「レイクエム3」 L田島昇三の回想
『田島昇三の回想』
2021年、新しい年が明けた。大晦日に遅くまで起きていた田島昇三は早朝、日覚めるとすぐテレビのスイッチを入れた。報道番組が朝から最新のニュースを伝えていて、全国各地の早朝の映像を流している。
画面ではテレビ局のヘリコプターが、新しい年の夜明けの映像をテレビに流そうと、まだ暗雲が漂う上空を旋回している。やがて富士山の山頂付近に太陽の黄金色に輝く眩しい美しい光が顔を覗かせようとしていた。
テレビ画面右下には新しい年を占う「大吉」「中吉」「吉」の文字が日まぐるしく回転している。初日の出の映像をスマホ撮影した時に画面に写った文字で、今年の運を占うのだ。
スマホで昇三が撮った初日の出の写真には「大吉」の文字が写っていた。親が付けてくれた自分の名前の「昇」という文字と同じように、「今年は運が上昇するのだろうか?」と、昇三は思う。
去年は最悪の年だった。コロナ渦で愛する人を失い、仕事や趣味の仲間たちとの交流も無くなったから、もう一度改めて人間関係を見直して見ようと考える。
新型コロナウイルスによって長引いた自粛生活は、過去の「普通の生活」とは明らかに違う。これから一体どうして生きて行けばいいのだろう……。
「ミルク」という映画は、1970年代の実在した政治家ハーヴィ・ミルクの活動を名優ショーン・ベンが好演し、ゲイの世界に新たな革命を起こそうと孤軍奮闘するドキュメンタリーな内容だ。ミルクは「タイム誌が選ぶ20世紀の100人の英雄」に選ばれている。
この映画もミルクという政治家がいたことも私は知らなかった。この年になっても知らないことや遣りたいことが山ほどあるのに、コロナウイルスによって随分と阻まれている。
コロナ渦なので、今年は成田山新勝寺への初詣には行かない。寝正月を過ごす時に見る映画のビデオを昨年末に数本借りて来て置いた。
「ミルク」はその中の1本だった。
私は長い間、自分に嘘をついていた。常に人生を明るく笑い飛ばして、差恥心をはぐらかして生きてきた。何度、乾いた笑顔を振りまいたことだろう!
それは差恥心を隠すため、羞恥心のないカミングアウトなどない。人生が2度あれば良いと思うが、輪廻転生なんてあるはずもないし、まして、いつコロナに感染して急死するかも知れない。ぐずぐずしてなどいられない。自分を曝け出し辱めるのだ。でもやっばり、知人に自分の本当の姿を曝をす出す勇気はない。
インターネット、SNSの普及により個人情報が拡散されても、無名の私のことなど誰も気にする人はいない。世間に私の素性を知られることは怖くはないが、親しい友人、知人に知られて噂の種になるのはとても恥ずかしい気がするし、コロナ感染よりも怖いかも知れない。
LGBT、 レズビアン、ゲイ、バイセクシャル、トランスジェンダー(心と体の性が一致しない人)の存在が一昔程、否定的でなく拒否されずに社会的に表面化して来ている。
現在はテレビでオカマっぱい人が多数出演し、オネエキャラを売り物にする芸能人も多い。
お金持ちの年増女だけでなく、若い女性をターゲットにするホストや大金持ちの男に身を任すゲイなどが公になっている。
もう忘れられたかも知れないが、1983年に俳優の沖雅也が、新宿京エプラザホテル47階から飛び降り自殺した。当時の週刊誌記事は大いに世間を騒がせ賑わせた。
“おやじ涅槃で待ってる"と言う遺書を残して死んでしまった本人以外、自殺の真相は知る由もないが、彼は確実に同性愛者だった。
「人は病む、いつかは老いる、死を免れることはできない」
遺書の中の一説。世の中には同性愛者、両性愛者だということをひたすらに隠し、普通の家庭生活を営んで幸せに暮らしている男たちもいる。そんな日陰者たちの拠り所がゲイバーだったりするのだが、コロナ渦によって客足が途絶えて潰れたゲイのカラオケバーも多い。
「足立区減びる」発言炎上。LGBTな ど性的少数者を巡り、同性愛差別発言をして集中批判された白石正輝自民党議員は、驚くべき社会的な常識と差別認識欠如の政治家で、 一体全体、何を考えているのか解らない?自分が同性愛者でないから、家族や周りにLGBTの人が居ないから理解できないと言う。人の心の痛みが解らず理解しようとしない人は決して政治家になってはいけないと思う。
白石議員のような事例がある一方で、同性愛を含む様々なカップルを夫婦と同じような関係として公的に認める「パートナーシップ宣誓制度」を認める千葉県松戸市の事例もある。
同性愛者は自分から好きで同性愛者になった訳ではないと思う。私は女でないから、レズビアンのことは良く理解できないが、例えばホモセクシャルの場合、女兄弟が多かったり、末っ子だったりして育った環境の要因が影響する場合もある。知らぬうちに気が付けば同性愛者になっていたケースがほとんどだと思う。幸か不幸か?同性愛者として生まれてしまった人生を受け入れて生きて行くしかないのだ…。
社会的に抑圧された精神的な苦痛から逃れて、内体的な欲望に振り同されるだけでなく、ゲイたちは同類同士の安らぎたい心にすがりつく。その心の裏側は差恥心と悲哀の泥にまみれているのだ。
今回のコロナ渦によって新宿の「夜の街」が悪い意味で脚光を浴びているが、接客業は苦悩する人のストレスを解消し、欲望を満足させるためには必要不可欠な面もある。
現在、インターネットの普及で、数多くのセックス映像を無料で見ることができる。もう一昔前のように厭らしいセックス映像に顔を赤らめる初な差恥心は、年と共に失われてしまっている。
個人的にはどうか?と思うが、世の中のニーズが変化しても、私はまだ対応できずにいる。同性愛的素質、恥の観念を曝け出すことから、ずうっと逃避して来たし、今でも曝け出す勇気がない。だから、いつまでも人生がウジウジしているのだ。自分を曝け出させないから一歩も前に進むことができないのだ!
保健所は蔓延するコロナ感染者の対応に追われ、多くのコロナ感染者が病院に入院すらできず、自宅待機する陽性患者で溢れている。現状では家に引き篭っている私が、もし新型コロナウイルス感染により孤独死してもしばらく発見されないかも知れない。
死んでしまった者には羞恥心などない。しかし、生きた証がないのは寂し過ぎるからペンを持つ。本音を言わず、内面を曝け出さないで、平穏無事に日々を暮らして行く。そんな暮らしは決して自然体ではないと思う。同類同士の深層心理に触れないでは表裏一帯にはなれない。
いつも自分のことよりも人のことばかり気を使って生きて来た人生だ。新型コロナウイルス自粛生活により、独りで過ごす時間が増えて益々言葉を喪失して行く。
外出を控えることによる「会話の減少」が、心と身体の衰えを産んでしまう。寂しさから無意識に悲しい歌を思い出して口ずさんでいる自分が存在する。
「愛しながらも 運命に敗けて 別れたけれど 心はひとつ」
『君は心の妻だから』鶴岡雅義と東京ロマンチカの三條正人が高音質の声で熱唱した歌だ。
「ああ 今でも愛している 君は心の 妻だから」と、とうの昔に忘れていたはずの歌を思い出して知らぬ間に口ずさんでしまう。淋しい感情が沸々と心に忍びり、寄り添って来る。
相変わらず腰が痛い。新型コロナが怖いから家に蟄居している。運動不足のせいか?身体のあちこちに今までにない痛みを感じる。ひょっとしてガンなのではないか?と要らぬ不安を感じてもコロナ渦では安心して病院にも行けない。
民間の医療機関で、1万5千円を出せばコロナのPCR検査が受けられるというコマーャルがテレビに流れる。中国や他の国でもPCR検査が無料で受けられる。というのに日本はまだ高額料金で簡単には受けられないのだ。
自民党員と職員全員が、コロナのPCR検査を受けるという。やはり政治家だけが高級国民なのだろうか?世界の新型コロナ感染者数は1憶人を超え、死者は215万人を超えている。
65歳以上の高齢者がワクチン接種できるのは早くても4月 以降になるらしい。諸事情で接種可能数自体が減るかも知れない。それまではコロナ感染しないように神頼みするしかない。
去年の自殺者は前年より増えて2万 919人だった。また、鳥インフルエンザウイルスもあまり話題として取り上げられないが、千葉県では7例目、宮崎県でも鳥インフルエンザウイルスが確忍されている。
最近、緊急事態宣言の効果か?全国の感染者数は減少傾向にある。減少傾向と言っても、まだ平均500人 という感染者数だ。コロナ慣れと長いコロナ白粛生活から逃れたいのか?都市部の人出は減少していない。
去年の6月に都内で34人の新型コロナウイルスの感染者が出て「東京アラート」が発令され、34人という数字に驚き怯えていたことを人々はもう忘れてしまったのかも知れない。
今、高齢者のケアセンターや認知症の施設でのクラスターや死亡者が急増している。認知症の人の多くは高齢だから基礎疾患がない人はほとんどいない。体が動かせない年寄りは哀れで悲しい。認知症の高齢者は自分ではコロナに対して何も注意することができないから、自己対策が難しく感染が広がってしまうのだ。
コロナ渦によって在宅勤務が増えた。テレワークにより出勤者は約87万人減った。現代社会において働き方と日常生活は確実に変化している。それなのに政治家の古い頭は何故?変わらないのだろうか?
緊急事態宣言中に大勢の人数で会食した政治家、銀座の高級クラブをハシゴする政治家、挙句の果てに森喜朗元総理の女性蔑視、差別発言とつまらない問題の数々に呆れてしまう。これだからコロナ渦で政権は混乱して、菅内閣の支持率がどんどんと下がるのだ。
「政治家よ、国民をナメるな!」 と叫びたい。
新型コロナウイルス感染による日本の死者数は6389人。新型コロナ感染を恐れて心を砕かれる日々は先が見えない。寒い日は気分が余計に沈んでしまう。
年寄りの愚痴、独り言のような過去の記述は、私が生まれた昭和という時代に対する哀愁と共にある。それは小学生時代のハーモニカ演奏のように郷愁を誘う懐かしい素朴なメロディーとして静かに心に流れて来る。
「兎追いし かの山 小鮒釣りし かの川」
「夢は 今もめぐりて 忘れがたき 故郷」
近頃、昭和レトロブームだという。若者もハマる訳は昭和歌謡曲の歌詞が良いという事と、昭和の柔らかい人情味、ギスギスしない心優しいイメージが受けているのかも知れない。
「エモイ」という若者言葉はエモーション(情緒、情動)を略した造語だという。デジタル化に慣れ過ぎた若者のアナログに対する郷愁のような感じ、意識が、昭和レトロ感覚に惹かれる理由かも知れない。
最近の若者グループのヒット曲は、速いリズムで英語の歌詞がやたらとちりばめられていて、聞いてもアップテンポのメロディーだけ残って、年寄りの心に何―つ響かないものが多い。
私は今の若い歌手やグループは殆ど知らないから、NHKの 「紅白歌合戦」はもう何十年も見ていないが、受信料だけは高額徴収されている.
2013年 「NHK受信料を支払わない方法を教える党」を立ち上げた立花孝志が「NHKをぶっ壊せ」と主張して参議院議員に立候補して当選した。
今まで誰も言わなかった声を上げたことには賛同し、拍手喝采を送りたい気持ちはあるが、立花孝志と言う人物にはかなり胡散臭い面がある。
新聞記事によると自宅で死亡し、同居の家族らがいるにもかかわらず4日以上発見されなかった「同居孤独死」が2018年の1年間で、東京23区と大阪、神戸で204人いたことが解った。コロナ渦でのあまりにも寂し過ぎる現実社会である。
6年前の出来事で、群馬県の川に真黒の石、良石を探石に行った時の事である。
風を引いたのか?酷く寒気がして、熱っぽくて調子が悪い。すぐに探石を止めて引き上げ、帰宅途中のスーパー銭湯で休憩をとった。
いつもならビールを中型ジョッキで飲むのだが、体調がすぐれないので、小ジョッキのビールを飲んでから風呂に入り温まろうとした。
腰が悪いので、いつものように浅い電気風呂に座っていた時、急にめまいがして気分が悪くなった。心臓が波打ち突然、気を失って浴槽内にズルッーと滑り落ちて体が沈み込んでしまった。
まるで夢を見ているような意識の中、お湯を飲んで苦しくて必死にもがいている。気を失って溺れているから、なすすべもない。
夢の中にいるような現実、お湯にまみれた意識の中でいくら必死にもがいても動けない。ああ、苦しい、私の脳細胞が一つずつ死滅していく…。
気が付くと若い男たちによってお湯の中から担ぎ出され救出されていた。私は三途の川で探石もせず、良石を上げることもなく、生きているという現実へと引き返えされたのである。もし、これが風呂の中ではなく、誰一人いない川の中だったら、私は間違いなく死んでいた。
しこたま飲んだ風呂の湯をゲ〜ゲ〜と吐き出したが、まだ息苦しくて、その場にぐったり倒れて横になっていた。
「救急車を呼ぼうか?」と言う誰かの声が聞こえる…。
しばらくして、私は意識を完全に取り戻して生還した。何故か不思議だが、あの世に旅立つこともなく、私は運よく、自分の人生をまだ生かされていたのだった……。
「真冬、年寄りがお風呂で血圧が急激に下がって死ぬヒートショック」とはこういうことなのか?と、しみじみ感じた。もしそのまま死んでいれば、痛みもなくあまり苦しまない「死」を迎えられたのかも知れない。
その時の夢のような状態と、子供の頃に川で溺れた感覚の記憶が、全て同じでピッタリ重なってしまうのだ。
新型コロナウイルスが変異して、更に猛威を振るって全国各地に感染拡大している。私の住む小さな町の老人介護ケアセンターでクラスターが発生した。この老人介護ケアセンターは私が腰を手術する以前に働いたことがある施設だ。
この町でも日ごとに感染者数が増えている。市でなく人口の少ない町の感染者数としては多い人数で比率が非常に高い。蟄居していても身近に新型コロナウイルスの恐怖が迫っている。
すぐ私の元に飛来する訳がないから必要以上に恐れることはないが、注意することに越したことはない。でも注意すると言ってもマスク着用、手洗いを徹底するしかない。
最近は不織布マスクに布マスクかウレタンマスクのどちらかを2枚重ねして付ける人もいる。それで感染のリスクが下がるというデータがある。
発生源の老人介護ケアセンターになるべく近寄らない方が良い。だが、私が通う病院といつも食料品等を買うスーパーは老人介護ケアセンターの前にある。
2021年、新しい年が明けた。大晦日に遅くまで起きていた田島昇三は早朝、日覚めるとすぐテレビのスイッチを入れた。報道番組が朝から最新のニュースを伝えていて、全国各地の早朝の映像を流している。
画面ではテレビ局のヘリコプターが、新しい年の夜明けの映像をテレビに流そうと、まだ暗雲が漂う上空を旋回している。やがて富士山の山頂付近に太陽の黄金色に輝く眩しい美しい光が顔を覗かせようとしていた。
テレビ画面右下には新しい年を占う「大吉」「中吉」「吉」の文字が日まぐるしく回転している。初日の出の映像をスマホ撮影した時に画面に写った文字で、今年の運を占うのだ。
スマホで昇三が撮った初日の出の写真には「大吉」の文字が写っていた。親が付けてくれた自分の名前の「昇」という文字と同じように、「今年は運が上昇するのだろうか?」と、昇三は思う。
去年は最悪の年だった。コロナ渦で愛する人を失い、仕事や趣味の仲間たちとの交流も無くなったから、もう一度改めて人間関係を見直して見ようと考える。
新型コロナウイルスによって長引いた自粛生活は、過去の「普通の生活」とは明らかに違う。これから一体どうして生きて行けばいいのだろう……。
「ミルク」という映画は、1970年代の実在した政治家ハーヴィ・ミルクの活動を名優ショーン・ベンが好演し、ゲイの世界に新たな革命を起こそうと孤軍奮闘するドキュメンタリーな内容だ。ミルクは「タイム誌が選ぶ20世紀の100人の英雄」に選ばれている。
この映画もミルクという政治家がいたことも私は知らなかった。この年になっても知らないことや遣りたいことが山ほどあるのに、コロナウイルスによって随分と阻まれている。
コロナ渦なので、今年は成田山新勝寺への初詣には行かない。寝正月を過ごす時に見る映画のビデオを昨年末に数本借りて来て置いた。
「ミルク」はその中の1本だった。
私は長い間、自分に嘘をついていた。常に人生を明るく笑い飛ばして、差恥心をはぐらかして生きてきた。何度、乾いた笑顔を振りまいたことだろう!
それは差恥心を隠すため、羞恥心のないカミングアウトなどない。人生が2度あれば良いと思うが、輪廻転生なんてあるはずもないし、まして、いつコロナに感染して急死するかも知れない。ぐずぐずしてなどいられない。自分を曝け出し辱めるのだ。でもやっばり、知人に自分の本当の姿を曝をす出す勇気はない。
インターネット、SNSの普及により個人情報が拡散されても、無名の私のことなど誰も気にする人はいない。世間に私の素性を知られることは怖くはないが、親しい友人、知人に知られて噂の種になるのはとても恥ずかしい気がするし、コロナ感染よりも怖いかも知れない。
LGBT、 レズビアン、ゲイ、バイセクシャル、トランスジェンダー(心と体の性が一致しない人)の存在が一昔程、否定的でなく拒否されずに社会的に表面化して来ている。
現在はテレビでオカマっぱい人が多数出演し、オネエキャラを売り物にする芸能人も多い。
お金持ちの年増女だけでなく、若い女性をターゲットにするホストや大金持ちの男に身を任すゲイなどが公になっている。
もう忘れられたかも知れないが、1983年に俳優の沖雅也が、新宿京エプラザホテル47階から飛び降り自殺した。当時の週刊誌記事は大いに世間を騒がせ賑わせた。
“おやじ涅槃で待ってる"と言う遺書を残して死んでしまった本人以外、自殺の真相は知る由もないが、彼は確実に同性愛者だった。
「人は病む、いつかは老いる、死を免れることはできない」
遺書の中の一説。世の中には同性愛者、両性愛者だということをひたすらに隠し、普通の家庭生活を営んで幸せに暮らしている男たちもいる。そんな日陰者たちの拠り所がゲイバーだったりするのだが、コロナ渦によって客足が途絶えて潰れたゲイのカラオケバーも多い。
「足立区減びる」発言炎上。LGBTな ど性的少数者を巡り、同性愛差別発言をして集中批判された白石正輝自民党議員は、驚くべき社会的な常識と差別認識欠如の政治家で、 一体全体、何を考えているのか解らない?自分が同性愛者でないから、家族や周りにLGBTの人が居ないから理解できないと言う。人の心の痛みが解らず理解しようとしない人は決して政治家になってはいけないと思う。
白石議員のような事例がある一方で、同性愛を含む様々なカップルを夫婦と同じような関係として公的に認める「パートナーシップ宣誓制度」を認める千葉県松戸市の事例もある。
同性愛者は自分から好きで同性愛者になった訳ではないと思う。私は女でないから、レズビアンのことは良く理解できないが、例えばホモセクシャルの場合、女兄弟が多かったり、末っ子だったりして育った環境の要因が影響する場合もある。知らぬうちに気が付けば同性愛者になっていたケースがほとんどだと思う。幸か不幸か?同性愛者として生まれてしまった人生を受け入れて生きて行くしかないのだ…。
社会的に抑圧された精神的な苦痛から逃れて、内体的な欲望に振り同されるだけでなく、ゲイたちは同類同士の安らぎたい心にすがりつく。その心の裏側は差恥心と悲哀の泥にまみれているのだ。
今回のコロナ渦によって新宿の「夜の街」が悪い意味で脚光を浴びているが、接客業は苦悩する人のストレスを解消し、欲望を満足させるためには必要不可欠な面もある。
現在、インターネットの普及で、数多くのセックス映像を無料で見ることができる。もう一昔前のように厭らしいセックス映像に顔を赤らめる初な差恥心は、年と共に失われてしまっている。
個人的にはどうか?と思うが、世の中のニーズが変化しても、私はまだ対応できずにいる。同性愛的素質、恥の観念を曝け出すことから、ずうっと逃避して来たし、今でも曝け出す勇気がない。だから、いつまでも人生がウジウジしているのだ。自分を曝け出させないから一歩も前に進むことができないのだ!
保健所は蔓延するコロナ感染者の対応に追われ、多くのコロナ感染者が病院に入院すらできず、自宅待機する陽性患者で溢れている。現状では家に引き篭っている私が、もし新型コロナウイルス感染により孤独死してもしばらく発見されないかも知れない。
死んでしまった者には羞恥心などない。しかし、生きた証がないのは寂し過ぎるからペンを持つ。本音を言わず、内面を曝け出さないで、平穏無事に日々を暮らして行く。そんな暮らしは決して自然体ではないと思う。同類同士の深層心理に触れないでは表裏一帯にはなれない。
いつも自分のことよりも人のことばかり気を使って生きて来た人生だ。新型コロナウイルス自粛生活により、独りで過ごす時間が増えて益々言葉を喪失して行く。
外出を控えることによる「会話の減少」が、心と身体の衰えを産んでしまう。寂しさから無意識に悲しい歌を思い出して口ずさんでいる自分が存在する。
「愛しながらも 運命に敗けて 別れたけれど 心はひとつ」
『君は心の妻だから』鶴岡雅義と東京ロマンチカの三條正人が高音質の声で熱唱した歌だ。
「ああ 今でも愛している 君は心の 妻だから」と、とうの昔に忘れていたはずの歌を思い出して知らぬ間に口ずさんでしまう。淋しい感情が沸々と心に忍びり、寄り添って来る。
相変わらず腰が痛い。新型コロナが怖いから家に蟄居している。運動不足のせいか?身体のあちこちに今までにない痛みを感じる。ひょっとしてガンなのではないか?と要らぬ不安を感じてもコロナ渦では安心して病院にも行けない。
民間の医療機関で、1万5千円を出せばコロナのPCR検査が受けられるというコマーャルがテレビに流れる。中国や他の国でもPCR検査が無料で受けられる。というのに日本はまだ高額料金で簡単には受けられないのだ。
自民党員と職員全員が、コロナのPCR検査を受けるという。やはり政治家だけが高級国民なのだろうか?世界の新型コロナ感染者数は1憶人を超え、死者は215万人を超えている。
65歳以上の高齢者がワクチン接種できるのは早くても4月 以降になるらしい。諸事情で接種可能数自体が減るかも知れない。それまではコロナ感染しないように神頼みするしかない。
去年の自殺者は前年より増えて2万 919人だった。また、鳥インフルエンザウイルスもあまり話題として取り上げられないが、千葉県では7例目、宮崎県でも鳥インフルエンザウイルスが確忍されている。
最近、緊急事態宣言の効果か?全国の感染者数は減少傾向にある。減少傾向と言っても、まだ平均500人 という感染者数だ。コロナ慣れと長いコロナ白粛生活から逃れたいのか?都市部の人出は減少していない。
去年の6月に都内で34人の新型コロナウイルスの感染者が出て「東京アラート」が発令され、34人という数字に驚き怯えていたことを人々はもう忘れてしまったのかも知れない。
今、高齢者のケアセンターや認知症の施設でのクラスターや死亡者が急増している。認知症の人の多くは高齢だから基礎疾患がない人はほとんどいない。体が動かせない年寄りは哀れで悲しい。認知症の高齢者は自分ではコロナに対して何も注意することができないから、自己対策が難しく感染が広がってしまうのだ。
コロナ渦によって在宅勤務が増えた。テレワークにより出勤者は約87万人減った。現代社会において働き方と日常生活は確実に変化している。それなのに政治家の古い頭は何故?変わらないのだろうか?
緊急事態宣言中に大勢の人数で会食した政治家、銀座の高級クラブをハシゴする政治家、挙句の果てに森喜朗元総理の女性蔑視、差別発言とつまらない問題の数々に呆れてしまう。これだからコロナ渦で政権は混乱して、菅内閣の支持率がどんどんと下がるのだ。
「政治家よ、国民をナメるな!」 と叫びたい。
新型コロナウイルス感染による日本の死者数は6389人。新型コロナ感染を恐れて心を砕かれる日々は先が見えない。寒い日は気分が余計に沈んでしまう。
年寄りの愚痴、独り言のような過去の記述は、私が生まれた昭和という時代に対する哀愁と共にある。それは小学生時代のハーモニカ演奏のように郷愁を誘う懐かしい素朴なメロディーとして静かに心に流れて来る。
「兎追いし かの山 小鮒釣りし かの川」
「夢は 今もめぐりて 忘れがたき 故郷」
近頃、昭和レトロブームだという。若者もハマる訳は昭和歌謡曲の歌詞が良いという事と、昭和の柔らかい人情味、ギスギスしない心優しいイメージが受けているのかも知れない。
「エモイ」という若者言葉はエモーション(情緒、情動)を略した造語だという。デジタル化に慣れ過ぎた若者のアナログに対する郷愁のような感じ、意識が、昭和レトロ感覚に惹かれる理由かも知れない。
最近の若者グループのヒット曲は、速いリズムで英語の歌詞がやたらとちりばめられていて、聞いてもアップテンポのメロディーだけ残って、年寄りの心に何―つ響かないものが多い。
私は今の若い歌手やグループは殆ど知らないから、NHKの 「紅白歌合戦」はもう何十年も見ていないが、受信料だけは高額徴収されている.
2013年 「NHK受信料を支払わない方法を教える党」を立ち上げた立花孝志が「NHKをぶっ壊せ」と主張して参議院議員に立候補して当選した。
今まで誰も言わなかった声を上げたことには賛同し、拍手喝采を送りたい気持ちはあるが、立花孝志と言う人物にはかなり胡散臭い面がある。
新聞記事によると自宅で死亡し、同居の家族らがいるにもかかわらず4日以上発見されなかった「同居孤独死」が2018年の1年間で、東京23区と大阪、神戸で204人いたことが解った。コロナ渦でのあまりにも寂し過ぎる現実社会である。
6年前の出来事で、群馬県の川に真黒の石、良石を探石に行った時の事である。
風を引いたのか?酷く寒気がして、熱っぽくて調子が悪い。すぐに探石を止めて引き上げ、帰宅途中のスーパー銭湯で休憩をとった。
いつもならビールを中型ジョッキで飲むのだが、体調がすぐれないので、小ジョッキのビールを飲んでから風呂に入り温まろうとした。
腰が悪いので、いつものように浅い電気風呂に座っていた時、急にめまいがして気分が悪くなった。心臓が波打ち突然、気を失って浴槽内にズルッーと滑り落ちて体が沈み込んでしまった。
まるで夢を見ているような意識の中、お湯を飲んで苦しくて必死にもがいている。気を失って溺れているから、なすすべもない。
夢の中にいるような現実、お湯にまみれた意識の中でいくら必死にもがいても動けない。ああ、苦しい、私の脳細胞が一つずつ死滅していく…。
気が付くと若い男たちによってお湯の中から担ぎ出され救出されていた。私は三途の川で探石もせず、良石を上げることもなく、生きているという現実へと引き返えされたのである。もし、これが風呂の中ではなく、誰一人いない川の中だったら、私は間違いなく死んでいた。
しこたま飲んだ風呂の湯をゲ〜ゲ〜と吐き出したが、まだ息苦しくて、その場にぐったり倒れて横になっていた。
「救急車を呼ぼうか?」と言う誰かの声が聞こえる…。
しばらくして、私は意識を完全に取り戻して生還した。何故か不思議だが、あの世に旅立つこともなく、私は運よく、自分の人生をまだ生かされていたのだった……。
「真冬、年寄りがお風呂で血圧が急激に下がって死ぬヒートショック」とはこういうことなのか?と、しみじみ感じた。もしそのまま死んでいれば、痛みもなくあまり苦しまない「死」を迎えられたのかも知れない。
その時の夢のような状態と、子供の頃に川で溺れた感覚の記憶が、全て同じでピッタリ重なってしまうのだ。
新型コロナウイルスが変異して、更に猛威を振るって全国各地に感染拡大している。私の住む小さな町の老人介護ケアセンターでクラスターが発生した。この老人介護ケアセンターは私が腰を手術する以前に働いたことがある施設だ。
この町でも日ごとに感染者数が増えている。市でなく人口の少ない町の感染者数としては多い人数で比率が非常に高い。蟄居していても身近に新型コロナウイルスの恐怖が迫っている。
すぐ私の元に飛来する訳がないから必要以上に恐れることはないが、注意することに越したことはない。でも注意すると言ってもマスク着用、手洗いを徹底するしかない。
最近は不織布マスクに布マスクかウレタンマスクのどちらかを2枚重ねして付ける人もいる。それで感染のリスクが下がるというデータがある。
発生源の老人介護ケアセンターになるべく近寄らない方が良い。だが、私が通う病院といつも食料品等を買うスーパーは老人介護ケアセンターの前にある。
26/08/25 17:17更新 / 河志摩 運
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