目 次
血の絆(後編) - (3)
(3)

岩井会長はいつものように、夜の8時にホテルに戻った。
最上階の30階でエレベーターを降り、ウタマロともう一人の男に前後をガードされて、廊下の端の部屋まで行く。チャイムを押すと、部屋にいた男が慎重にドアスコープから覗き、それからドアを開けた。男は岩井ともう一人の男を室内に迎え入れ、ウタマロに軽くうなずきかけるとドアの鍵をかけた。
ウタマロは、主人が室内に入るのを見届けて、エレベーターのほうに戻っていった。長年続くいつもの習慣だった。
岩井は子分たちの待機する部屋を通り抜けて、自分の部屋に入った。彼が24時間のうち唯一ひとりきりでいるのは、ホテルの自室にいる夜間だけだった。
入口のドアは厚い鉄板で作られ、最初の部屋には屈強な男たちがふたり寝泊りしている。
岩井は身の安全に、万全の防備を固めていた。

岩井は上着を脱ぐと、まずバスルームに行って、給湯のカランをひねった。バスタブに湯が満たされる間、リビングの大きな窓から外の夜景を眺めた。
遠く湾状にひろがる暗黒の海と薄闇に包まれた湾岸部分。その手前に、林立するビルの明かりがきらめいている。
彼は服を脱ぎ、バスルームに入った。たっぷりと湯で満たされた浴槽につかると、大きく吐息をついた。日中の疲れが体の隅々から抜け出ていくようだ。こうしてゆったりと湯につかっていると、まるで母親の胎内にいるような安らぎを覚えた。
彼は湯船に寝そべり、これまで起こったことを思い浮かべた。
藤森の孫があやうく殺されかけたが、あれには肝を冷やした。もしも一郎が殺されていたら、藤森喜一郎に顔向けできないところだった。
それにしても、想定外の出来事が多すぎた。議員の梶岡がタマをつぶされて不能者になり、総代の根本が下半身を木っ端みじんに吹っ飛ばされた。それに、老いぼれのサツは始末したが、息子のほうは何者かに連れ去られた。
何かが狂っていた。以前、刑務所で痛めつけた若い男の顔が、ふと浮かんだ。あの男は、今回の一連の件に何か関係があるのだろうか?
湯の中で石鹸を体のすみずみに擦りつけながら、退職したサツのことを思い浮かべた。
タツにいたぶられて、白い体にみるみる赤や青のあざができていく。涙を流し、ガキのようにしゃくりあげるサツのふくれあがった顔。肉を打つにぶい音が、いまもって岩井の耳に残っていた。
結局、サツは口を割らなかったが、死人に口なしだ。彼はひとりほくそえんだ。

荒川高志は白いバンの中で、ホテルの入り口を辛抱強く見張っていた。助手席には北沢が落ち着きなく座っていた。高志は右手に鉛をつめた革のこんぼうを持っていた。
予定通りの時刻に、男はホテルから出てきた。プロレスラーのような体格と、タコ入道のようなスキンヘッド。根本が言っていたウタマロという男だ。
高志はバンから抜け出て、車のドアを開けようとする男の背後に忍び寄り、その後頭部にこんぼうを叩きつけた。男は声もなく、くずおれた。
高志はまわりを見回し、だれもこちらを見ていないのを確かめると、男の巨体を植え込みの陰に引きずり込んだ。
手早く男の両手両足を縛り、男のポケットを探った。鍵束はすぐに見つかった。車のキーとほかにふたつのキー。その中のひとつが岩井の部屋の鍵かどうかは分からなかった。
そのとき、禿頭がうめき声をあげて、意識を回復した。驚くべきタフさだ。高志はタオルをとりだすと、男の口に猿ぐつわを噛ませた。
男が高志の顔を見て、目をしばたかせた。
「いいか、一度しか聞かんぞ。正直に答えなければ、根本のように尻がふっ飛ぶ」
男の目が驚いたように見開かれ、あわててうなずいた。どうやらこの男は、人を痛めつけることには慣れているが、自分が痛めつけられることには慣れていないようだ。
高志は、男から取り上げた鍵束を見せた。
「この中に、岩井の部屋の鍵はあるのか?」
男がうなずいた。
「お前が嘘をついたと分かったら、戻ってきてお前のケツに爆弾を突っ込むぞ」
男はあわてて首を振った。てらっとした顔が汗で光っていた。
「岩井の部屋には、ほかに何人の男がいる?ひとりか?」
男が頭を横に振る。
「ふたりか?」
男がうなずいた。
そのあと高志は、いやな仕事にとりかかった。
高志は、男の足を開き、股間めがけてなんどもこんぼうを叩きつけた。男は悶絶して、ピクリとも動かなくなった。

バンに戻ると老人に、車を移動させて通りの端で待つように指示を出した。10時15分を過ぎても彼が戻らないときは、交番に駆け込めと言い足した。
高志はホテルに入り、エレベーターで30階まであがった。
目的のドアの前で、ハーフコートから用意したものを取り出した。
速効性の催眠ガスの入ったスプレー缶だ。それはアメリカの友人、ポール・フェイガンが送ってきたものだ。根本に使用したプラスチック爆弾の金属管も、無理を言って彼に造らせたものだ。万一調べられても分からぬよう偽装して送ってもらったので、少々時間を要したが、今は組み立てて完成品にしている。
高志は慎重に、鍵穴にスプレー缶のノズルを差し込んだ。

岩井は長い湯浴みを終えると、バスタオルで体を拭った。
バスローブを身につけて浴室から出たとたん、ぎょっとした。なんと、刑務所にいた若い男が、ソファーに座っていたのだ。
「なんだ、お前は!どこから入った」
内心の動揺を悟られまいとしつつも、彼の声はうわずっていた。
「ドアからだよ」
男はソファーから立ち上がると、ポケットから鍵を取り出して、岩井のほうに放り投げた。
「しかし、それは――」
岩井は絶句した。
「タコ坊主にもらったのさ。塀の中では、えらく世話になったな」
岩井は、隣の部屋のドアを見た。
彼の視線をみて、男がのんびりと言った。
「ついでに言うと、あんたのかわいい子分たちは、おねんねしてるよ」
岩井は瞬時に悟った。この男が、すべての誤算の元凶だったのだ。ウタマロがてなずけられたとは、よほどのことがあったのだろう。
彼は、苦境におちいったときのコツを心得ていた。ただ何もせず、沈黙を押し通すのだ。そのうち、相手のほうからボロを出す。
追い討ちをかけるように、若造が言った。
「それから、今まで言う機会がなかったが、根本がよろしくと言ってたぞ」
(やはり、根本をやったのはこの男だったのか)

岩井はあらためて若い男を観察した。背が高く、スマートな体格をしている。それでいて豹のような獰猛な力を感じさせた。顔は、欧米人のように彫りが深かった。
この男は藤森伸郎に似ていた。顔だけでなく、そこにいるだけで、相手に威圧感をあたえるような雰囲気もだ。
澄んだ冷たい目が、岩井を見て、ふっとなごんだ。
「それで、何の用だって、聞かないのかい?」
「何の用だ?」
つられて言ったあと、岩井は自分をなじった。これじゃあまるで、こちらのほうがウブな青二才じゃないか。
高志はにんまりと笑った。
「ちょっとあんたに消耗してもらいたくてね。二度とオイタをしないように」
岩井は面食らった。この若いのは何を言ってるのだ。彼は気を取り直して言った。
「なにか飲むか?」
「けっこうだ、あまり食欲がないんでね」
「そうか――わしはウィスキーを飲むぞ」
岩井はキャビネットからウィスキーのビンを取り出し、グラスに注いだ。それから彼は、さりげなく書き物机のほうに移動した。引き出しにハジキを隠しているのだ。
「探し物って、これかい?」
高志がポケットから、岩井の小さな拳銃を取り出した。彼はテーブルの上に拳銃を置くと立ち上がった。
「じゃあ、そろそろ始めるか?」
高志は老人に近寄ると、か細い腕を無造作に掴んで、ベッドルームに向かった。
[18/02/04 07:38 閑名三爺]
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