目 次
■ 血の絆(中編) - (2)
(2)

若林博見は、藤森一郎との交際に悩んでいた。若い一郎と神戸で一夜を過ごしたときは、これきりだと心に決めていた。あのとき山端は、ふたりの間に何があったかを察して彼を責めたが、山端とて妻のいる手前勝手な言い分だった。
結局、博見は、山端ときれいさっぱり関係を断った。
しかし、一郎との縁は切れなかった。
神戸で別れた数日後に、藤森一郎は東京に戻った博見のもとをたずねてきた。その夜、ふたりは博見のアパートで、ふたたび愛を交わしあった。
それは、一郎が大学を卒業するまで、ひんぱんに繰り返された。
博見が交通費の無駄使いだとたしなめると、彼はこともなげに、アメリカ留学費用を貯めていたんだ、留学はとりやめて働くことにしたから、資金はたっぷりある、と笑いながら言った。
ふたりの関係は、一郎が東京に戻ってからもつづいた。一郎の実家は鎌倉にあったが、そのうち彼は東京のマンションに引っ越した。そのことでは、彼が祖父とかなり厳しくやりあったらしいのを、博見はうすうす感づいていた。
彼は一郎を愛していたが、その関係がいつまでも続く、という幻想は持っていなかった。一郎は藤森財閥の御曹司であり、ゆくゆくは企業グループを統率していく人物だ。
そんな彼とは身分が違いすぎたし、ましてや自分はしがない中年男だ。性風俗に関してはまだまだ封建的な日本で、一郎がマスコミの餌食にされるのは、何としても避けなければならないことだった。

しかし――博見は一郎との関係を断ち切れないでいた。むしろ、一郎の人と成りを知るにつけ、ますます彼の魅力にとりつかれていた。一郎はスポーツマンらしく、さっぱりとしてさわやかだった。そしてあまり表に出さないが、あらゆる分野で造詣が深かった。
一郎と会話しているとき、博見はいつも新鮮な驚きを覚えた。政治経済であれスポーツや芸術であれ、博見がもちだす話題は、ことごとく深い知識の裏づけで反応が返ってくる。そして愛しあうときの、一郎の無尽蔵の精力――やさしくて、エネルギィッシュで、気が遠くなるほどの高みに押し上げてくれる。

博見は46歳の誕生日を、ひとりで向かえていた。会社から戻ってひとりで食卓に座り、ぼんやりと物思いにふけった。食欲はなかった。ふと暗くなった外に目を転じると、窓ガラスに写った自分の顔と目が合った。
寂しげで陰気な顔だった。彼はその顔を見ながら思った。
(これで、またひとつ歳をとったな。気をつけろよ。このまま男とも女ともつかずに、年寄りの仲間入りをしちゃうぞ。――あ、ゲイだから、仲間外れのほうか)
無性に一郎と会いたくなった。一郎はこの一週間、出張で九州に出かけている。
博見は、ひとりぼっちでいる虚しさに、泣きたくなった。いずれは、一郎との仲もはっきりとさせなければならない。でもそれを一郎に言えば、彼の答えは分かっている。一郎は楽天的で、あまりにも優しすぎるのだ。
自分はそうはいかない。少なくとも彼より20年以上、人生経験を積んでいるのだ。もっと現実を見据え、堅実な将来設計をしなければならない。そうしないと、いずれ両方とも傷つくことになる。
(でも、いざというときに、俺は彼と別れることができるのか?)
博見の思いは揺れ動いた。

そのとき、チャイムが鳴った。
ドアの外には、藤森一郎が立っていた。
「誕生日、おめでとう」
一郎はピンク色をしたバラの花束を、博見に渡しながら言った。
「だって、イッちゃんは――九州に出張ではなかったの」
「日本国は狭いんだよ。飛行機でひとっ飛びさ」
一郎はワインの包みを差し出した。「福岡ですばらしいワインが、手にはいったんだ。ひとりじゃもったいない。ヒロやんと一緒に飲もうと思ってね」
博見は涙が出るほど嬉しかった。彼の頭の中からは、先ほどひとりで思い悩んでいたことが、跡形もなく消え去っていた。
博見はものも言わずに、一郎にしがみついた。

その夜、一郎がすばらしい力で博見の中に入ってきたとき、彼はあえぎ、歓喜の声をあげた。一郎は奥深く入り込んだまま、しばしとどまった。
博見はこの瞬間が好きだった。体の内部から圧迫し、力強い脈動を送ってくる男の象徴。一体感と充実感を強く覚える瞬間だった。
それから一郎がゆっくりと動きだし、たちまち深い快感の渦に呑み込まれた。なにもかもが目くるめく回り、彼の頭にあるのは、息詰まる悦楽と興奮だけ。彼は一郎の体の下で、うねり、ひらめき、昇りつめた。

「仕事、忙しいんだろう?」
「すくなくとも、暇ではないな。でもとても充実しているよ。セックスと同じだ。覚えたての楽しさってところかな」
「また冗談を。――フジモリが、グループ企業の中枢ってことは分かるけど、実際にはどんな仕事をやってるの?」
「一言では説明できないな。まあ、庄屋みたいなものかな」
「庄屋――江戸時代の?」
「そう。庄屋は村の行政事務をとりあつかっていたけど、フジモリはグループ企業が対象だよ。でも経営的には、株の配当利益やオフィスビルの賃貸収益で食っているんだ」
「じゃあ、悠々自適の仕事だね」
「そうでもないよ。グループ企業の業績が悪くなれば、配当金も減ってくるからね。そのため彼らの経営に参加して、彼らと一緒に苦労しなければならない。現に、フジモリから何人かの役員を各企業に送り込んでいるんだ。――それよりもヒロやん、せっかく九州から来たんだよ。さあ、こちらに来て――」
博見はその夜、このひとときのためなら、残りの人生を犠牲にしてもいいと思うほどの幸せを味わった。
次の朝、博見が目を覚ますと、一郎はいなかった。出張の続きに行くと、書き置きを残して――。

ある日、博見のもとにふたりの男が訪ねてきた。上品な老人と洗練されたビジネスマンのような中年男。老人のほうは、一郎の祖父の藤森喜一郎だとすぐに分かった。この春に経団連の会長を退いていたが、彼の顔は、新聞やテレビに、今もってよく載っていた。
老人はざっくばらんに、自分が出向いた用件を切り出した。
「今日私が会いに来たことは、一郎には内密にお願いしたい。なにしろ、私が勝手にあなたに会ったなんてことが知れると、あれにこっぴどく叱られますからな」
老人は、博見の緊張を解きほぐすように微笑んだ。彼の大好きな、一郎の笑顔にそっくりだった。
「失礼だが、あなたのことを調べさせてもらった。それで分かったが、私はあなたのお父さんを知っている。彼はすばらしい経済学者だった」
父親のことを誉められるのは嬉しかったが、彼は黙って老人の話を聞いていた。
「あまり他人のプライバシーを、とやかく言うのは嫌いだが――あなたは山端とかいう、カメラマンと交際していましたな」
それを聞いて、博見はキッとして老人の顔を見た。そんなことまで調べていたのかという驚きと、それをとやかく言われる筋合いはないという怒りが、入り混じっていた。
「失礼。よけいなことを言いました。それで――あなたは一郎と、この先どうするつもりですかな?」
(ついに聞いてきたか――)
博見は、老人がいよいよ本題に入ったのに気づいた。彼は老人の質問に答えずに、逆に質問した。
「あなたは、私にどうしてほしいんですか?」

老人は背筋を正して、悠然と博見のほうを見た。優しそうだった目が、厳しい光をおびていた。
「一郎とは別れていただきたい、と思っている」
老人は、その言葉が博見の胸の中に浸透するのを待って、しばらく無言でいた。
「私は一郎が女に走らないように、爺をあてがった。しかしそろそろ、本来あるべき姿に戻す時期だ。女と結婚して、子孫を存続させることだ。まあ、それはともかく、一郎には仕事に専念させて、会社の経営を覚えてもらいたい。あれには、ゆくゆく大きな組織をまとめていく使命がある」
老人は、博見の痛いところを突いてきた。彼がこれまで悩んできたことだった。
「しばらく考えさせてください。あなたに言われたからではなく、自分自身で結論を出したいから――」
博見は言葉すくなに言った。
「わかりました。あなたは賢いおかただ。あなたの良識におまかせします」
老人は優しくほほえむと、連れの男に向ってうなずいた。男が鞄から茶色の封筒をとりだした。老人はそれを受け取り、博見に渡した。
博見はふたりの目の前で、封筒の中身をとりだした。500万円の記載のある小切手だった。それを見て、博見はカッとなった。
「バカにしないでください。私は、そんな男ではありません。失礼します!」
博見は老人の目の前で小切手を突き返すと、憤然として席を立った。
[18/01/17 07:14 閑名三爺]
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