目 次
血の絆U(後編) - (2)
(2)

景は会社の寮を出て、アパートを借りた。間取りは2LDKだが、祖母とふたり暮らしには充分の広さだった。祖父が死んだあと、祖母のサヨは神戸の家を人に貸して、景のもとに来ていた。
ある日、景が会社からアパートに戻ると、めずらしい客が来ていた。鎌倉の祖父の家にいる、執事の津室だった。祖母と津室は、旧来の友のように親しく話をしていた。
「今度鎌倉のお屋敷に遊びに来ないかって、お誘いを受けたの」
サヨが開口一番、景に報告し、津室があわてて補足した。
「まだ、大旦那さまにはお話していませんけど――」
景は手早く着替えると、ふたりの会話に加わった。
「ふーん。でも、おばあちゃんが、なにも好きこのんで、鎌倉の会長に会うこともないだろう」
「興味があるのよ。あなたのもうひとりのお祖父ちゃんが、どんな人かって」
「ふつうのじいさんだよ。わざわざ会うまでもないと思うよ」
「景って、冷たいのね。せっかく津室さんからお誘いを受けたのよ」
サヨは景をにらむと、津室に言った。「じゃあ、次の土曜日にお伺いしますわ」
景があわてて言った。
「でも会長には話していないんでしょう。会長の都合も聞いてみないと」
「あ、それは大丈夫です。次の土曜日は、大旦那さまに何のご予定も入っていませんから」
津室が自信たっぷりに言った。

その夜、津室は景の部屋に泊まった。祖母が自分の部屋に引き下がったあと、景と津室はしばらく話をした。
景は尋ねた。
「何があったのですか?」
「いえ、特別のことは、何もございませんが――」
「だって、わざわざあなたがここに来られたこと自体が、おかしいじゃないですか」
「お休みをいただきまして――実家が水戸なものですから、ついでに、こちらに寄せていただきました」
「そうですか。でもなんだか、言い訳めいて聞こえますね。本音のところを聞かせてくださいよ」
「――」
津室の実直そうな顔が赤らんだ。老人はしばらくかしこまっていたが、顔をあげると、意を決めて話し出した。「私は執事ですから、大旦那さまのお考えに口を差し挟むような、大それたことはできません。でも、あなたに対する大旦那さまや、目黒の旦那さまのお気持ちを察しますと――」
「ぼくに対するふたりの気持ち?どういうことですか?」
「おふたりとも、あなたのことを、深く気にかけておられるのです」
「信じられないな。とくに会長はね。だって、ぼくは混血ですよ」
「たしかに以前の大旦那さまは、好意的でないお考えだったようです。でも、あなたに会われてから、変わられました。そのう――イギリス人の血が入っていても、あなたのご立派なお人柄を認められたのです」
「それは光栄の至りですね。それで、なんで津室さんが、ぼくたちを鎌倉に招待するんですか?会長本人じゃなくて」
「大旦那さまは、気位がお高くて――素直にご自分の気持ちを表に出されることが、滅多にありません――あなたと同じです」
「ぼくと同じ?」
景は皮肉な笑みを浮かべた。「真面目な顔をして、言いにくいことをずけずけとおっしゃるんですね」
「大旦那さまとあなたのご性格は、よく似ていらっしゃる。でも大旦那さまは私に対して、ご自分の気持ちを率直に話されることがあります」

老人は生真面目な顔で、景を見た。
「いつだったか、16億円の融資の件で、大旦那さまと目黒の旦那さまが口論されたことがございます。あの時、旦那さまがあれほど激しくお父上に反抗されるのを、私は初めて見ました。
でも旦那さまがお帰りになられた後、大旦那さまは笑いながら私に言われました。嘉一もやっと一人前の男になった。あれが30年前、今のように自分の意思を押し通していればな、と」
「――」
景は黙って、老執事の生真面目な顔を見ていた。
「神戸におられるあなたのお祖父さまが亡くなられたとお聞きになって、大旦那さまは言われました。景にとっては、大変なショックだろうな。あれほど信頼を寄せていたお祖父ちゃんだ。景が落ち込んでいなければいいが。それからポツリと言われました。私には、景にお祖父ちゃんと呼ばれる資格がないからな、と」
津室の目は潤んでいた。「あのときの大旦那さまのお寂しそうなお顔を拝見したとき、私は胸が締めつけられる思いがしました。それで今日、大旦那さまに内緒で、お坊ちゃまのもとにお伺いした次第です」

景は、熱いものが込み上げてくるのを感じたが、口をついて出たのは別の言葉だった。
「あなたのお話を聞いていると、まるでぼくひとりが、会長の孫のように聞こえますね。会長には、ほかに孫がふたりいるじゃないですか。そっちの孫たちにも心を配ったら、会長も寂しがることはないと思いますけど」
津室は言いにくそうに話した。
「でも――大旦那さまは、秀和さまのことを、あまり良くは思っていません」
「じゃあ、和典くんがいるじゃないですか」
「大旦那さまは、そのう――何と申しますか、強い意志をもったお方にしか、お気持ちが動かないようです」
景は断言するように言った。
「じゃあ、ぼくは失格ですよ。ぼくは人を愛することはできても、会長のように冷徹な人間にはなれませんから」
津室は困った表情をして、黙っていた。
古風な顔立ちをした老人を見ながら、景はふといたずら心を覚えた。トシじいちゃんに対するように男色行為をしかけたら、この老人はどんな反応を示すだろうか?老人を組み敷いた光景が脳裏をよぎった。
(バカな考えを起すな!)
景は胸の内で自分を叱ると、老人に言った。
「もうこんな時間だ。津室さん、そろそろ寝ましょう」

――◇――

鎌倉の屋敷を訪れた上原サヨは、かつて自分の娘の恋仲を引き裂いた張本人に会ったとき、恨みがましさは微塵も見せず、穏やかな笑顔で相手に対していた。
「あなたにお会いして、ようやく景の顔のモンタージュができ上がりましたわ」
藤森宗春はとまどった表情をした。
「どういうことですかな?」
「景は、お父さまの嘉一さんには、あまり似ていないと思っていましたけど、どうやら、ふたりのおじいちゃんの、いいところを受け継いでいるようですわ」
彼女は、孫の方を振り返った。
「この子の口と顎は、あなたにそっくりですもの」
サヨはバッグから写真を取り出して、宗春に渡した。
「夫の写真です。ほら、目と鼻が、景にそっくりでしょう」
たしかに景は、両祖父の面影を、色濃く宿していた。深い二重瞼の知的な目と、筋の通った高い鼻は上原千尋に、そして歯並びの良い口と、品の良い顎の線は藤森宗春に。景がふたりの血を引いているのは、一目瞭然だった。

宗春は、写真と景を交互に見比べた。しかし、彼の反応は、わずかに眉を吊り上げただけだった。彼は嬉しさを押し殺してつぶやいた。
「ふむ、似ているようだな」
「それに、景の性格は、むしろあなたに似ているようですわ」
宗春がけげんそうに顔をあげると、サヨは微笑んだ。
「景は小さいときから、なかなか本心をおもてに出さない子供だったの。うれしくて仕方のないときでも、その気持ちをぐっと押さえたりして」
景と宗春が、同時に抗議しようとした。
それを制するように、サヨは手を上げてつづけた。
「本当は好きなのに、その気持ちを正直に表せない、シャイなところもあるわ。素直じゃないのね」
景がむくれて言った。
「おばあちゃん、どこの子のことを言ってるの?」
「もちろん、目の前にいる私の孫のことよ」
「と言うことは、その孫の性格が似ている会長も、素直じゃないって言ってるのかい?」
それには直接答えず、サヨは眉をひそめた。
「会長って?」
景は口ごもった。
「――ここにいるじゃないか?」
「景、ここにいるって、あなたのお祖父ちゃんでしょう?なんで、目の前にいるのに、会長って呼んでいるの?」
「――」
景は黙り込んだ。

宗春は感心して老婦人を見た。彼が毛嫌いする外国人の血が半分混じっている婦人に会うことに、最初は気乗りがしなかった。しかし、当の本人に会ったとき、彼の受けた印象はまったく違うものだった。このハーフの女性は、70代半ばの年齢にもかかわらず、上品な美しさを失っていなかった。
むしろ、齢を積み重ねて、品位と人徳がにじみ出ているようだった。日本女性とは違う、明るくて、ずけずけとものを言う性格さえも、好感がもてた。
「さあ、景坊や、おじいちゃんって呼んでごらん」
サヨは、孫に優しく言った。景はうつむいて、頑固に押し黙っていた。宗春もすこし緊張していた。
そのとき、鎌倉に来ていた嘉一が部屋に入ってきた。景と宗春は、目にみえてほっとした。
嘉一はサヨに挨拶すると、景に小声で言った。
「景くん、あとでちょっと話があるんだ」
渡りに船と、景は即座に言った。
「今でもいいですよ。おばあちゃん、しばらく会長のお相手をしていてね」
[18/05/15 07:12 閑名三爺]
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