目 次
■ 血の絆�U(後編) - (3)
(3)

別室に入ると、景は嘉一に向き直った。
「お話って、なんですか?」
「きみは、東都銀行の鈴木常務と面識があるんだろう?」
「ええ、何度かクラシック音楽の同好会で――」
「彼は私の古くからの親友なんだ」
「なんだ、そうだったのですか?あの方は、ぼくの母をご存知でしたよ」
「鈴木と私は大学生のとき、共にきみのお母さんにあこがれていたんだ。いや、私らだけじゃない、多くの学生が、マリ子さんに片思いをしていた」
「――」
「この前、鈴木と会ってね。そのとき、きみの話題が出たんだ。彼はえらくきみのことが、気に入っているようだ」
「そうですか――」
「彼には、千津子さんという、24歳の娘さんがいるんだ。気立てが良くて、美しい女性だよ」
「鈴木さんの娘さんなら、すばらしい人でしょうね。でも、それがどうしたのですか?」
嘉一は、景の顔を見ながら言った。
「鈴木は、きみと千津子さんを結婚させたがっているんだ」
景は微笑んだ。
「唐突な話ですね。だって、本人同士は会ってもいないんですよ」
「さっきも言ったように、鈴木はきみを気に入っている。もちろん手順を踏んで、まずはお見合いからということになるがね」
「それは無理です」
景は思わず嘘をついた。「だってぼくには、つき合っている人がいるんです」
「なんだ、恋人がいたのか」
嘉一は拍子抜けしたように言った。「それで結婚の予定はいつなの?」
「いえ、まだそんな段階では――。でもぼくたちは愛し合っています」
(このうそつき!)
景は胸の内で自分をなじった。
「どんな女性だね?」
父はなおも質問してきた。

景は一瞬迷った。これ以上、嘘を続けるのはボロが出る。それに罪悪感も限界にきていた。彼は怒ったように言った。
「ごく平凡な女性ですよ。もうこのへんで勘弁してください」
「これは失敬。でも、きみのおばあちゃんは、その女性に会ったのかい?それにその女性の親御さんは、きみたちの仲を知ってるのかい?」
「ずいぶん質問が多いんですね。でもそんなこと、ぼくと彼女だけの問題じゃないですか」
「景くん、そんな言い方はないだろう。本人だけでなく、家族の理解も必要だよ」
景は少し意固地になって、質問した。
「では、あなたにお聞きします。家柄のよい未知の女性と、愛し合っているごく平凡な家庭の娘と、あなたなら結婚相手にどちらを選びますか?」
「きみ、それはずるい質問だよ。私に対する当てこすりかい?」
「そんなつもりで言ったんじゃありません。それで、どうなんですか?」
嘉一は困った表情をした。
「きみの質問は一般的すぎるよ。実際にその女性に会ってみないと、判断がつかない」
「そうですか。あなたなら、答えは決まっていると思っていたんですが」
景は、あいまいな微笑みを浮かべた。
嘉一は息子の表情を見て、いいようのない悲しみと怒りを覚えた。彼はその感情を押し隠して言った。
「どう決まってるんだね?」
「あなたの選ばれた、現在の奥さんを見れば分かるじゃないですか?」
嘉一はムッとした。
「きみ、失敬なことを言うな。私は妻を愛している」
景は容赦なく言った。
「じゃあ、ぼくの母とは、遊びだったのですか?」
「それは違う!」
嘉一はうろたえた。「マリ子さんは最愛の人だった。でも――仕方がなかったんだ」

すっかりしょげ返った父の姿を、景は醒めた目で見ていた。父を非難することに後ろめたさを覚えていたが、なおも残酷に父を追求した。
「ぼくの母と愛し合い、ぼくが生まれた。そんなときに、他の女性と結婚したあなたの気持ちが、ぼくには理解できません。愛する人に子供を産ませておいて、あなたは自分の父親の意思を優先させたのですか?」
嘉一は涙で曇った目で息子を見た。
「それを言わないでくれ」
彼は声を震わせた。「あのとき、私は弱い人間だった」
「弱いんじゃない。あなたは物事を都合よく考える人なんだ」
景は冷たい目で、涙で濡れた父の顔を見た。「だって、そうでしょう。3人の女性を器用に愛し分けて、それぞれに子供を産ませたじゃないですか」

「違うっ!」
嘉一は泣きながら、反射的に息子の頬を平手で叩いた。すぐに彼は、自分の行為にひるんで、あとずさった。
景はびくとも動かず、平然と父の顔を見下ろした。そして冷たい口調で言った。
「ぼくは自分が私生児だということに、ずいぶん悩みました。おそらく母も、ぼく以上に悩んだに違いない。でもあなたに叩かれて、踏ん切りがつきました。やっぱりぼくは、藤森家とは縁のない人間なんだ」

景は父を残して、部屋を出て行こうとした。襖を開けると、祖母が蒼白な顔をして立っていた。
一瞬、景は動揺したが、祖母に向かってぶっきらぼうに言った。
「おばあちゃん、帰るよ」
「部屋に戻りなさい!」
サヨはピシリと言うと、景を押し戻して、自分も部屋に入り、襖を閉めた。
「あなたは、どうしょうもないろくでなしよ」
サヨは厳しい顔で、景をにらみつけた。「それに卑怯よ。人の弱みにつけ込んで」
彼女は、嘉一に向き直った。
「ごめんなさい、盗み聞きするつもりはなかったの。でも偶然、あなたたちのやりとりを聞いてしまって――」
それから彼女は、ふたたび孫のほうに振り向いた。「私たちは、あなたをそんな残酷な人間に育て上げたつもりはありません。今のあなたを天国のおじいちゃんが見たらどう思うか――それにマリ子にも申し訳なくて――」
彼女は声を詰まらせた。「あなたは変わってしまったのよ。むかしは人の痛みが分かる、優しい子供だったのに」

景は唇をかみしめて、うつむいていた。彼は、祖母に叱られている子供のときに戻っていた。普段は明るくて優しい祖母に、ごく希だが叱られるのは、いつもすごくこたえた。
「おばあちゃん――ごめん」
景は下を向いたまま、つぶやいた。
「真っ直ぐ私の目を見て言いなさい。それに、謝るのは私に対してじゃないでしょう?」
サヨはピシリと言うと、身のやり場に困っている嘉一に向き直った。
「さっきこの子は、私生児うんぬんで悩んだとか言ってましたが、すくなくともこの子の母親は、ちっとも悩んでいませんでしたわ。マリ子はなんでも私に話してくれましたから、私はよく知ってるの。マリ子はあなたの子供を産んで、そのことを誇りに思っていました。だって、いつもあなたの面影を、この子に見ることができたのですもの」
「私は――」
嘉一は言いよどんだ。「そんな彼女を見捨てた」
サヨは手を上げて、嘉一を制した。
「後悔先に立たず、ですわ。でも、いつまでも過去のことにこだわるのもどうかしら?過ぎたことはいまさらどうしようと、取り返しのつかないことですもの」
そこで孫のほうをチラリと見た。「私も孫の育てかたに失敗しました。だってこの子は、あなたがマリ子のことでどれだけ悩んだか、気がつきもしない。それどころか、世の中の不幸は自分ひとりで背負い込んでいると、自己憐憫の殻に閉じこもっていますわ。でも私は、子育ての失敗をきっぱりと忘れます。孫もしょせんは他人ですもの」
「おばあちゃん――」
景は声を詰まらせた。「ほんとうにごめん」
「だから、謝る相手は私じゃないって言ってるでしょう――ヤングマン」

神戸の祖父の口癖だったなつかしい呼びかけに、景はハッとした。顔を上げると、祖母の顔は、いつもの優しい表情に戻っていた。その顔を見て、景は平常心に戻った。
彼は父の方に向き直り、おずおずと言った。
「先ほどはひどいことを言って、ごめんなさい。あなたの気持ちを理解せず、ぼくは卑劣なことを言いました。どうか、許してください」
「いや――私のほうこそ、手をあげたりして――」
嘉一が照れくさそうにつぶやいた。
サヨが景に向けて、そっと目配せした。
景はおずおずと父親の方に歩み寄ると、その体を抱きしめた。嘉一は、息子の突然の愛情表現に、ジーンときた。彼は目を潤ませて、息子の体に腕を回した。
父の体は肉付きが良くて、暖かだった。かすかにいい香りがした。景は両腕いっぱいに父を抱きしめて、束の間の幸せ感に浸った。と同時に、とまどいも覚えていた。何か別の感情――ほとんど性的なものだった。股間がむずむずしてきた。
(このままでは気付かれる)
彼はそっと父の体から離れた。

帰りの電車の中で、ふたりは押し黙ったまま、めいめいの物思いにひたっていた。
しばらくして、サヨがぽつりと言った。
「どう、少しは気持ちが落ち着いた?」
物思いから覚めて、景は言った。
「うん、変な気持ちだな。父さんと抱き合ったのは、あのときが初めてだったんだ」
「これからは、おおいに抱き合いなさい。親子は血の通ったつき合いをするものよ」
(血の通った付き合い――)
一瞬、別の情景が浮かんで、景はあわてて打ち消した。
「あれでふっきれた気がするよ。おばあちゃんのおかげだ」
「そう。私も少しは役に立ったのね」
「すごくね。それにしても、父さんの体って、暖かいもんだなあ」
「当たり前でしょう、あなたと同じ血が流れているのよ」
「ぼくが小さいとき、お祖父ちゃんに抱かれたことを思い出すな。おじいちゃんも暖かい体をしていた」
「そう、あなたって、お祖父ちゃんに対して、ほんとうに甘えっ子だったわ」
「――」

「ところで、景。あなた、夏休みは1週間あるって言ってたわね」
「ああ、休めるよ。それでなんだい?」
「私につき合ってくれない?」
「それはいいけど――どこに行くんだい?」
サヨはそれに答えず、逆に質問した。
「あなた、付き合ってる女の人がいるって?」
「なんだい、薮から棒に」
後ろめたい思いに動揺したが、景は何食わぬ顔をした。
サヨはなおも聞いた。
「どうなの?」
「ああ、付き合ってるけど、正直に言うと、そんなに親しくないんだ」
「じゃあ、結婚のことは、はっきりしないってこと?」
「そうだよ」
景は早くこの話題から逸れたかった。祖母に嘘をつくことは、心が痛んだ。しかし祖母は、明るい声で言った。
「なら嘉一さんが薦めたお嬢さまにも会ったらどうなの。あなたがそういう状態なら、案外気に入るかも知れないわよ」
「いいよ、面倒くさいから」
「ほら、それがだめなのよ。とにかく私から嘉一さんにお願いしてみるわ。いい――先方が了解したら、ぜったいに会うのよ」

祖母に見つめられて、景は断ることができなかった。
「わかったよ。もう、おばあちゃんは強引なんだから。ところでさっきの話――夏休みにどこに行くんだい。神戸かい?」
サヨは景の顔を見て、にっこりした。
「きょう、宗春さんと約束したの。こんどの夏に、鎌倉のお屋敷に行ってゆっくりと滞在するって。――あの人、けっこう可愛いところがあるじゃない」
「おばあちゃん!」
「なによ、大きな声を出して」
「だって、天国のお祖父ちゃんを裏切るのかい?」
サヨは孫の顔をまじまじと見つめた。あまり見つめられるので、景が落ちつかなげに目を逸らした。
「大袈裟な人ね。私たちは、あなたほど若くはないのよ」
彼女はいたずらっぽく微笑んだ。「でも景って、あんがいオーソドックスな考えをもっているのね」
[18/05/16 06:28 閑名三爺]
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