をこう呼ぶのも、篤志だけだ。百八は気にもかけずに返事をした。
「はい、そう思わないことはないのですが、なかなかいい子が見つからなくて。近頃はこの業界でも人手不足で困っています」
「ふうん、そんなものか。わたしはまた、シャクの艶っぽさなら、何人でも集まってくると思ったが」
「またご冗談を――」
椅子に腰かけ、店主に散髪してもらいながら、篤志はのんびりと話をした。そして、ほかの客のほうを窺いながら、ときおり店主の柔らかい尻をそっと撫でたりする。店主もうれしそうに、必要以上に体を押し付けてくる。この数年、ふたりが関係を持ったことはないが、いたずら好きの篤志は、いつもこうやってちょっかいを出すのだ。