目 次
血の絆U(後編) - (4)
(4)

秀和は自室にこもって車の雑誌を見ていたが、そのページはまったく先に進まない。彼の頭の中では、さまざまな想念が渦巻いていた。
晩餐の席で、自分を見る祖父の冷たい目つき。父と私生児の親密そうな目配せ。合いの子ババアのでしゃばった会話。私生児にすっかり丸め込まれた弟の和典。それにこの前、彼が雇った男たちにたっぷりと慰め者にされた執事の安田までが、ちっとも彼に屈服していないのだ。
すべてが気に食わないことばかりだった。
このままでは、あの私生児に、いいようにやられてしまう。秀和は、自分の存在価値の危機を感じていた。
彼は賭け事や車の趣味が高じて、多額の借金をしていた。今のところはローンの繋ぎでしのいでいるが、いずれは期限までに返済しなければならない。その返済の当ては、じいさんか親父のありあまる資産しかなかった。しかしそれも、遺産相続を待つ以外になく、その最短距離はじいさんだ。ところがあろうことか、そのじいさんの気持ちが、私生児に傾いているのだ。
(畜生、あの私生児の野郎、なんとかしなければ――)
秀和はベッドから起き直ると、携帯電話の番号を押しだした。
「あ、飯島か。あした鎌倉に来てくれ――そうだ、じいさんの家だ。おまえがこちらに来てから話す」

次の日、嘉一は迎えの車に乗ってゴルフに出かけた。残った家族は、土曜日だったので、鎌倉の屋敷でゆっくりとしていた。
景は和典と庭を散策した。
「景兄さんは、なにをやらせてもすごいんだね。どうしてそんなに何でもできるの?」
和典は、すっかり心酔しきった眼差しで、景を見た。
景は面映ゆい顔をして言った。
「ぼくはきみが思っているほど、すごい人間じゃないよ。ただ、趣味が多いだけさ」
「でも、スポーツも芸術も、それに仕事のほうだって、すべてすごいじゃないか。どうしたら、そんなに沢山のことができるのか、不思議だなあ」
「要はコンセントレーションだよ」
景は、庭に置かれた陶製のベンチに腰掛けると、屋敷のほうを見ながら言った。深い庇の縁側では、祖母が会長と仲良く並んで、日向ぼっこをしている。
景は弟に向き直った。
「ぼくは何をやるにしても、集中してやるようにしてるんだ。ま、それが、限られた時間内に、たくさんのことをやる秘訣さ」

そのとき、見知らぬ男を伴って秀和がやってきた。その男は筋骨隆々とした体格と、相手を射抜くような鋭い目つきをしていた。
「昨日は、なかなか活躍したじゃないか」
秀和は口元を歪めて、景に向かって言った。
景は何も言わずに、兄の顔を見た。
景に平然と見つめられて、秀和は苛立たしそうにつづけた。
「じいさんのご機嫌とりがうまいじゃないか。なにか魂胆でもあるのか?」
「兄さんが何を言ってるのかは知らないけど、べつになんの魂胆もないよ」
「おれのことを兄さんと馴れ馴れしく呼ぶな!私生児のくせに」
秀和は吐き捨てるように言った。
和典がびっくりしたように秀和の顔を見た。しかし景本人は、私生児と呼ばれようと、怒りを面に出さなかった。彼は兄の目をまっすぐに見ながら、冷静な口調で言った。
「そう――じゃあ、なんて呼べばいいんだい?」
「おれに向かって、えらそうに口を利くな」
「じゃあ口を利かないよ。そのほうがぼくも気が楽だからね」
「口だけは達者じゃないか。生意気にしてると、痛い目にあわせるぞ」

秀和が脅すように、景に近づいた。
「兄さん、やめてよ!」
和典がふたりの間に割って入った。「だいたい兄さんが悪いんだよ。景兄さんのことを、私生児だなんて言って――」
「なにおっ!おまえは黙ってろ!」
秀和は怒りにかられて、いきなり弟の顔を殴った。その反動で、和典がうしろに倒れた。
「和典くん、大丈夫か?」
景は地面に倒れた弟を助け起こした。唇に血が滲んでいた。
「大丈夫です」
和典は立ち上がると、手で口もとをぬぐいながら、秀和を無視して言った。「あんなの相手にするだけ、こっちがバカになる。あいつは昔から、弱いものいじめが好きな、卑怯なやつだからね」
「なにおっ!」
秀和が詰め寄ってきて、ふたたび殴りかかった。
景が横からその手を掴み、左にひねった。
秀和の細い体が宙に浮き、もんどりうって地面に叩きつけられた。秀和は一瞬、なにが起こったのか理解できず、地面に横たわったまま低くうめき声をあげた。

「いいか、和典くんには手をだすな。それが守れないんなら、ぼくが相手になる」
景は秀和を見下ろして、押し殺した声で言った。彼の顔は怒りに白っぽくなっていた。
秀和は地面にへばりついたまま、自分の用心棒にむかって怒鳴った。
「飯島、こいつをやっつけろ!」
それまでことの成り行きを見守っていた男は、ゆったりと景の方に向き直った。彼の目には、ややためらいの色が見られた。
景は、秀和の用心棒に言った。
「きみは関係ない。じっとしてろ」
「あいにく、おれは彼に雇われているんでね」
飯島は腕組みを解くと、景に近づき、無造作に顔面めがけて右の軽いパンチを放った。
景は左腕を立ててブロックすると、そのまま肘を相手の顎に突き出した。
飯島は痛そうに顔をしかめた。彼は驚いたように景を見て、ニヤリとした。
「なかなかやるじゃないか」
用心棒は空手の構えをとった。景は片足を軸にして、半身体の構えで男に対した。
飯島が左足でフェイントをかけ、右のパンチを繰り出してきた。景はそれを予期していたように体を沈め、と同時に飯島の向こうずねを蹴った。
その一撃に、飯島が息をつめて、苦痛に顔をゆがませた。地面に手をついた彼の顔に、とまどった表情が浮かび、みるみる紅潮してきた。

飯島はゆっくりと立ち上がると、ふたたび構えた。その体から殺気が漂った。彼は手加減をやめ、本気になったようだ。
飯島は低い気合もろとも、景めがけて飛び上がって、右の前蹴りを放った。景は片足を軸に、回転してよけながら、もう一方の脚を高く振り回した。
長い足が、危険な弧を描いた。
強烈な回し蹴りが、カウンターぎみに飯島の顔面にきまった。
その衝撃に、飯島の体が横にふっ飛んだ。彼はそのまま地面にながながと伸びた。鼻がつぶれ、鼻孔から血が流れていた。
秀和は信じられない光景に、呆然としていた。まさか飯島のようなプロの用心棒が、いとも簡単にやられようとは――彼は恐怖の表情を浮かべて、あとずさった。
景はまだ怒りに震えていた。両手を握り締め、秀和の顔をにらみつけた。
「いいか、約束しろ。二度と和典くんに暴力を振わないと」
「わ、わかった。和典には手を出さない」
秀和はあわてて言うと、家の方に逃げ去った。

そこではじめて景は、地面に倒れた男の方を振り返った。脳震盪を起したのか、男はぼんやりとした表情をしている。鼻から血を流しているのを見て、景は自分の奮った暴力に恐れをなした。
「悪かった、こんなことをして――大丈夫かい?」
景は、男の側に膝まずいて声をかけた。
「――大丈夫だ。それにしても――あんたの回し蹴りは効いたな」
意識を回復した飯島は、助け起こされながら、途切れ途切れに言った。意外にもさばさばした口調だった。
景は飯島にハンカチを渡した。
「でも、鼻がつぶれてる。本当に申し訳ないことをした。さあ、病院に行こう」
「大丈夫、ひとりで行ける。それにしても、あんたは強いな。少林寺か?」
「ああ――」
景はうなずいて、心配そうに男の顔を見た。「本当に大丈夫かい?」
「大丈夫だ。あんたは逃げた兄貴と違って、いいやつだな」
それから、飯島は小声で言った。「あんたの兄貴には気をつけろ。あれは陰険だぜ。このまえも安田とかいう年寄りがやられた。3人がかりでオカマを掘って折檻したようだ。じゃあ、あばよ」
飯島は、その場を去っていった。

宗春とサヨは、ことの一部始終を屋敷の中から見ていた。
サヨは身震いして言った。
「あの子ったら、なんて恐ろしいことを。暴力では何も解決できないって、あれほど言ってたのに――」
宗春は、景のとった行動に驚いていた。しっかりとした考えを持っているが、性格は優しい景が、まさかあんな行動に出ようとは思いもしなかった。しかも、あの飯島がいとも簡単にノックアウトされたのだ。飯島の狂暴さは目の当たりにしたこともあって、宗春はよく知っていた。それにしても、景が武術の鍛練をしているのは、明らかだった。
孫たちの会話は聞こえなかったが、何があったのか、彼には見当がついていた。おそらくいさかいの発端は、秀和が景に絡んで、景びいきの和典が間に立って、秀和に殴られたのだろう。

宗春はつぶやいた。
「男は、ときに行動することも必要だ」
それを聞きとがめて、サヨが異を唱えた。
「でも、暴力はいけませんわ」
「先に仕掛けたのは、相手の方だよ」
「どちらが先に仕掛けたなんて、問題ではありません。とにかく景とは、話し合う必要がありそうだわ」
サヨは両腕をさすりながら、考え込むように言った。
宗春は、景の行動が悪いとは思わなかったが、彼女に質問した。
「景は、これまで喧嘩をしたことがないのか?」
「一度だけあります」
サヨは思い出すように、宙を見た。「あの子が中学生のときに。友達がいじめられているのを見た景は、上級生たちを相手に大喧嘩をしたの。景の仕業で、3人の子供が怪我をしました。それも肋骨にひびが入る大怪我を」
彼女は溜め息をついた。「それ以来、あの子は暴力を極端にきらうようになったの。しばらくの間は、よく夢でうなされていましたもの。でも、それもおしまいだわ」
「景は、空手でも習っていたのか?」
「中国の拳法ですわ。となりに中国人の実業家が住んでいて、そこのご主人が景を我が子のようにかわいがって、拳法を教えてくださいました」
サヨは、否定するように、頭を振った。「いいえ、そのご主人は温厚な方でしたわ。彼は拳法を教える前に、暴力に使わないことを景に誓わせたの。人格形成のために拳法を教えたのに、景はその誓いをやぶったのよ」
「――」
宗春は黙っていた。
サヨは思い直したように、顔を上げた。
「失礼します。とにかく、あの子と話し合わなくては」

夕食の席に、景は姿をあらわさなかった。それに秀和もいなかった。宗春がサヨのほうを問いかけるように見ると、彼女が微笑みながら説明した。
「景は、皆さんにご迷惑をかけて、申し訳ないと申していました。それに、今日は夕食抜きにしたいって」
宗春が驚いて言った。
「あの大食漢の景がメシ抜きだって?本当に彼が言ったのか?」
サヨがにっこりと微笑んだ。
「もちろん、私の意見も、多少は入っていますけど――。とにかく食事抜きは、あの子にとって、最も効果のある罰ですわ」
彼女はそう言うと、ころころと陽気に笑った。

夕食後、宗春は居間でくつろいでいても、なんとなく落ち着かなかった。サヨと淑子は、昔からの友達のように、女同士の井戸端会議に余念がなかった。嘉一はまだゴルフから戻っていなかった。孫の和典は、ひとりで退屈そうにテレビを見ていたが、そのうちプイと部屋を出ていった。
屋敷の中は、ひっそりと静まり返っていた。弾き手のいないピアノが、妙に侘しさを感じさせた。
宗春は、会話に華を咲かせる女たちの方をチラリと見て、それから腰を上げた。彼が台所に行くと、おしゃべりをしながら後片づけをしていた女中たちが、あわてて沈黙した。
「すまんが、サンドイッチを作ってくれ」
宗春が言うと、彼女らは驚いた表情をしたが、黙って言われたものを作りだした。
サンドイッチと飲み物の載ったトレーを持って、景の部屋に行くと、和典がドアの前にいた。彼は祖父の姿に気づき、手にしたスナック菓子をあわてて背後に隠した。宗春は、内心ニヤリとした。この孫も、彼と同じことを考えていたようだ。
「どうした、和典。景に用があるのか?」
宗春が話しかけると、孫は何か言おうとして、宗春の手にしたものに気づいた。
「お祖父ちゃんも?」
「ああ――これもいっしょに渡してくれ」
宗春はトレーを孫に手渡して、居間に戻った。
サヨが彼に気づいて微笑みかけた。宗春は何食わぬ顔をして、ゆったりとうなずき、それから老眼鏡をかけると、新聞に目を通しだした。

                       (血の絆U(エピローグ)につづく)
[18/05/19 07:25 閑名三爺]
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