「レイクエム3」 Mエンディングノート
『エンディングノート』
思い付くままのエンディングノート。生きた証、生きている証に、私自身のエンディングノートを書く。エンディングノートに「書く行為」は、春さんの死が、私のために与えてくれたレクイエム「死者の安息」を願う行為なのだ。
若い頃ノートに「心の排泄物」と題した日記を付けて、「何故、自分は生きているのか?」という人生の疑間、思いの丈を毎日、文章として紙面に思いっ切り叩き付けずにいられなかった。
年齢を重ねた今は、心静かに想うことを書かずにいられない。書くという行為はセンズリと同じ自慰行為なのである。心の浄化作用で生きて行く証なのだ。
「物書き」「恥かき」「センズリ掻き」といずれも恥ずかしい行為だ。心と体の排泄物を全て掃き出す。年を取ると時間がゆっくり流れることは無い。記憶の断片が例え事実と異なっても一向に構わない。何故なら、それは告白ではなく独白「想い出の記憶」断片なのだから……。
「心の排泄物をすべて吐き出して、人生をいかに生きるか?」 を考える。それが悔いのない人生を生き抜くこと。希望がなければ生きる価値がない。
残された人生を平穏に楽しく生きて行くという、誰にでも普通にできそうな「新しい生活」を続けて行くしか手立てはないが、コロナ渦の状況では、それこそが難しいのが現状なのだ。
そろそろ自分が常日頃から「人生の人と物との処分、終活を考えなければならない年齢だ」と思うと、急に老け込んだ気持ちになる。若い頃は行動が先にあり、思考は後から付いて来ること多かった。年を取ると思った以上に体力的にも精神的にも行動範囲が限られて来る。
コロナ渦が自由な行動力を制限し、更に孤独感に拍車をかける。
いずれ膨大な身の周り品の断捨離も行わなければならないだろう。しかし、勿体ない気持ちが先行して物が捨てられない。一度、ゴミ袋に入れて捨てようとしても、また袋の中身を見返してしまう未練がましい自分がいる。
インターネットで「よりそうお葬式」にエンディグノートの資料を請求すると、無料で「MY NOTE」 というエンディングノートが郵送されて来た。
封を開け、中身を見るとエンディグノートに自分の「死」が訪れた時、いざという時に準備して置かなければならない項目がいくつもある。独り身の私にはそんなに必要なのか?と考えて込んでしまうと、すぐにはペンを持つことができない。
これからは本当に自分独り、残りの人生を大切にしようと思う。本当にやりたいことをやり、何か没頭できる趣味を持って、後期高齢者の残り少ない人生を静かに生きるのだ。
私の趣味は「水石」という石集めである。川や海などで拾ってきた自然の石に合わせて、自分で唐木などを掘って台を付けたり、水盤に砂を敷いて石を置き飾って鑑賞するのである。
その時、石がどうしたら一番良い姿形に見えるのか?"見立心"が大切なのだ。私は自分の人生で大切な“見立心”を持つことができたのだろうか?と考える。
今、コロナ渦で人混みを避け、自然を満喫するアウトドアキャンプが人気で流行しているという。
探石もだれもいない河原で、良石、名石を探して彷徨い歩くのだから、健康にも良いと思う。川に出掛けて自然の中で石を探すという行為自体が楽しいのだ。
「水石」とは「唐物盆石」と呼ばれた時代から500年以上の歴史があり、自然石を対象に、詩的想像力を働かせて、様々な芸術的感興を味わう趣味である。
元来、石を愛でる文化は中国から波って来たもので、中国には奇抜な形をした奇石が多い。
明治時代に総称として統合された「水石」は、砂を入れた水盤に自然石を置き、水を掛けて石の色の変化、水が乾くまでの変容を味わい、それを床の間に飾って楽しむのである。
東京上野の寛永寺蔵の「黒髪山」や京都府の西本願寺蔵の「末の松山」が、東西の大名石として有名で伝承石として今も残っている。
わび、さびのような日本独自の伝統文化によって洗練され、更に変容を遂げ「水石」は、武士や茶人、文化人などのごく 一部だけの人の高尚な趣味と思われていて、一般にはあまり知られていない。
「水石」を高尚な趣味と構えて、特に難しく考える必要はない。要は単純に石が好きか嫌いか?石に魅力を感じるかどうか?ただそれだけの話である。
「水石」も盆栽も大切にしたい日本の文化だが、両方とも年寄りの趣味という一面があって若い世代に受け継いで貰い普及していく事が中々難しい。趣味家である高齢者が次々に亡くなるから、後継者がいないし育たない。
私の子供の頃は川で遊ぶということが普通だったので、石に触れることが出来た。現代の子供、特に都会の子供はスマホやパソコン、ゲームに夢中になり、川で遊ぶということがほとんどない。ゲームで遊ぶことしか知らない世代は、釣りさえ川に出向くことなく、フィッシングゲームで遊ぶのだ。
「盆栽」はまだ世界的にも知名度があるが、「水石」という趣味、文化は忘れ去られ消えてゆく運命かも知れない。コロナ渦で人々が家に開じ籠っている現状が拍車をかけている。
コロナ渦で都会から地方へUターン、回帰する人が増えているから、一度、川へ行き自然の空気の中で石を拾って見て、 じっくりと鑑賞して欲しいと思う。
1950年代に漫画家としてデビューした、つげ義春は「ねじ式」「無能の人」など独自の幻想世界を描き続けてきた異色の劇画作家である。
「無能の人」は現代社会から落ちこぼれた中年男が多摩川の中流域で石を拾い、河川敷に立てたお粗末な小屋で石を売って、貧しい生活をしているが石は一つも売れない…。そんなうだつの上がらない中年ダメ男の心情を描いた作品だ。
私の趣味である「水石」に関連しているからとても面白い。
1991年に竹中直人が初監督と主演を演じて映画化された。竹中直人はこの作品でアカデミー賞の主演男優賞を獲得している。ツタヤでビデオを借りて映画を見たが、昭和30年代後半の貧しい庶民の生活感が上手く表現されており、原作漫画の「無能の人」の内容に沿って、主人公のダメ男の心理描写を竹中直人が好演していて、時々笑えるとても面白い作品だった。
つげ義春(82歳)は今年、フランス西部アングレームで開催された「第47回アングレーム国際漫画祭」で特別栄誉賞を授与している。受賞式では観客から総立ちの拍手喝采を受けたという。
アカデミー賞受賞で話題となった韓国映画『パラサイト・半地下の家族』にも水石が物語の重要なカギとして登場し、様々な場面で物事の象徴として山形の「水石」が出てくる。
昭和30年代後半に石を売ると金になるということから「水石」がブームになった事があるが、すぐに下火になった。ボウリングも私が高校生の頃に人気が出てもの凄いブームになったが数年で下火になり、雨後の筍のようにできたボウリング場もあっという間に消え去った。
「りつ子さん、りつ子さん、中山律子さん、さわやかフェザー」というプロボウラー中山律子さんの花王フェザーシャンプーのCMソングが懐かしい。ブームとはあくまでも一時の現象に過ぎないのだ。
水盤に山の形をした真黒の加茂川の石を人れて、和室の床の間に飾ってある、その石を静かに眺めていると、日々の不安に葛藤する心が落ち着いて来る。
今となって後悔しても「普通の生活」をありのままに生きていくしか手立てはないのだ。
すべて運命に委ねるしかないのだ。孤独で寂しくて壊れそうでも、常に思いやりの心を失わずに静かに生きていく……。
最近、風邪をひいた訳でもなく、熱もないのに変な空咳が出る。腰の痛みとは別に体調もあまりすぐれない。新型コロナウイルス感染によって死ぬかも知れない不安が、ふと頭の中をよぎる。
エイズ(後天性免疫不全症候群)でも免疫力が劣り、肺炎になって死亡したケースがあるという。一時、あれほど騒がれ蔓延したエイズも現在、良い治療薬ができて、もう昔の事となり、社会的な関心事とはなっていない?ましてコロナ渦では話題にもならないが、エイズもヒト免疫不全ウイルスというウイルス感染が引き起こす病なのだ。コロナウイルスもエイズウイルスもウイルスは怖いのだ。
体温計で熱を測ると36,7度だから、特に心配する必要はない。しかし、無症状の感染者もいるから、いざという時の用心のためにバルスオキシメーターを購入しようとマツモトキヨシやケーズデンキで買えるか?行って聞いて見るが売っていない。仕方なくスマホで調べてアマゾンからの購入を試みるが、アマゾンのパスワードを忘れてしまった。
一人暮らしだから聞く相手もいない。結局、面倒くさくなり請めてしまう。これだから、年寄りは時代の流れに付いていけないのだと情けなくなる。
ペットボトルの冷たいお茶を飲んでむせてしまった。苦しくても我慢し過ぎたため、お茶を吐き出してしまった。気管が苦しくて涙目になる。今までこんな嚇下障害のような状態を起こしたことは一度もなかった。誤唯性肺炎で死ぬとはどんな状態になるのだろうか?
本当の自分を曝け出さないうちに死ぬかも知れない。死んだら春さんと同じ「霊界」に行けるのだろうか?春さんと再会できるのだろうか?と考えてしまう。
今でも時々、意識のない春さんが苦しんで両手を上げている姿が思い浮かんで来て、胸が締め付けられる。春さんの死因を知りたいと思っても、今となっては解らない。例え、それを知り得たとしても春さんはもう戻って来ない。とても悲しいが、私は本当に良い人と巡り合うことが出来て良かったと思っている。
春さんは死んでしまったが、私の記憶の中では、今も生き続けている。私が今も生かされて限り、春さんの分まで 一日でも長く生きていかなければいけないのだろう。それが生き残っている者の使命だろう。
春さんとは精神的な絆だけで、結ばれていた訳ではなかった。「隠された繋がり」大切な人との目に見えない繋がりがあったから、逝ってしまった後の無念さ、喪失の苦しみが倍増したのだ。
女であれ男であれ、生きていくには人生を伴走するパートナーはいつでも必要だ。何故なら、人はいくら知識があり強がっても決して一人では生きていけないのだから。でも「普通の人」ではダメなのである。男と女の愛の形、表現方法が異なっても人を愛すること、この人が好きだという強い思いは変わらない。心の痛みを抱えて分かち合える適材適所の同類同志でなければ同じ傷は舐め合えない。
今までに色んな男たちと知り合ったが、相手の性格の至らない部分に嫌気がさし、相性が合わないから、春さん以外の交友関係はすべて長続きしなかった。
2月4日、菜の花が見頃を迎える中「春一番」が吹いた。1951年以来、統計を開始してから最も早い記録の「春一番」だという。立春から春分の間に吹く強い南風、この70年間で一番早い「春一番」に乗って花粉も飛んで来る。コロナウイルス対策に花粉症対策が更に加わるから大変だ。
クラブハウス(Club house)は “音声のSNS”招待制の無料アプリケーションである。
「音声の記録が残らない」「録画禁止」等のメリットがクラブハウスにある。まだ世間に注目され始めたばかりだから、年寄りには実感がなくて良く理解できない。主催者から許可されれば誰でも有名人と話せるからと話題になっている。
クラブハウスは誰でも参加可能、雑談感覚で新しい交流ができる。多くの人が長引く自粛生活、緊急事態宣言の延長で外出禁上を控えている。
無駄話、つまらないお喋りさえできずストレスが溜まるだけの状況においては、画期的なアイテムである。これから「新しい生活」を創り出す糸口になるかも知れない。通勤の間や家事や掃除の間、運動中も耳から様々な情報を取り入れる“耳活”も また注目を集めているという。
今、様々な企業も文字でなく音声で会話するクラブハウスや“耳活"に注目している。しかし、クラブハウスがどんなに素晴らしい物であっても、パソコンやスマホができない年寄りには役に立たない無用の長物なのである。
ローソンとウーバーイーツが提携して薬を配達するサービスも始まった。アイリスオーヤマが国産米低温製法の「おいしいごはん」の真空パックを売り出し、テレビコマーシャルで宣伝するなど、コロナ渦で企業は、自社の専門分野以外の事にもチャレンジしている。アイリスオーヤマの「おいしごはん」を早速、買いに行き、電子レンジ温めて食べて診る。孤食だけれど美味しいと思う。
ほとんど毎日、夜中に一度、尿意を感じて目が覚める。寒い。放尿してからすぐ寝床に潜り込む。寝室には一つだけ自採した故郷の山並みを連想させる八海山の台石が飾ってある。しばらくぼうっとして眺めていると眠りが浅いので、すぐに意識が遠のいて行く。
近頃、変な夢をよく見る。父や母の夢だ。両親の夢などはここ数年も見ることがなかったのにどうしてだろう?他にも死んでしまった人や、生きていても随分と長く会っていない懐かしい友達が夢に出てくる。
不思議なことに目覚めた時、その夢の内容が鮮明にくつきりと頭の中に残っている……。コロナ自粛での独り生活からか?新旧の人間関係を思い起こし見直そうと夢の中で自問しているのかも知れない。
今もなお春さんのことを思い続けていても、春さんの夢を見なくなった。悲しみが空しさに変わっても、時はすべてを解決してくれそうもない。何故なら春さんは、私が年を取ってからようやく巡り合えた「理想の人」でなくても「最愛の人」だから。
素直な性格、何気ない仕草が好きで、年寄りの春さんを可愛いと思う。私は春さんに本当に惚れていたのだ。男同士の静かな関係で、黙っていても分かり合える特別な人だったから……。
日々、自分自身と自間自答して辛く切ない気持ちを乗り越えようと葛藤している。涙と共にそんな弱い自分が愛おしくさえ思えるようになった。時が少しずつ癒やしてくれているのだろうか?仕方ないと諦めないで、自分で自分を支えて前を向き、生きていくしかないのだ。
「ニコニコ顔のお爺さんの写真」をいつも財布に仕舞い込んである。
「どうして死んでしまったのだ!」と写真を見ながら、そっとつぶやいた。でも、お爺さんの霊は何も話しかけてくれず、お爺さんのあの声は何ひとつ聞こえて来ることはない。いつものように、ただ静寂だけが空間に漂ってる……。
「悲しみに 出会うたび」
「あの人を 思い出す」
「こんな時 そばにいて」
「肩を題てほしいと」
中村雅俊の名曲『ふれあい』テレビ【われら青春】の主題歌。優しく寄り添うような彼の歌声が響いてくる…。
「何気ない 心のふれあいが」
「幸せを 連れてくる」
「ひとはみな 一人では」
「生きて行けない ものだから」
「生きて行けない ものだから」
近づく春、日本列島は高気圧に覆われて青空が広がり暖かい日が多くなった。庭の河津桜が咲いた。小さくても庭があり土がある家は、シニアの心を充分癒やしてくれる。
春さんが持って来てくれたスミレはまだ芽吹かないし、私の心はまだ寒い。空が青く澄み渡って気温が上昇しても、寒い心が暖かくなる気配もない。
このところずっと部屋に閉じ籠ってぺンを走らせている。
突然、私は気が付いた!恥も外間もなく書くという行為にしか、自分が救われる道がないということを。お爺さんの「死」以後、今日まで生きて来たのは、自分の思いの丈を紙面に書いていたから何とか救済されていたことを……。
白いマスクの下に自分の本心を隠して生きていくのにはもう疲れた。
「無理しないで頑張ってね」とお爺さんがにこやかな顔で私を見つめているような気がする。一生懸命に何かに熱中している私をお爺さんは好いてくれた。母も父もやはり、私が年を取っても真面目に生きて頑張っている姿を見ればきっと喜ぶに違いない。私が帰郷した時、母は私が作った古いポスターを大事に自慢げに仕舞って持っていてくれた。
良寛さまの辞世の句のようにすべての自己を曝け出して、自然体で残された人生の後半を静かに迎える生き方がしたいと想う。
「うらを見せ おもてを見せて 散るもみぢ」
庭の梅の木の蕾みが、気付かないうちに少しずつ膨らんでいる。私が今、コロナや病気で死なない限り、私が生きている限り、このエンディングノートを書き続けて、やがて死にゆく自己と死者の霊へのレクイエム、鎮魂「死者の安息」を静かに願いたいが、少し疲れたので、ひとまずペンを置くことにしたいと思う。
思い付くままのエンディングノート。生きた証、生きている証に、私自身のエンディングノートを書く。エンディングノートに「書く行為」は、春さんの死が、私のために与えてくれたレクイエム「死者の安息」を願う行為なのだ。
若い頃ノートに「心の排泄物」と題した日記を付けて、「何故、自分は生きているのか?」という人生の疑間、思いの丈を毎日、文章として紙面に思いっ切り叩き付けずにいられなかった。
年齢を重ねた今は、心静かに想うことを書かずにいられない。書くという行為はセンズリと同じ自慰行為なのである。心の浄化作用で生きて行く証なのだ。
「物書き」「恥かき」「センズリ掻き」といずれも恥ずかしい行為だ。心と体の排泄物を全て掃き出す。年を取ると時間がゆっくり流れることは無い。記憶の断片が例え事実と異なっても一向に構わない。何故なら、それは告白ではなく独白「想い出の記憶」断片なのだから……。
「心の排泄物をすべて吐き出して、人生をいかに生きるか?」 を考える。それが悔いのない人生を生き抜くこと。希望がなければ生きる価値がない。
残された人生を平穏に楽しく生きて行くという、誰にでも普通にできそうな「新しい生活」を続けて行くしか手立てはないが、コロナ渦の状況では、それこそが難しいのが現状なのだ。
そろそろ自分が常日頃から「人生の人と物との処分、終活を考えなければならない年齢だ」と思うと、急に老け込んだ気持ちになる。若い頃は行動が先にあり、思考は後から付いて来ること多かった。年を取ると思った以上に体力的にも精神的にも行動範囲が限られて来る。
コロナ渦が自由な行動力を制限し、更に孤独感に拍車をかける。
いずれ膨大な身の周り品の断捨離も行わなければならないだろう。しかし、勿体ない気持ちが先行して物が捨てられない。一度、ゴミ袋に入れて捨てようとしても、また袋の中身を見返してしまう未練がましい自分がいる。
インターネットで「よりそうお葬式」にエンディグノートの資料を請求すると、無料で「MY NOTE」 というエンディングノートが郵送されて来た。
封を開け、中身を見るとエンディグノートに自分の「死」が訪れた時、いざという時に準備して置かなければならない項目がいくつもある。独り身の私にはそんなに必要なのか?と考えて込んでしまうと、すぐにはペンを持つことができない。
これからは本当に自分独り、残りの人生を大切にしようと思う。本当にやりたいことをやり、何か没頭できる趣味を持って、後期高齢者の残り少ない人生を静かに生きるのだ。
私の趣味は「水石」という石集めである。川や海などで拾ってきた自然の石に合わせて、自分で唐木などを掘って台を付けたり、水盤に砂を敷いて石を置き飾って鑑賞するのである。
その時、石がどうしたら一番良い姿形に見えるのか?"見立心"が大切なのだ。私は自分の人生で大切な“見立心”を持つことができたのだろうか?と考える。
今、コロナ渦で人混みを避け、自然を満喫するアウトドアキャンプが人気で流行しているという。
探石もだれもいない河原で、良石、名石を探して彷徨い歩くのだから、健康にも良いと思う。川に出掛けて自然の中で石を探すという行為自体が楽しいのだ。
「水石」とは「唐物盆石」と呼ばれた時代から500年以上の歴史があり、自然石を対象に、詩的想像力を働かせて、様々な芸術的感興を味わう趣味である。
元来、石を愛でる文化は中国から波って来たもので、中国には奇抜な形をした奇石が多い。
明治時代に総称として統合された「水石」は、砂を入れた水盤に自然石を置き、水を掛けて石の色の変化、水が乾くまでの変容を味わい、それを床の間に飾って楽しむのである。
東京上野の寛永寺蔵の「黒髪山」や京都府の西本願寺蔵の「末の松山」が、東西の大名石として有名で伝承石として今も残っている。
わび、さびのような日本独自の伝統文化によって洗練され、更に変容を遂げ「水石」は、武士や茶人、文化人などのごく 一部だけの人の高尚な趣味と思われていて、一般にはあまり知られていない。
「水石」を高尚な趣味と構えて、特に難しく考える必要はない。要は単純に石が好きか嫌いか?石に魅力を感じるかどうか?ただそれだけの話である。
「水石」も盆栽も大切にしたい日本の文化だが、両方とも年寄りの趣味という一面があって若い世代に受け継いで貰い普及していく事が中々難しい。趣味家である高齢者が次々に亡くなるから、後継者がいないし育たない。
私の子供の頃は川で遊ぶということが普通だったので、石に触れることが出来た。現代の子供、特に都会の子供はスマホやパソコン、ゲームに夢中になり、川で遊ぶということがほとんどない。ゲームで遊ぶことしか知らない世代は、釣りさえ川に出向くことなく、フィッシングゲームで遊ぶのだ。
「盆栽」はまだ世界的にも知名度があるが、「水石」という趣味、文化は忘れ去られ消えてゆく運命かも知れない。コロナ渦で人々が家に開じ籠っている現状が拍車をかけている。
コロナ渦で都会から地方へUターン、回帰する人が増えているから、一度、川へ行き自然の空気の中で石を拾って見て、 じっくりと鑑賞して欲しいと思う。
1950年代に漫画家としてデビューした、つげ義春は「ねじ式」「無能の人」など独自の幻想世界を描き続けてきた異色の劇画作家である。
「無能の人」は現代社会から落ちこぼれた中年男が多摩川の中流域で石を拾い、河川敷に立てたお粗末な小屋で石を売って、貧しい生活をしているが石は一つも売れない…。そんなうだつの上がらない中年ダメ男の心情を描いた作品だ。
私の趣味である「水石」に関連しているからとても面白い。
1991年に竹中直人が初監督と主演を演じて映画化された。竹中直人はこの作品でアカデミー賞の主演男優賞を獲得している。ツタヤでビデオを借りて映画を見たが、昭和30年代後半の貧しい庶民の生活感が上手く表現されており、原作漫画の「無能の人」の内容に沿って、主人公のダメ男の心理描写を竹中直人が好演していて、時々笑えるとても面白い作品だった。
つげ義春(82歳)は今年、フランス西部アングレームで開催された「第47回アングレーム国際漫画祭」で特別栄誉賞を授与している。受賞式では観客から総立ちの拍手喝采を受けたという。
アカデミー賞受賞で話題となった韓国映画『パラサイト・半地下の家族』にも水石が物語の重要なカギとして登場し、様々な場面で物事の象徴として山形の「水石」が出てくる。
昭和30年代後半に石を売ると金になるということから「水石」がブームになった事があるが、すぐに下火になった。ボウリングも私が高校生の頃に人気が出てもの凄いブームになったが数年で下火になり、雨後の筍のようにできたボウリング場もあっという間に消え去った。
「りつ子さん、りつ子さん、中山律子さん、さわやかフェザー」というプロボウラー中山律子さんの花王フェザーシャンプーのCMソングが懐かしい。ブームとはあくまでも一時の現象に過ぎないのだ。
水盤に山の形をした真黒の加茂川の石を人れて、和室の床の間に飾ってある、その石を静かに眺めていると、日々の不安に葛藤する心が落ち着いて来る。
今となって後悔しても「普通の生活」をありのままに生きていくしか手立てはないのだ。
すべて運命に委ねるしかないのだ。孤独で寂しくて壊れそうでも、常に思いやりの心を失わずに静かに生きていく……。
最近、風邪をひいた訳でもなく、熱もないのに変な空咳が出る。腰の痛みとは別に体調もあまりすぐれない。新型コロナウイルス感染によって死ぬかも知れない不安が、ふと頭の中をよぎる。
エイズ(後天性免疫不全症候群)でも免疫力が劣り、肺炎になって死亡したケースがあるという。一時、あれほど騒がれ蔓延したエイズも現在、良い治療薬ができて、もう昔の事となり、社会的な関心事とはなっていない?ましてコロナ渦では話題にもならないが、エイズもヒト免疫不全ウイルスというウイルス感染が引き起こす病なのだ。コロナウイルスもエイズウイルスもウイルスは怖いのだ。
体温計で熱を測ると36,7度だから、特に心配する必要はない。しかし、無症状の感染者もいるから、いざという時の用心のためにバルスオキシメーターを購入しようとマツモトキヨシやケーズデンキで買えるか?行って聞いて見るが売っていない。仕方なくスマホで調べてアマゾンからの購入を試みるが、アマゾンのパスワードを忘れてしまった。
一人暮らしだから聞く相手もいない。結局、面倒くさくなり請めてしまう。これだから、年寄りは時代の流れに付いていけないのだと情けなくなる。
ペットボトルの冷たいお茶を飲んでむせてしまった。苦しくても我慢し過ぎたため、お茶を吐き出してしまった。気管が苦しくて涙目になる。今までこんな嚇下障害のような状態を起こしたことは一度もなかった。誤唯性肺炎で死ぬとはどんな状態になるのだろうか?
本当の自分を曝け出さないうちに死ぬかも知れない。死んだら春さんと同じ「霊界」に行けるのだろうか?春さんと再会できるのだろうか?と考えてしまう。
今でも時々、意識のない春さんが苦しんで両手を上げている姿が思い浮かんで来て、胸が締め付けられる。春さんの死因を知りたいと思っても、今となっては解らない。例え、それを知り得たとしても春さんはもう戻って来ない。とても悲しいが、私は本当に良い人と巡り合うことが出来て良かったと思っている。
春さんは死んでしまったが、私の記憶の中では、今も生き続けている。私が今も生かされて限り、春さんの分まで 一日でも長く生きていかなければいけないのだろう。それが生き残っている者の使命だろう。
春さんとは精神的な絆だけで、結ばれていた訳ではなかった。「隠された繋がり」大切な人との目に見えない繋がりがあったから、逝ってしまった後の無念さ、喪失の苦しみが倍増したのだ。
女であれ男であれ、生きていくには人生を伴走するパートナーはいつでも必要だ。何故なら、人はいくら知識があり強がっても決して一人では生きていけないのだから。でも「普通の人」ではダメなのである。男と女の愛の形、表現方法が異なっても人を愛すること、この人が好きだという強い思いは変わらない。心の痛みを抱えて分かち合える適材適所の同類同志でなければ同じ傷は舐め合えない。
今までに色んな男たちと知り合ったが、相手の性格の至らない部分に嫌気がさし、相性が合わないから、春さん以外の交友関係はすべて長続きしなかった。
2月4日、菜の花が見頃を迎える中「春一番」が吹いた。1951年以来、統計を開始してから最も早い記録の「春一番」だという。立春から春分の間に吹く強い南風、この70年間で一番早い「春一番」に乗って花粉も飛んで来る。コロナウイルス対策に花粉症対策が更に加わるから大変だ。
クラブハウス(Club house)は “音声のSNS”招待制の無料アプリケーションである。
「音声の記録が残らない」「録画禁止」等のメリットがクラブハウスにある。まだ世間に注目され始めたばかりだから、年寄りには実感がなくて良く理解できない。主催者から許可されれば誰でも有名人と話せるからと話題になっている。
クラブハウスは誰でも参加可能、雑談感覚で新しい交流ができる。多くの人が長引く自粛生活、緊急事態宣言の延長で外出禁上を控えている。
無駄話、つまらないお喋りさえできずストレスが溜まるだけの状況においては、画期的なアイテムである。これから「新しい生活」を創り出す糸口になるかも知れない。通勤の間や家事や掃除の間、運動中も耳から様々な情報を取り入れる“耳活”も また注目を集めているという。
今、様々な企業も文字でなく音声で会話するクラブハウスや“耳活"に注目している。しかし、クラブハウスがどんなに素晴らしい物であっても、パソコンやスマホができない年寄りには役に立たない無用の長物なのである。
ローソンとウーバーイーツが提携して薬を配達するサービスも始まった。アイリスオーヤマが国産米低温製法の「おいしいごはん」の真空パックを売り出し、テレビコマーシャルで宣伝するなど、コロナ渦で企業は、自社の専門分野以外の事にもチャレンジしている。アイリスオーヤマの「おいしごはん」を早速、買いに行き、電子レンジ温めて食べて診る。孤食だけれど美味しいと思う。
ほとんど毎日、夜中に一度、尿意を感じて目が覚める。寒い。放尿してからすぐ寝床に潜り込む。寝室には一つだけ自採した故郷の山並みを連想させる八海山の台石が飾ってある。しばらくぼうっとして眺めていると眠りが浅いので、すぐに意識が遠のいて行く。
近頃、変な夢をよく見る。父や母の夢だ。両親の夢などはここ数年も見ることがなかったのにどうしてだろう?他にも死んでしまった人や、生きていても随分と長く会っていない懐かしい友達が夢に出てくる。
不思議なことに目覚めた時、その夢の内容が鮮明にくつきりと頭の中に残っている……。コロナ自粛での独り生活からか?新旧の人間関係を思い起こし見直そうと夢の中で自問しているのかも知れない。
今もなお春さんのことを思い続けていても、春さんの夢を見なくなった。悲しみが空しさに変わっても、時はすべてを解決してくれそうもない。何故なら春さんは、私が年を取ってからようやく巡り合えた「理想の人」でなくても「最愛の人」だから。
素直な性格、何気ない仕草が好きで、年寄りの春さんを可愛いと思う。私は春さんに本当に惚れていたのだ。男同士の静かな関係で、黙っていても分かり合える特別な人だったから……。
日々、自分自身と自間自答して辛く切ない気持ちを乗り越えようと葛藤している。涙と共にそんな弱い自分が愛おしくさえ思えるようになった。時が少しずつ癒やしてくれているのだろうか?仕方ないと諦めないで、自分で自分を支えて前を向き、生きていくしかないのだ。
「ニコニコ顔のお爺さんの写真」をいつも財布に仕舞い込んである。
「どうして死んでしまったのだ!」と写真を見ながら、そっとつぶやいた。でも、お爺さんの霊は何も話しかけてくれず、お爺さんのあの声は何ひとつ聞こえて来ることはない。いつものように、ただ静寂だけが空間に漂ってる……。
「悲しみに 出会うたび」
「あの人を 思い出す」
「こんな時 そばにいて」
「肩を題てほしいと」
中村雅俊の名曲『ふれあい』テレビ【われら青春】の主題歌。優しく寄り添うような彼の歌声が響いてくる…。
「何気ない 心のふれあいが」
「幸せを 連れてくる」
「ひとはみな 一人では」
「生きて行けない ものだから」
「生きて行けない ものだから」
近づく春、日本列島は高気圧に覆われて青空が広がり暖かい日が多くなった。庭の河津桜が咲いた。小さくても庭があり土がある家は、シニアの心を充分癒やしてくれる。
春さんが持って来てくれたスミレはまだ芽吹かないし、私の心はまだ寒い。空が青く澄み渡って気温が上昇しても、寒い心が暖かくなる気配もない。
このところずっと部屋に閉じ籠ってぺンを走らせている。
突然、私は気が付いた!恥も外間もなく書くという行為にしか、自分が救われる道がないということを。お爺さんの「死」以後、今日まで生きて来たのは、自分の思いの丈を紙面に書いていたから何とか救済されていたことを……。
白いマスクの下に自分の本心を隠して生きていくのにはもう疲れた。
「無理しないで頑張ってね」とお爺さんがにこやかな顔で私を見つめているような気がする。一生懸命に何かに熱中している私をお爺さんは好いてくれた。母も父もやはり、私が年を取っても真面目に生きて頑張っている姿を見ればきっと喜ぶに違いない。私が帰郷した時、母は私が作った古いポスターを大事に自慢げに仕舞って持っていてくれた。
良寛さまの辞世の句のようにすべての自己を曝け出して、自然体で残された人生の後半を静かに迎える生き方がしたいと想う。
「うらを見せ おもてを見せて 散るもみぢ」
庭の梅の木の蕾みが、気付かないうちに少しずつ膨らんでいる。私が今、コロナや病気で死なない限り、私が生きている限り、このエンディングノートを書き続けて、やがて死にゆく自己と死者の霊へのレクイエム、鎮魂「死者の安息」を静かに願いたいが、少し疲れたので、ひとまずペンを置くことにしたいと思う。
26/08/25 17:18更新 / 河志摩 運
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