目 次
血の絆(後編) - 第7章 罠
(1)

出張から戻ってきた高志は、一郎から若林博見を救出したときの模様を聞いた。
高志の考えていた温厚な一郎にしては、信じられないような行動だった。彼は厳しく一郎を非難した。
「なんできみは警察に任せなかったんだ。たまたま、救出できたから良かったものの、きみは大変な危険を冒したんだぞ」
一郎もめずらしく声を荒げた。
「だって、相手は国会議員ですよ。警察が信じてくれると思いますか?ぐずぐずしてると、ヒロやんは別のところに移されたかもしれない」
「石川さんがいただろう?」
「石川さんには連絡がつかなかった。彼の息子さんもまだ行方不明なんです」
「――」
高志は黙って一郎の顔を見た。
藤森伸郎が死んで2年も経たないうちに、藤森家の人間がふたり、相次いで死んだ。そしてまた、調査に首を突っ込んだ、若林博見の誘拐事件があった。それに事件と関係があるかどうかは分からないが、石川聡が行方不明になり、岩井組を調べていた石川はそれどころでなくなった。
高志は、暗黒組織の魔手が迫っているのを、ひしひしと感じた。
(このままだと、次に狙われるのは、藤森一郎だ)
彼は口に出しては言えない、腹違いの弟の身を案じた。一郎は名門の出にしては珍しく、飾り気のないまっすぐな性格をしている。これまで、あまりつき合いはなかったが、彼は一郎を弟として誇りに思っていた。そして彼は、一郎のために思い切った行動にでる覚悟を決めていた。
高志は一郎に言った。
「一郎くん、きみはこれ以上、動くんじゃない。次に狙われそうなのはきみだぞ。気をつけるんだ。あとはぼくがやる」
「荒川さん、何をやるつもりなんですか?」
「きみは知らないほうがいい。それから、ぼくが刑務所に入っても驚かないように」
「刑務所?」
一郎の問いかけに、高志は静かにうなずいた。

荒川高志は、革ジャンパーにジーンズという姿で、池袋をうろついていた。時刻はすでに夜の12時を過ぎていたが、人通りはますます増えていた。まわりからは、人種のるつぼのように、日本語に混じって外国の言語が飛び交っている。
彼はできるだけ、いかがわしい界隈を選んで歩いた。
怪しげな店の立ち並ぶ裏手の、小さな公園の横の道を歩いているとき、手頃な男たちを見つけた。髪を茶色に染めた若い男がふたり、通りがかりの水商売らしいふたりの女にからんでいた。
高志は、彼らの横を通るとき、わざとひとりの男に肩をぶつけた。その男が大きくよろめいた。
高志が黙って通り過ぎようとすると、細い目をいからして男がわめいた。
「なんだ、この野郎!人にぶつかっておいて」
高志はゆっくりと振り向いた。
「何かあったのか?」
「なんだとお、このトンチキ野郎!」
男たちがなぐりかかってきた。高志はサイドステップして、男の攻撃を受け流すと、最初の男のあごに、右のストレートをたたき込んだ。ついで、もうひとりの男に擦り寄りざま、右肘を相手の顔面にぶち当てた。
すべてはアッという間の出来事だった。男たちにからまれていた女たちは、とっくに逃げていた。
そのあと高志は、倒れた男たちをひとりずつ引き上げて、徹底的に痛めつけだした。数分後には、男たちは完全に戦意を喪失していた。
最後に高志は、服についた返り血を点検しながら、息も絶え絶えの男たちに言った。
「おや、きたねえ。せっかくの革ジャンに血がついたじゃねえか。クリーニング代をよこしな」
彼は、ぐったりとして地面にうずくまる男たちのポケットから、財布を取り出した。
ちょうどその時、騒ぎを聞きつけたふたりの警官が駆けつけた。

高志は池袋署に拘留され、数日後には簡易裁判所に連れていかれた。
裁判官は、窃盗傷害の罪で、高志に一カ月の懲役刑を宣告した。被告人が反省の色をまったく見せず、裁判官の心証を悪くした結果だった。

――◇――

「さあて、ストリップ・ショーをおっぱじめるか。お前たち、さっさとしろよ」
丸顔で肉付きのいい体つきをした中年の看守が、命令した。胸の名札には、馬場と書かれている。
無機質な部屋の中だった。目に映るのは、灰色のコンクリート壁と衣類を入れる青いプラスチックの籠だけ。荒川高志のほかには、60代の小柄な老人と50前後の中年男のふたりがいる。
高志はジャンパー、シャツ、ジーパン、靴を脱ぎ、パンツから足を抜くと、振り返って、馬場と言う名の看守と向かい合った。馬場は興味をそそられたように、高志の体をじろじろと見ている。
高志がにらみつけると、彼は目を逸らした。ドアの横では、浅黒い肌をした若い看守が、無表情にこちらを見ている。中年男はすでに服を脱ぎ終えていたが、老人はまだもたもたしていた。
「こら、早く脱ぐんだ!」
看守が声をあげた。
そのあと、身体検査がはじまった。口の中、髪の毛、両腕、足の裏、看守は無遠慮に一郎の体を触った。そのあとは、屈辱的な検査だった。高志は両脚を大きく開いて、腰を曲げた。
「タマを持ち上げろ」
予想もしなかった命令が下されて、高志はとまどいながら広げた股間に手を伸ばし、陰嚢を持ち上げて、禁制品が隠されていないことを示す。
「よし」と看守。
そのあと、中年男が高志と同じ動作を繰り返しだした。彼は前に経験があるのか、素っ裸になっても堂々とした態度をしていた。肉づきのいい体を誇示するように、慣れた仕種で看守のチェックを受ける。体を動かすたびに、色も形もソーセージそっくりの逸物が、重たげに揺れ動く。
中年男が終わると、老人がおずおずと看守の前に出た。彼は、あきらかに初めてだった。少年のようにか細く、腹だけがぷっくりと膨らんだ生白い体が、かすかに震えていた。看守に体を探られるとき、羊皮紙のような顔が、怒りに赤く染まった。

「よし。つぎはシャワーだ」
中年の看守は、高志たちを部屋の奥へと急きたてた。
小さな電球が照らすシャワー室は、寒々としたコンクリート床で、薄汚れたタイル張りの壁も、もとの色がなに色であったか分からぬほど醒めていた。
壁には6つのシャワー・ノズルが並び、それぞれのノズルのすぐ下が、赤錆でよだれのように汚れている。
「始めろ」と号令がかかり、高志たちは硬い石鹸を手に取って、シャワーの下に行った。シャワーの栓をひねると、ノズルがあえぐような音をたて、熱い湯を吐き出した。むんむんする蒸気と洗濯石鹸――カビのにおいがした。
高志は、石鹸で脇腹と腹部をごしごしと擦り、ついで股間と脚を洗った。年配の囚人たちも、手早く石鹸とシャワーを使って、体を洗っている。無機質の空間の中で、シャワーの熱い湯はありがたかった。くつろぎに近い感覚だった。
しかし無情にも、看守の声がひびいた。
「よし、シャワーを止めろ」
命じられたとおり、高志たちはシャワーの栓を閉めた。とたんに、あたりは静寂に包まれた。

次の部屋では、先ほどの浅黒い肌をした若い看守が待っていた。
そこで、グレーの服とタオル、それに自分の靴を受け取った。高志は、タオルで体をふいて、囚人服を身に着けた。服の大きさはだいたい合っていた。靴下は返してもらえなかったので、裸足のまま靴を履いた。
服を着終わると、所長室に通された。入所前の最後のセレモニーだ。
所長は、クルーカットの灰色の髪をした、小柄でほっそりとした男だった。高志たちが部屋に入ったとき、彼は書類に目を通していた。すぐに視線を上げ、囚人たちを値踏みするように眺めた。こんな殺伐とした所にいても、驚くほど優しい目をしていた。
所長の視線が中年男のところで止まった。
「平岩、また戻ってきたのか」
所長は机の上から書類を取り上げ、それをしげしげと見てから、ふたたび中年男を見上げた。
「また婦女暴行か。相手はまだ16歳じゃないか。陰部裂傷、顔と両膝に打撲傷、全治3週間――お前はいつになったら色事から足を洗うんだ」
中年男がせせら笑った。
「スケのほうが俺を誘ったんだよ。ハメる段になって、俺のデカマラに恐れをなして、ぎゃあぎゃあ騒ぎやがったんだ。たいがいの女は、俺のデチ棒を見れば喜ぶのに――さっき、この看守の目を楽しませたようにな」
「この野郎!」
看守が中年男に詰め寄った。
「やめろ!馬場」
所長は手を上げて看守を制すと、立ち上がって中年男のほうに近づいた。
「平岩、こんなことをしていると、いつかはお前が痛い目にあうぞ」
優しげな所長の目が、刺すような冷徹な表情に変わっていた。彼はその目で高志のほうを見た。
「荒川高志。窃盗傷害罪か。チンピラたちを、だいぶ痛めつけたようだな」
所長の目が、ふたたび優しいものに変わる。
「お前の場合は情状酌量の余地がある。刑務所ははじめてか?」
高志は無言でうなずいた。
「気をつけることだ。ここは外の世界とは違う。とくに、お前のような若い男にとってはな」
高志がなにか言おうとしたときには、所長は老人のほうを向いていた。
「柴田徹三。詐欺歴20年、62歳で年貢の納め時か」
彼は悲しげに首を振った。所長は腰に手を当てて仁王立ちになると、囚人たち3人の顔を見回し、宣告するように言った。
「いいか、ここでは面倒を起こすんじゃない。なにか面倒を起こせば、その分そっくり自分に跳ね返ってくる、ということを肝に銘じておくんだ。さいわい、3人とも刑期は短い。おとなしく服役すれば、すぐにシャバに出られるんだ」
話し終わると所長が看守にうなずいた。看守は高志たちを急き立てて、所長室から追い出した。

高志たちが衣服を着た部屋で、看守が立ち止まって中年男に向かい合った。
「さっきはお前、なにか気の利いたことを言ってたな」
看守は、中年男の両肩に手をおいた。間髪を入れず、右膝が引き上げられた。中年男は声も無く股間を押さえて、床にしゃがみ込んだ。
看守は中年男の背後に回り込むと、こんどはその尻を思いきり蹴り上げた。重い革靴の先が、鈍い音をたてて肉づきのいい双丘の谷間にめりこんだ。
中年男は悲鳴を上げ、床の上で背中を反らせて苦悶した。
「このブタ野郎、でかい口をたたくんじゃない」
床に横たわる中年男を見下ろしながら、看守が言った。中年男は床にうずくまり、すっかり反抗する気力をなくして、おとなしくしていた。
[18/01/27 08:08 閑名三爺]
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