連載小説
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「レイクエム2」 Eソーシャル・ディスタンス
『ソーシャル・ディスタンス』

ブゥー、ブゥー、ブゥー、ブゥー、……、……。
何度、携帯が鳴っても出ない。「どうしたのだろう?」と思い、何気なくリビングのソファーの下を見ると、お爺さんの携帯電話が落ちている。
「携帯を忘れて行ったから出ないのだ」と、納得した途端に目が覚めた。夢だった。
人は人生の終わり、死ぬ時に何を残して死んで逝くのだろう。
あの世に旅立ってしまったお爺さんは、悲しみを私に残して逝ってしまった。看病する時間もくれず、あっという間に突然死んでしまったので、今でも気持ちの整理がつかない。
お爺さんが死んだので、お爺さんの携帯電話は家族によって解約された。お爺さんとの通信手段が絶たれてしまい、二度とお爺さんの声を聞くことができないから、もう心がなごむことはない。
「お爺さんとは再び会うこともできない。もう決して戻って来ない人なのだ」と思うと、胸が締め付けられて苦しくなる。
「春さん」とは本名、伊吹春吉の愛称だ。昔の古い友達は「春さん」と呼んでいたそうだが、何故か?私だけいつも「お爺さん」と呼んでいた。その理由は「春さん」という個人の固有名詞は死んでしまえば無くなるが、「お爺さん」という形容詞には普遍性がいつまでもあるからだ。しかし、お爺さんが死んでから、私も故人へ親しみを込めて「春さん」と呼ぶことにしようと思う。

6月1日、緊急事態宣言が全国で解除された。
世界の新型コロナウイルス感染者は、606万人を突破し、死者は37万人に膨れ上がっている。国内でも、第2波のコロナ感染を充分警戒しなければならない状況だ。
政府の新型コロナウイルス政策が、医療体制強化より経済対策優先の方向に働いて、約1ケ月半の宣言期間中に落ち込んだ社会経済活動の立て直しを計っている。
午後8時、新型コロナウイルス感染の収束を願って、全国一斉に花火が打ち上げられた。全国各地の花火大会が、大勢の観客を集め「密閉、密集、密接」の3密になるという理由から中止になった。コロナ自粛に疲れた人たちに少しでも笑顔になって貰おうと、花火師からの提案で考えられた企画だ。
新型コロナウイルス感染防止のため集客なし、時間は5分以内、午後8時から全国各地で花火が打ち上げられた。花火が大輪の美しい花を咲かせて夜空を彩ると、人々の気持ちは高揚して夏気分を味わい、暗く沈んだ心に暫しの間でも、希望の光が垣間見えたようだ。

「長岡の花火」は、子供の頃からの真夏の風物詩。「長岡の花火」は、放浪の画家「裸の大将、山下清」のちぎり絵に詳細に描かれている。迫力満点の正三尺玉や長生橋から流れ落ちるナイヤガラの滝、連発する大スターマィンなど、何万発の美しい花火が、真夏の夜空を美しく彩る懐かしい光景は、故郷を長い間離れていてもいつまでも忘れえぬものだ。
長岡祭りの花火は、昭和20年の長岡空襲によるB29爆撃機の空爆犠牲者の慰霊と、平成16年に起きた新潟県中越地震からの復興などの願いを込めて、毎年8月2日、3日の2日間に開催され、100万人以上の観客が訪れている。
「新潟県中越大震災復興祈願花火」のフェニックスという壮大で美しい花火は、世界一と言って誇れる花火なので必見である。何度、災害に遭っても不死鳥(フェニックス)のように甦る人々の強い信念を表現している。
「世界へ、未来へ、平和へ」という真夏の夜のメッセージは、感動的でとても美しい。
子供の頃、心に深く刻まれた夏の思い出がある。長岡の花火を見に浴衣姿の母親と信濃川の土手によく足を運んだ。
越後交通本社のある旧河川敷に兄、昭次の家があるのだが、そこの庭で見るより、やはり花火大会の会場となって、大勢の人々が待機して賑わっている土手から見る花火は格別なのだ。
花火会場となる真夏の夜の土手は、日中の強い太陽の陽射しを浴びた草むらから立ち昇るムッとする臭気と、集合した人々の熱い吐息で溢れていた。大勢の観客で埋め尽くされて足の踏み場もない会場への移動は、もの凄い混雑の中、人を掻き分けて行かなければならないので一苦労する。
私は人混みに押されて、すぐ目の前の小さな老人の身体にぶつかり接触してしまう。
「誰か?に後ろから押されたので仕方がない」という困った顔をして、後ろを振り向く素振りをするが、実はそうではない。大きな花火が上がるたびに起こる歓声の渦に紛れて、周囲から気づかれないように自分から進んで巧妙に、好みの年寄りの身体、肉体に接近して行き接触したのだ。
普通なら若い女の子や綺麗な女の人に近づくはずなのに何ということだろうか?どこか同性愛的な歪んだ性の匂いがする。それは私だけの秘儀的で、快楽的な欲望の行為だった。
性的対象となる老人は何故か?田畑の仕事をする農民や手の荒れた大工などの職人さんで、少し小太りの布袋様のような顔をした可愛い年寄りだった。
同性愛ではよく美少年が性的対象になるが、美しい若者や逞しい肉体美をした中年の男たちではなかった。あくまでも老いの匂いが感じられる対象、素朴な優しさを感じられる年寄り、美とはかけ離れ、人生の悲哀を感じる老人の男にしか興味が湧かなかったのだ。
「信濃川の河原には、花火の落下傘が落ちている」と友だちが言うので、それを探しに行きたかった。2日間の盛大な花火が終わっても、川原に潜むツツガムシが怖くて、私は取りに行けなかった。
ツツガムシは、野ネズミの耳に寄生するダニ(幼虫)で人を刺す。刺されると、その箇所が赤く腫れあがり高熱が出る。治療が遅れると死に至る恐ろしい病だ。私の小学校の担任の先生が、刺されたことがある。
長岡市は、花火大会前に信濃川河川敷の草刈りをしてから消毒する。しかし、よく整備された河川敷には畑が多くて、畑で作業している農民が刺されることがあるのだ。

その日の朝、やっとアベノマスクが届いた。
最近、マスクがどこでも安く買える状況なので、アベノマスクは今さら届いても遅過ぎるのだ。布製で使い捨てマスクじゃあないから、不便で有難味がひとつもない。
当初予算466億円もかかると言った不評のアベノマスク。汚れたり、カビが生えたりしていたマスクの不良品回収と再配達に8億円も投資したのだ。新型コロナウイルス感染の大変な状況の中で頑張る医療関係者などに、もっと違う形で役立つお金の使い道があるはずなのに、政府は何をやっているのだろうか?
「アベノマスクによってマスクの価格が下がった」と、テレビで菅内閣官房長官が的外れなことを言う。よく恥かしくもなく、そんな子供騙しのことを政治家が言えるものだ。それが頭の良い?政治家、役人の仕事なのか?そんな政治家は、すぐ議員辞職して欲しいと思う。
「マスク30枚1,000円、半額で売ります」というチラシが、郵便受けに入っていた。まだ、アベノマスクが届かない所が多いというのに……。
故、田中角栄元総理大臣なら、無駄なマスクに国民の税金、大事なお金を絶対に使わないだろうと思う。きっと庶民の立場に立って有効な使い道をしてくれたはずだ。
ビニールの封を切って、布製の小さなマスクを口に充てて見る。顔が大きい私にはやはり小さい。使い捨てと違い、何回も使って洗うと手間が掛かる。面倒くさいので、汚れたマスクをそのまま長時間使用すると、かえって不衛生この上ない。
現在は、安全性や通気性を考慮したいろんなタイプのマスクが出回り、個性的なデザインでファッショナブルな手作りマスクも多くある。マスクは医療関係者の感染予防になくてはならない物だが、それだけではなく、すでに顔のパーツの一部になっているようだ。
親中政治のしっぺ返しで、必要な時にマスクが手に入らず、今頃になって、海外から日本にも大量に入荷されている。中国に頼らず、次々と日本の新しいメーカーが参入して、国産マスクの生産を急いでいる状況だ。マスクがどこでも安く買える状況にも関わらず、ユニクロが発売したマスクは、決して安くはないが、すぐに完売してしまう状況だ。
中国では、生産と供給のバランスが崩れてマスクバブルが弾けた。マスク外交用に生産されたマスクが、倉庫に大量が放置されたままになっている。マスクの値段をタダ同然に下げても売れない状況で、在庫するにも当然、維持費が掛かるのだ。
新型コロナウイルス以前は、中国人による日本製品、メードインジャパンの買い占めが日本全国で横行していた。中国で高く売れる骨董品や電化製品、衣服、化粧品などの日用品、  
お金で買える全ての商品に、若い中国人バイヤーがアプローチして来た。
鉢植えの盆栽などは勿論、槙の木は中国で幸福の象徴として縁起が良いといわれるので、農家の庭に植えてある槙の木まで購入して持ち去ってしまったらしい。
高齢者が増えて植物を世話しきれなくなって「庭じまい」をするケースも増えているから、花木を枯らすより保護するという観点では良いのかも知れない。
現在、新型コロナウイルス感染を水際で食い止めるために外国人を受け入れない日本は、言わば明治時代前の鎖国状態にあるから、あれ程多かった中国人もめっきり減って、バイヤー達の姿も見られなくなってしまった。
6月2日、都内で新たに34人の新型コロナウイルス感染者が出て「東京アラート」が発動された。前日、緊急事態宣言が全国で解除されたばかりなのに……。
レインボーブリッジと都庁舎が赤色にライトアップされ、警戒を呼びかけるショッキングなレッドカラーが、人々の不安感を煽る。以前は安心感を誘う緑色にライトアップされていたのに……。
「再開直後なのに、このままでは店が潰れて路頭に迷ってしまう」と、飲食店の経営者などからのため息が聞こえて来る。
東京の「夜の街」での感染が目立つ状況だ。新宿のホストクラブなど「夜の街」の接待業から、若い年齢層の感染者が多く出て来ている。
小池百合子都知事と政府は警戒感を更に強めている。
政府が新型コロナ感染防止と経済救済の対策に苦慮している状況で、規制されて営業を中止する店がある一方、営業自粛しないパチンコ店が東京にも数店あるようだ。
「家賃と従業員の給料を払うためには仕方がないのだ」と、経営者が主張する。
開店前の人の行列。「自粛警察」と称する人たちが、怒鳴り声を上げる狂想曲。パチンコ店がオープンすると同時にお客が殺到して『軍艦マーチ』の曲に煽られて入店、お気に入りのパチンコ台を目指す。
新型コロナウイルス感染対策もまだ充分でないパチンコ店へ、自分の欲望を満足させることだけを望む人々が群れる。
「コロナ渦で仕事もなく暇だし、退屈してやることがないからパチンコにでも行くか?」という単純な理屈で出掛ける肉体労働者風の中年男性。
「おれはパチンコに命を懸けているのだ!」と、白昼から酒の匂いを漂わせ、酔っぱらいの男性が、声高々に叫ぶ。
パチンコの行為自体は、決して否定できないのであるが……。彼らは賭け事依存症を制御できないのが現実だ。
もし日本に数か所、カジノができたらどうなるのだろうか?あれ程話題になったカジノ法案は、汚職に塗れコロナ渦によって、春一番のような強風に煽られて、どこかへ吹き飛んで行ってしまった。 
「仕事もなく、暇だからパチンコに行く」
「何もやることがないから、飲み屋で酒を飲む」
それが今までの「普通の日常生活」で当たり前だった。彼らは、何も趣味がないから慣習的な日常生活を送る。
彼らは、自分だけは新型コロナウイルスに感染して死ぬことはないと、高を踏んでいるが、もし新型コロナウイルスに感染してあと数時間で確実に死ぬとしたら、彼らは、果たして最後にパチンコに行くのだろうか?酒場で死ぬまで酒を飲んでいるのだろうか?
私は少なくてもそうはしないし、決してできないと思う。暇だとか、忙しいとかは、個人差があるが、生活意識、個々の生き方の問題だからだ。

1970年代、私が高校を卒業し、初めて就職した横浜の郊外の町。休日や仕事が終わった後は必ず、駅前のパチンコ屋へ通った。
『軍艦マーチ』に煽られてパチンコに無我夢中になっていた。打ったパチンコの玉が弾けて『軍艦マーチ』の曲のようにテンポ良く、あっという間に台下の穴に吸い込まれて行く。
私が汗水流して稼いだお金が、穴の中に吸い込まれて消えて行く。大音量で店内に流れる曲が次々と変わっていく。
「よこはま たそがれ ホテルの小部屋」
「くちづけ 残り香 煙草のけむり」
「ブル−ス 口笛 女の涙」
作詞:山口洋子、作曲:平尾昌晃のヒット曲を演歌歌手、五木ひろしが熱唱する。
「あの人は 行って 行ってしまった」
「あの人は 行って 行ってしまった」
「もう帰らない」
あの頃を象徴する曲が『よこはま・たそがれ』だった……。
パチンコの景品交換で手に入れた小柳ルミ子の『私の城下町』や三善英史の『雨』のシングルレコード盤はまだ手元に置いてある。遠き昭和、若かった私の思い出の品々なのである。

新型コロナウイルスによる「新しい生活様式」の変化や感染予防の観点から、社会的距離(ソーシャル・ディスタンス)を取らなければならない状況だ。集団行動のない独りの孤食は淋しい。警戒心から人との接触を避けるたった一人のカラオケなど、人との親しい会話、ふれあい無しで、人生、何が楽しいのだろうか?理解に苦しむ。
「密閉、密集、密接」の3密を叫び、新型コロナウイルス感染への恐れから、家族別離も起こり得る。ある一定の距離を置いて人と会話するのに、私はまだ慣れていない。人との距離を保ち、直接肌に触れることができなければ、人生が楽しいはずもなく、生きがいも、何も見出せない。
自粛生活、引き籠りの生活様式に対応して、ウーバーイーツなど、スマホで注文するオンライン、フードデリバリーの宅配サービスが増えている。ウーバーイーツは個人経営様式なので、個々の利益優先、配達者のスピード重視で自転車事故も多発している。 
ウーバーイーツや出前館などは、あくまで東京などの都会での話であって、地方都市の田舎では人影もなく、ただ、ひっそりとした静けさが漂っているだけである。家族団欒の楽しい食事なら良いが、独りの寂しい孤食では味気なく、ちっとも美味くない。
長い間、自粛生活をしているとストレスが溜まり、運動不足になる。スポーツジムもまだ全店再開されてはいない。気分転換と運動のために、マスクを着けて近所を散歩して見る。
散歩の途中の川辺には、緑色の葉をたくさん茂らせた桜の木が数本並んでいる。ほとんどが染井吉野だが、1本だけ山桜の老木がある。毎年、美しい可憐な花々を咲かせて近隣住民を楽しませてくれるのだが、藪に覆われた土手に植えてあるので、ほとんどの桜の木が手入れされていない。  
山桜の大木を見上げると随分、葉が立て込んでいるように見える。よく見るとシダの太い蔓が桜の木の上部まで巻き付き、たくさんのシダの葉に覆われて、桜の木がずいぶんと肩身の狭い思いをしている。
近所の人は誰一人、自分のこと以外は気にしていないのだろう。このままだと、桜の木に日光が当たらず、枯れてしまうかも知れないと思い立ち、桜守の気分でノコギリと太枝切りバサミを持って出掛けた。
桜の木の周りは、篠竹と根強い雑草が密集して生えている。それらを太切りバサミで切り払い、巻き付いたシダの太い幹をノコギリで数本とも根元から切り捨てた。
数日後、愛犬クロを連れて散歩に出かけた。桜の木を見ると、抱き付くように巻き付いていたシダが枯れて、葉は乾燥して茶色に変色し、あっちこっちに散らばって落ちていた。
桜の木の上部に透き間ができて、明るい太陽の陽射しがいっぱい射すようになっていた。
桜の老木は、シダに巻かれ締め付けられた苦痛から解放された。我が老体を桜の老木になぞらえ、新型コロナ自粛生活での不安定な心理から一時的に逃れて、心も少しだけ明るい自由な気分に浸れることができた。

私がこの家に越して来た30年程前、真向いに葦簀を作る小さな工場があった。そこの経営者はまだ50代後半の働き盛りで、人の良さそうな主人だったが、後日、近所の噂で旦那さんが首を吊って自殺したことを知った。
「おはようございます!」と挨拶したら、「良い天気だねぇ」と、にこやかな表情をしていたから、まさか首吊り自殺するとは思えなかった……。人の命なんてどう消えるか解らない。
「中国製の安い葦簀製品が大量に出回り、経営不振から自殺したのではないか?」と、自殺の理由は定かではないが、近所で囁かれていた。
その後、工場は取り壊されて更地になってしまった。私の家との境に大きな桜の木があって、毎年、染井吉野が美しい花々を咲かせていた。
私は桜の葉が丸く縮まり、緑色から茶色く変色する病気を見つけた。奥さんに報告すると、驚いたことにある日突然、桜の大木を根元から切り倒してしまったのだ!
「桜切るバカ、梅切らぬバカ」……。
何で枯れてもいない桜の木を切る必要があるのだ!私にはその感覚が理解できない……。
「桜咲き、桜散る……」
人の命にも限りがあり、桜の花のようにいつか散ってしまう切ないもの……。
更地には雑草が次々と生い茂り、それを奥さんの息子が度々、草刈り機で刈り取っていた。それでも生命力の強い雑草が、すぐ生えてきて何度も刈るのが大変だという理由で、除草剤を大量に撒いてから、土が死んで草がひとつも生えない土地になってしまった。
私の家の庭は雑木が多いが、絶対に除草剤を撒くことがないので、雑草もたくさん生える。一口に雑草と言っても名前は知らないが、可憐な小さな花を咲かせる草物もたくさんある。  
春さんが畑から持って来てくれたスミレの種がこぼれて、毎年、春先に綺麗な可愛い花々を咲かせてくれている。今、庭の柿の木には白い花も咲いている。
「春には 柿の花が咲き 秋には 柿の実が熟れる」
『柿の木坂の家』郷愁を誘って青木光一が歌う昭和の歌謡曲を思い出す。
「柿の木坂は 駅まで三里 思い出すなァ ふる里のョ」
「春には 青いめじろ追い 秋には 赤いとんぼとり」
「柿の木坂で遊んだ昔 懐しいなァ しみじみとョ」
『柿の木坂の家』のように、我が家の庭も季節が移り変わって行く。
私の子供の頃、実家の古い屋敷には大きな柿の木があって、瓦屋根に上って甘い柿の実を頬張った記憶が蘇る。
春さんと茨城県の田舎に出掛けた帰り道、私が車を止め小用足していると、道路わきに柿の木があり、朱色に色づいた柿がたわわに実っていた。柿が大好物な春さんは、車から降りて柿を2〜3個こっそりともぎ取った。たまたま家から出て来た柿の木の持ち主のお婆さんに運悪く見つかってしまった。
「なんで黙って、家の柿を盗るのよ?」と、怒鳴られてしまったことがあった。
「あんなに柿の実が成っていても食べ切れない。どうせ朽ち果てるか?カラスに食われてしまうのでは勿体ない」と、春さんは、甘い柿をかじりながら車内でつぶやいていた。
我が家の柿は、去年多く実ったので、今年はあまり実が成らないかも知れない?
愛犬クロは、春さんの車が来るとうれしくて「ワンワンワン」と吠える。クロは、いつも自分を可愛がってくれる人の匂いと車の音が分かっているのだ。
足腰の悪い私に変わって、春さんが毎回、クロを散歩に連れて行ってくれた。クロは喜んで、勢いよく飛び回ろうとする。
高齢の春さんが、転倒して骨折すると危ないから、クロの散歩用ロープを手に短く持ち、強く引いて「待て」と大きな声を掛けると大人しくなると教える。
春さんは、クロに「待て」ではなく「気を付け!」と言うのが、まるで軍隊の号令みたいで、とても可笑しかった。
クロは、春さんがどうして突然、家に来なくなったのか?散歩に連れて行ってくれないのか?を知る由もない。

漸くして、給付金の10万円が入金された。新型コロナウイルスによって仕事がなくなり、貯金を食い潰す生活だから大変助かる。
政府の試算では、老後に2,000万円の貯蓄がなければ生活できないと言う。何という試算だろうか?生活保護を受けている高齢者も多く、少ない年金で、ぎりぎりの生活している高齢者は、そんなに貯蓄があるはずがないのだ。
10万円の使い道は「いざという時のために貯蓄する」という人が多く、給付金のお金はあまり使われず、市場へと動かなかったようだ。給付金のほとんどが生活費の足しに充てられ、趣味や旅行に使えるのは、余裕がある家庭である。また、世帯主だけが独占して家族に還元されないケースもあるだろう。高齢者でボケて、どうして10万円が入ってくるのか?家族から入金されたことさえ知らされないで、かってに使われてしまっている年寄りも少なくないのである。
想定予定外のお金はあぶく銭と考えられて、コロナ自粛でストレス発散のため飲み歩く、カラオケスナックや飲み屋の代金、ボトルキープ代に使われることもある。生活苦の人に支給された一時金は、アルコールから尿へ変わってトイレに流れて消えてしまうのだ。

6月12日、「東京アラート」が解除され、東京都の事業者への休業要請緩和「第3段階」に移行することが決定された。約2ケ月間の我慢の生活を強いられて来たバー、カラオケ、ネットカフェなどの店が再開され、いくらか賑わいが戻ったようだ。しかし、感染を恐れる警戒心から人々がすぐ外出しないので「客足が完全に戻るのかどうか?」まだ解らない。
恐怖からみんな家呑みで我慢しているのだ。新たな新型コロナウイルス感染者が決して居なくなった訳ではないので、各飲食店では、新型コロナウイルス感染対策を徹底し、お客さんに楽しんで貰うように努力しているという。だが、新型コロナウイルスの2次感染の恐れはまだ付き纏うのだ。
今、国家、首相のリーダー力が問われている。新型コロナウイルスによる日常生活の危機、経済再生に政府が素早く対応せず、いつも後手に回っている。外出自粛で国民のストレス、不満が溜まり、急速な支持率低下で、無力な政府、無責任国家と揶揄され非難されている。
「安部首相以外なら、もう誰でもいい!」と、ある政治評論家が言う。私は個人的には安部首相をずっと批判し続けて嫌われ「冷や飯」を食わされている石破茂さんがいいと思う。
「田中角栄先生の真骨頂というのは、困っている人を見捨てないところでしょう。何を困っているのか?だれが一番困っているのか?を見抜く目をお持ちでした」と語る石破さん。
顔は別にして石破さんの方が「国会の議論を濃密にしてくれると思うし、少なくても国民に犠牲を強いる政策はしないだろう?」と、期待できる。
安部首相は自己保全の言い訳ばかりで「森友学園」「加計学園」「桜を見る会」の疑惑に加えて「河井克行、案里夫婦逮捕」などの問題で「責任は痛感している」と何度も言っている。しかし、安倍さんは少しも説明責任を果たしていないのだから、安部4選だけは愚の骨頂、すぐに辞職して欲しいと願っている。
それは新型コロナ感染を軽視し、人の事より自分の事、人の命より経済を最優先するというトランプ大統領や多くのブラジル国民が新型コロナ感染死することを屁とも思っていないブラジルのボルソナロ大統領にも同じことが言える。
磁気治療器の預託商法−詐欺容疑で逮捕された「ジャパンライフ」の山口隆祥元会長が、安部首相から「桜を見る会」に招待されたことを顧客の勧誘に利用した。主に高齢者が集まる勧誘セミナーで「安倍首相名が書かれた招待状の写真を掲載した資料」を配布した。それを信用して多くの高齢者が「ジャパンライフ」に高額金を騙し取られ被害者が続出したのだ。
「ピンチをチャンスに!」今こそ地域のトップの力が試される時かも知れない。政府は地域のトップである知事に権限を与え、危機を乗り越えようと模索する。新型コロナウイルス対応で、現場主義、全国の知事の実力が試されている。あまり批判はしたくないが、神奈川県の黒岩知事、埼玉県の大野知事に比べ、千葉県の森田知事ほど発信力も乏しく存在感が薄い中身のない知事はいないと、私は思っている。
昨年の台風19号時に県民救済を後回しにして、自宅を見に行って批判を浴びたのが記憶に新しい。コロナ渦では芸能人出身だから仕方がないとは言っていられない。でも、残念ながら森田知事を選んだ千葉県民自身に一番責任があるのだ。
新型コロナウイルス感染対策で名を上げた「大阪維新の会」の吉村知事のように、若くて行動力と実力さえあれば、時期世代の総理候補として名を上げられ注目されるのだ。

6月18日、春さんの二度目の月命日。朝の日光を浴びて庭の合歓の木が、美しいピンク色の淡い花をつけて風にゆらゆらと揺らいでいる。
「枝が伸び過ぎているから、少し切った方が良い」と、昨年秋に春さんが言うので、二人で切り詰めた。今年も新しい枝が伸びてたくさんの花々を咲かせた。やはり、どんなことでも春さんとの関わりが浮かんで来てしまい、切ない思いが胸を焦がすのだ。
今回が二度目なので、独りで墓参りに行くことにする。依然として喪失感から解放されずにいる。一度目の墓参りと違うのは自粛生活のせいか?自己に心境の変化が表れたことだ。以前よりさらに暗く心を閉じて無口になってしまい、知人との会話でも言葉少なめで、必要以上のことを言わなくなった。
お婆さんの話では、墓の名義を春さんから長男の光春に移したそうである。昨今、少子高齢化が進み、お墓の継続者が誰も居なくて「墓じまい」をする事例が増えているから、墓の中で眠る春さんも、これで一安心することだろう。
春さんが愛用していたメビウスのタバコ1箱を墓石に供えて、線香に火を付ける。静かに両手を合わせ、目を瞑る。人生をもう少し長く生きて、私と一緒に楽しんで欲しかった……。
「あの世に行ってしまったから、好きなだけタバコを吸ってもいいよ!」と、心の中でつぶやき瞼を閉じる。
「御挨拶カタログチョイス」が数日前に、香典返しで送られて来たことを墓前で報告する。
令和二年五月、七七日の供養。お婆さん「伊吹敏江」の名前で印刷された挨拶文だった。
ひっそりとした「家族葬」だったから、こうしたものが送られて来るとは思いもよらなかった。カタログを見ると家具、バック、時計、食品などいろんな商品がある。ホテルの宿泊券やクルーズ船の予約券まである。ダイヤモンドプリンセス号の新型コロナウイルス感染例があるから、感染の不安が一掃されない限り、誰も申し込む人はいないだろうと思う。
それどころか、豪華客船の会社が倒産した事を新聞の記事で読んだ。何にしようか?迷ったあげく、壁掛け時計に決めた。毎正時に3羽のカッコゥーが時を知らせる仕掛けだ。これならいつまでも春さんのことを思い続けることができ、記念になると思ったからだ。
「カッコゥー、カッコゥー、カッコゥー」と、睡眠不足が依然として続いているのに毎正時、3羽の鳥が時計から交互に飛び出して時を教えてくれる。有り難いことに夜中だろうが、早朝だろうが、親切に正確に鳴き声で知らせてくれる。おかげで私の睡眠不足度が増してしまった。電池を抜いてしまったので、今はもう私のために鳴いてくれることはない。

6月19日、「特定警戒都道府県」から外れる5県の緊急事態宣言の解除、緩和の動きが加速して、他県をまたぐ移動やイベントが解禁された。
この日、新たな感染者が国内で58人、都内で35人が確認され、一定数の患者が発生し感染リスクが失われていない状況での解禁だ。新聞によると、新型コロナウイルス感染症の「死者」の定義が自治体ごとで異なり、死者数が増加しているという。
ちなみに北朝鮮もワクチン開発の研究に着手しているという。北朝鮮では、新型コロナウイルス感染者がまだ、一人も確認されていないことになっているのだが、信じる者は誰一人いないだろう。
春さんの死はPCR検査されていないので「隠れコロナ死」ではないことになっているが、私は今でもそうは思っていない。死因は恐らく新型コロナウイルス急性呼吸器疾患だろうと思う。
春さんが、アメリカのアリゾナにもう一度、行きたがっていたのに、新型コロナウイルスのせいで実現しなかった。春さんが生きていたら一緒に国内旅行を楽しもうと思っていたが、全て実現できない夢と化してしまった。
現在、感染者の少ない一部の国の入国を検討する動きはあるが、海外の旅行は勿論不可能で、他県への国内旅行もまだ越県することにかなり抵抗感がある。県外の車に悪戯され、投石でもされたら目も当てられない。他県のナンバー車の人は敬遠されているが、他県への旅行が要約解除されて、少しは気兼ねなくドライブができそうだ。でも遠くに行かなくても近場を見直すと小さな再発見があるかも知れない。
私が住む家の近くに印旛沼がある。今、印旛沼は外来種の「カミツキガメ」の異常繁殖で知られている。その側の田んぼには毎冬、白鳥が飛来する。地元農民が、田んぼでエサをついばむ白鳥にエサを与えたのが始まりだと言う。今では多い年で約800羽の白鳥が、遠いシベリア辺りから飛んで来るという。
また、家から少し離れているが、手賀沼周辺には四季折々、数多くの野鳥が生息しており、国内最大級の愛鳥家たちの祭典「ジャパンバードフェスティバル」が、毎年、開催されて、国内外から4万人の愛鳥家や自然を愛するファンが訪れている。海外からも出展があるという。
2019年の秋には「ふるさとイベント大賞」に応募して、最高賞の内閣総理大臣賞に輝いている。やはり、ウィズコロナ「コロナウイルスとの共存」ではなく、美しい自然に抱かれ「人と鳥との共存」が望ましいと思う。

春さんの写真を持って旅に出たい。自分で改造したハイエースで旅行に行きたい。改造といっても身体を伸ばして眠れるスペースを確保しただけだが、ハイエースは燃費が良く、ガソリン代も比較的少なくて済む。何よりも行動の自由が利くが、人気車種だけに盗難される車の筆頭でもある。
自粛生活から逃れて、自分の人生をリノベーションするために、もう一度、人生の楽しみを探す旅に出たいと思っている。 
コロナが流行する1年前、春さんと共に東北地方へハイエースで、3拍4日の車中泊旅行に出掛けた。岩手県の川と海で多くの良石を拾い、温泉に入って、美味しい料理を食べた。春さんは、とても楽しそうだった。
3・11東日本大震災。死者と行方不明数22,200人を出した未曾有の大災害。その傷跡が残るカーブの多い海岸線を帰途、走行した。復興事業に携わる大型トラックが異常に多く、絶え間なく走っている。私は大型トラックが舞い上げるホコリの中、大型トラックに追従し運転した。 
紺碧な海は美しく、とても静かだった。津波に備えて新しく増設された高い防潮堤が長く続いて海岸線が見えない。今は瓦礫もなく、かさ上げされた新しい土地には空き地が目立つ。10年という歳月により、町も人の心も変わってしまった。本当の復興はまだ見えないのだ。
「奇跡の1本松」は、町が綺麗になっても癒されていない人々の心を象徴していると思う。日本三景の一つである「松島」は、いくらか観光客の賑わいを取り戻していた。
「お爺さんは、いろんな所に連れていって貰えていいね〜」
春さんが、三陸産、海産物のお土産を渡した時、お婆さんが言っていたようで、春さんも知らない場所へ、私と行くのをいつも楽しみにしていた。
今年は戦後75年になるから、まだ、一度も行ったことのない広島へ行って、広島の原爆ドームを見て、広島平和記念資料館にも行って見たいと思うが、コロナ自粛生活が完全には解除された訳ではないからまだ決断はできない。
普通のウイルスは、湿度と温度、紫外線に弱いという。梅雨が明けて真夏になれば明るい兆しが見えて来ることに期待したいが、暑くなればマスク着用による熱中症も懸念される。
今はマスクをしないと白い目で見られ、マスクをしていないと槍玉に挙げられる。
「マスク警察」という社会現象まで起きているが、ほとんどの人が、新型のコロナウイルスを警戒してマスクを着用している。
 政府は、不要不急の外出自粛やマスクの着用など、基本的な感染防止対策を徹底するように国民に呼びかけるだけで、PCR検査の拡充など、具体的な政策が遂行されなければ感染増加を食い止められそうもない。

「たとえば私が 恋を 恋をするなら」
「四つのお願い 聞いて 聞いてほしいの」
「一つ やさしく 愛して」
「二つ わがまま 言わせて」
「三つ さみしく させないで」
「四つ 誰にも 秘密にしてね」
ちあきなおみの『四つのお願い』じゃあないが、政府は「密閉、密集、密接」の3密のお願いと「自粛生活」の四つ目のお願いを国民に強いている。ウィズコロナ、コロナウイルスとの共生共存など、私はまだ受け入れられないし、気分的にいつまでもそう長く自粛生活を続けられそうもない。
「一つ やさしく いつまでも」
「二つ ふたりは しあわせ」
「三つ いつしか 結ばれて」
「四つ あなたと わたしは一つ」
安部内閣のように都合の悪い秘密事項は隠し通してガラス張りにしない。新型コロナウイルス対策を後手に回して、経済回復ばかりを優先的にしていたら、四つ目のお願いのように政府と 国民は一つにはなれそうもない。

26/08/25 17:01更新 / 河志摩 運
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