■ 血の絆(後編) - (4)
(4)
無力な老人を痛めつけるのは気が引けた。この老人はどことなく、藤森喜一郎に似ていた。しかし心を鬼にして、予定通りの行動をした。
彼は老人をベッドの上に押さえつけ、裸にして肛門に金属管を押し入れた。それから用意したガムテープで、老人の手足を縛りあげた。裸の老人は、幼児のようにひ弱で、はかなげだった。
高志はサイドテーブルを引き寄せると、その上に置き時計を乗せた。老人のほうから時計の針が見えるように、位置を調整した。
それからベッドの縁に腰掛けて、老人に話しかけた。
「根本がどうなったか知ってるな?あんたの尻にも同じものが入っている」
老人からはなんの反応もなかった。二重瞼のすきまから、水っぽい瞳が無表情にこちらを見ていた。
「覚悟はできているってわけだ。時計が見えるな?9時32分だ。花火はジャスト10時にセットしてある。つまりあと28分――おっと、話している間に27分になった」
高志は立ちあがった。彼が寝室から出て行こうとすると、初めて老人が口を開いた。
「わしになにも訊かんのか?」
高志は振り返ると、にやりと笑った。
「すべて根本が話した。なにもあんたに訊くことはない。それにどっちみち、おれが質問したところで、あんたは何もしゃべる積もりはないだろう?」
老人はかすかに笑った。
「すべて根本が話しただと?どうかな――」
「あんたは刑務所から命令を出して、藤森芳郎と司郎を殺させた。それから石川尚を拷問にかけて殺した。藤井頭取の孫娘も殺された。あんたの部下がもうちょっと利口だったら、石川の息子や記者の若林、それに藤森の次男坊も死んでいただろうな」
老人がつぶやいた。
「一郎の件は誤算だった。根本のバカが早とちりして――」
「万事があんたの思惑通りにはいかないさ。それに、あの失敗をしたのは根本じゃない、タツとか言う名の殺し屋だ」
そのとき、老人は奇妙な表情をした。老人はなにか言おうとして、思い止まったように口を閉ざした。
「それにしても、不正融資の口封じのために、むごい人殺しを重ねたものだな。それとも、あんたは、藤森家によほど深いうらみがあったのか?」
ふたたび老人の顔に、奇妙な表情がうかんだ。老人は、つぶやくように言った。
「お前は、そんなことのために、わしが動いたと思っているのか?わしたちが心配していたのは――」
「心配って何だ?」
高志が質問すると、老人は口を閉ざした。もはやこれ以上、老人は口を割りそうになかった。時計を見ると、9時45分を過ぎていた。彼は立ち上がると、老人を見下ろした。
彼の頭の中で、老人の言葉がかけめぐった。一郎の件は誤算だった――根本のバカが早とちりして――わしたちが心配していたのは――。
高志はハッとした。彼は口早に質問した。
「おれは藤森の次男坊と言ったのに、あんたは一郎と言ったな。名前を知っていたのか?誤算だったとは、どういうことだ?それにあんたは、わしたちと言ったな。ほかに黒幕がいるのか?」
老人は、眠っているかのように目を閉じて、沈黙した。
「おい、おれの質問に答えろ!」
高志は老人の体を揺すった。相手が強情に口を割らないのを見て、頬を叩いた。それでも老人はかたくなに沈黙を守った。彼は成すすべを無くして老人を見た。
時計を見ると、54分、時間がなかった。
高志は追求するのをあきらめて、寝室をあとにした。
寝室を出たところで、突然、首筋の後ろに衝撃を受け、高志は床につんのめった。
目の前が暗くなりかけたが、かろうじて踏みとどまった。顔をあげると、見知らぬ若い男が立っていた。
男は右手に、さきほど高志がテーブルに置いた拳銃を持ち、うすら笑いを浮かべていた。長身で、筋肉質のほっそりとした体、陰のある凄味をおびた美男子だった。高志は即座に悟った、こいつがタツと呼ばれる男だということを。
「立てよ。せっかくの男前がだいなしだぜ」
タツは冷たい口調で言った。
高志は立ち上がりながら、男の隙をうかがった。拳銃を握る男の手は、微動だにしなかった。
「かわいそうに。お前のせいで、ウタマロは女になっちまったぜ」
口元をゆがませて、タツが言った。
「それはよかった。これであのタコ坊主も、オイタができないってわけだ」
高志は首筋を揉みながら言った。彼は何気なく男のほうに近付いて、飛びかかるタイミングをはかった。
そのとき、タツは無造作に拳銃の引き金をしぼった。乾いた破裂音とともに、高志は腹部に衝撃を受けて床にひざまずいた。
タツはこともなげに言った。
「おや、狙いが狂っちまったぜ。おれはもうちょっと下のほうを狙ったつもりだったんだが。こんどはよく狙ってやる」
タツは、高志の股間に拳銃を向けた。
そのとき寝室から、岩井の叫び声が聞こえた。
「タツ!そこにおるのか?早く来い――早く!」
老人の切羽詰った叫び声に、タツはチラッと高志を見やり、舌打ちすると寝室に走っていった。
「わしの尻に爆弾が――早くとりだせ――早く――」
寝室から老人の引きつった声が聞こえてきた。
高志は激痛をこらえながら、腕時計を見た。
10時ジャスト。
そのとたん、腹にズシンとくるような、鈍い爆発音がした。
高志は、シャツの下でハンカチを傷口に当て、左手で腹を抱えるようにしてエレベーターに乗り込んだ。さいわい箱の中には、誰も乗っていなかった。
内臓をかき回されているように激痛が続き、立っているのもやっとだった。
彼の脳裏には、先ほど目にした凄惨な光景が焼きついていた。
老人の下腹部が破裂し、そのあおりをくって、タツも両手首から先と、喉から顎にかけての部分を吹き飛ばされていた。
タツは瀕死の重傷を負って、なお意識があった。彼は喉から血を噴き出しながら、声にならない助けを求めていた。
エレベーターから下りて、ロビーに入ると、高志は気力をふりしぼって、ゆっくりと出口に向かった。ホテルの人間は、まだ異変に気づいていないようだ。中年の婦人が、高志の青白い顔を見て何か言ったが、それを無視して歩き続けた。
外に出ると、彼は北沢老人の待つバンのほうへと歩きだした。50メートルが500メートルにも感じられた。
「荒川さん、大丈夫ですか?顔が真っ青だ」
北沢が彼の顔を見て、それから腹部の血に気づいた。
「大変だ!怪我をしているんですか?」
「大丈夫――ちょっと痛むだけだ。それより早く車を。一郎に会いたい」
高志は、両腕で腹を抱え、後部座席にうずくまった。心臓の鼓動にあわせて、腹がズキンズキンと痛んできた。
(畜生、おれは死なんぞ、一郎に会うまでは――)
彼は歯をくいしばって、こみあげる苦痛をこらえた。意識が遠のいていく――。
車が広尾のマンションについたとき、高志はもうろうとした意識のなかで、北沢が自分の名前を呼ぶのに気がついた。彼は重い目蓋をあけ、つぶやくように言った。
「一郎を呼んで――早く――」
老人が一郎を呼んでくるまで、高志は気力をふりしぼって意識を保とうとした。大量の血を失って、彼の手足は冷たくなっていた。もはや、腹部の痛みも感じなかった。
一郎が車の中をのぞきこんで、叫んだ。
「荒川さん!ああっ!――これはひどい。爺、はやく救急車を呼んでこい!」
「待て、一郎――話がある――」
高志は、すさまじい意志の力で、声を振り絞った。「おれの話を聞け――岩井と殺し屋は死んだ。――しかし疑問が残った。岩井は言った、わしたち――と。あいつのほかに黒幕がいるんだ」
高志の声は、ささやくように小さくなった。
一郎は屈み込んで、高志の顔に耳を近づけた。
「それに――お前を殺そうとしたのは、誤算だったと。根本が――早とちりした」
高志は咳き込んだ。彼の顔は蒼白だったが、穏やかになっていた。
「石川さんは殺された――彼の息子をたのむ――おれの部屋にいる。一郎、お前が好きだ――おれのたったひとりの――おとうと――」
高志が息を吸って、ゆっくりと吐いた。
「荒川さん!死んじゃだめだ!やっぱり、ぼくの兄さんだったんだ。だめだ、死ぬな!」
一郎は高志にしがみついた。
夜のしじまを切り裂いて、救急車がサイレンを鳴らしながら到着した。係員たちが手際よく車から担架をとりだし、負傷者の救助に向かった。そのとき彼らは、白いバンの横に立つ若い男に気づいた。その男の顔は、涙でくしゃくしゃになっていたが、目だけが異様な輝きをみせていた。
警察の事情聴取にも、一郎は魂の抜け殻のように、なんの反応もしめさなかった。
代わって北沢老人が、荒川高志を車に乗せてホテルに行ったこと、腹に傷を負って高志がホテルから出てきたこと、等を言葉すくなに話した。ホテルの惨事は、すでに警察に通報がはいっていた。
警察は、一郎が今をときめく藤森財閥の御曹司だということを知り、この事件の調査を極秘裏に進めることにした。
その夜、一郎は北沢老人の腕の中で眠った。彼は胎児のように体を丸め、夜通しうなされていた。