目 次
血の絆U(後編) - (3)
(3)

景は夏の休暇中、祖母に連れ添って神戸に行き、母と祖父の墓参りをした。それからUターンして鎌倉に直行し、藤森宗春の屋敷に滞在した。
景のアパートに住み込みとなった栗原は、その間ずっとふたりに同行していた。独身の栗原は、景たちと同居を初めて以来、すっかり落ち着きを取り戻したようすだった。
景にとっては退屈な5日間だった。祖母は景を引き連れ、栗原の運転する車に乗って、嬉々として古寺や史跡を訪れた。そして屋敷に戻ると、こんどは家の主の宗春を相手に、尽きぬ会話を楽しんでいた。
祖母から開放されたとき、景は退屈しのぎにピアノを弾いた。彼の記憶では、以前はこの屋敷にピアノがなかった。しかし今度来たとき、大きなピアノが広い居間の片隅に置かれていた。そのグランドピアノは、景の給料では何年かけても買えないような、高価なしろものだった。またその音色が素晴らしくて、景は魅せられたようにピアノを弾いた。
一方で、スケッチにいそしんだ。絵の題材には事欠かなかった。鎌倉の山を背景にした純和風の家屋、味のある庭木や石灯篭――屋敷の中にいるだけでも、絵の対象はどこにでもあった。
景は古ぼけたスケッチブックを持ってきていた。それは彼の大切な宝物だった。その中には、今は亡き母や祖父の似顔絵が描き込まれている。
絵を描くのは久しぶりだったが、鉛筆を持って手を動かしていると、自然に感覚がよみがえってきた。
景が庭木のスケッチをしているとき、祖母が近づいてきて、景に何事か耳打ちした。
景はいやそうな顔をしたが、祖母に睨まれ、渋々ながらうなずいた。

景たちが鎌倉の屋敷に滞在して3日目は、藤森宗春の82歳になる誕生日だった。その日の夕方、宗春の誕生日を祝って、藤森嘉一夫妻とふたりの息子たちが屋敷にやってきた。鎌倉の屋敷は、にわかに賑やかになった。
大広間で豪華な晩餐会が始められた。上席に座った宗春は、自分の家族たちの顔をひとりひとり見渡した。
温厚でバランスのとれた性格だが、押しの弱さを感じさせる、息子の嘉一。その妻の淑子は、名家の夫人として申し分のない、気品とつつましやかさを持っている。
上の孫の秀和はできそこないだ。三友銀行の役員たちが、自分に遠慮してあからさまには言わないが、この秀和をダメ社員だと判を押しているのは、とっくに気づいていた。それに彼自身、この孫にはどことなく性格の捻じ曲がったものを感じていた。
末の孫の和典は、父親の生き写しだ。心身とも温和で健康的だが、いかにも温室育ちで逞しさがない。
そして、家族の中では異彩を放つ、上原家のふたり。彼らは、宗春にはなじみのない世界の人間だった。自分と同世代に近いサヨの、底抜けの明るさにとまどい、同時にその内側に根づく日本的な心情に共感を覚えた。一緒にいてこれほど楽しく気の置けない女性を、初めて知った。彼女はどこで仕入れてくるのか、世界の情勢にも明るかった。
その孫の景は、肉体的にも精神的にものびやかで、スケールの大きさを感じさせる。
近頃の若者にしては珍しく、自分の生き方について、明確な意志とプライドを持った若者だ。宗春は景を見るたびに、いつも疑問に思うことがある。上原家の人間は、どのようにして、この若者を育てたのだろう。
明るくてのびのびとして、逞しく、そして意志が強い――。この若者には人間の善性が、生まれながらに備わっているようにみえる。その思いは、景のことを知るにつれ、近頃ますます強くなっていた。

「宗春さん、何か考えごとをされているの?」
横からサヨに声をかけられ、宗春は我にかえった。
「ああ――なんでもない」
サヨがほがらかに笑った。
「あら、なんでもないだなんて。今日はあなたが主役ですよ。せっかくご家族の方たちが、あなたのお祝いに駆けつけているんですから、もうちょっと皆さんに、サービスしてあげたらどうですか」
宗春は、ぶっきらぼうに言った。
「――主役の私が、なんでみんなにサービスするんだ。サービスするのは、みんなのほうだろう?」
「あら、そうかしら?私の家では、パーティーの主役が、みんなにサービスするようにしてきたわ」
景が横から言った。
「おばあちゃん、ここは日本だよ。おばあちゃんの言ってる習慣は、海の向こうの話だよ」
「ありがとう、ここが日本だということを思い出させてくれて」
サヨは景に向かって、馬鹿丁寧に言った。
宗春がサヨに聞いた。
「それで――私はどんなサービスをすればいいんだね?」
「あらっ、やっぱりご年配の方は、どこかの礼儀知らずの若者と違って、思いやりがあるわ。えーっと、どんなサービスねえ――」
サヨはちょっと考えた。「そうね、宗春さんは、先ほどから退屈そうにされてるようですけど、もうちょっと嬉しそうなお顔をすることですわ。それが皆さんへのサービスになりますわ」
「それは無理ですよ」
それまで黙っていた嘉一が言った。「父は長年しみついた癖で、自分の本心を素直にあらわせないんです。でもご安心なさい。こうして全員が集まって、父の心の内は、嬉しさで一杯ですから」
「あなた、失礼ですわ」
淑子が嘉一に向かってささやいた。そう言いながらも彼女は、最近の夫の変わりように驚いていた。以前であれば、夫が父親に対して今のようなくだけた口を利くのは、到底考えられないことだった。
「だけど、見てみたいなあ。おじいちゃんが、嬉しそうな顔をするのを」
和典がはしゃぎ声で言った。家族が全員集まって、一番喜んでいるのは彼のようだ。
自分のことが話題の中心になって、宗春はめずらしく困った表情をした。その気になればウイットで返すこともできたが、家族にたいしては、まだ気恥ずかしさが残っていた。
「あのう、会長――ぼくと和典くんが、代わってサービスしますよ。和典くん、ピアノをやろうか?」
景が和典に呼びかけた。彼はいまもって、宗春のことをお祖父ちゃんと呼べなかった。

食後、みんなは思い思いのことをしていた。
宗春と嘉一は経済界の話をし、サヨと淑子は仲のよい母娘のように、鎌倉の史跡名所について意見を交換し合っていた。景と和典はしばらくピアノを弾いていたが、そのうち祖父と父の会話に加わった。いっぽう秀和は、いつのまにか、自室に引きこもっていた。
「和典、仕事の方はどうだ?」
会話に加わった和典に、嘉一が尋ねた。
「仕事自体は面白くなってきたけど、職場環境はあまり面白くないよ」
和典が、生真面目に返事をした。彼は父の勧めで、財務省に入っていた。
宗春が聞いた。
「職場環境が面白くないって、どうしてだ?」
「だって、みんなお互いを牽制して、本音のところをなかなか口に出さないんだ」
「おまえが意識しすぎているから、そう思うのじゃないのか?」
「ちがうよ、お祖父ちゃん。みんな出世のことしか頭にないんだ」
「どの組織に入っても、最終目標は出世することだろう?」
そう言いながら宗春は景のほうを見た。「景、おまえはどう思うんだ?」
「ぼくは違いますね」
景はきっぱりと言った。「ぼくは技術者だからかもしれませんが、出世が最終目標だとは考えていません。ぼくの目標は、仕事の中に夢を見つけて、それを実現することです」
嘉一が横から訊いた。
「えらく抽象的だね、どういう事だい?」
「そうですね――たとえば、ぼくは今、AIの開発に取り組んでいます。人工知能のことです。この開発の目的は、将来的な人口減少に備えた労働力の省力化です。とくに障害のある方たちやお年寄りにとって、便利となるようなものを考えています」
景は一呼吸おいた。「こんな夢をどんどん創り出して、それを実現していく。ま、格好よく言えば、なにか世の中の役に立つことをやりたい――そう考えています」

宗春が懐疑的に、口をはさんだ。
「しかし、おまえの夢と会社の夢が食い違ったときは、どうするんだ?つまるところ、おまえの夢を実現しようと思ったら、社長になることが一番の早道じゃないのかね?」
嘉一が、あとを引き継いで言った。
「そして、社長になるということは、出世するという目標につながるってことだよ」
景が笑いながら言った。
「ふたりとも観念的だよ。これからの組織体は、変わろうとしているんです。管理職もいれば、それぞれの分野のスペシャリストもいる、といった具合にね。それが縦並びじゃなくて、有機的につながり合っていくんです」
嘉一が付け加えて言った。
「でもピラミッド型の頂点が、一番発言力があることに変わりがない」
景がすかさず反論した。
「父さん、組織は変化しているんです。これからはピラミッド型じゃなくて、クラスター型ですよ。それぞれの単位が独立した機能を持って、増殖したり衰退したり合体したりする。経営者はそれぞれの単位にいるんです」

そのとき、サヨが男たちのところにやってきた。
「なんだか難しそうなお話をしてるのね。――ところで宗春さん、これ、私の誕生日プレゼント」
彼女は手縫いのひざ掛けを宗春に渡した。それがきっかけとなって、ほかの家族も、めいめいの用意したプレゼントを持ってきた。
しかし、景ひとりは、素知らぬ顔をしていた。サヨが景のほうを見て、どうしたのという表情をした。景は強情に、気がつかない振りをしていた。
とうとうサヨが、業を煮やして言った。
「景もおじいちゃんにプレゼントを用意しているんだけど、恥ずかしくて出せないらしいわ」
「――おばあちゃん」
景が非難がましく、サヨを見た。
サヨはすました顔で、宗春に向かって言った。
「景は子供のころから、シャイな子なの。どうしても自分の気持ちを素直にあらわせなくて。でも景のプレゼントを見れば、この子がどれだけあなたのことを思っているか、分かりますわ」
祖母にそこまで言われて、景はますますプレゼントを出しづらくなった。しかも、父やほかの家族たちまでが、興味深そうに景のほうを見ている。
「景、どんなプレゼントだい?」と嘉一が尋ねた。
景はブスッとして言った。
「つまらないものですよ」
「どんなものでもいいじゃないか。持ってきなさい」と嘉一。
「それが――どこに置いたか、見当たらなくて――」
景は口の中で、もごもごと言った。
サヨが明るい声で言った。
「あら、さっき、机の上にあったわ。私が持ってこようか?」
「あれ、そうだっけ?――いいよ、ぼくが取りにいく」
景はうらめしそうに祖母の顔を見ると、プレゼントを取りに行った。

景のプレゼントは、一枚の絵だった。黒のコンテで宗春の肖像画が描かれている。彼がこの屋敷に来て、祖母に言われて描いたスケッチだった。多少、鼻と耳が誇張して描かれているが、宗春の顔の特徴がよく捉えられていた。とくに目許の表現が、生き生きとして素晴らしかった。
「すごいじゃないか!」
「ほんと、素敵!目許なんか、お父さまそっくり」
「ほんとにすごいよ。景兄さん、本職の絵描きみたいだ」
みんなが景の描いた絵を口々に賞賛するのを、景はむずがゆそうな顔をして聞いていた。彼はいい訳するように言った。
「ぼくは金欠病だから、こんなプレゼントしかできないよ」
「心のこもった、最高のプレゼントじゃないか」
嘉一が、景に向かってウインクした。「この絵を見てると、ほんとに、お祖父ちゃんに対する景の気持ちがよくあらわれている」
景はその場にいたたまれずに、自分の部屋に戻っていった。
一方宗春のほうは、渡された絵にたいして何の批評も加えなかったが、口元が喜びを押し隠して、むずむずとしていた。
[18/05/18 06:49 閑名三爺]
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